そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

琵琶湖一周 第4日目 道の駅びわ湖大橋米プラザへ

2018年02月10日 | 2018年琵琶湖ー周
1月18日(木) 晴時々曇のち雨 膳所公園~道の駅びわ湖大橋米プラザ



ビワイチ観光ウォーキングマップ 6








朝起きると雨は上がっており、6時30分から、公園に集まった人たちと一緒にラジオ体操。

7時、出発。

7時5分、膳所城址。


7時10分、近江大橋。


なぎさ公園を行き、


7時25分、太陽が顔を出す。


「北緯35度線と大津湖岸なぎさ公園」の碑。北緯35度戦場には、テネシー州のメンフィスやギリシャのクレタ島、アフガニスタンのバーミヤン、忠ごこの洛陽や韓国の木浦などがあることを知る。


途中で、芭蕉の墓のある義仲寺に立ち寄っていこうと考え、

7時40分、コンビニにて野菜ジュースを買いがてら、義仲寺への道を教えてもらう。

7時55分、義仲寺についてみたところ、9時にならなければ開かないとのことで諦める。




再び湖岸に戻り北上。

8時20分、常夜燈。


お城のような建物は、「滋賀県立琵琶湖文化館」。


琵琶湖観光船「ミシガン号」。


大津港から離れて、三井寺に向かう。で、うっかりしてケータイを起動するのを忘れていることに気づき慌てて起動する。そのため、それまでの歩数はノーカウント。

9時、西国14番園城寺(三井寺)へ。
園城寺が「三井寺」と呼ばれるのは、天智、天武、持統天皇の産湯に用いられた霊泉があり、「御井(みい)の寺」と言われたことに由来する、とのこと。

仁王門。


阿形仁王像。


吽形仁王像。


入山料600円。










釈迦堂。




近江八景「三井の晩鐘」で有名な鐘楼。




金堂。




3人の天皇の産湯に用いられた泉がわくといわれる閼伽井屋。




霊鐘堂の「弁慶の引摺り鐘」 ――「当寺初代の梵鐘で、奈良時代の作とされています。 むかし、承平年間(十世紀前半)に田原藤太秀郷が三上山のムカデ退治のお礼に 琵琶湖の龍神より頂いた鐘を三井寺に寄進したと伝えられています。
その後、山門との争いで弁慶が奪って比叡山へ引き摺り上げて撞いてみると ”イノー・イノー”(関西弁で帰りたい)と響いたので、 弁慶は「そんなに三井寺に帰りたいのか!」と怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまったといいます。 鐘にはその時のものと思われる傷痕や破目などが残っています。
また、この鐘は寺に変事があるときには、その前兆として不可思議な現象が生じたといいます。 良くないことがあるときには鐘が汗をかき、撞いても鳴らず、 また良いことがあるときには自然に鳴るといいわれています。 」――三井寺のホームページより


弁慶の汁鍋。




一切経蔵。






三重塔。




灌頂堂。


微妙寺、三井寺5別所の一つ。


観音堂へ。


正確には、この観音堂が西国三十三所観音霊場の第14番札所。




琵琶湖展望台という所へ行ったが、昔はさぞかしと思えるも、今はビルが立ち並び、琵琶湖はあまりよく見えなかった。

1時間余りで退出。三井寺は広くて由緒あるお寺で、しかも観光シーズンではないので、静かな雰囲気に浸ることが出来た。

さらに、すぐそばの大津市歴史博物館へ。観覧料320円。






八千年前の縄文時代から現代までの、大津の文化と歴史が豊富な資料によって説明されており、とてもボリュームのある展示だった。時間が許せばもっとじっくり見学したかった。

博物館から見た琵琶湖。先ほどのミシガン号が見えた。


こちらも1時間ほど見学し、

11時、ふたたび歩き体制に。

県道161号を辿り北上。

13時、唐崎神社。


近江八景「唐崎の夜雨」の碑。


霊松「唐崎の松」。この有名な老松は三代目、樹齢150~200年、と。




柿本人麻呂の「楽浪の志賀の辛崎幸くあれど 大宮人の舟待ちかねつ」を思い出す。

13時30分、坂本城跡。




そばには織田信長の命によってここに築城した明智光秀の像。


14時50分、スーパーにて食料調達。

その後は車の多い県道161号を辿る。

15時40分、民家の間を抜けて、近江八景「堅田の落雁」で名高い浮御堂のある海門山満月寺へ。


浮御堂。


16時、出島の灯台。他に類を見ない木造の燈台、と。




琵琶湖大橋の近所に住むという女性に案内されて、お喋りをしながら一緒に湖岸道を行き、


16時20分、道の駅びわ湖大橋米プラザへ。今夜はここでテント。


一時、冷たい強風とにわか雨。

23時50分、夜中に小用で起きた際に、ついでに琵琶湖大橋の夜景を一枚。



歩数  33399歩  (累計  163908歩)※ケータイの起動が遅れ不正確。
距離  22.5km  (距離累計 105km)
経費  1376円   (経費累計 15417円)※賽銭は別

琵琶湖一周 第3日目 膳所公園へ

2018年02月10日 | 2018年琵琶湖ー周
1月17日(水) 雨 道の駅草津~膳所公園



ビワイチ観光ウォーキングマップ 6


5時起床、雨が降っていた。

8時、今日の行程は短いので、ゆっくり出発。雨具上下に長靴で、傘をさして行く。

まずはビワイチのコースに従って、烏丸半島を湖岸に沿って三角形に回り込んで歩く。

水鳥たちが群れていたり、


名前のわからない大ぶりな猛禽類がいたり。


そのまま雨の中、県道559号を南下。

11時、近江大橋遠望。


11時20分、帰帆島の北と南の橋を渡って大津市へ入る。


11時50分、瀬田の唐橋が見える。


12時、瀬田の唐橋。
大海人皇子側と大友皇子側との間で行われた壬申の乱の決戦場。その後も幾たびかの戦いの舞台となり、「瀬田を制する者は天下を制す」と言われた、とのこと。




唐橋を渡り、瀬田川左岸を遡行して石山寺に向かう。


12時30分、西国十三番石山寺の東大門へ。




阿形仁王像。


吽形仁王像。


入山料600円。













石山寺の名前の由来となった「硅灰石」の壁と、その向こうに多宝塔。




本堂。




参拝の後、本堂内陣を見た。拝観券500円。


これは一昨年に33年に1度の本尊如意輪観世音菩薩の御開扉があったためだろうが、現在は大きな毘沙門天と金剛力士像の骨組みのようなものなどの、ほんのわずかな仏像が見られるだけ。非常に割高な金額と思う。100円くらいでいいんじゃないか(罰当たりめ!)。

本堂横手の紫式部人形。


境内をぐるりと散策。

三十八所権現社本殿。




経蔵。




雨のためかほとんど人影がなく、とてもいい雰囲気だった。


紫式部供養塔(左)と芭蕉の句碑(右)。
「あけぼのは まだむらさきに ほととぎす」


さきほど下から眺めた多宝塔。




源頼朝と亀谷禅尼の供養塔。




芭蕉庵。


月見亭。


東風の苑のロウバイ。


光堂。


紫式部像。


八大龍王社。




無憂園。


1時間余りがあっという間に過ぎて退出。

少し先に、「朗澄大徳ゆかりの庭園」。
朗澄律師は石山寺屈指の名僧。「‥‥没後、石山寺経蔵の一切経並びに聖教を守護し、万民の降魔招福の為、鬼の姿となることを誓い、承元三年五月十四日入寂された」とあり。




その後は瀬田川左岸を行き、膳所公園へ。適当な場所はないかと探しつつ歩いていると、地元の高齢男性が「この先に大きなあづまやがある」と教えてくれた。水、トイレも近いとのこと。

14時30分、近江八景「粟津の晴嵐」の碑。




14時50分、コンビニにて食料調達。

15時、少々早いが、教えてもらったあづまやでテント泊とした。

夕刻、雨が強くなったが、広い屋根の下で安心して早々と就寝。


歩数  32448歩  (累計  130509歩)
    ※雨のためケータイをザック内に。したがって歩数のカウントは不正確。
距離  21.5km  (距離累計 82.5km)
経費  1543円   (経費累計 14041円)※賽銭は別