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「綾の照葉樹林」巨樹探訪(2017.7.24)


綾の照葉樹林にこれほど多いとは思わなかった。ヤマヒルのことだ。以前、ズボンの上からもぐり込まれそうになったことはあるが、今回は条件が整っていたのだろうか、前を歩く人のふくらはぎ辺りに噛み付こうとしていたり、くるぶし付近に取り付かれて出血した人もいた。私に取り付いたのは2匹。いずれも発見は早く大事には至らなかった。
参加者に、山仕事を始めた女性がいて、「ヤマヒルが人をかぎつかるのは、振動や熱の他二酸化炭素などによってと言われます。一番最初の人には取り付かないそうです。」と言う。今回のコースは、渓流に近く湿気を含んだ枯葉が多かったからかもしれないが、シカの増加と符合する研究もあるようだ。シカやカモシカの蹄にヤマヒルが寄生するのが理由のようだ。そういえば、姿は見えなかったが、すぐ近くで甲高い鳴き声が聞こえた。警戒の鳴き声だ。シカやカモシカだけでなく、人の移動もヤマヒルの生息域拡大に一役買っている可能性もあるようだ。ともあれ、今度森に入る時は、足もとをしっかり固めてから行く事としたい。

ヤマヒルには悩まされたが、実にいい巨樹探訪だった。まず、巨樹・巨木の定義からだ。何回か宮崎市近郊の巨樹・巨木探訪で測定をしたこともあるが、改めて記しておきたい。

■巨木の定義
地上約130cmの位置での胸高周囲が300cm以上の木。地上130cmの位置において幹が複数に分かれている場合は、それぞれの胸高周囲の合計が300cm以上あり、主幹の胸高周囲が200cm以上のもの。(九州の巨樹・巨木巡り:梓書房より)

綾の照葉樹林の巨樹と言えば、イチイガシ、タブが思い浮かぶが、今回はこれに加えて竹野集落にある国の天然記念物・ホルトノキなども訪れた。
まず、綾町役場裏駐車場側そばの東屋で参加者の顔合わせ。その後、車に分乗して誰もが知る照葉大吊り橋方面へ。途中、千尋(せんぴろ)と呼ばれる所で一旦下車。森を破壊し景観を破壊した小丸川幹線の鉄塔が建っている所だ。参加者の中には、説明を聞いてはじめて問題を意識する人もいた。そしてすぐ脇の千尋の滝へ。県道から約30m入れば出会える滝だ。小さな滝だが、滝のしぶきが暑さを吹き飛ばし、今回の企画を歓迎しているかのようだった。
さて本番の川中公園方面へ。川中公園は照葉大吊り橋よりもっと先の自然公園で、森の中の大きな広場だ。「てるは森の会」作成の地図には、ずっと以前は田んぼだったと書いてある。そうだったかと思いながら見渡せば、確かに田んぼだったように広々している。そこまでが車で、後は歩きだ。今回は川中神社方面はパスし、旧トロッコ軌道跡を製材所跡方面へ向うコース取りだ。歩き始めるとすぐに小さな川中吊橋を渡ったが、眼下では岩に白い水しぶきがわき上がり、ここでも歓迎を受けているようだった。
吊り橋から水路跡を通ってトロッコ軌道跡へ。大きな岩を切りさいたと思しき切り通しを抜けて先へ。シカの鳴き声を聞いたのは確かこの辺り。そして目指すイチイガシの巨木。漢字で書けば一位樫。誰からか、樫の中では一番だから一位樫と名がついたと聞いた。綾の照葉樹林を代表する木のひとつだ。イチイガシは平野部では神社等に大きな木が残されているから、巨樹巡りなどの時はよく目にする。どこの木もまっすぐに伸びて堂々としていて、大好きな樹木のひとつだ。
さて、夏に綾の照葉樹林を訪ねると、一段と緑が濃い。その濃い緑の中に入り、森の内側から見れば、なんとも言えない清々しさがある。木々の黒っぽい幹と太陽の光に透ける葉っぱ、そして照り輝く葉っぱは、どこまでも目にやさしい。
しかし、森の中には小さな危険も潜んでいる。今回は、そのひとつが製材所跡だった。建物基礎や貯木プールのコンクリートが残り、コンクリートに飛び出たボルト、クレバスのように深い溝は、それと知らずに歩けば、つまづいたり落ちたりしてケガすることにもなる。でもこの日はそれなりの人数。お互い注意しながら歩けば、子どもの頃の小さな探検ごっこのようでもあった。そこを過ぎればもう折り返し点。そこにはタブノキが渓流に張り出し、しばしの休憩には絶好の場所。渓流は火照る体を落ち着かせ、ずっと休んでいたくなるほどであった。すぐ下流側には岩の間からこんこんと水が湧き出す湧水地。その下のよどみには、アユとアブラメが、わが領域を犯すなというように泳いでいた。
一息ついた後は、昼食が待つ川中公園方面へ。途中、アンチモンの試掘坑跡やタブノキを見ながら午前の部を終了。

汗かきの私は、昼食の間にシャツを着替え、午後の部に備えた。午後は、何回も訪ねたことがある竹野地区の国指定天然記念物ホルトノキへ。宮崎の巨樹百選にも入っていたがはたしてどうなっているか・・・。
竹野地区は綾町中心部からは綾北川にそって行くのが最も近い。綾北川沿いでは最も奥の集落だが、高齢化が進み人口は少なくなっていると聞く。川沿いの県道は、以前から崖崩れが多く、通れなくなることが多い。しかし、竹野地区までは大丈夫。県道から台地の中程にある集落を抜けると、畑の脇に金網が目につくようになった。イノシシやサル避けだ。そして目指すホルトノキへ。入口の農道にも高い金網がめぐらしてあった。見学のみなので、留め布をほどき中に入らせてもらった。近くに寄って見て驚いた。太い幹が地に落ち、朽ちていたのだ。残る主要部分も長い2本の支え木でどうにか姿を保っている瀕死の状態。見る角度によっては、幹回り630cmを誇った頃の姿を見せていたが、なんとも痛々しい姿だった。長い支え木は、町や樹木医等のこの木に対する思いの表れだ。立ち直れるものなら立ち直り、往年の姿を見せて欲しい。
ところで綾北川沿いに、この木に次ぐホルトノキが発見されていた。県道を少し歩き渓谷へと降りた。綾町で生まれ育った方達にはおなじみの場所のようだった。県道から少し下ると、発電所跡があり、その近くに平たい所があり、かつてはここで水遊びやキャンプをし、雨が降れば、廃墟となった発電所跡で雨宿りしたそうだ。そこからすぐ綾北川に面したところに目指すホルトノキはあった。葉っぱが少ないのが気がかりだったが、根は大きく法面に張り出し、特に板状根の発達が目についた。ホルトノキは、平賀源内がオリーブと間違え、「ポルトガルの木」と呼んだことから名がついたという説があるが、実際は日本に古くからある木のようだ。綾町では街路樹としても植えられているから、発見されたホルトノキも元気に生きながらえて欲しい。

ここまでで予定していた綾の照葉樹林の巨樹探訪は終了したが、おまけが付いた。
宮崎県「新巨樹100選」に選ばれ、地元紙にも掲載されたばかりの明見神社のイチイガシを目指した。「綾町指定天然記念物」でもある。明見神社は1510年(永正7)年都於郡城主伊東尹祐(いとう ただすけ)によって建立され、イチイガシはその時植えられたものだという。それを信じれば、推定とはいえ樹齢ははっきりしている。おおよそ500年ほどだ。傍らの説明板には、樹高18m、目通り幹廻り5.6メートルとあった。実に立派で堂々とした木だ。宮崎の中世史では欠かせない伊東氏の縁ともなれば、また一段と感慨深いものがあった。
という事でお開き。主催は「宮崎の自然と未来を守る会」、案内役は同会の小川渉氏が担当した。「巨樹探訪」というにふさわしい一日だった。


綾照葉樹林に建つ小丸川幹線鉄塔


県道から30mにある千尋(せんぴろ)の滝


「森林セラピー川中自然公園コース」看板






いずれも綾照葉樹林のイチイガシ


渓流に張り出たタブノキの下で休憩


綾南川渓谷


湧水地とすぐ側のよどみ




綾照葉樹林のダブノキ


竹野ホルトノキ


竹野ホルトノキ説明板


綾北川沿いのホルトノキ


堂々とした明見神社のイチイガシ


明見神社のイチイガシ説明板




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