山風景とデジタルコラボ+α                                   

コンテンツ作製のため、山風景等を素材にして様々な試みを綴ってみます。

大室湖 その3

2011年01月30日 | 訓練、探索
排水坑にかかわる記念碑説明板を二つ貼っておきましょう。

平安都城碑 説明


耕作記念碑 説明


さて、お次は排水坑出口側も見ておきましょう。
こちらを見るための正規のルートはありません。
ご自分でお探しくださいませ。


ありましたね。かなりの音をたてて流れていますから、水音を頼りにすれば簡単ですよ。


右岸にも廻ってみました。


コンクリートで巻かれているのが、お判りいただけますでしょう。


となれば、どこで海へ注ぐかを見たいと思うのが、新庄剛志じゃありませんか?
駐車場所探しに難儀しながら、ワタシは歩いてここを左折するルートをとりました。


対馬川下流方向を、橋の上から望みます。


河川に沿って歩くこと300m。
海が見えてきますと、突き当たりとなります。


「対馬の滝」の案内板です。
そうなんです、最後は滝となって太平洋に注いでいたのです。
爆布を見るためには、ここを左折します。


案内に沿ってたどり着いた撮影場所は、強烈な断崖絶壁地点。
必要以上に身を乗り出してはいけません。


渇水期ですから水量も少なく、この時期の瀑布の迫力はイマイチですね。


岩上にカメラを固定して、なんとかスローシャッターを切ってみました。

ひとまず、これで池関連の探索は終了です。

どうせですから、先ほどの突き当り分岐を右折方向へ向かい、橋立吊橋へと立ち寄ってみましょう。


橋下では、クライミングの訓練の真っ最中でした。


なるほどね。
ギャラリーも通るし、ここから習い始めれば結構面白いかもしれません。

大室湖 その2

2011年01月30日 | 訓練、探索
池地区は、その名称からもわかるように元々は大池(湖)が存在した集落なのですが、地形上この付近一帯が水田耕作に適さない地であったため、ならば池(湖)そのものを耕作地にしょうと、江戸の末期から明治の初めにかけて血と汗が滲むような苦闘の末、湖の底から排水坑を掘削して、そっくり水抜きすることに成功したと言うわけです。(伊東市でまともに水量のある河川は、宇佐美を除くと松川とここだけです)

池地区の用水(かつては湖への源流)となる対馬川(鳴沢川)の上流部です。
渇水期にもかかわらず、鹿路庭を源流とする対馬川(鳴沢川)の流量は、目視で毎秒0.5㌧はあるでしょう。


田園に沿って、三面張りされた河川を対馬川(鳴沢川)は流れていきます。


ヤマオンナが育つ川ではありません。
読み方は「ヤマメ」ですので、お間違いのないように。
ある方を連想してしまいました(笑)。


昨年、皇室ご一行様も訪れました。


向こう正面ストレートを、河川に沿って下っていきます。
春なら、河川敷でお花見が最高でしょう。


土壌改良のための焼畑でしょうか?


そして例の場所へたどり着いたようです。
池(湖)の水を抜いた地点です。
幾度となく坑道補修が行われ、現在でも排水坑は活用されています。


排水坑道の高さは約2m、幅が1.2m程度しかありません。
雨季の出水時期に、この程度の規模もので排水を賄うのに大丈夫だろうかと、一寸不安になりますね。
もっとも、水田そのものが調整池としての役割を果たすでしょうから、一気に出水した場合は、いったん水田に溜めてから徐々に排水させるのでしょう。


バルブ上部から、歩いて来た方向を振り返ります。


と、さらに下流部に、本当の排水坑がありました。


有刺鉄線の上から、慎重に望遠撮影です。


入り口部分を見ただけですが、現在では坑道内部壁面はきっちりとコンクリート巻がされていました。

その3へつづく