森かずとしのワイワイ談話室

平和・人権・地球・子育て・教育・くらし・そしてまちを語る

保坂のぶと・上原公子さんと市民社会を語る白山飛騨路の旅

2010-10-18 23:10:52 | 議員活動
 暑く、熱い参院選をたたかった保坂のぶとさんと応援団長上原公子さんを「くるま座」を中核とした「保坂のぶとと日本未来をつくる会」が招いて16日、17日両日慰労を企画した。これが、私たちらしい参院選の総括でもあった。再生をジャーナリストらしくハツ場ダムの現場からスタートさせようと映像取材に忙しい保坂さん、全国各地の市民運動の集会に講師として飛び回っている上原さん。ご両人をセットでお招きするのは、贅沢この上ないことだが、私たちの思いが通じて、実現した!

 小松空港に出迎えた私と半沢さんは、香林坊の教育会館でのトーク集会に二人をお連れした。30人ぐらいの参加者がくるま座になった。参院選の闘いを振り返り、この敗戦からどう、未来の社民主義的な市民社会を構想して歩んでいくのかが、トークの大テーマだ。
 保坂さんは、金沢石川での連帯に感謝し、期待に応えられなかったことを詫びて、参院選の戦況を振り返った。
 普天間・辺野古問題で連立離脱は正しかった。その直後の参院選は、鳩山退陣、消費税増税を持ち出した菅劇場とめまぐるしく転換して、沖縄問題は争点から隠された。民主党の後退は消費税の逆進性が批判された結果だ。我々社民党は不公平税制の改革を訴え、民主党マニフェストになかった日米合意を批判したが、かき消された。政権交代は一年も経たずして色あせた。あせた後の色とは対米従属だ。その後の展開で注目するのは、小沢問題、村木問題に連なる検察不祥事だ。検察総ぐるみの犯罪だと考える。検察審査会の言い分をすべて鵜呑みにして良いのか。審査会とは別に、すべての国民に開かれた検察官適格審査会があることは知られていない。自民党政権下で一度も機能したことがない。どうして機能してこなかったのかを問うていく必要がある。戦後つくられた民主的なしくみがなぜ機能してこなかったのかを明らかにすることは、現在のピンチをチャンスに変えることにつながる。ピンチはチャンスでもある。
 保坂さんらしい権力構造にメスを入れ、展望を示するような指摘だ。「人権では票にならない」と言うが、権力が犯罪をつくる、この権力の本質的な怖さには、市民は反応するはずだ。尖閣諸島をめぐる領土問題にも言及した。出口を見定めてから対処するのが外交の鉄則だが、それから逸脱した。領土ナショナリズムが双方で吹き上がってしまった。煮詰まっていくと武力衝突に行き着く。本当にそれでいいのか。一方で安保懇談会が武器輸出の緩和を要求している。「抑止力論」は、沖縄基地必要論と重なる。
 最後にハツ場ダム問題に言及した。コンクリートから人へを象徴するハツ場ダムは、実は止まっていない。ダムサイトだけが止まっているに過ぎない。周辺道路、施設は進んでいる。なぜ、止まらないのか。それは地域再建策が具体的に提案されないからだ。みんなの党は既得権打破で支持を伸ばした。小泉路線そのものだが。すべてねじれている中で私たちに政治を取り戻すにはどうしていくべきか、保坂フォーラムを始めている。

 本来無党派の上原さんは、金沢の社民党と市民運動との結びつきに賛意を示し、政権交代に期待された長きに亘る「やましき沈黙」からの脱却が、新政権になって揺らいでいることへの失望感が参院選に出たと分析した。地方の疲弊。それは財政であり生活である。市民感覚は普天間から税金へと敏感に移り変わった。
 「菅さんの政権運営はさもありなんだ。」自分も含め生活クラブ(生協運動)が彼を支え、近くにいたから、理念なき政治家であることはよく知っている。だから、野党から与党に替わって守りになると萎縮してしまう。現在は太刀打ちできないほどに追い詰められている感じだが、このままだと官僚と財界に乗っ取られてしまうだろう、と極めて手厳しい。菅政権は現代版の「富国強兵」路線で行くしかなくなっているのではないか。日本は、アメリカの化石エネルギー・食糧政策に対峙した政策をすすめるべきだ。政権交代によって足がかりはあるが、行き場を失っている批判勢力を受け止める事が必要だと市民の政治運動の展望を指し示した。
 そして、保坂さんを失って、全国の市民運動は窓口を失ったと感じている。衆院選、参院選で無所属の議員、市民ボランティアが大勢集まってくれた。それも手伝いではなく、「自分の選挙」を闘う気概で。改憲の策動が強まるだろうが、改憲の世論操作に揺るがぬ「市民の力」をつくり出していくことが重要。それは、基本的人権という憲法理念を実現する自治体にその現場があると地方自治の実現を呼びかけて締めくくった。向ける視点は的確だ。
 
 保坂さんが市民派でありながら、社民党議員・候補者として闘ったこと、私も含めこの勝手連もそんな構造だから、意見交換では、市民運動に側から社民党への不信、労働組合への不信が出された。歴史的な経緯のあることだ。無党派の上原さんは、全国にネットワークがあって、人間らしく生きられる社会をつくるために期待する政党は社民党以外にないと言い切っている。同感だ。 私自身は、教育労働運動と市民運動の二足のわらじを履いてきた人間だ。そしてこれに政治運動が加わった。市民個々とどう結びつくのか、組織の考え方や行動様式に課題があることはよく理解してきたことだ。市民運動にも、市民運動の理念にもとづく市民個々との結びつきが必要だ。わがままなだけでは力にならない。これらを乗り越える試みが、市民の政策研究会の運動だし、参院選での保坂勝手連に他ならない。集会での意見交換では発言を控えたが、政党や労組が一方的に批判される存在ではなく、市民との間で相互批判、相互に学び合う関係、そして連携共闘を生み出さねば、結局のところ無力化されたまま大権力に押しつぶされる。
 一里野の民宿雪国荘に移動し、山の美食に舌鼓を打ちながら、深夜まで議論は続いた。揺るがせてはならない理念と少数者の目的達成のための妥協をどう両立・評価するのか、政治的な戦略戦術をどう共有するのか、議論は尽きない。しかし、この議論がこうして出来る場が小さいながらもくるま座という名であることは私は大きいことだと思っている。

 ところで、移動のバス内で隣の上原さんから、山出市長の政治手腕を高く評価しているとの発言を聞いた。何度も訪れており、地方独自の歴史や文化がまちの顔に現れている。伝統芸能の保存支援、伝統文化の革新を産業に結びつけようとする政策は、地方が地方の資源を生かして経済的にやっていけるようにすることで、市政の最大課題と言われる。その意味で山出市長の政治力を高く買うと。確かに幹部クラスの能力は高いが、それを統御していく力が市長にはある。私にも経済策経済論を鍛えるようすすめがあった。二期で勇退した上原さんだが、多選のみが判断されるのは間違いと意見が一致した。「でもちょっと長すぎるよね。」これは大勢の本音だが。金沢の一期議員にも影響を与えている「龍馬プロジェクト」を、上原さんは「あれは右翼運動よ」と一刀両断だ。

 17日は白山スーパー林道から白川郷合掌集落を観光案内した。酷暑の影響か、最上部にようやく鮮やかな紅葉が見られた。姥が滝の露天風呂への上り下りで息を切らし、近代化された茅の吹き替え作業も見ることが出来た。自然破壊のスーパー林道観光は自己矛盾もあるが、ここはミーハーとなって、秋の清涼な空気と風景を愛でた。お二人には、貴重な二日間も時間を頂いた。市民社会をどう目指していくか、示唆をいくつも頂いたと思う。保坂さんは、ハツ場ダム問題のの本質を映像化し、ジャーナリストの原点から公共事業周辺の構造的な問題を世に問おうと動き出している。上原さんとの対話は、地方政治の担い手として研鑽の期待をかけて頂くものだった。別れ際に「山出市長には、出馬なさるならお体に気をつけて頑張って下さいとお伝え下さい。」とエールを託された。

 財政的にも企画的にも準備にあたって頂いた世話人諸氏にも感謝を申し上げる。また安全運転に徹してくれた大谷内ドライバー、参加者すべてに感謝を申し上げる。


 明けて18日、社民党金沢代表の盛本県議と共に山出市長からの推薦要請を受けたが、上原さんの言葉を私から市長に間違いなくお伝えした。
 





 


 

 
 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。