おじいちゃんの小さな疑問集(旧:おもりぽ)

「おじいちゃんがふと抱いた小さな疑問」を、載せさせていただきます。答えや共感や異論があればぜひコメントを!

ぷちりぽ.21

2007年09月30日 | Weblog
【田んぼの風景.稲刈】
 まだ青々としているので、稲刈りはもっと先と思っていたのに…。最寄りの田んぼは、気がつくと刈られていました。何か悔しい、知らないうちに刈られてしまったことが…。今年は、例年に比べ豊作だったのでしょうか?
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ぷちりぽ.その20

2007年09月16日 | Weblog
【田んぼの風景.台風後】
 こちらも、稲が実ってきた田んぼです。でも昨日紹介した田んぼと違い、あちこち稲が倒れそうになっています。台風9号が日本列島を縦断しましたが、その影響を受けた田んぼ、受けなかった田んぼと、それぞれなのですね…。その違いは、風向きなのかな?
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ぷちりぽ.その19

2007年09月15日 | Weblog
【田んぼの風景.初秋】
 稲が、実ってきました。頭が少し、垂れてきています。でもまだ、青々とした田んぼです。秋の始めです。
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こぉんなバイトがあったぞ!リポート.6の③

2007年09月12日 | Weblog
【学習塾講師.その③】

 学習塾講師についてのコメントの、3回目です。

 結局、大学2年から4年卒業までの3年弱、この塾での講師のバイトを続けました。4年の時は1曜日で、しかも遅い時間の中学生だけにさせてもらったわけですけど。進学塾ではなかったので、小・中学校が休みの期間は、短い夏季講習などをのぞいては休みが取れるこのバイトはとても都合がよかった。

 だから大学生生活の中で、このバイトは結構大きな比重を占めていました。特に収入面で、毎月定期的な収入が得られることは、とても助かりました。当時ぼくは、親からの仕送りと、奨学金と、このバイト代という、月3回の定期収入で暮らしていたことになります。

 月3回の収入と言うと羽振りが良さそうに聞こえますが、実態はまさに逆でした。月3回に分かれて収入があるということは、その前に月3回、金欠のピンチが襲ってくるということです。もともと計画的な性格とは言えないうえに、いい加減な生活ぶりの学生です。

 お金が入ると、食いたかった物を食ったり、誘われるままに飲みに行ったり、欲しかった本などを勝ったり。結果、次の収入が入るまでまだ3日も4日もあるのに、手元にはもう千円しかありません!などという状況が、めまぐるしく繰り返されるわけであります。

 話しが逸れたので、戻します。3年弱の塾講師期間のなかで、印象が強かったことを3つだけ紹介します。1つは、自分が行うはずの授業をできなかったことが、1度だけあったことです。

 これは、オートバイのツーリングで静岡に行っていて、昼には帰着して夕方からの授業に臨むはずだったのに、帰着が大幅に遅れてぎりぎりに教室に駆け込みました。しかし、東名高速や高速降りてからの渋滞の道を、肝を冷やしながらスッ飛ばしてきた疲れで、1コマ目は何とかこなしたものの、2コマ目を前にメマイを起こしてしまいました。

 さすがに、「ツーリングで帰る際の、渋滞を考慮しなかった時間の読み違いでの疲労」とは言えず。良心の呵責を感じつつ、風邪とか何とか言い訳して、以降2コマを急遽塾長に代わってもらって帰宅しました。穴を空けたのはこの時だけだったので、痛恨の極みとして覚えています。

 2つめは、ビルのエレベーターが故障して、ちょうど最後の授業を終えた子供達が、閉じ込められた事件。幸いにして、乗ったフロアから少し下がった所で止まったので、脱出はできないものの、子供達と会話ができる状態でした。

 塾長はビルの管理会社に緊急連絡して修理を依頼したり、閉じ込められた5人ほどの子供達の家に電話して事情を説明したり。ぼくはエレベーターに向かって、暑くはないか?とか、トイレは大丈夫か?とか、腹減らないか?とか、つねに話かけるよう心がけていました。1時間程度で、修理の人が到着して無事脱出しましたが、とても長く感じた1時間でした。幸い子供達は面白がって、いたって元気でしたが。

 3つめは、ぼくにとっても講師最後の年の、中学3年生の合格祝い会です。3年弱講師をしたわけですから、彼らが中1から中3年まで面倒を見たことになります。お祝い会では、いつもの緊張感をつくる必要は全くなく、お菓子やジュースを飲みながら、ワイワイと進路決定と、卒業予定を祝いました。

 補習塾ではあっても優秀な子は居て、ぼくなんかの授業を受けつつも、ちゃんと難関の都立高に合格したA君。中学生ながら結構美人系で、多少大人びていたBちゃん。Bちゃんといつも悪ふざけしていたCちゃん。ボンクラで、いつも叱られる対象だったけど、親のコネでそこそこの私立高校に行くことになったD君。D君と一緒にいたずらなんかしながらも、ちゃんと勉強していて、第一志望校に合格したE君。

 名前は忘れちゃったけど、今でも彼らの当時の顔を、1人1人思い浮かべることができます。彼らが15才、ぼくが22才で7歳しか違わないわけだから、奴らももうすっかりおじちゃん、おばちゃんでしょうけどねっ…。

 ちなみにぼくと同郷の友人の関係は、成り行き上最後まで明かすことはしませんでした。
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 3回に分けて紹介した、塾講師はこれで終了。次回はなんのバイトを紹介しようかな?
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ぷちりぽ.その18

2007年09月09日 | Weblog
【ワンコのうんち受け】
 今朝のワンコのうんち受けは、遥かな昔、エジプトの遺跡と遺品でした。しみじみ…。
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こぉんなバイトがあったぞ!リポート.6の②

2007年09月04日 | Weblog
【学習塾講師.その②】
 前回紹介させていただいたようないきさつで決まった、学習塾講師についてのコメントの続きです。

 面接に行ってその場で内定をもらい、翌週から学習塾講師のバイトをスタートすることになりました。ぼくが担当するのは、週に2曜日。時間は16時~21時で、90分の授業を3コマ、間10分のインターバルをいれて実施していく方式だったと思います。

 確か、1曜日めは最初のコマは小学生に社会と国語を、90分の時間を半分に区切って教えます。残り2コマは中学生に、国語や英語を。2曜日目も同様で、曜日で対象の学年が違うということだったと、そんな記憶があるのですが…。1年目と2年目で担当が違ったし、何せ20年以上前のことなので、記憶が定かではありません。

 最初の週は、ぼくが担当する授業を塾長が実施するのを見学です。塾長の授業は、見事な授業でした。教えられる子供達と教える講師とキチンと一線が引かれて、決して慣れあいの授業ではありません。教える口調は極めて明瞭。子供達が、「ですます調」ではない言葉使いをすると、厳しく叱ります。通常の声質は明瞭で淡々と、叱る時は大きく短い言葉で、教室全体が凍るような雰囲気をもたらします。

 ある中学3年生の男の子が、教材を忘れてきました。塾長はまず「君の親は何のために授業料を払い、ここにこさせているのだっ!」と怒鳴って教室を凍らせました。だれも目線を上には向けられない状況をつくります。そして、「君の親に今すぐ電話をして了解を取るから、すぐ教材を家から取ってこいっ!」と、彼を家に取りに戻します。

 彼が教材を取りに行っている間も、彼が戻ってからも、教室は全員が塾長が教える内容に集中し、神経を研ぎ澄ませて読み、書き、問題を解くといった状況でありました。塾長自身は怒鳴ったことなどまったく尾を引かず、その後は極めて淡々と、時に冗談も折り混ぜながら授業を進行していくのですが…。

 ぼくは当時は、どくらかというとドラエモン風というより、体型は細く、顎なども鋭利で、目つきなどもスルドイ方だと思っていたので、この塾長のスタイルに近い方向で授業に臨むことにしました。バイトの身としては、子供達と仲良くなり、解り合ったうえで充実した授業をするより、最初から一線を画して緊張感を持って授業を進める方が効率がいいし、一定の成果をあげられると思ったからです。

 翌週から、塾長の後を受けて授業を進めましたが、この作戦はひとまず効を奏したようです。1ヶ月程度たったところで、オーナーと塾長から、「あなたの授業は緊張感もあって、子供たちが静かに熱心に受けていてとても良い」と、褒めてもらえたので。

 一方、講師によっては、やはり子供たちが集中しなかったり、時には騒いで思うように進行できないケースもあったようです。極端な場合は塾長は教室に入るという対処もしていたよう。少なくともぼくの同郷の友人とぼくは、緊張感のあるいい授業との評価を受けていました。

 でも、このスタイルはなかなかにしんどいところがあります。ふざけたり、弱みを見せることが、できないからです。特に中学3年の内容は、補修塾とはいえ結構むずかしい内容もあります。質問されてとまどったり、迷う様子を見せるわけにもいかないのです。特に数学などを臨時で請け負った場合でも、塾長の方針で事前の予習などもできず、結構ヒヤ汗をかいた覚えがありますぅ。

 そんな基本姿勢でこのバイトは、大学2年の途中から、3年の終わりまで、週に2日+夏期講習や春季講習の講師業を継続しました。4年では就職活動もあったので、週1度でシフトをつくってもらい、3年弱の期間継続したことになったはずです。
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 次回、まだまだ学習塾講師のバイトに関するコメントは続きます。子供たちを教えていて、嬉しかったことや、起こった事件など。長期間のバイトには色々な思いが残っているものです。
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こぉんなバイトがあったぞ!リポート.6の①

2007年09月03日 | Weblog
 今年の夏は暑かったですね。猛暑日なんて今まであまり聞かなかった用語も、頻繁に使われたりして。9月も暑い日はあるのかな? 秋の台風なんか、どうなることやら?

【学習塾講師】
 しばらく紹介してなかったアルバイトリポートです。今回は夏のアルバイトというわけではではなくて、学生時代に一番長くやった、大学生バイトの定番、塾講師のアルバイトについてです。長期間やったので、ひょっとするとリポートも続きものになるかも知れません。

①職種 大学生時代に住んでいた、西武池袋線沿線の街の、小中学生対象の学習塾講師です。

②給料
 確か時給1200~1400円ぐらい。一般的なバイトで時給700~800円ぐらいの時代だったから、結構高い方。でも一流塾の講師は時給1500~1600円ぐらいもらえたような…。

③メリット
 時給も良いし長い期間できるので、安定した収入が得られ、子供達とも交流が生まれる。

④デメリット
 決まった曜日の決まった時間に、必ずやらなくてはいけないし、責任も重い。いい加減だった学生には、これは結構プレッシャー。

⑤やったきっかけ
 同郷の友人が始め、「まだ講師足らない様子だからやってみない?」と誘われた。

⑥総合判定
 最もおいしいバイトではなかったけれど、最も得るものはあったと思う。やはり一番思い入れのあるバイトでした。

⑦コメント
 毎度のことですが、友人に誘われたのがこのバイトを始めたきっかけです。いつもの大学サークル関係ではなく、同郷の友人です。友人は中学時代の同級生だったのですが、ぼくより大学入学が1年遅れました。従って彼が大学1年の時、ぼくが2年の時です。

 初夏の夜、ネクタイにスーツ姿の友人が、ぼくのいるアパートに現れました。彼いわく、「今この近所の学習塾で、講師のバイトの面接を受けてきて内定をもらった。まだ講師採用の枠ありそうだから、お前も受けてみない?」

 詳しく話しを聞くと塾は小中学生対象の、進学塾というよりは学校の授業の補習を中心にした塾。大手塾ではなく独立系のこじんまりした経営で、彼は算数や理化を中心に教える前提で内定をもらい、まだ国語や英語の文系中心の講師に欠員がありそうな様子だねとのことでした。

 そこでぼくらは、作戦を立てました。講師の少ない小さな塾で、新規採用の2名がお友達というんでは、採用をためらうかも知れない。また、どちらかが欠勤等のチョンぼしたりした場合、お友達だとチョンぼしてない方も気まずかったりするかも知れない。ここはぼくも、彼が見たアルバイトニュースを見たと言って、友人だということは伏せて応募してみようと。

 早速翌日電話をし、その日の午後面接に行くことになりました。塾は、ぼくのアパートからは徒歩15分ぐらい、最寄の西武線の駅を越えて反対側の、大きな通りに面したビル内にありました。ビルの2階までは、会社のオフィスへの賃貸、3階以上はマンションというよくあるビル。塾は7階の3LDKで、1室を塾長の居住室兼講師控え室にし、残り2室を教室にした、極めて小じんまりとした塾です。

 応募したぼくは、居住室兼講師控え室に通され、おばあさん(60才代?)の塾オーナーと、彼女の甥だと紹介された、塾長の男性と面接をしました。ぼくの履歴書を見ながら、ひととおりの質問に答えます。大学で何を勉強してるだの、サークルは何をしてるだの、大学受験での得意科目だの、志望動機だの。

 その後は、塾の方針や対象の子供達、教えて欲しい科目や教える曜日時間などについて説明してくれます。質問や説明は主に、30才そこそこと思われる塾長がしてくれました。オーナーのおばあさんは、ぼくの出身地についてとか、親の健康状況とか、情緒的な部分に反応するのみ。一方塾長の話しぶりは極めて明瞭で、要点が的確で、尊敬できるやつだなぁと、思わせてしまうタイプでした。

 とにかく、塾長もぼくに対して良い印象を持ってくれたようで、「ぜひ来てください」と言ってくれました。ぼくには、国語と社会を小学生のクラスに、国語と英語を中学生のクラスに教えてもらいたいとのことで、仕事は週に2曜日、夕方4時から9時まで、1曜日3コマの授業をする。最初の1週間は、塾長が行う授業を見学する。翌週から引き継いで、ぼくが授業を行う。

 授業は学校の教科書と、教科書に沿った問題集を使うのが中心。講師は4時の30前に来て、その日行うべき授業の確認をするだけで、教えるための予習をしたりする必要はない。むしろ予習をしなければ教える自信がないという人には頼まない。そんな説明を受け、「よしがんばるぞ」という気分になって、塾を後にしたのでした。

 さっそくその夜は同郷の友人に報告をし、成り行き上、今後も旧友であることは伏せておこうと確認いたしました。幸いにして、彼が講師をする2曜日と、ぼくが講師をする2曜日は重なっていなく、互いに顔を合わせつつ他人のふりをしながら仕事をする機会はそう多くはありませんでした。

 それでも、特別のシフトの時などは一緒になり、ぼくと同郷の友人の奇妙な状況での塾講師のバイトは、2年以上続いたように記憶しています。
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 この続きの次回は、講師としての仕事ぶりや子供たちの様子、友人以外の他の講師や塾長、オーナーの様子など、リポートさせていただきます。あと1回でもきっと終わらず、さらに続くような気がしますけど…。
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