おじいちゃんの小さな疑問集(旧:おもりぽ)

「おじいちゃんがふと抱いた小さな疑問」を、載せさせていただきます。答えや共感や異論があればぜひコメントを!

片田舎町内会リポート.12

2007年01月11日 | Weblog
 今週火曜からが、2007年の活動の本格スタートという感じでしたね。首都圏では、子供たちの学校も始まっています。そんな中、話しはいよいよ夏祭り本番に進んでいきます。

【リポート12.夏祭り本番】
 テントなどの設営も無事終えて、夏祭り会場らしくなった公園から、腹ごしらえと休憩にひとまず帰宅します。昼飯をテキトーに食べて昼寝をしようと思いますが、寝過ごしてしまった場合に備え、キャベツ刻みを先にしておくことにします。

 「たんざく切りで」とか言われたのですが、たんざく切って知らず、結構細かく刻んでしまいました。どうせ焼くのはぼくだから、まあいいっか。それにしてもキャベツ3個分刻むのは、結構しんどい。これが全部千切りだったら、完全に音をあげていますね。てなことを思いながら、昼寝zzz…。目覚めたのは、午後2時過ぎ。4時の集合時間にはまだ時間があったのですが、家でぼーっとしていても何なので、3時過ぎには会場に向かうことにしました。

 どんないでたちで会場に向かうべきかは、少し考えました。結果は、上は焼きソバのソースなんかで汚れても困るので、黒いTシャツに。下は、朝からの作業でも着用していた、カーキ色の半ズボン。この時期にしてはさほど暑くはないとはいえ、やはり動き廻ると汗をかくので、頭にタオルを後ろ縛りにしてかぶる海賊スタイル。替えのタオルもしっかりポケットに。足元はスニーカー用ソックスにスニーカー。結局見栄え的に朝と違うのは、Tシャツが黒になっただけの変化でしたが…。

 とにもかくにも刻んだキャベツをたずさえて、イザ出陣。公園についてみると、焼きソバの出店には、集合時間までまだ間がありながら、全員すでに揃っていて、ぼくが最後だったよう。みなさん、何となく気分が高揚している様子です。ちなみにぼくが刻んだキャベツは1番細かくて、たんざく切りとは、結構大きめの刻み方のようです。

 聞くと、豚肉を公民館でゆでている最中だそう。出店のテーブルにも着々と折や割り箸など、必要物が揃えられつつあるところでした。焼きカタをおおせつかったぼくはアセッタ気分で、すでに待機されていたヤクルトの栗山似さんと、鉄板をあっためるため、早速プロパンガスに火をつけることに取りかかりました。

 点火のため焼きソバ焼き用の鉄板を一旦よけますが、これが結構重い。現れたバーナーは、棒状になっていて、ガスを噴出させながら点火していきました。しかし、周囲はまだ明るく、ついたかどうか火が見えません。掌を寄せて、熱さで着火を確認いたしました。そうして鉄板をもとに戻しましたが、大きさと厚みからいって、鉄板自体を熱するのにも、相当時間を要しそうです。

 ぼくと栗山似さんは、2人とも屋台での鉄板による焼きソバ焼きは初めて。初めてなりにやはり怖かったのは、焦げて焼きにくく、売り物にならないことでした。そこでここは、鉄板を十分熱することが最善策であろうと、焦らず気長に待つことに。いつぞやキャンプでバーベキュー奉行の方がやっていた、水をのせると瞬時に鉄板上で玉になる、という状態を目標に、それまでひたすら耐えることにいたしました。

 売り出し開始は6時。それまでに試し焼きをし、その後は50折ほど、他の自治会の方に配る分を焼く必要があると、言われております。また、売り出し開始までには、売るためのある程度のストックを、たぶん20や30折は、しておかなければいけないでしょう。時刻はまもなく4時を廻ったところ。近所の子供達は待ちきれずに、大勢会場内の公園ではしゃぎまわっています。

 焼きソバの具材は、ソバの玉が袋からだされ、肉もある程度の量がゆであがり、ゆで汁も、ソースもそばに置かれています。青のりや紅生姜もタッパウエアにあけられ、後はいかにも焼きソバが焼かれるのを待つだけという雰囲気です。焼きソバ店のバックヤードを取りしきる、A丁目自治会の会長の奥さんが、「そろそろどうですかね?事前配布の分も焼かなくてはいけないし…」と、ぼくと栗山似さんに、何気にプレッシャーをかけたりします。

 ぼくは、水を手につけて鉄板上にたらしてみますが、まだ玉になるどころか、へなっと広がって蒸発にも時間がかかるという程度にしか焼けていません。「ここはがまんして、鉄板が十分焼けるのを待ちましょう」と、ソワソワと鉄板の周りをうろつくみんなを押し留め、ひたすた鉄板を眺めている状態を維持するのは、なかなかに難題でありました。

 そうやって周囲の有言無言の圧力に耐え、点火から30分以上たって、ようやく目指す水滴ができるほどに鉄板が焼けました。鉄板を十分焼くことにかたくなにこだわった成り行き上、最初の試し焼きはぼくが焼くことに。鉄板に油を注ぎ、キャベツの芯で油を前面に伸ばします。そのうえで、ソバを5玉ほど乗せ、焼きソバというからにはまずソバを焼かなくてはと、この状態でしばらく待つかたわら、キャベツと肉を乗せ、炒めます。

 ソバの鉄板側が焼けてきたかなと思う頃、両手で握ったへらでそばをひっくり返し、ちょっと間を置いて、肉汁をかけ、炒めたキャベツや豚肉と混ぜよく蒸すことも心がけつつ、ソースを加えていきます。けっこうわずかな量のソースで、焼きソバはソース色に染まったので、ここからはよく鉄板上でかき混ぜつつ、全体を焼くことに専念。

 いい感じで水分も飛んだころ、栗山似さんが「これに移してバックヤードに折詰めをお願いしましょう」と、中を洗った大きな発泡スチロールの四角いケースを差し出してくれました。焼きソバ全体をこのケースに移し、最初の試し焼きは終了。焼きカスなどをきれいにして、ぼくは第2弾の5玉に取りかかり始めました。  ところが間もなく後ろから、「味が薄いですうー」というアラームが鳴らされました。第1段のソバをつまんで食べてみると、なるほど薄味。色がそれらしくなったところでソースを止めたのがあだとなったようで、2回目からは倍の量のソースをふることにしました。試食の結果焼き加減は良いと思われたので、1回目と同じ工程で、今度はソースを倍にして焼きました。

 これについてはみんなから合格点をもらったので、次回以降のソースはそばにあったカップ1杯フルにと、量を固定することにしました。これは暗くなるにつれ、ソバの色でソースの加減を判断するのは難しくなるため、とても良い判断でした。それにつけても5玉を1回分として、2回焼いただけで相当腕が疲れ、3回目は栗山似さんに代わっていただくことにしました。

 栗山似さんは、ぼくのやり方の見よう見真似で3回目を焼き、特に問題は起きなかったので、このやり方が定着することになりました。4回目も栗山似さんが焼き終えた頃、焼きソバ担当の比較的若めの奥さんの旦那(以降若旦那)が到着。「ぼくも焼きますが、焼き方教えて!」と言うので、5回目はぼくが焼いて、栗山似さんが具材を投入し、最後はバックにわたすケースを差し出すといった具合に役割分担しながら、「ひとまずこんなんでやってます」と説明しました。

 これにより自然と、焼くにあたっては焼く係りと、工程に沿って具材を投入する係りと、2人1組でやる役割分担ができたわけです。しかし、若旦那を加えても焼き手は3人。2人で焼いている間、休憩できるのは1人という状況です。時刻は夕刻5時をだいぶ過ぎたとこ。終了の夜9時まで焼きつづけるとして、あと4時間中、1/3しか休憩できないのでは、焼いてみてその大変さを実感した身として、「相当しんどいな…」と、思わざるおえませんでした。
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 次回「リポート13.夏祭りの夜」に、つづく。夢中になればなるほど、イベントごとは楽しいものですね…。
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片田舎町内会リポート.11

2007年01月08日 | Weblog
 お正月に「イノシシにぶっかる交通事故が起きた」というニュース(たぶんローカルニュース)を見ました。イノシシが干支の今年でなければ、絶対ニュースにはならないネタだと思うのですが…。年賀状の到着も落ち着いてきたこの時期に、夏祭り準備の続きの話しです。

【リポート11.会場設営後半】
 出店や、本部(音響設備なんかも置く、本拠っぽい場所)、受け付けなどのテント設営は、まずテントの部品と思われる鉄柱や布袋を寄せて置いてある場所から、1つ1つのテントと思われるものに、仕分けることから始まりました。

 あけぼのA丁目は、5張りほどのテント設営を、役割として担わされているとのこと。設営において指揮をとったのは、65才前後に見える催事役員の男性(以降催男)でした。

 彼によると、まず、屋根となる鉄骨を組む。次に屋根の布地をかぶせ、鉄骨にしばる。それから屋根の支えとなり、高さを確保する鉄骨を組む。そして、あらかじめ布を張っておいた屋根を持ち上げて支えに乗せ、組み終える。そんな手順だそう。すべての鉄骨を組み終えて屋根を張ろうとしても、高くなってしまって張れない、という道理です。なるほど、さすが指揮をとるだけあって、勉強になりますね。

 で、大勢で鉄骨を並べますが、ぼくはこれは極力手を出さずに遠巻に見ていました。なぜなら、このテは苦手なのです。どれが横棒でどれが縦棒で、どれが右端、左端、中央、補助などと見分けて判断し、セットするのがダメ。ぼくの場合、どうどう巡りをして、いつまでも正解にならないタイプと、自覚があるもんですから…。

 パズル系が得意かどうかは別にして、「この類には腕に覚えがあり」の様子の男性陣が主になって、悩みながら、それでもなんとか妥当と思われる配置に、会場である公園の半分ほどのスペースを使って、テント5つ分の鉄骨類を並べました。

 その後は1つづつ、先に紹介したように、まず屋根、それから支え、そして屋根を支えの上に乗せるという段取りで進めていきます。催男さんの指揮と掛け声のもと、この工程でテントの組み上げは、着々と進むかに思われました。しかし、3つほど組み終えたところで問題が! 組み終えたテントをどこにどう配置するかについて、誰も情報を持っていなかったのです。

 それに気づいたのは、誰かが組み上げ作業中に発した「それぞれ、一体どこに設置したらいいんだろうね?」という、とてもシンプルな疑問のセリフが事の発端でした。この疑問は、指揮を取る催男さんに向けて何気なく聞いた感じ。当然回りの人は皆、イベ男さんが歯切れ良く応えてくれると思い、彼をみ見ます。

 ところが、催男さんんが応じたのは、「えっ?誰か、テントの配置の見取り図みたいなものを、持ってないんですか?」という疑問府でした…。疑問府に対し疑問府で応えられてしまうとは、誰もが予想外だったため、その場のほぼ全員に動揺が走ります。

 「普通こういう場合は、見取り図に沿って設置していくもんでしょう。ないの?困ったなぁ」と、催男さんは誰に言うともなく、誰かを責める口調。そして「まあしょうがないから、ぼくの記憶で続けましょう。このテントは入り口のここら辺。あのテントは砂場のあたり、このテントはやはり入り口こっち…だから、あと2張り組んでも、みんなで運べば、それぞれおよその場所に移動させられますよ」。

 この言葉に、動揺していた一同はホッとし、残り2張りのテントの組み上げに進むことができました。しかし、何年テント張りをやると、おおよその場所まで記憶できるようになるんでしょうね? パズル系が苦手なぼくは、会場であるどの位置にテントが設置されていたかはぼんやり記憶できても、どのテントが設置されていたかまでは、何年やっても到底記憶できないと思えますが。

 5張り組み上げたころには、催男さんよりもテント設置場所位置関係を正確に記憶していらっしゃる、ここの地元のソフトボールチームの男性が登場し、それぞれのテントの大勢での移動と設置を、指揮してくれました。ソフトボールチームは出店系が得意で、春のお花見会の出店は、飲み物、焼き鳥、綿菓子、タコ焼きなど、彼らだけでまかなってくれているため、自治会役員は出動せずにすんでいます。ちなみに公民館の横の通りが、桜並木の通りになっていて、この辺ではちょっとした桜の名所なのです。

 話しが少しそれついでに説明します。テントのうち1張りは受け付け用と紹介しましたが、何で夏祭り会場に受付が必要かというと、寄付をしてくれた見返りの景品抽選会を、最後のイベントとして行うのですね。それで、抽選対象の権利の証に、事前に各家庭に班長が、団扇を配っておきます。それを持って夏祭り会場受付で団扇を示し、抽選番号券をもらうのです。そのためと、当選した景品を渡すために、受け付けテント席が必要なのであります。

 そんなこんなしているうちに、入り口に、夏祭り会場の立派な入場門も設営されました。櫓も着々と構築が進み、紅白の幕などのお化粧飾りに進んでいます。あらためて見廻すと、公園で設営にいそしんでいるのは結構若い、高校生や大学生に見える男の子も多くいます。おそらくは、「設営や撤収は大変だから、手伝いなさい」と両親に言われ、やってきたのでしょう。「うちのガキどもなら絶対来ないな。この子たちは偉いな…」と感心することしきり!

 ぼくらA丁目の役員達は、子供会だったり、他の自治会用だったりの、その他のテント設営を手伝ったり、公園の会場までの道路に行灯を立てたりなどの仕事をこなしていきました。そして、準備の最後は、公民館内のテーブルやパイプ椅子を運び出し、テントの下に設置する作業です。電気工事屋さんも来て提灯の飾りも終えると、会場の公園は手作り風ではありますが、すっかり夏祭り会場らしい雰囲気になりました。時刻は午前11時近く。

 後は家に帰って昼飯などを食い、午後1に一度来てキャベツを受け取り、焼ソバに備えキャベツをキザみます。そんで、夕方からの焼ソバ店に備えるわけであります…。それにしても、「昼寝でもしておかないと、朝6時からの肉体労働だから体がもたんな」と、へとへと気分になって一旦帰宅したぼくでありました。
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 いよいよ祭り本番。焼ソバ焼きを中心に、思いの他、夏祭りは燃えるものですよ!!
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