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そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

徒歩の旅 第4日  いちき串木野市 吹上浜荘へ

2009年01月25日 | 2008年日本海側の旅
4月14日(月) 晴 (「国民宿舎吹上砂丘荘」~いちき串木野市 「国民宿舎吹上浜荘」)



国民宿舎にて8時間睡眠。ジンマシンかなり減る。朝食はバイキングで、だいぶ食べる。半日休養ゆえ天神が尾キャンプ場までの予定であったが、晴天がもったいないので、いけるところまで行くことにする(この決断がもう少し早かったらよかったが、チェックアウトを10時と連絡してしまっていたため、行動が中途半端になってしまった)。
9時20分、出発。



 
予定よりやや早く出発するも道を間違え、20分ロス。引き返して「吹上浜砂丘自転車道」を行く。蝉の声もしきり。八重桜は散りつつある。松林に囲まれた吹上浜キャンプ場は国民宿舎からかなりの距離があった。
緑の中の自転車道(「加世田日吉自転車道」)を行く。



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端午の節句が近づいている。


10時頃、自転車に乗った男性に会い、並行しながら話。どこまで行くのかと尋ねられ、目的地は一応門司で、できればその先へ、と遠慮して回答した。彼は門司へは自分も自転車で往復したことがある、とか。加世田の人だった。
水田や野菜畑、やや遠くの山が陽を浴びて眩しいくらいだ。






11時30分、永吉川のたもとの東屋で、草刈休憩中の老人と話。方言のため、何を言っているのかよく通じないが、余り見当はずれでもなく対話したようだ。トマトをあげて、一緒に食べる。その後2人連れのサイクリストの年配者がきて、うち一人の話し好きの方の話。以前に大阪のサイクリスト大学生を泊め、その後も交流が続いている……と。
12時10分、牛を飼っている家があり、


また、白鷺も舞っていたりと、この土地の自然の豊かさを感じる。


12時30分、天神が尾キャンプ場通過。その先で自転車道は終わり、270号線を進む。


13時30分、神の川の橋をわたる。


14時30分、江口浜を東シナ海の風を横から受けて進む。


海広く青し。ウィンドサーフィンをしていたのでデジカメで撮る。


さわやかなり。されどジンマシン少し出てきて痒くなる。
14時50分、ひがし串木野市に入る。
さらに行くと市来小学校の2年生の3人と出会い、少し話す。おじさんはキャンプしているのか。子供は何歳か。旅をしているのか。……次々ととりとめなく尋ねてくるが、答えるのも楽しい。また、この時点で今日も国民宿舎泊に決定。ジンマシンが出てきたし、右足首も痛い。
16時10分、国民宿舎「吹上浜荘」に到着。宿からの景色。


さっそく風呂に入る。今日の行程は、あわよくば川内までなどと思ったが、甘かった。
食事時、屋上から東シナ海に沈む夕日の写真を撮る。

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国民宿舎吹上浜荘は、宿泊代、7415円なり。

(経費 7,930円       累計 10,908円
 歩数 36,281歩      累計 187,648歩
 距離 26km     累計   121km)

徒歩の旅 第3日  日置市  吹上砂丘荘へ

2009年01月24日 | 2008年日本海側の旅
4月13日(日) 曇のち小雨 (枕崎駅~日置市 「国民宿舎吹上砂丘荘」)



5時、駅ホームのテントを撤収し出発するも、早朝で暗いため市街地で迷い、30分ほどロス。枕崎中学校を見つけ、進路を確認する。計画では今日の宿泊は塘之池公園だが、日曜日で人出が多い中で、テントビバークもまずいかなと考え、昨夕見た南薩摩鉄道の跡を行く国道270号線をたどるルートをとることにする。 
6時、枕崎中を出発。蛙や鶯がしきりに鳴く田園地帯を行く。


7時、枕崎市と南さつま市の境界。
7時20分、「枕崎街道」の里程標がある。


このころ霧雨が降りだす。
7時30分、のどが渇いたため、飲料水のペットボトルを自販機で買う。昨晩泊まった枕崎駅は水・トイレがないので、洗面と用足しのために公園をさがしつつ来たが、こちらのルートには公園はなかった。
8時15分、にいななまる直販所到着。高齢の男女数人が店の準備中。トイレを借り、朝食をとる。きゅうり2本、サラミの残り、乾パン、水。周辺略図を確認のためデジカメで撮る。




8時50分、出発。ななまるを出てすぐに雨が強くなり、雨具を着用。その後、着たり脱いだり。
10時15分、270号線・275号線の分岐。竹田神社という大きな神社を通過。カエデの新緑がきれいだったが、デジカメは雨でザックの中。デジカメは、ななまるでルート確認のため地図を写しただけで、後は一日中ずっとザックの中。
11時30分、市役所前交差点を左折。吹上浜方面へ自転車道路を行こうと思い、ショートカットしたが裏目。随分と回り道をした後に、
12時30分、ようやく上ノ山橋に出る。途中の土手で雉を見た。雉は走るのがすばやく、ト、ト、ト、ト、と行ってしまったが緑と赤の色が鮮やかだった。このころからなぜか体がかゆくなり、ジンマシン発生。吹上浜キャンプ場泊をやめ、時間が間に合えば、国民宿舎泊にしようと方針転換。万之瀬川を渡り、その後は小雨の松林の道5・4キロを1時間で必死に歩き、
15時10分、国民宿舎「吹上砂丘荘」着。予約なしだがOKということで、決定。さっそく風呂に入り体を2度洗うと、ジンマシンはやや後退。しかし原因は不明。汗の塩分か、疲労か、卵か牛乳かなど考える。前二者の公算大なり。4年前の栂海新道縦走の時も同様に、汗をかき疲れた後に出た。一緒にいたA君は、体の異常を知らせるセンサーの役割だろうと言っていたが、そうかもしれない。(その後、はじめに出た部位は回復。されど上半身やふくらはぎにも出た。結局、始めから終わりまで体中全部の過程を経ない限り片付かないということなのか?) 国民宿舎の洗濯・乾燥機で衣類を洗い乾かす。
明日は半日休養にし、天神が尾キャンプ場まで。天気がよさそうなのでもったいないが先は長い。無理は禁物。チタンテープがどこかに行方不明だったが、出てきたので足首などに貼る。国民宿舎「吹上砂丘荘」は、宿泊代、7930円。風呂で計ったら体重は68kgだった。吹上浜は、47kmの日本一の長さを誇る砂丘で、日本三大砂丘の一つ。

(経費 110円      累計  2,978円
 歩数 52,120歩   累計 151,367歩
 距離 32km      累計 95km )

*宿泊費について。国民宿舎・旅館・民宿などは翌日支払い、ユースホステル・一部旅館は当日支払いでしたので、経費記載に2通りあります。この日は国民宿舎泊まりでしたので、経費は翌日記載です。

徒歩の旅 第2日  枕崎市  JR枕崎駅へ

2009年01月23日 | 2008年日本海側の旅
4月12日(土) 晴 (「かいもんふれあいキャンプ場」~枕崎市 JR枕崎駅)



6時45分、出発。斜面を下り、南薩摩路の国道226号線に戻る。
7時30分~8時15分、JR入野駅手前にて、指宿枕崎線の車両を撮るため1時間ほど待機。




線路の反対側ではもう田植えをしている。


その後は東シナ海に沿って海を眺めつつ行く。
9時05分、迫平(せびら)自然公園で小休止。与謝野鉄幹(1873~1935)・晶子(1878~1942)の歌碑を見る。「迫平まで我れを追ひ来りて松かげに瓜を裂くなり頴娃(えい)の村をさ 与謝野鉄幹」、「片はしを迫平に置きて大海の開聞が岳立てるなりけり 与謝野晶子」とある。


ここからも開聞岳がきれいに見える。

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田圃では皆忙しそうに働いている。


10時20分、西頴娃駅の先に焼酎「薩摩白波」の工場がある。


11時20分、石垣駅の手前の川で、白鷺が数羽飛んでおり写真に撮る。


12時、トマトを4つ買い小休止、食事。
12時50分、加治佐川が海にそそいでいる。

 
14時20分、下り車両が跨線橋の下を通り写真を撮る。


15時30~45分、薩摩板敷駅の先で、トンネルから出てくるディーゼル車の写真を撮るため時間待ち。

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16時10分~17時10分、昨日開聞岳の登山で大汗をかいたし、時間調整の必要もあり、「なぎさ温泉」という銭湯に入る。中は充実しており、超音波、野天、電気、うたせ、サウナなどがある。土曜日の夕方のせいか入ったときはかなり混雑していたが、1時間ほどしたらすいてきた。


17時10分、枕崎はカツオの町で、近づいていくにつれ、鰹節のよいにおいが漂ってくる。


今日の泊まりは、火の神キャンプ場の予定であったが、せっかく銭湯に入ったのにまた汗まみれは敬遠したいと思い、枕崎で駅寝させてもらうことにする。
18時少し前に駅に着く。


そばのスーパーで食料等買出し。チョコ、テーピング、食パン、牛乳、トマト、卵、きゅうり、食塩など。バス停で自宅にメールをし、21時02分の最終の到着まで時間があるので、少し街をぶらつく。
南薩鉄道の記録が展示してあり、枕崎駅の往時が偲ばれた。




今では駅放送もなくホーム1つに椅子が4×2脚のさびれた駅になってしまっている。


しかもトイレは隣の薬局で借りるという具合。で、借りた。最終の到着、消灯後にホームにテントをはった。昨日開聞岳で会った男性は知覧へ行くとのことで、朝ガンガン歩いていったが、自分もうっかりすると急いで歩いているのに気づき、深呼吸をしてペースを落としている。それでもそこそこはかどるものだ。今日は、JR指宿枕崎線の写真を撮るために、3回ほど30分以上(うち1回は1時間ほども)待機したため、距離の割には歩いた実感が乏しい。昨日の登山による脱水状態の後遺症のせいかのどが渇き、途中で牛乳を3回も飲んだ。2日目なので足が少し痛いが、随分と休憩もとった。ともかくのんびり歩くこと、捻挫その他怪我をしないように気をつけること。

(経費 2,068円     累計  2,868円
 歩数 48,750歩    累計 99,247歩
 距離 30km       累計   63km )

徒歩の旅 第1日  指宿市 かいもんふれあいキャンプ場へ

2009年01月22日 | 2008年日本海側の旅
(いよいよ第一日目。指宿のユースホステルから薩摩半島最南端の長崎鼻へ向かい、そこから3000キロを北上するという計画です。経済的およびその他の理由で、今回は沖縄県をカットしましたが、何時の日か行ってみたいと思っています。大隈半島の佐多岬からとしなかったのは、開聞岳に登りたかったからです。その結果、開聞岳で旅を「開」き、最後に利尻山で「尻」を閉じるという「洒落」のような旅になりました。)

4月11日(金) 晴 (「圭屋ユースホステル」~指宿市 「かいもんふれあい公園キャンプ場」)



7時30分、指宿の圭屋ユースホステル出発。これから稚内までの旅が始まる。ユースの朝食時にドイツ人の若いカップルと一緒になった。カタコトで少し話をしたが、天候の話題になり、日本には「春に三日の晴れなし」という諺があると言うと、ドイツにも同じような言い方があり、「4月は天気が勝手気ままをする」と言うのだと見ぶりを添えて教えてくれた。「アウフビーダーゼーエン」と挨拶をしたが、お互いによい旅でありたいもの。先ずは国道226号線をたどり、指宿枕崎線を越えしばらく行く。
7時40分、道路の両側は南国の雰囲気たっぷりのヤシの木の並木が続く。


成川バイパスを行き、成川トンネルを抜けると開聞岳が遠くに見えてくる。


8時15分、広々とした左手の景色の中で、棚田に水を入れている人がいる。先ずは薩摩半島の最南端の長崎鼻を目指す。
9時、無人駅の大山駅でディーゼル車両を写真に撮る。


9時55分、JR最南端の駅である西大山駅(北緯31度11分)に着き、開聞岳をバックに写真に撮る。


その後は、青い麦畑で働く人、ハウスのビニールを処理している老婦人などと、挨拶をかわしつつ行く。数人のサイクリストの集団が、「こんにちは」「頑張って」などと声をかけて追い抜いていく。長崎鼻への途中の海沿いは花畑になっており、白、黄色、赤、ピンクとカラフルである。岬周辺は、亜熱帯植物が咲く、磯と浜の景勝地である。
10時50分、菜の花が沢山咲いている。


長崎鼻では、土産物屋が開いていたが、バスの乗客、タクシー客、自転車の人たち観光客も余り多いとは思えなかったし、買い物をしている客はほとんど見かけなかった。
11時15分、薩摩半島の最南端である、長崎鼻の灯台やさらにその先端の岩場からの開聞岳を写真に撮る。




開聞岳は薩摩富士とも言われる円錐状の端正な火山である。岩場に砕ける波も砂浜に寄せては返す波もいい。


ここから、宗谷岬まで約3000キロの旅が始まる。


帰りぎわに土産物屋で「屋久島カンタン」というみかんを3個買う。
その後は、東シナ海に沿って、川尻浦山川線という地方道242号をたどり、「かいもんふれあい公園キャンプ場」に向かう。キャンプ場は、管理費700円。荷を事務所で預かってもらい、
14時、開聞岳山頂(標高924メートル)へ向かう。深い樹林の中をらせん状に登り、7合目から登山道の足場が悪くなるも、
16時、山頂へ。360度の展望。薩摩半島がまさに地図の形どおりに見える。眼下には池田湖。遠く大隈半島方面も見渡せる。






途中で会った男性と記念写真を撮りあう。


下山途中で地元の男性登山者が7・8合目から屋久島が見える、と教えてくれた。春には10日に1日くらいしか見えないとのこと。
18時、公園事務所から登山証明書と清掃用の袋を貰い、荷を引き取ってテント設営。

 
芝生のテントサイトで設営しつつ、先ほど写真をとりあった男性(64歳、大阪の人)と話。彼は明日は知覧へ、その後20日の予定で九州の山々を北上縦走して門司へ向かうとのこと。こちらはおおむね九州の西海岸を北上して門司へ、そしてさらにその先へ、という話をする。
19時、テント内を整理して仮眠。
20時半頃目を覚まし、自宅へメール。自宅からは待ちきれずに確認のメールが来ていた。バウルー(ホットサンドメーカー)でホットサンドを作って食べ、
22時30分、就寝。今日は長崎鼻で時間を使いすぎたため、その後の行程が押せ押せになってしまったが、一応恙なく旅の第一日目を終了した。

(経費 800円   歩数 50,497歩   距離 33km )


徒歩の旅 序章   自宅から指宿ユースへ

2009年01月21日 | 2008年日本海側の旅
 (2008年4月7日夜に自宅を出発し、鹿児島県の指宿に向かいました。こんなに遠くへ旅するのは生まれて初めてのことです。途中広島で、ぜひとも訪れたかった原爆ドームと平和記念館を見学しましたが、被爆者の遺品や資料などの展示物に胸が詰まりました。
 ユースホステルに2泊し、3日間の普通列車の旅を経て、10日午後、指宿の「圭屋ユースホステル」に着き、いよいよ徒歩の旅の第1日を迎えることになります。)


4月7日(月)、晴。(川崎発~横浜駅より夜行「ムーンライトながら」乗車~)

4月8日(火)、晴。(~広島駅・平和記念公園~「広島ユースホステル」)
青春18切符で、JR東海道本線、JR山陽本線と乗り継ぎ、広島駅へ。駅のコインロッカーに荷を置き、原爆ドーム、平和記念館を見学。



原爆ドーム



送別会で貰った切符など



4月9日(水)、曇のち雨。(広島・「広島ユースホステル」~熊本・「ユースピア熊本」)
JR山陽本線、JR鹿児島本線を乗り継ぎ、熊本へ。



山陽本線車窓からの瀬戸内海


4月10日(木)、雨のち曇。(熊本・「ユースピア熊本」~指宿・「圭屋ユースホステル」) 
JR鹿児島本線、肥薩おれんじ鉄道、JR鹿児島本線、JR指宿枕崎線と乗り継ぎ、指宿へ。鹿児島湾は雲が出ており、残念ながら桜島全景は見えなかった。



肥薩おれんじ鉄道の車窓からの東シナ海


指宿の海


鹿児島のパンフレットなど


ブログを始めました

2009年01月21日 | 2008年日本海側の旅
 昨年(2008年)3月31日に、34年間勤務した職場を定年退職し、4月から7月まで、退職記念に鹿児島から北海道へ日本海に沿って、徒歩で一人旅をし ました。その時の行動記録メモとデジカメで撮った写真をまとめましたので、ブログで少しずつ発信していきたいと思います。
 「片付けておかねばならぬ それもまた みんな忘れて呑んでしもうた」 という山崎方代さんの短歌がありますが、旅から帰った後、退職1年目というのは何かと忙しく、別に呑んでばかりいたわけではありませんが、片付けるのに半年以上もかかってしまいました。
 応援してくださった方々や旅の途中でお会いした多くの方々のご親切へのお礼と共に、これから徒歩旅をしようと考えている人にとって多少とも参考になれば幸いです。
 この半年で社会は大きく変わりました。状況を正しく把握することに努め、体力の低下にもできるだけ歯止めをかけつつ、来るべき激動の時代に備えたいと思います。そういう点から、世評あまり芳しからぬ団塊の世代の仲間への、ささやかなエールにもなればうれしく思います。
 (文中に間違いを発見しましたら是非教えて下さい。お願いします。)