森かずとしのワイワイ談話室

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森原さんの生涯をかけた償い 74年目の日中戦争開戦記念日に

2011-07-07 23:52:13 | 平和のために
 今日は七夕の日。子どもたちは笹に短冊をかけて楽しい夢を祈っているだろう。7月7日は、74年前日中戦争開戦の端緒となった盧溝橋事件を引き起こした日だ。中国人強制連行の調査、戦後補償裁判に関わって、近くの抗日戦争紀念館と共に盧溝橋を三度訪れている。今日になって、しばらく前の6月25日の金沢在住森原一さんの戦争体験談を報告しておきたい。

 森原一さんは88歳。旧満州で現地応召。元陸軍少尉として犯した忘れえぬ罪業を赤裸々に語り続けてこられた。
 敗戦後、地方軍閥の軍隊に残留し、共産党八路軍との内戦に4年間明け暮れた。その内戦で捕まえた若い中国人3兄弟を拷問し、銃殺を命じた。「『農民なので何も知らない』と互いにかばい合う兄弟の激しい抵抗の目つきが頭から離れません。」私は何度もこの場面で森原さんがしばし絶句し、時には涙ながらに懺悔する姿に接してきた。
 森原さんは中国・山西省太原の戦犯管理所で約3年、捕虜として寛容な認罪教育を施され、人間回復を果たされた。残虐な行為について責められることは一切なく、毎日、反省文を書いて悔恨の日々を送ったと聞く。こうした鬼から人間への回復の実体験を複数の元兵士から聞いている。
 私が初めて森原さんと出会ったのは、1993年の731部隊金沢展で催した元軍医湯浅謙さんの証言会の司会を務めている時だった。太源戦犯管理所で共に認罪教育を受けた湯浅さんの生体解剖証言に湯浅さんから促されて会場にやってきた森原さんは、湯浅さんからいきなりお前もあったことを話したらどうかと求められ、初めて三兄弟殺害の加害体験を語られた。今も鮮明だ。この場面は必ず森原さんの口から述懐される。

 6月25日は、いしかわ教育総研の公開平和教育講座での証言だった。閻錫山軍に残って戦ってくれと部下を命じた上官が自分だけそそくさと逃げて帰国したこと、徹底した軍国主義教育にあった本音と建て前を暴露して、教育の恐ろしさを何度も強調された。
 あれから74年。湯浅さんが右翼団体の男に言い返した「本当のことを話して何が恥ずかしいか。お前はそれでも日本人か!」こう一喝出来る体験者はわずかしかおられない。歴史の事実に向き合い、真理を探究する力を子どもたちに培う努力を惜しんでは鳴らない。森原さんの生涯をかけた償いに私たちは学びたい。。

 

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1 コメント

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世界史研究会(名前検討中 (村石太レディー)
2011-08-07 15:34:55
今 世界は スポーツ ビジネス(輸出 輸入 他) 科学 ここで書くのも変ですが 医学
歴史に詳しくない僕です。パールハーバー後 焼け野原になった日本。戦争は 嫌ですね。
世界の未来が 良くなりますように。
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