夢色

集めてるもの 見たもの 書きたいものを 思いついた時に。
基本ネタバレ注意。
火月 神の気まぐれ よろずメモ。

<じっと待つ花の芽のように。>

2016-01-18 | 暇つぶし

Dr.コパによると、今年のラッキーカラーは「ゴールド」「白」「ラベンダー」らしい

 なので、とりあえずテキトー塗り。
パステルカラー可愛いよね。
今冬も流行ってるんだってさ。


昨日の仕事のお供は、、、
 ウィンターVer.のスタバストロベリーケーキラテでした。



関西は、ただの雨降りな一日。
週の初めから、やる気出ないけど~ 山盛りの書類が~ 終わらない~
・・・がんば がんば~


<それでも、貴方の笑顔は 世界を変えられる。>

2016-01-17 | つれづれ

あの日から21年。

1995年1月17日 午前5時46分発生。
死者6,434人
行方不明者3人
負傷者43,792人。


マンションで家族4人。
私は父の隣で、襖を隔てて 隣の部屋に母と弟が寝てた。
真っ暗闇の中で、あんなひどい揺れは初めてだった。 
父が「地震や!地震や!」って叫んで、私に覆いかぶさってた。
父的には、私の隣にあった母の嫁入り箪笥が倒れて来ないように私を守ってたつもりらしいけど、私としては「地震なんは 言われんでも分かっとるわ!てかオトンの重さで潰される~っ!重い~っ!!!(☄ฺ◣д◢)☄ฺ」ってなってた(笑)

何で地面が揺れるのか 
水に溺れたら地上に上がればいい
空を飛べずに落ちるなら 地上に下りればいい
この足で歩いて行けばいい
それなのに
足下が 大地が 
それでさえ 不確かだとすれば
いったい自分は 何を信じ 何に心安んじれば良いのか
そう思って 怖かった
呆然として
涙が出てきて
でもトイレから出てきた弟の気配に、姉の自分が泣いたら弟が怖がるから 泣いちゃダメなんだって そう思って布団被ったままで涙をぬぐって 素知らぬ顔をした。

それだけは鮮明に覚えてる。

TVを付けても まだ事の次第を誰も把握してなかった。
広島に電話したら、「なんでこっちで地震があったのを知っとるん?!」ってビックリしてた祖母。
大阪も揺れたけぇ~ って母が喋ってた。

朝、小学校に行くとき、マンションの壁が一部はがれて落ちていた。
学校は休校になって、先に弟が帰って来たけど、母に信じてもらえず(自業自得?笑)
私が帰って来たのを見て、ようやく本当に休校だって信じたらしい(笑)

私は中学受験の願書を出す日だった。
もちろん親が行ってくれたんだけど、着いたら1番乗りになっちゃって、私が1番だと緊張するだろうから他の人が来るまで待ってたんだって。 

東日本は津波が。
でも阪神では火災が。
どうしようもなく沢山の人を 連れて行ってしまった。 

春休みに広島の祖父母の家に遊びに行くときもまだ、新幹線は全線開通してなくて、ブルーシートで被った灘の町並みを見ながら、混雑したローカル線を乗り継ぎ乗り継ぎ、向かった。
途中の乗継駅で、小澤征爾さんを見かけたんだっけ。



関西はもともと、地震はあまりない地域だったから、少しの揺れでも大騒ぎ。
でも、あの震災は、私でさえ トラウマになってたみたい。
大学の授業中、トラックが近くの道を走った時、搬送台車が廊下を通った時。
微妙に揺れるその振動に、はっ!って気付くのはいつも、関西の子ばかり。
阪神大震災を経験したことのない、他県から来た同級生は、なんでそんなにビビってんの?って笑ってた。
・・・私たちは、言い返すことをしなかった。

その時 私は、「この世の中には、経験したことのある人にしか分からない何かがある。」ということを、忘れないでいようと決めた。
天災であれ、戦争であれ。 
人が笑顔だからって 何も思っていないわけじゃない。
人にはその人の、他人には見せない抱えたものが あるかもしれない事を、忘れちゃいけないんだって。


時が流れて、東北が揺れたあの日。
職場はまったりと落ち着いた昼下がり。
控室で同僚たちとTV観ながら喋ってた。
めまいのような 不快感。
きっと私は、自分が思ってる以上に相当顔色が変わってたんだろうね。
後日、北海道出身の上の先生から、「なんで神ちゃん、あんなに怖がるんだろうって不思議に思ってた」って言われた。
一足早く時短で帰った後、TVで揺れる映像や津波を見て初めて、あぁ、なんで神ちゃんがあんなに怖がってたのかを、理解したんだ、って。

東京は日本の中心。
時代もネットの発達も全然違うけど。
東北の震災があってから以降、毎年美談のように 絆きずな・・・と言い続ける様を、どこか冷めたように見ている自分も居る。
・・・阪神が傷付いたあの時に、果たして東京はここまで必死になっていたんだろうか。
あの時TOKYOは、私たちに何をしてくれていたんだっけ、って。
節電だと言ってはアーティストを非難し、同日誕生日のお祝いのコメントを載せる人には不謹慎だと非難し。
自分たちが思う絆の輪に手を貸そうとしない(と信じる)相手に対して、非国民の如く非難し、復興へと足並みを強調するけれども。 
1.17で抉られた私たち西日本の傷跡を、彼らは考えたことがあるんだろうか。
どっちが正しいとか悪いとかじゃなくて、何かをして欲しいということでもなくて。

自分が見ている世界が 全てだとは思わないで欲しい、ということ。 

何事においても。 


そう思う私だって、あの日に地獄を見た人達には、ちっとも及ばない。 
毎年この日に、喪章をつけていた同級生。
私の知り得ない時間。
だから、私も全てだとは思ってない。
だけど私は、これからも生きていく。


21年。
あの日、大切な人を失った方が 東北の震災にお手伝いに行った先で、「そんな昔のことなんて、知りたいと思わない」。
そう言われて傷付いたんだと。

あの日に生まれても居なかった若い子にだって、ちょっと考えてみてもらいたい。

例えば私たち、Vの6人に出会えて毎日生きる糧をもらってる。
去年、その6人が互いに出会った11月1日に、なんて尊いんだって、言ってたよね。
この20年に感謝してたよね。

「そんな昔のこと」だと言えるのかな。
自分の大切な人が生きてきて、自分と出会った その20年と、
もう会えない大切な人を想いながら 誰かが耐えて生きて来た20年とが、
違うなんて言わせない。

どんなことでも、自分に関係のない事だと、思わないで欲しいんだ。
きっと私も、どこかで、誰かを、傷付けている。
それについては、ゴメンナサイって言うしかない。

上手く言えないけど。

人には人の、それぞれのキズがある。
人にとってはどんなにつまらない事でも、大小さまざまな傷がある。
それを抱えながら、みんな生きてる。
それは他人から 自分から
見えなくなったとしても、無くならない。
一生死ぬまで、一緒に抱いて、生きていくものだから。 
それでいい。

毎日捉われながら、生きなくたっていい。
そんな事言ったら、毎日誰かの悲しい日になる。
だからたまには、傷口に目を向けて、悼んであげたら良い。 

皆、今ここで生きてる。
それでいい。

なんとなく、そんな事を思った日。 

また明日から、すべての人たちに 安らかな時間が巡ってきますように。


<気は心。あとは、やるだけ。>

2016-01-16 | 暇つぶし

朝ごはんに、「マルイチ菓舗」の合格パンを むしゃむしゃ。
何のため・・・と言われると難しいけど(笑)強いて言うなら、従兄弟のセンター試験と、弟の試験と、私の卒業試験の・・・合格祈願?(聞くな。笑)

この合格パンは、私が小さい頃からのゲン担ぎ。
いずれにせよ、とにかくやるしかないんだから、ま、頑張り給え(`・ω・´)と むしゃむしゃ。

負けたら人生終わるわけじゃ無いけど、自分の人生掛けてんだから、自分が頑張るしかないよね。


この週末は寒いらしいから、受験生の皆、身体に気をつけて、頑張って下さい!

ちなみに、ここのお店の干し梅もオススメ。笑。 


<明日が見えても見えなくても。>

2016-01-14 | 暇つぶし

今日は職場のネット環境が悪くて、文章作ってる途中で勝手に切れたりして仕事にならんので、、、
こんな顔(☄◣д◢)☄ なって帰って来たった(`・ω・´) 笑。

早く帰って来たから、夕焼け見えたよーぅ。


突然論文関係がぶっこまれて来たもんだから、もう、やらなきゃいけないことが多すぎて、目の前にある壁を1日ずつ壊していってる感じだけど(笑)ひとまず明日は抄読会間に合いますように・・・
頑張れ私・・・


<ちょいと お尋ねしたいのですが。>

2016-01-13 | 暇つぶし

ユナイテッドアローズの空港限定モンキー
iphoneにもぶら下げてる お気に入り


・・・最近ね~
なぁんか・・・  こんなに首長かったっけ・・・って思ってたんだけど・・・
徐々に首が伸びてるような気がするんだけど・・・


 やっぱりそうだよね?(笑)
Tシャツ ずり落ちすぎやった
電車の中で吹きそうになったわw



今日無事 プレ通過。
まずは一歩前進(`・ω・´)ゞ 


<広島 七福神巡り その2.>

2016-01-10 | Travel

更に西に向かい歩いていると、山の上に不思議な建物が・・・  仏舎利塔なんだって。
あそこまで上がるのは無理~ 


本堂と庫裏が国の重要文化財になっている、「國前寺」です。
  こちらは大黒さんです。 
 日蓮宗なので、ちょっと雰囲気が違う本堂内です。
保存樹のソテツ。 
こちらも御朱印は印刷でした。 


最後はすぐ隣でした、「聖光寺」。
 こちらは曹洞宗の禅寺になります。
最後は、布袋さんです。 
 境内には、大石内蔵助・主税親子の供養墓があります。
討ち入り後に、生き残った方が広島藩に討ち入り成功の報告をしたそうです。
2人の遺髪を、本家の広島浅野家の菩提寺に弔って欲しいと言ったそうですが、罪人になるとのことで断られ、こちらに葬ることになったそうです。

  本堂の前には綺麗に手入れされたお庭があります。「吾唯足知」の文字。
 こちらも御朱印は印刷でした。

無事に七福神を巡ることが出来ました~
全部で2時間くらいかな?
スニーカーじゃないから、そこそこ疲れたぁ
あ、あと、お正月限定だと、それぞれで七福神の御守りを一つ一つ集めて、キーホルダーに付けてストラップを作ることができます


歩き疲れたまま、なんとか駅へ到着
とりあえず、早いけど絶対混むし、血糖値上げないと
ということで、駅ナカにある「みっちゃん総本店」へ
全然並んでなくて、ラッキー
・・・だってまだ17時だから(笑)
DXスペシャルが美味しそうだったけど、お店の人に聞いたら、かなりボリューミーと言われてしまい
女性へのオススメということで、「イカ天 そば肉玉子」にネギトッピング~
で、来ました!
 どーん!
モリモリ(笑)

大阪のお好み焼きとちがって、こちらのお店は堅焼きそばみたいに入ってます。 そしてイカ天も良い味!
なによりネギがモリモリなのが、シャキシャキしてるし美味しい~
ソースもコッテリではないので、食べやすいです。

ただ・・・あれだけお腹減ってたのに、半分くらいでお腹いっぱいになってきて、3/4まで食べたらもう無理!ってくらいになってきて(笑)
思わず、大きなため息付いてしまって、隣のお兄ちゃんに「えっ?」って顔で見られてしまった(笑)
でも完食っ!


その後、お土産を探しながらウロウロしてたら、速攻お腹減ったので(え。笑)
ここはやっぱり、宮島で人気の揚げモミジでしょう!
 「紅葉堂」の揚げモミジ
あんことクリームと、この店舗限定でチョコもあるみたい。
でも、私はあんこ~  


色々買い込んで、のぞみで帰ってきました 
 これこれ!大阪じゃ無いんだよね~。
瀬戸内レモン」だよ~! 
レモンとミルクなのに、美味しいんだよ~!
あ~ 毎日でも飲める(笑)

あとは~
お土産に貰った「」のバームクーヘン   ワッフルは食べちゃった
 「山城屋」牡蠣だし醤油の味付け海苔。
それほど牡蠣の味が強いわけじゃなくて、意外にそれほどでもないかも・・・と失礼なコト思ったけど、お酒のあてにポリポリ食べるのはこのくらいがいいのかも?
おやつにポリポリ、手が止まりません(笑)
それと、「倉崎海産」の花瑠&花星。
お取り寄せで人気らしいので、一度試してみたかったんです!
牡蠣もプリプリで、残ったオイルはパスタソースなどで使えるらしい。。。
私、実は牡蠣が苦手なので(笑)もしそんな私でも食べられたら、それはホンモノだよw

こちらのお酒をいくつか試飲して、コレ!と即決した「千福」さんの「千の福」。
 「純米大吟醸 無ろ過 生原酒」なんだって。
私あまりお酒の事は分からないけど・・・限定品だし(笑)
殺菌を最後にしないから、こうじが生きたままでいるので、この寒い時期しか持ち歩き出来ないんだって。
呉の酒蔵さんで、昔住んでたこともあって懐かしいなぁと 
そして、このお猪口、見た目は普通の酒蔵のお猪口だけども、中を覗くと・・・
スマイリーになってるよん かわいくて買っちゃった 
あと、大福さんと布袋さんが、赤い鯛を釣り上げてる手拭いも。

ワルのりスナック」っていう、ネタの海苔スナックが売ってたので(笑)そちらも。。。
 怖すぎやろ。笑。
『おそれじゃのぉ、そがぁにすいぃこたぁ ないじゃろーがぁ!』
って、怖い顔したおっさんが叫んどるwww

「びびりやなぁ。そんなに酸っぱい事は無いやろが。」ってとこかな。
懐かしい広島弁( ´艸`)

そして、黄色い帯を取ると、、、 これはこれで怖いwww
『ホントはやさしい広島の味』w
目キラキラや(笑)

確かに食べたら、ほのかなレモンの香りのついた、海苔(`・ω・´)・・・うん、海苔だった・・・(`・ω・´)笑。
個人的には阿藻珍の瀬戸内レモンイカ天の方が好きかな~。
酸っぱいのが好きな方には、そちらのほうがオススメかも。(小声)



久しぶりの広島、楽しかったです。 
皆が良いところに納まるようにいけば 良いなぁと思います。


<広島 七福神巡り その1.>

2016-01-10 | Travel

今日は親戚のお見舞いに広島に行って来ました。

お土産を買ってギリギリ、飛び乗り間に合いました、さくら  鼻の長い流線形、コクピットが戦隊モノみたいだった
 駅に着いたら、隅っこにひっそりとカンセンジャーが・・・(笑)こんなんあったんや 


お兄ちゃんとお話して、お別れした後は、スタバで腹ごしらえ。
 シュガードーナツとカフェミスト


平和公園や原爆ドームは一度来た事があるから、また今度ね。
今は強く在らなきゃだから。
また来るよ じーちゃん。

今日は駅の北側にある二葉の里 歴史の散歩道で七福神巡りにしました。
駅から多少歩くから、東と西とどちらから始めるか悩んだけど、帰りが駅近で楽そうな方に決めてスタート。

まず最初は「饒津(にぎつ)神社」へ。   
標柱のそばに、被爆松の切り株が保存されています。 市内の至る所に、ひっそりと被爆の爪跡が残ってます。
生き残った松も、徐々に枯れたりして、結局最後のこの松も平成15年に枯れてしまったそうです。
この保存の覆屋は、その松を材料に建てられています。

  鳥居に行く間、色んな記念碑が残ってました。
 爆風に吹き飛ばされた境内の写真。燃え盛る市内からたくさんの方が避難してきたそうです。
晴れて良い天気だったので、花も気持ち良さそう。  
 向唐門をくぐって進むと、境内には とんど祭りの準備。 
 拝殿前の階段上がったところに、茅の輪があったので、輪くぐりをしてきました
拝殿でお参り。  

七福神巡りでは、えべっさんがおわします。 


次は、隣にある「明星院」へ。
 仁王門が再建されていました。
入ってすぐのところに、毘沙門天様。 
 本堂には千手観音様。
そして、その左右に、赤穂四十七士の木造が並んでいます。
赤穂浅野家と広島浅野家は、親戚関係にあったそう。
右側には表門から突入した大石内蔵助たち、左側には裏門から突入した主税たちの像で、原爆により手足が欠けたものもあります。
裏手にはお大師さんの掛軸や、市の重要文化財のお釈迦様像なども見ることが出来ます。
御朱印は印刷になってました。


トコトコ進んで、「鶴羽根神社」へ。
 石造りの太鼓橋を渡って、 鳥居をくぐり・・・
手水舎は被爆当時のまま残っています。 
その隣に、弁天様。  
 拝殿でお参りして、御朱印と、幸福御守  を頂きました。


これまでよりもちょっと歩いて、「広島東照宮」に到着。
  鳥居をくぐり、見えてきたものは・・・・・・  勘弁してください、な急な石段・・・
・・・いや、良いんだよ、上がるのは良いんだよ?でもさ、上がったらさ、降りてこないといけないんだよ?分かってる?
って家康公に文句言いながら(笑)


唐門の左右には、少し謎な仙人??のデザイン・・・ ワニ?とかげ?何だろう・・・
 鶴かと思ったけど、良く見たら息を吹きかけて分身の術??

北側の彫りもキレイです。  
 今年は申年~。流石の東照宮、沢山の方がお参りにきてます。
忙しいからなのかな、御朱印は書置きを頂く形でした。 
 本殿の隣には、巨大な釜
安産祈願の亥子石。 ・・・皆が安産でありますように
 七福神の福禄寿と、隣の御神井。 

階段を上がって道を隔てた所に、金光稲荷神社があります。
  連なる赤い鳥居は壮観。
 「人の一生は重荷を背負いて 遠き道をゆくが如し。急ぐべからず」という家康公のお言葉が。
残念ながら今日のキャパ残量を見越して、奥の院へのお参りは断念しました
帰りの石段は、おばあちゃんみたいな歩みで手すり握りしめて降りました(笑)
めちゃくちゃ怖かった・・・


気を取り直して、、、 15分ほど歩いた先にある、「尾長天満宮」に向かいます。
 この鳥居に辿り着くまでにも、結構坂道を上りました(笑)
 この狛犬の子、愛嬌のある顔してた
撫で牛もナデナデ。 
 こじんまりとした境内ですが、優しい空気で満ちてます。
何となく良い感じの木。 
 登竜門をくぐり、竜神社があります。
吊るされた竜神石と書かれたプレートみたいなのを、そこに用意してある木の棒で歳の数だけそっと叩いて、お願いをします。
弟の試験合格を祈願(笑)

七福神は寿老人。 


残り二つ~
続きます~ 


<此処よりも もっともっと大変な世界。>

2016-01-09 | 暇つぶし

gremzが16本目の大人の樹になりました~
ちょっと山みたいにグラデーションのついた樹
・・・エヴェレスト楽しみだな~
そしてお猿さんが握手してるの カワイイ( ´艸`)
被ってるお帽子と同じ色味で、記念になるね~。


今日は大きな新年会でした。
昨日夜中まで実験してて、今日はゆっくり起きてから実験しに行ったら、間に合わなくてドタバタした(笑)
相変わらず懲りない私


明日はちょっと遠出します。
朝起きられますように・・・ 


<「人生の約束」試写会>

2016-01-07 | Movie

友達に誘ってもらって、行って来ました

あまり予習せずに行ったのですが、最初始まった当初の江口洋介が渋かった(`・ω・´)
そんなにファンって訳じゃなかったんだけど、こないだのオトナ女子でなかなか良いなぁと思って観てたので、萌えもえ(笑)

四十物町の大切な曳山が、西町に移譲されるところから始まります。
自分の町の大切な曳山。
この何とも言えない理屈じゃない想いは、実際に参加したことのある人しか分からないのかもしれない。 


竹野内豊演じる中原CEOが当初、すんごい嫌なヤツで、ちょっとビックリした
こちらも渋くて、カッコいいんだけど、嫌なヤツ(笑)

とーり君が、久しぶりに?年相応の役でちょっとホッとした。
でも切れ者の若手で、CEOに疎まれる子で、不憫で・・・(笑) 
最後まで良い人だったから、良かった~

中原と会社を一緒に立ち上げたものの 方向性の違いからクビにした親友塩谷とは、わだかまりを残したまま、実は彼が病気で亡くなったことを知ります。
塩谷の故郷・富山で最初は、相変わらずに嫌なヤツの中原。
人に興味もないし、自分が絶対正しいっていう人間。
お金でなんとかなる、というような。
でも、塩谷の娘には何だか優しいんだよね~。
ちょっとそこがキャラに違和感だったけど、でも竹野内さんの優しい眼と諭すような口調に、これは女性は落ちるわ~って思いながら観てましたwww

小池栄子の明るくてざっくばらんなキャラが、良いアクセントになってます

途中まで、部下の不正により検察のガサ入れが入り、沢山のものを失う事に直面する。
そこで部下たちからの切なる反抗があったり、親友の死や、彼が命を懸けて取り返したかった曳山や祭りへの思いに、少しずつ向かい合うことになる。
徐々に変わっていく中原を見ながら、塩谷の家族や四十物町の人々も少しずつ認めてあげることになる。

西町の会長が、これまたお金が全てで、手段を選ばない下品な人で嫌なヤツなんだ(笑) 
なのに最後たった独りぼっちで、付けるはずだった西町の提灯の前でぽつんと取り残されて座ってるのを見たら、可哀相~って泣きそうになった私はお人好し過ぎるかな?

他の町の人たちも、西町の人たちだって、四十物町の曳山に対する思いは よーく分かる。
立場が違っても、曳山に対する思いだけは、皆一緒なのが、これまた胸に沁みて泣きそうになった。


お祭りって、ただのイベントじゃないんだよね。
自分のルーツであるというか。
物事も良く分からない子供のうちから染みついた音。
それは死ぬまで変わらない。
私も天神祭りでは、子供神輿を担いでたけど、それを経験出来た事を今でもすごく誇りに思ってる。
何でだろうねぇ(笑)

ギャル神輿が有名かもしれないけど、他にも小さい子たちは法被来て、太鼓を乗せた神輿を曳いて商店街を練り歩く。
小学校の上級生になったら、各地区にある子供神輿を担ぐことができて。
くそ暑い夏の日の午前と午後とあるし、2日間もあるから、担いでる方の肩はもうパンパンに腫れ上がるし、交差点と境内では神輿が暴れたくるから 吹っ飛びそうになるし。
でも、不思議とやめたいとかは思わんのよな~。
高学年になってやっと担ぐことが出来るっていうのも、憧れるんだよね
そして、この地元で由緒ある祭りに参加できる。
観客じゃなくて、担い手として参加できる、それがすごく誇りなんだよね。
6年生の受験の年も参加したと思う(笑)
この祭りが来ないと、夏が来た!って思えない大阪の象徴の7月24-25日。

大学の時には、同級生の地元・徳島の阿波踊りに大学の連で参加させてもらった。
でも、少し練習しただけの私たちと、地元の子たちでは、ぜんっぜん踊り方が違うの。
型が違うというよりも、纏ってる空気すら違う。
手や足の運び方が、身体に染み付いてるんだなって、ホント感心した。


自分たちの物、っていう意識があるよね。
別に何を競う訳じゃないんだけど。
自分たちの町の祭り、自分たちの町の神輿、っていうのは特別。
お金に換算できるものじゃない。
お金ももちろん大切で、お金がないと維持していくことは出来ないんだけど。
だけど、理屈じゃないんだよな~。


死ぬかもしれないけど、最後に一目曳山を観たいという西田敏行さん演じる会長や、その気持ちを汲んであげる四十物町の人たち。
事情聴取を待ってやってくれって、受け入れてあげた江口洋介さんのテツ。
しっかりと見届けてあげた親友の娘。
事情聴取を祭りが終わるまで待ってあげた、ビートたけし演じる刑事さん。(出てるの知らなくてビックリした!)

全て、理屈じゃないんだよ。
体の中から湧き上がってくるもんだし、一緒にやれば分かるんだよ。
繋がるってことは、そういう事なんだろうね。

夜に一斉に点灯された提灯山に、鳥肌が立った。
「いやさー!いやさー!」って掛け声を、ちょっとずつ口ずさみながら、最後は恥ずかしがらずに声を張り上げて皆と唱和する中原。
泣いた~
皆で一丸となって一緒のことをするって、素晴らしいし、ある種のカタルシスになるんだろうなと思います。 

真っ白に雪化粧した立山連峰。
透きとおる冬の空気までが映し出されているようで、本当に綺麗でした。 

それぞれの町、どれだけ田舎でどれだけ寂れたところであろうとも、伝統だけは別物だなと。
遠い遠いご先祖さまから受け継いできたものを、子供や孫、遠い遠い未来へと繋いで行く。
それが人の使命、命の使い方なんだなって、そうも思った。
サッパリ使えてない自分が、ちょっと哀しいけど

渋い役者さん達が揃い、沁みる映画だったと思います。
自分の故郷をそれぞれ思い出すんじゃないでしょうか。
是非若い人も観に行って欲しいなって思いました。