そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2014年 徒歩の旅 第2日 錦江町・神川キャンプ場 へ

2015年11月06日 | 2014年太平洋側の旅-前半
3月12日(水) 薄曇り (南大隅町・サタデイランド~錦江町・神川キャンプ場)




やや暖かく、ラジオの天気予報は下り坂。開聞岳も寝ぼけて見える。テントは結露していた。


7時に出発。ウグイスがしきりに鳴く中を、だらだらと下りに下り、




国道269号(佐多街道)に合流。


その後は、一昨日バスで通った道路を、今度は徒歩で、錦江湾の海岸線に沿って北上(後方望む)。


8時10分、大川の田の神。


路上にタヌキ死す。


途中でのどが渇いたので、水を貰ったところ、タンカンをもって行けという。両手にいっぱい持ってきてくれたが、荷が重くなってしまうので、3個だけいただいた。
先週の寒波で、開聞岳にも雪が降り、ここからも頂上が白く見えた、とのこと。数年に一度だそうだ。こちらも、来る途中に桜島も冠雪していたことなどを話した。

その先の、燃料ガスのカートリッジと食料を買った店でも、おばあさんがお茶を飲んで行けというので20分ほど休憩。お年寄りは旅人にはみんな親切である。「げたんは」(下駄の歯)という黒砂糖のついたお菓子を貰った。
この辺りではジャガイモ栽培が流行っている、とのこと。鹿児島はもっぱらサツマイモかと思っていたら、「北のカライモ、南のジャガイモ」という言葉もあるそうだ。ジャガイモの方が、希少価値で高く売れるということか、と思った。大隅半島は、今後、観光で発展していくといい、など話した。おばあさんは踊りをやっているとのことでとても元気そうだった。出発時にクッキーをいただいた。

10時10分、立神公園にて小休止。






海上の開聞岳を眺めつつ歩く。


10時30分、台場公園。幕末、薩英戦争(1863年)時の台場跡。




砲台。




説明板。


11時15分、道の駅根占。




やや海から離れてから、




雄川を渡り、


12時30分、ネッピー館へ。昼食(ネッピー御膳、980円)および入浴(330円)。


再び歩きはじめたところで、南大隅町役場の観光課長という人に出会い、これから北海道まで歩くのなら、役場で「佐多岬出発証明書」というものを発行しているから立ち寄ってもらっていったらいい、といわれる。北端の稚内市と提携している取り組みだそうで、記念になるよ、と。無料なり。




14時20分、南蛮船係留の大くす。




14時40分、南大隅町と別れ、


錦江町に入る。


雲が垂れ込めてきて、開聞岳もだいぶ見えづらい。


15時、今度は、馬場の田の神。


いわれを読むと、地域一帯のコメの豊作を祈念したもの、とある。


健康づくり1万歩コース。


16時15分、神川を渡り、


16時20分、キャンプ場着。


キャンプ場は6月から営業(600円)とのことだったが、開設期間前で受け付けもおらず、作業員に聞いたら「よかもん」の一言。炊事棟の屋根の下にテント設営。宿泊 0円。


今日は歩行予定距離が短いとはいえ、道草が多かった。

歩数  41648歩  (累計  93655歩)
距離  30.5km   (累計  57km)
費用  2080円   (累計 15490円) 


2014年 徒歩の旅 第1日  南大隅町・さたでいランドキャンプ場へ

2015年11月05日 | 2014年太平洋側の旅-前半
 3月11日(火) 快晴 (南大隅町・大泊野営場~佐多岬
            ~南大隅町・さたでいランドキャンプ場)



 
寒さのため早く目が覚めてしまい、日の出前の海を眺め、


6時49分、日の出。


他の若者たちも起きだしてきて、


昨日買ったタンカンを提供し、5人でいっときこれまでの旅のよもやま話。青年の一人から、佐多岬へのショートカットのルートを教えてもらう。
ニコ君と約束の写真を撮り(また、もう一人の日本人の青年にも、ブログ用にするからと写真を撮られた)、彼らに見送られて、
7時、まずは佐多岬往復に出発。


野営場からいきなりの急な上り坂。朝から寒くて着ていたダウンジャケットも、ニット帽もすぐに脱いだ。
少し先で下り坂になり、県道566号線と合流。


教えてもらったルート(左)を、


湾に沿って行く。


途中に、「大漁祈願」「魚供養」の社あり。




7時50分、北緯31度線のモニュメント。カイロ、ニューデリー、ニューオリンズ、シャンハイ、カラチと同緯度なり。エジプトのカイロと同じなのかぁ。


7時55分、佐多岬駐車場へ。ガジュマルの木。


海と島々、灯台も見える。






人は見当たらず、トンネルを抜け、


案内図あり。


木々の間を通り、御崎神社を経て、




8時20分、展望台跡へ。イタリア人の言った通り、整備中とかで、金属パイプで囲まれた小さな砂礫の敷地に、標識(「本土最南端 佐多岬」)と表示板があるのみ。




「日本本土最端地」。これから向かう根室、稚内がある。


「北緯30°59′36″」


快晴無風、展望は抜群。


佐多岬灯台。


スタート地点なので、一応自宅へ電話をしておこうと思ったが、圏外でつながらなかった。
少し周囲を散策しつつ、景色を楽しむ。






9時5分、展望台を後に、いよいよ北上開始。


駐車場に戻ると車の人が数人いた。

広場に川田順の歌碑あり。
「黒潮の海に昇りし天津日は 佐多乃岬を日ねもす照らす」


来た道を、とりあえず大泊野営場まで戻る。


途中でサルに出会った。


10時30分、大泊野営場。


すぐに「南大隅町立」大泊小学校跡。2013年3月、133年の歴史を閉じた。ここも過疎と少子化。


隣に佐多町立大泊中学校跡。


大泊から、昨日バスで通過した道(県道68号線「佐多街道」)を行くが、小さなアップダウンの連続に、暑くなって小休止。半袖になる。さすが九州。
足もとにルリハコベの青い可憐な花。


悪名高き佐多岬ロードパークゲート跡。以前は、各地から、佐多岬を目指して徒歩または自転車でここまで来ても通行止め。この先は有料道路で、バスや自動車を使わなければ岬までは行かれなかった。今は無料、通行可。


さらに、「佐多町立」大泊小学校跡を通過。


田園地帯を行く。


「耕作放棄地解消中」の看板あり。


海は眼下に。


佐多岬から10km。


尾波瀬トンネルを経て、




佐多岬から12km。


裏、「ふれあいパーク佐多」の看板。


開聞岳と海を眺めつつ歩き、


宗谷岬まで2700kmの看板(直線距離で、かな。自分の方は4400kmの予定なり。)


11時40分、ふれあいパークの展望台で錦江湾を眺めて15分間小休止。




展望台にいた老夫婦と話。以前、川崎に住んでいたことがあるという。

西方トンネル


12時50分、トンネルを抜けたところで小休止をしていたら、睡魔におそわれる。15分くらいか。昨日早朝からの行動で、少しバテたかな。
目が覚めて出発しようと立ち上がったところに、さきほどの老夫婦の車が通り、両手にいっぱい昆布飴をくれた。

静かな田園地帯を行く。




無人販売所で、100円の柑橘を買う。


石崎にて、右折、サタデイランド目指して坂を上っていく。
14時46分、東日本大震災3周年のため、立ち止まって1分間の黙祷。
道はぐんぐん上り、岩場の下を回り込む。


背中のようなところを行く。右、遠くにウインドファームの風車。


菜の花の向こうに開聞岳。


15時15分、到着。


キャンプ場は営業しておらず、開聞岳が真正面に見える丘の草地の斜面にテント設営。足指にマメ3個収穫なり。
今日はアップダウン、とくに最後のアップでいささか草臥れた。宿泊無料。

18時20分~30分、開聞岳の夕景を撮った。





歩数  40962歩  (累計  52007歩)
距離  26.5km   (累計  26.5km)
費用  100円    (累計  13410円) 



2014年 徒歩の旅 移動日  南大隅町・大泊野営場へ

2015年11月04日 | 2014年太平洋側の旅-前半
3月10日(月) 晴 (自宅~南大隅町・大泊野営場へ)




旅の始まり。まずは、佐多岬に行くべく、6時自宅出発。羽田空港へ。




息子にスマホで買ってもらった、8時15分~10時15分予定の羽田~鹿児島行きの格安搭乗券で鹿児島空港へ。


機内より、地上の姿(静岡県の御前崎上空あたり、)や


雲の姿など。


宮崎上空


10時15分到着。バスの発車時間まで空港の足湯。


11時30分の空港バスにて山川駅へ行く。
途中、桜島の冠雪をみる。


13時15分、JR山川駅着。徒歩の旅、開始。


駅より、まずは国道226号線との交差点まで徒歩にて行き、
13時40分、前回(7年前)の日本海側徒歩縦断のルートとつなげる。


自分でも硬直したこだわりのように思うが、まあこれで、太平洋側を首尾よく宗谷岬までたどり着けば、円環が完成することとなる。
遠方に開聞岳。


途中、春うらら。


山川湾を眺めつつ、


14時10分、山川港なんきゅうフェリー乗り場へ。


16時ちょうどに出港。対岸の大隅半島根占港に向かう。




船上より。




16時50分、根占港に到着。




港のそばに、特攻基地記念碑。


隊名、氏名、階級、戦死年月日、戦死地などが記されてある。黙祷。


近くの売店で、タンカン100円を買い、
17時08分の大泊行きのバスにて本日のキャンプ地の大泊野営場に向かう。

18時10分、大泊ふれあいセンターのすぐ先の野営場に着く。宿泊 無料。


自宅~(徒歩)~京急川崎~(京急線)~羽田空港~(ソラシド航空)~鹿児島空港~(バス)~山川駅~(徒歩)~山川港~(フェリー)~根占港~(バス)~南大隅町・大泊野営場、という具合でした。




野営場には2人のチャリダーがおり、また、テント(モンベルの一人用自立シェルター)設営中に、さらに2人のイタリアの若者のチャリダーも来て、5人でしばらくおしゃべり。イタリア人は、佐多岬に行ってきたが、期待していた本州最南端のモニュメントも何もなかった、と。2人とも日本語がかなり上手で、沖縄からやって来たとのこと。ニコ君は写真家、シオ君は漫画家で、これから自転車で宗谷岬に向かい、帰国後に2人で今回の日本の旅を本に出す予定、とのこと。当方もここから徒歩で宗谷岬に向かうと言ったら驚いて、翌朝、出発前に写真を撮らせてくれとの申し入れ。快諾した。シオ君からビールを勧められたが、今回も旅程の半分までは禁酒と決めていたので、せっかくだったがお断りしてしまった。

夜間、上限の月がきれいだったが、かなり寒かった。軽量化のためとはいえ、やはりシラフカバーではなくてシラフを持ってくればよかったな、などと考えつつ眠りに落ちた。寒さのため、夜中に何度か目を覚ました。

歩数  11043歩  (累計  11043歩)
距離  0km     (累計  0km)
費用  13310円  (累計  13310円)   



2014年 徒歩の旅 はじめに

2015年11月03日 | 2014年太平洋側の旅-前半
はじめに

2014年3月11日から5月12日(佐多岬~川崎)、および2015年4月1日から6月13日(川崎~宗谷岬+礼文島)で、おもに太平洋側、瀬戸内海、オホーツク海側を徒歩で縦断してきましたので、遅ればせながら、その記録を載せておきたいと思います。
これで、過去の旅と合わせて、おおまかではあれ日本列島をなるべく海岸線に沿って、一通り踏破したことになりました。(下図)




当初は、2014年に、佐多岬から宗谷岬まで、4か月余りで一気に歩く予定でしたが、寄る年波からくる体力、気力の低下と、足のマメの処理の失敗からきたのであろう予想外の足裏のダメージのため、自宅のある川崎での一日休息の予定から先へ進めず中途で断念。残りは翌年へと、恥ずかしながら2回に分けることになってしまいました。それでもまあ、沖縄を除いて、なにはともあれ円環は閉じました。
本来なら、宗谷岬から南下してこそ日本一周ですが、自分の中に、旅は北へ、北極星をめざして、という意識があるようで、今回も九州から出発しました。装備については、今回は降雨対策としての防水仕様のデジカメ(ペンタックス WG-3)と70センチのこうもり傘、そして防寒の強化のために薄手のダウンジャケットとダウンのインナーパンツを追加しました。その他は相変わらず。今回も、容量の都合でシラフではなくシラフカバーを使用しました。宿泊形態や食料計画なども前回とほぼ同様です。そして、季節がら2回とも、桜前線に追いつかれ、同行し、そして追い越されて歩く贅沢な旅になりました。

では、次回からよろしく。