そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

琵琶湖一周 まとめ

2018年02月12日 | 2018年琵琶湖ー周
2018年 琵琶湖一周 まとめ





 小生、これまで主に日本列島の海岸沿いをぶらぶらと歩いてきて、長崎県と沖縄県以外は自分の足でその地を踏みしめ、その地の風にあたってきました。この間の旅で通らなかった長崎県については、かつて学生時代の友人の結婚式で、佐世保市と長崎市にいったことがあります。

 その他は8つの海無し県ですが、
①、奈良県は、母が生前にカミさんと3人で旅行に行ったことがあります。あっ、修学旅行でも行ったことがあったっけ。
②、栃木県は、奥鬼怒、那須、日光、足尾の山に登りました。
③、群馬県は、谷川岳、尾瀬などに、
④、埼玉県は、奥秩父に、
⑤、山梨県は、富士山と南アルプス、八ヶ岳、奥秩父などに、
⑥、長野県は、北・中央・南アルプスや、八ヶ岳、戸隠、姨捨山などに登りました。
⑦、岐阜県については微妙なところですが、北穂高岳の滝谷の岩場や、槍ヶ岳から西穂高岳への稜線歩きの際に、部分的に飛騨側へ下りました。
 そして、⑧、今回琵琶湖を一周し、滋賀県の地も踏みしめ、土地の風を感じて来ました。
 これで、沖縄県を除いて、全国1道1都2府42県を歩いたことになります。

 60歳で定年になるまで、上信会越の山や沢以外は、居住地(東京南部・川崎市)と職場(大田区)という多摩川を挟んだ小さな範囲をほとんど出ることなく生きてきたことを考えると、70歳までのこの約10年の間にずいぶんとあちこち歩き回ったものだと、われながらいささか感慨もわいてきます。外国へは死ぬまで行くことはないでしょう。もし機会があれば、国内で唯一残された県である沖縄県へは行ってみたいと思いますが、はてさて‥‥。
 
 今回もお付き合いくださいまして有難うございました。
                                   以上


琵琶湖一周 第8日目 川崎(自宅)へ

2018年02月12日 | 2018年琵琶湖ー周
1月22日(月)曇のち雪 道の駅あじかまの里~川崎(自宅)



ビワイチ観光ウォーキングマップ 13


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昨日の計画通り、4時半に起床し、一気に帰宅の体制。雨は止んでいた。食事、撤収、パッキングをして、

5時45分、まだ暗い中を出発。

7時、藤ヶ崎トンネル、賤ケ岳トンネルとぬけて田園地帯へ。


7時10分、余呉川に沿って琵琶湖方面へ。矢羽のマークや矢印はビワイチのサイクリング用の目印。


8時、片山トンネルを抜けて、再び湖岸へ。竹生島がよく見える。


8時30分、道の駅湖北みずどりステーションの先で、小白鳥の群が羽根を休めていた。


8時50分、竹生島と湖上の水鳥たち。



9時10分、左手の奥に伊吹山。


9時40分、近づいてくる伊吹山を見つつ県道331号を歩く。


姉川大橋より、さらば奥琵琶湖。


11時、長浜城。




長浜城跡。




11時10分、コンビニにて小休止、昼食。

11時35分、長浜の大仏。




12時40分、朝妻湊址。




そばに西行の歌碑。
「おぼつかな 伊吹おろしの 風先に あさ妻舟は あひやしぬらん」


12時55分、入江橋交差点で琵琶湖と水鳥たちにに別れを告げる。


あとは一目散に米原駅へ。途中で降雨。駅手前の平和堂でお土産を買う。

米原駅ホームにて、降雪。


13時57分発の「新幹線ひかり」で新横浜へ。
 
隣の岐阜羽島駅で雪が雨に変わっていたので、この分ならうますくれば関東地方は晴れているかもしれない、などと考えていたところ、箱根のトンネルを抜けて外を見たら真っ白な世界が目にとび込んできた。


それでも、若干の混雑と運行の遅れだけで、夕刻無事に帰宅。
関西地方の天気予報しか頭になくて知らなかったが、関東地方には大雪警報が出ていたのだそうだ。夕食時にテレビで、列車の大幅遅延や各駅の大混雑、入場規制の様子などを見た。あやうくギリギリでセーフだった。

歩数  52819歩  (累計  351995歩)
距離  33.5km (距離累計 217km)  
経費  11690円 (経費累計 31778円)※土産代は別


琵琶湖一周 第7日目 道の駅あじかまの里へ

2018年02月12日 | 2018年琵琶湖ー周
1月21日(日) 晴のち曇のち雨 源氏浜~道の駅 あじかまの里



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7時20分、日の出。


左手には竹生島。


7時30分、出発。

道の駅しんあさひ風車村はリニューアル工事中。

7時40分、琵琶湖治水の先覚者である藤本太郎兵衛の像。




その後は、県道333号沿いの自転車道をずっと歩く。




明日は雪の予報だが短い行程なので、木之本と高月の街を散策し、長浜の国民宿舎でゆっくりと風呂に浸かって、翌日のんびり帰るつもりでいたが、予約の電話をすると、全館定期点検とかで休業、との返事。里心がついてしまい、それなら雪の中の中途半端な時間でのテント泊よりも、一気に歩ききってしまおうと方針変更。

途中から、水鳥の写真を撮りに来ていた、高齢男性のアマチュアカメラマンと話しながら近江今津まで一緒に歩く。湖北地方は、少子高齢化で過疎になりつつある、とのこと。この先のルートの様子を教えてもらう。

9時20分、今津港の琵琶湖周航の歌の碑。


9時30分、近江今津駅のそばの「琵琶湖周航の歌資料館」へ。この歌は、1917年(大正6年)初夏の夕べ、旧制第三高等学校(現在の京都大学)ボート部所属の小口太郎が琵琶湖周航2日目にここ今津の宿で仲間に詞を披露したのが始まり、と。


10時15分、今津浜。竹生島がよく見える。


10時30分、左手、雪をつけた湖北の山々。まだ青空が見られた。


11時5分、沢山の水鳥が乱舞。


11時15分、百瀬川井川尻橋から上流方面。


マキノサニービーチで小休止。途中で挨拶をしたお婆さんが、「お寒いですねえ」と。今日は本当に寒い。

12時15分、「鮒寿し製造元魚治」前を通る。「魚治」は、1784年(天明4年)創業の鮒寿しの老舗。


12時30分、海津の街を回り込んで、海津大崎に向かう。湖岸に桜の大木多し。春は桜の名所、と。


13時、海津大崎。


釣りをしている人に聞いたらブラックバスねらいだ、と。

13時30分、長浜市に入る。琵琶湖一周達成が近づいた感じ。この辺りは奥琵琶湖というようだ。


その後は、雨が降ったり止んだり。一時強く降り、JR永原駅にて雨宿りがてら小休止するも、寒くて落ち着かず、いっそ歩いていた方が温まると、再び雨中を歩く。

景色の写真も撮らず、雨の中を闇雲に歩き、第二岩熊トンネルをぬけて、

16時30分、コンビニにて食料調達。

コンビニの隣に道の駅があったのだが、辺りは暗いし気が急くしで見落としてしまい、そのまましばらく行ったところでどうもおかしいと気づき戻る。40分間のロス。

17時10分、道の駅あじかまの里に到着。すでに営業終了したパン屋さんの前の庇の下にてテント。

歩数  52151歩  (累計  299176歩)
距離  32.5km  (距離累計 183.5km)
経費  210円    (経費累計 20088円)



琵琶湖一周 第6日目 源氏浜へ

2018年02月12日 | 2018年琵琶湖ー周
1月20日(土) 晴ときどき曇 清林公園~源氏浜



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清林公園は、「相撲四十八手の基礎をつくった今日の相撲道確立の第一人者である」志賀清林を記念してつくられた公園とのこと、また行司は今は式守・木村家であるが、志賀家がその始祖だったとのこと、一相撲ファンとしては初耳で、新しい知識を得た。


それと、昨日の到着時に確認したのだが、この公園には「テント禁止」との注意書きがなかった。琵琶湖畔は、ここまで歩いてきたところでも、バーベキューと花火は禁止とあったが、「テント禁止」と明記されたところは気づかなかった。野宿派にはうれしいかぎり。ちなみにここまでホームレスの姿も一人も見かけなかった。

7時出発。再び湖方面へ。


7時15分、松の浦の日の出。


歩行者自転車専用道路(びわ湖レイクサイド自転車道)を歩いていたら、いつの間にか近江舞子駅近くまで行ってしまい、犬と散歩をしていた男性に教えてもらい、雄松崎に向かう。


8時50分、雄松崎。


近江舞子浜。正面は舞子港。


近江舞子水泳場のこの立て札の意味するところは何だろう? 7月8月以外はテントOKということでよいのかな?


道端に万葉集歌碑あり。
「ささ波の比良の都のかり庵に尾花乱れて秋風そ吹く」


内湖の向こう、比良の山並みと特急列車。


10時15分、高島市に入る。気温5℃の表示あり寒し。


10時25分、「うかわファームマート」にて、名にし負う「鮒ずし」の小型のものを買う。織田信長と明智光秀との確執のもとになったとのいわくつきの琵琶湖の珍味、とのこと。




10時45分、白髭神社へ。


本殿。




若宮社。


芭蕉の句碑。
「四方より 花吹入れて 鳰の湖」


湖中に大鳥居。この写真を撮るには、神社の境内からは無理で、「横断禁止」の立て札を無視して県道をわたる必要があったのだが、自動車が停まって待ってくれた。


11時10分、県道を左にしばらく上ったところに鵜川四十八体石仏群。




11時50分、コンビニにて小休止。昼食および食料の調達。

12時10分、近江高島の商店街を通ると、


造り酒屋あり。良い香りが漂っていた。


12時15分、四高桜の碑。四高桜と石碑あり。これは、昭和16年4月6日、旧制第四高等学校(現在の金沢大学)のボート部員が萩の浜沖で遭難死したのを悼んで建てられた慰霊碑。


この先、県道304号に沿って、四高桜に因んで桜の若木が植樹されている。霧雨が降ってくる。

12時40分、萩の浜で日が差してきたので大休止。昨夜の結露で濡れたフライなど干したあと、湖の波の音を聞きながら、「琵琶湖周航の歌」など口ずさみ、ゆったりのんびりとしばし寛いで過ごす。


14時30分、急に雨足が強くなり、寒風も吹いてきたので、折よくあった安曇川浜園地のトイレの庇の下へ。
園地には車中泊の男性がおり、雨宿りがてら30分ほどお喋り。話好きな面白い京都のおじさんで、彼の身の上話やこの近辺の情報など聞く。ウィスキー入りのコーヒーをご馳走になった。雨がやみ出発。

16時、源氏浜のあずまやの下にテント。
キャンプはこの先の六ッ矢崎浜のオートキャンプ場へ連絡するようにとあったが、自動車でもないし、どうせ冬期休業だろうと考えて、無視することにした。テントに西日が当たって暖かいので、中で素っ裸になってアルコールウエットティッシュで体中を拭きまくった。

そう言えば、高島市に入ってからは、あちこちの浜辺でキャンプ禁止の表示が目立った。

夕食時、昼間買った鮒ずしを食べた。独特の臭いよりも、塩味がきつかったという印象だ。


歩数  44085歩  (累計  247025歩)
距離  28.5km  (距離累計 145km)
経費  1401円   (経費累計 19878円)


琵琶湖一周 第5日目 清林公園へ

2018年02月12日 | 2018年琵琶湖ー周
1月19日(金)曇のち晴 道の駅びわ湖大橋米プラザ~清林公園



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6時30分、出発。まず比叡山へ向かうこととし、暗い中をJR堅田駅へ。

駅で、コインロッカー2つに荷物を分散させてなんとか入れ、傘だけは入らないので持参。湖西線で比叡山坂本駅へ。下車して比叡山へ向かう。

7時40分、日吉神社の大きな鳥居をくぐる。正面が比叡山方面。


穴太衆積みの石垣。「穴太衆」は、戦国時代に活躍した石工の技術者集団。城や寺院の石垣は彼らの手になるものが多いそうだ。




坂本ケーブルの駅へ行ってみたが、始発は8時30分だったので、徒歩で上ることにする。

8時、参道の石段へ。


途中から、京都の大原へ続くハイキングコース(古い参道)になり一汗。


9時5分、法然上人得度御舊跡。




9時10分、延暦寺会館で入山料700円。








天台宗総本山である比叡山延暦寺は、「東塔」、「西塔」、「横川」と三つの地区に分かれており、「横川」までは北へ4キロあるので、今回は時間の都合上、東塔と西塔を巡拝することにした。


すぐに出世大黒天堂。




文珠楼。


延暦寺根本中堂は保存修理中。




修理中だが、堂内を見ることは可能。修行中でも自由に中へ入ってよいとのことで入ると、暗い中、本尊の薬師如来の前で一人の僧侶が読経していた。さすがに天台宗の総本山で重々しい雰囲気に圧倒される。

根本中堂改修のあらまし




根本中堂の変遷と見どころ


「比叡山が生んだ高僧」として、法然、栄西、道元、親鸞、一遍、日蓮らのビッグネーム。空海(真言宗)と最澄(天台宗)について、空海は個人として余りに偉大だったため、その後彼と並ぶ名僧は真言宗の中から出なかったが、最澄は仏教を学ぶことを重視したため、比叡山で天台宗を学んでその後鎌倉仏教を起こした僧が何人も現れた、という説もむべなるかな、である。


鐘楼では1回50円で鐘を撞くことが出来る。観光客の集団が去った後、一人で綱を思い切り引っ張って撞くいたら、余韻が2分間も唸っていた。


大講堂。長押には釈迦とその十大弟子、最澄とその弟子たち、その他比叡山ゆかりの名僧たちの大きな肖像画が並んでいた。


戒壇院。




阿弥陀堂。




東塔。


吉井勇の歌碑があったようだが見落とし。比叡山にちなんだ吉井勇の短歌の紹介。
「雷すでに起こらずなりぬ秋深く 大比叡の山しづまりたまへ」
「雨のなかを浄土院谷へくだり来る 僧ひとりありて深むしづけさ」
「夕空の明りもとめて往きゆけど 釈迦堂みちの杉尽きずけり」


國寶殿見学。500円。






主に平安、鎌倉時代の仏像が沢山保存されていた。書や絵画もあったが、寒くてストーブにあたったりしながら見てまわった。
一昨日の石山寺内覧の500円とは同じ金額でも雲泥の差(俗物根性!)。

その後、西塔にまわり、山王院堂。




伝教大師(最澄)御廟の浄土院。


椿堂。


常行堂と、




法華堂。




常行堂と法華堂は並んでいて渡り廊下でつながっている。力持ちの弁慶がこの渡り廊下をてんびん棒にして、二つの堂をかついだという伝説から「弁慶のにない堂」と呼ばれている、とのこと。

石段を下っていくと釈迦堂。ここが西塔の本堂になっている。




左手の上方に鐘楼。


若山牧水の歌碑。
「比叡山の 古りぬる寺の 木かくれの 庭の筧を 聞きつつ眠る」




中西悟堂の歌碑。
「樹の雫しきりに落つる暁闇の 比叡をこめて啼くほととぎす」




12時になったので見学は切り上げ、下りはケーブルにしようと駅に行ったら発車したばかり。
乗車券(片道860円)を買って待つ。


ケーブルの展望台からの琵琶湖。




12時30分、ケーブルで下る。


13時、比叡山坂本駅近くのコンビニにて小休止、昼食。

堅田駅へ戻り、コインロッカーにて荷物を回収。パッキングをして歩きはじめる。

県道161号は、琵琶湖大橋交差点から県道558号にかわる。


15時15分、八屋戸浜のパノラマ。






15時50分、湖上に漁業の定置網が見える。


16時15分、琵琶湖から離れ、県道558号沿いの清林公園に着き、一休みした後テント設営。

夜半、頭上にオリオン座が大きく広がっていた。


歩数  39032歩  (累計  202940歩)
距離  17.5km  (距離累計 116.5km)
経費  3060円   (経費累計 18477円)※賽銭と鐘撞代は別。