日頃感じたこと、思ったこと事などを書きとめておきます。
野のアザミ
東洋のナイアガラ「曽木の滝」
2019-08-12 / 自然

東洋のナイアガラとのフレーズだが、滝そのものをナイアガラと比べるとちょっとかわいそう。でもこの眺めはやはりいい。
ナイアガラと比較するなら、その基盤岩の方がスケールが大きい。約34万年前に破局噴火を起こした加久藤カルデラ火砕流の溶結凝灰岩でできている。巨大噴火の火砕流は谷を埋め、自身の熱と重量で溶融し圧縮して巨大な岩となり、やがて滝をつくった。曽木の滝は、加久藤カルデラからはちょうど西の方角だ。巨大噴火を想像しながらこの滝を望むと、スケールはナイアガラを数段しのぐかもしれない。
「霧島アートの森」に出かけたついでに、「曽木の滝」へと足をのばした。宮崎県平野部は台風の影響で曇りなのに、鹿児島県側は晴れ。夏の暑い日差しがあった。お盆休みのためか駐車場はいっぱい。でも、運良く空きスペースが見つかりセーフ。お土産店の前はどこもソフトクリーム等を求める客の列。腹ごしらえが先と店に入ったが、店前の客への対応などで、店員さんはてんやわんやの状況。待つこと約30分。どうにか腹ごしらえをして、ドウドウと水が流れ落ちる滝の方へ。近づくにつれ轟く音は次第に大きくなる。暑い夏こそ「曽木の滝」だ。この滝は古くは、秀吉も訪れたという。それとは別に、柳原白蓮の歌碑がここにはある。近くに白蓮の写真が掲載された説明板もあるのですぐわかる。

柳原白蓮
もののふの 昔がたりを曽木の滝
水のしぶきに ぬれつつぞ聞く
水のしぶきに ぬれつつぞ聞く
白蓮は「大正三美人」の一人だ。NHKテレビ小説「花子とアン」(2014年)で、仲間由紀恵が演じた葉山蓮子のモデルでもある。九州の炭坑王・伊藤伝右衛門との結婚の後、編集者で随分と年下の東京帝大生・宮崎龍介と駆け落ち。夫に公開絶縁状を出した後、宮崎と結婚。後に平和運動にも力を注いだ。「もののふの・・・」は、昭和32年に滝を訪れ、その時に詠んだ歌のようだ。
「水のしぶきに ぬれつつぞ聞く」とあるから、当時は、今のように整備されていなくて、流れの近くまで行けたのかもしれない。しかし今でも、右岸にある発電所への水の引き込み口付近に行くと、流れや轟音は迫力が増す。
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昆虫観察会
2019-08-09 / 自然

毎年恒例になっている生き物観察会。今年の観察の対象は昆虫。場所は、前日の打合せで、集落内の神社境内ということになった。決定理由は、落ち葉があることと、カブトムシやクワガタなどの甲虫が好む木があることだった。
境内は地区で掃除を済ませたばかりだったが、台風8号の直撃を受けて枝葉が散乱。枝葉とはいっても、腕より太い枝等も散乱。当日、観察できるように片付けて、どうにか時間通り朝10時開始。
まずは講師の話。それがとても大きな話。「地球の生き物の4分の3は虫、地球は虫の惑星、虫がいないと人間は生きていけない---。」等々。人間が生きる上で植物の受粉など随分お世話になっているわけだ。
さて本題の昆虫観察。はじめに、掃き溜めの葉っぱ等をブルーシートの上に移して生き物観察。日頃あまり見ない小さな虫がいっぱい。それらにまじって、クモやミミズ、それにコガネムシの幼虫も。みんな葉っぱを土に還している虫たちだ。1cmの土をつくるのに100年かかるそうだ。虫たちがいなければ、田んぼも畑もできないというわけだ。
その次は、子ども達が大好きなセミやトンボ採り。小さなアミや大きなアミで追いかけ回し始めた。アブラゼミやシオカラトンボ、ウスバキトンボ、ミヤマアカネなど採取したが、クマゼミには逃げられてばかり。参加の子ども達は、虫大好きという子から全く苦手という子までいたが、終わる頃には、苦手な子もトンボやセミは採れるようになっていた。これだけでも大収穫だ。
境内には、スギやクスノキにまじって大きなハルニレがある。神社そのものは、堤防ができるため、昭和9年頃に河川敷にあったもの現在地へ引いてきたというから、どの木も樹齢約90年ほどなのだろう。実はそのハルニレに甲虫が来るのだそうだ。講師曰く、「クワガタを探すならクヌギと言われるが、これは関東以北の話で、宮崎県では、よく知っている専門家等は、元々からあるハルニレを探す・・・。」と。最後に、講師は自らハゼノキの枝を片手に、触ったりするとかぶれると観察上での注意。
そういえば、まっすぐに伸びた若いハゼノキで木刀をつくり、翌日から顔も手も真っ赤に腫らし、油揚げを塗って過ごしたことを思い出した。一日がとっても長かった子どもの頃の思い出だ。
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ジャコウアゲハ
2019-07-06 / 自然



昼時になると、この2、3日決まって現れる。当初窓越しにながめていたためクロアゲハかオナガアゲハかと思っていたが、どうもそうではなさそうで、外に出てみるとジャコウアゲハだった。そのためカメラを持ち出して数枚撮影と相成った。
翅が白っぽいのでメスのようだ。翅の黒い筋が繊細で後翅が長く伸びていて、とても美しいチョウだ。ヒメヒオウギズイセンの、花から花へ風に揺られて飛ぶ姿は、これまた美しい。飛び去ろうものなら、つい追いかけてしまいたくなりそうだ。
ところで、ジャコウアゲハが蜜を吸っていたヒメヒオウギズイセンは、植えた覚えもないのに、いつの間にか庭の主のごとくしている。漢字で書くと「姫檜扇水仙」で、原産地は南アフリカのインド洋沿岸地方。名前に似つかず、とても繁殖力があるため、ちょっと注意が必要だ。
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巨田池の蓮の花
2019-06-26 / 自然

気にはかけているが、毎年見逃してしまうので今年は早めに出かけた。行く先は宮崎市佐土原町の巨田池。読みは「こたいけ」だが、地元言葉では「こたんいけ」。
冬場はカモの休息地となり、そっと覗けばカモがいっぱい休んでいる。そのカモは、日が沈む頃になると、エサを求めて次々と飛び立つ。その飛び立つカモを、池脇の尾根林を切った「坪」と呼ばれる所で待ち受け、網を投げ上げて捕まえる猟がここには残っている。武士の鍛錬で始まったと言われる400年続いている「越網猟」と呼ばれる猟だ。日本ではこの巨田池と石川県加賀市の片野池の2カ所だけだという。
それはそれとして、今は初夏。この季節の巨田池はカモではなく蓮の池となる。新聞紙上に各地の蓮の花だよりが掲載され始めたので、今年こそはと思い早朝に出かけた。途中の田んぼは、ちょうど穂が出始めたばかりだ。池脇の狭い道路を過ぎて目指す目的地へ着いたが、蓮の花はまだちらほら。池一面の蓮の花を思い浮かべていたので、少しがっかり。先客もカメラ片手に残念そう。
しかし、せっかく行ったので幾つかの花に狙いをつけて、写真を数枚パチり。期待はしなかったが、モニターでみると、池では感じなかった蓮の花の清々しさ。緑の大きな葉っぱの中でひときわ際立っているではないか。花びらの先は濃いピンクで、中心に向うにつれ白くぼかされ、真ん中に黄色い「花托」。つい、「仏様」を見るように見とれてしまった。とは言え、私、仏教徒ではない。

カモが休む冬の巨田池

尾根林を切り開いた「坪」
ここを通過するカモを網を投げ上げて捕える。
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ニホンカナヘビ
2019-06-25 / 自然

ニホンカナヘビが、ギャラリー玄関先のハクモクレンの幹に張り付いていた。普段見ているカナヘビよりも緑っぽい感じなので写真に収めることにしたが、あとで見ればいつもの茶褐色。カナヘビの尻尾は長い。思っていた以上だ。
カナヘビのことを、子どもの頃は「チョカンキロ」と呼んでいた。最も身近にいたトカゲで、捕まえようと追いかけると尻尾を切って逃げた。切れた尻尾は生き物のごとくクネリクネリ・・・。それに気をとられているスキに本体はどこかに逃げていた。そして、たま〜に、尻尾がないトカゲも見かけた。この尻尾切り、再生するとは言え、生きのびるための最後の手段だから相当な痛手を受けるようだ。衰弱して死ぬものもいるとか・・・。人間の世界でも尻尾切りを度々見るが、こちらは自分の尻尾ではなく、ほとんどの場合部下だ。部下に責任を押しつけ、自分は知らんふりして生き残ろうとする。人間様は、トカゲ以下と言うことか。
トカゲの仲間のヤモリやヘビ類は苦手だが、このカナヘビだけは違う。ヘビ類のような特有のヌメヌメした肌感でなく、乾燥肌のようだからかもしれない。子どものカナヘビなら手の平だって乗せられる。太陽にかざせば、透通って呼吸しているのがよく分かり感動ものだ。
ところで、カナヘビのことをずっとニホントカゲと思っていたが、ニホントカゲは、あのギラギラした体に縦縞模様が入ったトカゲだ。こちらはちょっと苦手だ。だけど、しっかり見るとこちらもなかなか魅力的だ。苦手なヘビ類だって、よく見れば可愛いのかもしれない。畦草刈りでは、草の茂みから逃げないシマヘビを分からず、毎年1匹か2匹は二つ切りしてしまうが・・・。
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ネズミモチのクマバチ
2019-06-16 / 自然

植えた当初なかなか土になじまなかったネズミモチが、ある時からグングン伸び始めた。その結果、今では小さな白い花をいっぱい付けるようになっている。その白い花に、ずんぐりした大きなハチが来てさかんに飛び回っている。てっきりマルハナバチと思っていたら、クマバチ。胸が黄色でお腹は真っ黒なので、よく目立つ。大きな体のくせに、翅はハエの翅をくっつけたように小さく、黄色い毛はフサフサの絨毯のようでもあり、触ってみたくもなる。しかし、それは当然のことながら相手が許してくれないため、眺めるばかり。
このクマバチ、子どもの頃はクマンバチと言っていたような、言わなかったような・・・。危害を加えないかぎり襲われることはないが、とうとう接写では撮らせてくれなかった。
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幻日(げんじつ)
2019-06-06 / 自然

少し間を置きすぎてしまった。3月末に「相次いだ別れ」を書いたが、それ以降も別れが相次ぐことになった。一緒に沢山のことをやってきた仲間、地区内の田んぼの貸し主のおばあさん、それに近親者、そしてまた地区のおばあさん。みんな大切な人だ。
通夜式や告別式に出席したり、受付をしたり・・・。こんなに別れが続いたことは今迄にないが、田舎と都市部では、随分と式のありようがちがった。地区の方の式では、世帯から少なくとも一人は出席があり、地区外からも知り合い等が参加するため多人数で、受付も地区の班の者が交代で行い、今も地域共同体が生きていた。しかし、都市部の葬儀は、家族葬的で人数が限られていて、受付も近親者。総じて、最近はどうも家族葬的になりつつあるように感じた。
宗派は浄土真宗3と臨済宗1だったが、同じ宗派でもそれぞれ別のお寺だった。何度も式に出席すると「戒名」と「法名」の違いなど覚えて行く。しかし、宗派は同じなのに、焼香の仕方が少し違うこともあった。お茶席での定番の話題は、葬儀にいくらかかるとか、「法名・戒名」はいくらだったとかなど現実的な話も多く、庶民としては、やはり気にかかるところだ。
さて、5月末に縦に虹色の輝きが現れた。写真では左。九州山地に日が沈む前のことだ。「幻日(げんじつ)」というのだそうだ。固く言えば「太陽と同じ高度の太陽から離れた位置に光が見える大気光学現象」ということのようだ。10分間ほどだっただろうか。写真に撮ったのはその最後の頃。そして「幻日」は幻のごとく消え去った。「西方浄土」という言葉もある。それぞれ彼の地にたどりついただろうか・・・。
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早朝のキジ
2019-05-08 / 自然

遠い距離だったのでいい写真ではないが、記録しておくことにした。
早朝6時頃田んぼの水回りに出かけた。日がのぼり、田んぼ周辺が瑞々しく輝く時間帯だ。散歩も兼ねて遠回りをし、小川そばの田んぼに着いた時だ。キジがバタバタと羽音をたてて飛び去った。ちょうど高さが1mほどある農道下だったので、近づくまで気付かなかったらしい。私自身も全く気付かなかったため、足もとから飛び立った感じだった。
キジの飛び方はどこからみても上手には見えない。重い体を翅を懸命にばたつかせて飛ぶ姿は、鶏が飛ぶ姿に似ている。ヘタクソこの上ない感じで、飛ぶより走る方が得意なようだが、今朝は約60m程先の畦まで飛び去り、そこからヨシの茂みに消えた。
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交尾中のジョウカイボン
2019-04-27 / 自然



ン! なんだこの虫。地蜂かと思いながら一旦通り過ぎたが、気になって引き返した。とはいっても、ギャラリー軒下の縁石の上。
やはり引き返したのが正解だった。当初真上からみたので変な虫としか思わなかったが、よくみると二匹で重なり合ってナニの最中だ。ナニとはナニだ。つまり交尾の最中なのだ。といことでカメラにおさめることにしてゆっくり観察。
上に乗っかっているのが当然オス。メスの頭の脇を押さえるようにして励むのだが、メスは時々イヤイヤをするように這い始める。するとなだめるように頭の両脇を撫で撫で。そしてまた励む・・・・。そのくり返しだ。
この虫、何かと調べれば「ジョウカイボン」というたいそうな名前がついたカブトムシ亜科の甲虫。漢字で書けば「浄海坊」。一説には、平清盛の法名=淨海坊(じょうかいぼう)から付けられたとか。林の周辺や草むらなどいろんなところでよく見られるようだが、私自身は認識するのは初めて。幼虫も成虫も、他の昆虫を捕まえて食べる肉食昆虫だそうだ。
何枚か写真に撮ったが、途中で仕事にもどるため観察中止。そして一仕事を終えて、ひょっとするとまだいるかもしれないと思い、観察場所へ戻ってみた。するとまだナニの最中。最初見始めてから一時間は過ぎている。
ウーン!。人間様のオスは草食化しているようだが、子孫繁栄のために少しは見習うべきなのか・・・。
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セイタカシギ
2019-04-12 / 自然


早朝の田んぼは、風もなく穏やかだ。朝日が少し登った頃、田んぼの水回り。3月末に田植した稲(コシヒカリ)も、どうにか活着。葉色も健康的になってきた。その隣りには、4月末に田植え予定の飼料用米の田んぼ。そこに見慣れない二羽のシギ。長い脚のピンクが印象的で、かつ水面に映る姿も超きれいだ。
これは撮影しておかなくてはと思い、カメラを取りに自宅へ帰った。その間に、飛び去っているかもしれないと思ったが、「おー!、まだいるいる」。
まず遠くから1枚。そっと近づいてみたが、逃げないのでまたパチり。こちらの姿は二羽には見えているはずだが、それでも逃げないので、歩道脇に立つガードにカメラを固定して何枚かパチり。
ということで、「早起きは三文の徳」ならぬ「早朝の水回り三文の徳」。この二羽、調べてみればセイタカシギだった。ありがとうセイタカ君。



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