森かずとしのワイワイ談話室

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地方の現場から地方政府論を考える

2012-09-02 23:19:09 | 議員活動
 市民の政策研究会「くるま座」の政策研究会が始まった。課題は、「地方の現場から地方政府論を考える」。憲法学者鴨野幸雄先生のご厚意を頂いて、連続講座をお願いしている。9月1日は、その第一回目で総論「憲法による地方自治」を講演して頂いた。くるま座座員と呼びかけに応えて初めて参加した市民も交え、30人が熱心に耳を傾けた。

 憲法は「地方政府」と呼べる水準の地方の自主自立を要請している。「住民自治による地方政府」は、固有の権利として私たちの側にある。そんな憲法を得ながら、戦前と余り変わらない中央集権、人民主権をないがしろにした団体主権が学会の主流であり、東大を頂点とした法学界、中央官僚界が国家主権の立場から、国と地方の主従関係を支配してきた。このことに対して、温厚な先生が、厳しい言葉で批判を加えた。「個々人固有の自然権として憲法は住民自治による地方政府を要請している」との説は、学会では極めて少数派で、批判の対象ですらあったという。少なくとも、この国の戦後史を眺めてみれば、さもありなんだ。

 先生は強調された。高度成長期の公害問題での、被害地域自治体住民の加害企業の法的規制要求が、国の基準を盾に認められなかったが、住民の運動が、環境法規制の実現に道を開いた。地方自治体による上書き条例制定権(国を超える内容で条例を制定する権利)、課税自主権、国地方の財源配分比率の逆転(仕事量に応じた地方への税源移譲)を実現すべきで、その重い扉はようやくにして開き始めている。住民の人権を守る「地方政府」の樹立に向かう努力が求められると。求められるのは、他でもない。地方に生きる住民であり、住民から選挙を通じて委任を受けた地方議員である。

 私は、よく言われてきた国と地方の役割分担、例えば、「外交安全保障は国の専管事項で、地方は福祉に責任を負う」という分担論で、平和的生存権を保障する根幹である平和主義に関わる政策に地方が口出しできないことは、間違っていると常々考えてきている。今日では、国策としての原子力発電所の建設や再稼働問題が、まさに地方の住民自治の意思によって決せられるべきである。
 先生は、「地方政府」の要件を次のように整理された。
(1)自主立法権 (2)自主財政権 (3)自主司法権 (4)自治体外交権 (5)自主法令解釈権 (6)住民の参加自治
(7)住民の情報開示請求権
 そして、日本に「地方政府基本法」が制定できるかと課題を提起された。

 先生の提起と私の問題意識は重なっている。法律の話は簡単ではない。しかし、素人の一般参加者には、訴えかけるものがある。どこかで、日々の暮らしの実感から政治の住民不在の状況をもどかしく感じてきているからだ。質疑応答に時間が不足したのはそのためだ。これを意識化し、地方の政治に積極的に関与していこうという意識を高めていくことは可能だ。そのために、鴨野先生のご協力で、連続講座を今後展開していくことにしている。

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