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そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2015年 徒歩の旅 第3日  成田市・JR 成田駅へ

2016年03月26日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年4月3日(金) 曇 (自宅~JR川崎駅~JR千葉駅                                ~成田市・JR成田駅~JR川崎駅~自宅)



5時、自宅出発。昨日の到達点であるJR千葉駅に向かう。

6時50分、千葉駅出発。風冷たし。




近くの千葉中央公園に万葉防人の歌碑あり。
「千葉の野の 児手柏乃 ほゝまれと
 あやにかなしみ 置きてたが来ぬ」



また、千葉県アイバンク協会が建立したヘレン・ケラーの像も。




さて、国道14号線から国道51号線(佐倉街道)に入り、成田へ向かう。
道路は始めのうち、狭くて歩道もなく曲がりくねっていたが、その後は広くなり、歩道も分けられていて安心して歩けた。


7時25分、成田まで31㎞。


7時50分、市営桜木霊園の桜も満開。


8時10分、モノレールの下をくぐる。


8時45分、千葉市を抜けて、


四街道市に入る。


徐々に田園風景が広がる。


桜の木の下には花桃。


蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」の句や唱歌の「菜の花畑に入日うすれ」など想いつつ(まだ午前中なのに)。


9時30分、佐倉市に入る。


9時56分、鹿島川にかかる岩富橋。こちらはまだ紅梅、白梅。


10時50分、広々とした田園地帯。左の小川は高崎川、右は総武本線の軌道。


高崎川と総武本線を一緒に跨いだ長熊大橋。


11時5分、酒々井町に入る。




竹のそよぎが美しい坂を上っていく。


ポツンとお地蔵さん。


12時20分、成田市に入る。


13時10分、JR成田駅。


今日の行程は成田駅にて終了。いやぁアップダウンの多い一日だった。

その後、成田山新勝寺に参拝。


成田出身の女流俳人、三橋鷹女の像。


説明文に代表句あり。
「夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり」
「白露や死んでゆく日も帯締めて」
「口中一顆の雹を啄み 火の鳥や」


参道風景。


途中の店の看板は「成田屋」、市川團十郎。




成田山新勝寺へ。




総門、


仁王門、




三重塔、


大本堂。


外国人観光客もかなりいた。

なにかお祭りがあるようで、会館の前で大勢できれいな踊りをやっていた。


14時10分、再び成田駅に戻り、鉄道利用で、

16時30分、川崎の自宅へ帰る。

電車利用で自宅からのピストンによる空身の足慣らしは今日まで。明日からはザックを背負って北海道を目指す。

2015年 第3日(佐多岬より65日)
歩数  50300歩  (佐多岬より累計  3425249歩)
距離  31.5km   (佐多岬より累計  2208.5km)
費用  2879円   (佐多岬より累計  342718円)


2015年 徒歩の旅 第2日  千葉市・JR千葉駅へ

2016年03月26日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年4月2日(木) 晴 (自宅~JR川崎駅~JR新小岩駅
                       ~JR千葉駅~JR川崎駅~自宅)




5時30分、昨日と同様に空身にて自宅出発。空は晴れているが、風が冷たい。

JR川崎駅から電車を乗り継いで、昨日の到達点であるJR新小岩駅へ。

6時50分、新小岩駅出発。


都道315号線(蔵前橋通り)を東進する。街路樹のコブシの花が満開。


7時30分、新中川に架かる上一色橋を渡る。


新中川下流方面。


振り返るとスカイツリーが遠い。


江戸川交差点で、国道14号線(千葉街道)に合流し、

8時5分、江戸川にかかる市川橋を渡る。




橋上より、総武本線。




8時10分、千葉県市川市に入る。




8時20分、JR市川駅の北側に名所三本松跡。松は伐採されて今はない。


8時55分、真間川の両岸は桜の真っ盛り。






河畔の小公園にて小休止。しばしお花見。




9時10分、年代物の蔵があった鬼越二丁目交差点。


9時25分、高層建築が減り、どうも空が広くなっていると思っていたら、気づかないうちに船橋市に入っていて、二子浦の池。遊水池として整備されたかつての「溜」。


9時35分、中山競馬場入口。


9時50分、山野浅間神社。桜のトンネルの参道を行くと、


奥に本堂。


10時50分、船橋市を抜けて、


習志野市へ。


11時20分、谷津干潟。


サギなどの鳥がおり、望遠鏡で観察する人や写真を撮る人などがいた。


湾岸道路の下をくぐり、県道15号線を行く。


12時10分、千葉市に入る。


12時15分、県道から離れ、海岸沿いの「稲毛幕張シーサイドランニングコース」を行く。


遮るものがなくて、ちょっと暑かったが、静かな道をのんびり歩く。海から時折吹くひんやりした風が心地よかった。


12時25分、メッセ大橋。


隣は千葉ロッテマリーンズのフランチャイズ、千葉マリンスタジアム。マリーンズのユニフォームを着た子供たちとすれ違う。


12時45分、幕張海浜公園の海辺で休憩。
春光さんさんと降り注ぎ、東京湾は波がきらめいている。「ひねもす のたりのたりかな」の風情。






12時55分、花見川に架かる美浜大橋。


その後は海岸から離れて、国道14号線に戻り、千葉駅方面へ向かう。


千葉駅周辺は工事のため、道が分かりづらかったが、


14時50分、JR千葉駅へ。


今日はここまでにし、昨日と同様に電車利用で、

16時20分、川崎の自宅に戻った。


2015年 第2日(佐多岬より64日)
歩数  56190歩  (佐多岬より累計  3374949歩)
距離  33km     (佐多岬より累計  2177km)
費用  2093円   (佐多岬より累計  339839円)


2015年 徒歩の旅 第1日  葛飾区・JR 新小岩駅へ

2016年03月25日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年4月1日(水) 曇 (川崎市・自宅~六郷の渡し跡
                ~葛飾区・JR新小岩駅~JR川崎駅~自宅)


2014年の太平洋側日本縦断徒歩の旅は、足裏のダメージが大きかったため、残念ながら鹿児島(佐多岬)から川崎までで挫折、次回を期すこととなりました。そして、足の回復と積み残しおよび日常の雑務処理などで10カ月を費やしました。その上で、古希も徐々に迫り気力・体力の低下を痛感させられつつ、今を逃すと長期の徒歩の旅も難しくなると思われるので、再度、いささか(はなはだ)オーバーながら、「宗谷岬に到達せずんば死すとも帰らず」の決意を心中に秘めて、2015年春、あらためて川崎から北海道(宗谷岬)へと歩き出しました。
2014年の教訓として、①足裏のメンテナンスを毎日丁寧にやること、②ウォーキングシューズの予備を用意し、靴底の減り具合をみて途中で履き替えること、③防寒対策としてダウンジャケットをもう1着購入し、状況により二枚重ねで着用すること、などの対策を講じました。その他はおおむね前年と同様です。



1年間のブランクもあり、川崎の自宅からの再スタートということもあって、最初の3日間は足慣らしとして、電車を利用して空身で自宅からのピストンにし、

2015年4月1日5時45分、自宅を出発。空は曇ってやや暖かし。まずは、去年の到達点である六郷の渡し跡へと向かう。

途中の多摩川河畔のソメイヨシノは満開。


6時、六郷橋より歩き旅再開。


多摩川中間点を越えて川崎を後に、


東京都へ。


前回の続きで、国道15号線(第1京浜国道)を行く。旧東海道で、箱根駅伝の復路10区である。

6時15分、日本橋まで18㎞地点。


都立六郷工科高校の桜。


6時40分、京急羽田線の高架をくぐり、


7時35分、鈴ヶ森刑場遺跡。江戸時代に、江戸への北の入口にあった小塚原刑場とともに、南の入口の東海道沿いに設けられた。


処刑用の柱の礎石。


右側、丸い穴が火あぶり用。


左側、四角い穴が磔用。


国道の喧噪をはなれ1本東側の旧東海道を行く。


7時45分、浜川橋(涙橋)。


「涙橋の由来」に、「慶安四年(一六五一)、品川にお仕置場(鈴ヶ森刑場)が設けられました。ここで処刑される罪人は、裸馬に乗せられて江戸府内から刑場に護送されてきました。この時、親族らがひそかに見送りにきて、この橋で共に涙を流しながら別れたということから、『涙橋』と呼ばれるようになりました」とあり。

8時、「東海道品川宿」の表示。


すぐに、品川寺の地蔵菩薩。


8時15分、東海道13番三島宿のあった三島市から寄贈された「街道松」。ベンチで小休止。


8時25分、東海道29番浜松宿のあった浜松市から寄贈された「街道松」。


8時35分、品川宿本陣跡。


8時50分、品川宿入口で国道15号線と合流。


すぐに八ツ山橋。


9時、品川駅。


品川駅と言えば、なんといっても、中野重治の「雨の降る品川駅」の詩を思い出すが、今やビルの群れ。

駅の歩道橋から見下ろせば、新入社員の初出勤はみずほ銀行の入社式。


9時15分、高輪泉岳寺にちょっと道草。

中門を入ると、大石内蔵助像。手にしているのはもちろん仇討の連判状。


山門、


本堂。


首洗井戸。仇討成就の後、「吉良上野介義央の首をこの井戸にて洗い以って主君の墓前に供う」


四十七士墓所。


9時30分、高輪大木戸跡。江戸の南の出入り口。


9時40分、駅伝復路コースに従い、国道15号線から日比谷通りへ。正面に東京タワー。


すぐに、「江戸開城 西郷隆盛 勝海舟 会見之地」の碑。


10時、芝公園内の「伊能忠敬測地功表」の碑。


10時15分、芝増上寺。


増上寺前の松原の復元。


10時50分、馬場先門交差点。駅伝復路はここを右折し、「コ」の字型に、日本橋を通って大手町でゴールだが、このまま直進する。


右手、東京駅を遠望し、

11時5分、大手町の箱根駅伝ゴール地点(金色のプレートが目印)へ。




歴代優勝校のプレート。


街区の反対側はスタート地点。広重による箱根までの宿場の絵が飾られてある。


右折して、日銀本店を過ぎ、


11時25分、日本橋。




橋のたもとに、「東京市道路元標」と、


「日本国道路元標」のレプリカ。


知らなかったが、ここは「日本橋魚市場発祥の地」とか。


11時30分、日本橋から、


浜町河岸通りを経て、


隅田川へ。




12時5分、国道14号線(京葉道路)にて両国橋を「西から東へ」渡る。「小雨が靄のようにけぶる夕方、両国橋を西から東へ、さぶが泣きながら渡っていた。」という、山本周五郎の『さぶ』の冒頭を思い出すところである。


橋を渡ったところにある両国橋児童遊園に、赤穂義士の一人である大高源吾の句碑あり。
「日の恩や忽ち具たく(くだく)厚氷」


奥にあるのは、日露戦争の戦没者のための慰霊の「表忠碑」。裏側に戦没者の名前が刻まれている。


国道14号線から江戸東京博物館の横を通って、


葛飾北斎の出生地にちなんだ北斎通りへ。振り返るとスカイツリー。


相撲の神様を祀る野見宿禰神社。




12時55分、錦糸公園の桜も満開で、


お花見の真っ最中。


北斎通りを東進し、


亀戸水神駅を経て、都道315号線(蔵前橋通り)へ。

13時40分、旧中川に架かる江東新橋を渡る。


川沿いの満開の桜並木。




14時、荒川に架かる平井大橋を渡る。


鉄橋を行くJR総武線。


14時30分、JR新小岩駅。


今日はここまでで打ち切り。JR総武線、JR京浜東北線経由にて、川崎駅へ戻り、

15時45分、自宅へ。宿泊、0円。

2015年 徒歩の旅 第1日(佐多岬より63日)  
歩数  56360歩  (佐多岬より累計  3318759歩)
距離  31km     (佐多岬より累計  2144km)
費用  902円    (佐多岬より累計  337746円)