男澤惠一・家系と先祖のBLOG

「先祖を知れば未来が見える」著者、日本家系調査会の男澤惠一が読者様の幸福を願って書いております。

馬庭念流の樋口家

2009年10月14日 | この名字のルーツは?
吉井町も高崎市に入りました。吉井町馬庭には有名な「馬庭念流」の道場があるので訪ねてみました。立派な門構えの家です。

系図を見ると先祖は相馬を名乗っていますね。家紋は丸に釘抜き紋を使っていました。

馬庭念流(まにわねんりゅう)は、樋口家第17代当主・樋口定次が友松氏宗より学んだ念流を元に確立した、剣術を中心に長刀術(薙刀術)、槍術も伝える古武道の流派。

樋口定次が、上州多胡郡馬庭村(現、群馬県高崎市吉井町馬庭)において道場を開き、樋口家が馬庭村で伝承し続けたため、馬庭念流とよばれる事となる。
相手を倒す事よりも自分を守る事に重点を置いた守り主体の流派であるとされる。庶民の護身術として、上州を中心に関東各地で広範囲に受け入れられ続けたため、廃れずに今日まで続いている。640年の歴史を持つと言われています。

樋口家に残る系図
初祖 相馬四郎義元入道慈恩
2世 赤松三首座禅師慈三:慈恩の弟1394年相伝
3世 小笠原東泉房甲明
4世 小笠原新次郎氏綱
5世 小笠原備前守氏景
6世 小笠原庄左衛門尉氏重
7世 友松清三藤原氏宗(偽庵)
8世 樋口又七郎源定次(樋口家17代);これより樋口家にて相伝。
9世 頼次(18):定次の弟
10世 定久(19)
11世 定勝(20):寛永御前試合
12世 定貫(21)
13世 将定(22): 堀部安兵衛(赤穂浪士)が入門。
14世 定蒿(23):寛政6年江戸城内にて演武
15世 定広(24)
16世 定雄(25):1796年「麻利支天社」建造
17世 定輝(26):千葉周作との抗争
18世 定伊(27):「矢留術」の演武
19世 定高(28):横浜に道場建造
20世 定広(29):1867年「傚士館」道場建造
21世 定督(30)
22世 定英(31)
23世 定周(32)
24世 定広(33)
25世 定仁(34):現当主、平成10年1月18日襲名 。

樋口家は、全国136番目で約146,000人。大和国広瀬郡広瀬神社の旧神職家は曽根連姓。ほか清和源氏、藤原氏など。

日本家系調査会
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