岡山市にある蓮昌寺を訪問した。 この寺は1333年ごろ建立されている。慶長6年に現在地に落ち着いている。当時2万4千坪の広大な境内を有していたが、昭和20年6月の岡山大空襲により、すべて焼失している。
昭和43年本堂を建設
破壊された供養塔塔身 大空襲で、折れたまま土中に埋もれていた。
国宝三重塔礎石
大仏殿釈迦堂
さて、本日伺った本題に入る。 2月18日手話言語条例講演のため、井原市に伺う。井原市聴覚障害者会長 谷口 宣剛氏(仏師)がこの寺の日蓮大聖人木彫水鏡御霊像を納めている。
高さ160cm 重さ500kg 台座の幅 220cm 奥行 120cm あり、威厳を保っている。
こんな額もあったが、だれの書か?
昭和43年本堂を建設
破壊された供養塔塔身 大空襲で、折れたまま土中に埋もれていた。
国宝三重塔礎石
大仏殿釈迦堂
さて、本日伺った本題に入る。 2月18日手話言語条例講演のため、井原市に伺う。井原市聴覚障害者会長 谷口 宣剛氏(仏師)がこの寺の日蓮大聖人木彫水鏡御霊像を納めている。
高さ160cm 重さ500kg 台座の幅 220cm 奥行 120cm あり、威厳を保っている。
こんな額もあったが、だれの書か?
最後の画像の書は、ご住職様のご亡父様(先代住職様)です。あの書の右側(?) の僧侶姿の大写真がそれです。
先代住職が岡山大空襲で焼失された蓮昌寺復興に力を注がれました。
同じ書が我が寺にあります。
谷口宣剛師作の日蓮大聖人水鏡御霊像の後に揚げてる法華経曼荼羅も先代住職様が金粉をニカワで根気よく練って、大筆で書かれたそうです。
ブログに手話言語の話が出てるのを見て、ご住職様は30年前から手話を理解しておられて、平成3年秋の御霊像開眼供養後に岡山ろう学校の生徒が見学に来られたとおっしゃってたのを思い出しました。
谷口氏の件の話を少し伺っておりました。
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