>307638 無責任体制が日本を壊滅させる。・・・①>松本幸二 ( 60代 事務 ) 15/09/10 PM08 【印刷用へ】
>違憲法案、東芝粉飾会計、新国立計画・五輪エンブレム白紙撤回等々問題現象を見ていくと、日本の社会現象として何処に問題の原因や責任の所在を誤魔化す風潮。 >それを紹介します。 > 『戦争も東芝も原発も新国立競技場もすべては無責任体制~なぜ日本はバカな過ちを繰り返すのか』 > BLOGOS⇒リンク >以下転載開始 >・・・・・・・・・・・・
>戦後70年が過ぎ、再び戦争を始めようとしている日本。 >原爆を2度も落とされ、絶対に安全だと言いはったのに、世界最悪の原発事故を起こしたにもかかわらず、火山活動が活発になっている鹿児島で原発再稼働をする日本。 >なぜ日本はバカな過ちを繰り返し、自滅を繰り返すのか。
それは、日本人が真面目な反省をしないからでしょうね。
>それは無責任体制だからだ。
そうですね。とかくこの世は無責任ですね。
>誰も責任をとらない。
日本人には当事者能力のある人は見あたらないですからね。
>誰も責任をとらせない。
わが国には、意思というものが存在しない。であるから、人に責任を取らせるわけにはいけませんね。
>責任がどこにあるか明確にされない。
意思がなければ責任自体もない。責任者がどこにいるかを指し示すわけにはいきませんね。
>誰も処罰されない。
責任のある人が存在しなければ、その人の無責任を処罰することもできませんね。全てわが国においては ’ナイナイ尽くし’ ですね。世の中は、過不足なくなりたっています。
>だから問題が起きても、うやむやなまま、また同じ過ちを何度となく繰り返すのだ。
そうですね。日本人の言動は意思によるものではない。 それは、事の次第・成り行きにより決まるものですからね。
責任とは、英語で考えれば応答可能性 (responsibility) のことである。
意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way.
だが、日本人には意思がない。だから、日本人は仕方なく無為無策でいる。そして、応答可能性もない。
意思は未来時制の文章内容である。しかし、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思 (will) がない。意思の無い人には責任もない。
これは、ちょうど死刑執行人の場合と似ている。人は死んでも、彼らは殺人罪に問われない。彼らには殺意というものがないからである。
意思の有無は有罪・無罪の決め手になる。日本人はその決め手を欠いている。だから、その言動にとりとめがない。
日本人が意思決定に難渋していることは、明治以前から外国人により知られていた。
フランク・ギブニー (Frank Gibney) 氏の著書 <人は城、人は石垣> には、日本人の意思決定に関して次のようなことが書かれています。
ペリー提督は、日本人はアメリカ人のように敏速に行動しないと注意された。それは、このように説明された。数人の日本人が黒船を訪れたいと思って集まったとする。一人が「いい日だな」という。これに二人目が「なんという気持ちのいい日だ」と調子を合わせる。三人目が「波も見えないぞ」という。最後に四人目が「船に行ってみようじゃないか」と提案する。 ニューヨーク・デイリー・ニューズ (1854年6月13日) (引用終り)
我々日本人は、日本語と英語を良く学び、時制の重要性を深く理解する必要がありますね。さすれば、自己の意思の表明も可能になり、外国人とも意思の疎通が可能になります。外国人からも信頼も得られます。国際協力により未来社会の建設に主な役割を果たすことができます。
英米人は日本語を話す時でも閉塞感に苛まれたり、自己の意思の表明に難渋することはありません。彼らは日本語に頼らずに考えることができるからです。我々も彼らのやり方を真似れば国際社会においても理解が得られます。これが我々の努力すべき道でしょうね。
(略)
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