goo blog サービス終了のお知らせ 

gooブログはじめました!

日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

軍事パレード  

2025-09-03 10:28:47 | 文化

Record China   >日本の首相こそが中国の軍事パレードに出席すべき理由香港メディア   Record Chinaによるストーリー・   15時間・   

202592日、香港メディア・香港01は、中国が実施する戦勝80周年軍事パレードについて「日本の首相こそ参加すべきだ」とする社説を発表した。   

>社説は、中国が93日に開催する大規模な軍事パレードに対し、日本政府が「反日色が濃い」「中国主導の歴史認識が広まるのを避けたい」という理由から外交ルートを通じて各国首脳に参加を自粛するよう呼び掛けているという報道を紹介。   

>「日本の右翼勢力も『降伏』を『終戦』と言い換え、『侵略行為』を『アジア解放の必要悪』と美化してA級戦犯を英雄として祀り、戦争の罪を認めることを『自虐史観』と貶めている」と主張した。      

 

そうですね。善人ばかりの国で善人が悪いことをする。それは出来心 (私意・我儘・身勝手) からである。性善説の国日本。意思がないので加害者意識がなく、罪な意識もなく、大人の顔は天真爛漫としている。   

空があんなに青いのも、電信柱が高いのも、郵便ポストの赤いのも、みんなあたしが悪いのよ。

皆が罪びとのキリスト教国。人々には意思があるので罪の意識から逃れられない。謝罪・贖罪はいつまでも続く。大人の顔は後ろめたい顔つきになっている。その顔つきが信頼を呼び起こす。             

 

>また、中国のネット上では「小さな礼儀は知っているが大義はない」という日本人評が流行しているとも指摘し、「集団の利益を優先し、普遍的な正義や道徳に欠ける、形式主義的で功利的な国民性を描いたもの」と評した。   

 

日本人は無哲学・能天気ですからね。ご指摘の通りになりますね。これは残念なことです。      

 

>さらに、日本と同じ第2次世界大戦敗戦国であるドイツの姿勢を日本と対比する形で称賛し、1970年のブラント首相の「ワルシャワでの跪き」やホロコースト否定を犯罪とする法律、国民教育などを例に挙げ「日本の姑息な振る舞いを際立たせている」と論じた。   

 

そうですね。ブラント首相は「ワルシャワでの跪き」で名を上げましたね。日本人には彼の真似ができない。      

 

>その上で、日本が「歴史を反省できない」理由として、米国への従属で得た経済的成功と「脱亜入欧」思想が結びつき、矛盾した優越感を生んだと分析。   

 

そうですね。日本人は無哲学・能天気ですからね。浅薄そのものですね。      

 

>原爆を投下した米国にはへりくだる一方、傷つけたアジアの隣国を見下す態度は「安全保障から価値観まで全てを米国に支配され、搾取され続けてきた『政治的な小人』」と断じた。   

 

そうですね。日本人は伝統的に序列主義ですからね。今に始まったことではない。      

 

>一方で、日本の民間には戦争を反省する動きが政治家よりも深く存在するとし、大江健三郎氏、村上春樹氏、子安宣邦氏といった、日本の戦争責任に言及し続ける知識人たちの名前を列挙。   

 

日本人には意思がない。意思のない人間には責任がない。兎角この世は無責任。   

 

>パレードへの出席を表明している鳩山由紀夫元首相についても「歴史を深く反省し、狭隘なナショナリズムを乗り越えることこそが真の愛国であり、日本の進むべき道だと信じる人物だ」と称賛した。   

>社説は、「日本政府が中国の記念行事を妨害すればするほどその狭量さが際立ち、被害を受けた国々の人々の共感を呼ぶことになり、結果的に日本が懸念する『反日色』を自ら強めることになっている」とも主張。   

 

日本人は序列主義ですから狭量ですね。日本人の狭量は忠義の手本と解釈されています。反日色はなんのその。だから日本の国際化は難しい。      

 

>「もし日本が本当に平和主義を実践するなら、石破茂首相はパレードに出席すべきである」と論じた。   

 

まず初めに理解が必要ですね。次に行動ですね。   

 

>(編集・翻訳/川尻)   

 

日本語の文法には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが日本社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。人間としての順位の比較は没個性的でなくてはならない。受験戦争は他人の受け売りを使った戦になっている。だから、我が国の序列競争の激しさは個性の育成の足かせになり、自己実現の妨げになっている。     

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅苦しい日常生活を送っている。ため口を禁じられているので、相手と対等な立場でものをいう事ができない。人間が真に平等であるという実感を体験したことがない。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。   

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬と序列作法には浅薄さが付きまとう。   

 

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソト意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる個人的な義務) を果たすことに懸命になる。そして、かたい契りの義兄弟になる者もいる。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。個性に焦点を絞ることのない人間比較の叙勲は国体 (序列国家) に関する国民の意識を高めている。    

 

 

 

 

 

 

 


松山千春氏  

2025-09-03 02:01:13 | 文化

>日刊スポーツ   >松山千春が自民党に苦言「どんな日本つくりたいのか伝わってこない。野党には別に求めてない」   >日刊スポーツ新聞社によるストーリー・   >19時間   

>歌手松山千春(69)が831日、FM NACK5「松山千春 ON THE RADIO」(日曜午後9時)に生出演。   

>石破茂首相の進退問題に揺れる自民党について言及した。    

>「自民党、大変な状態だったりなんかするし。   

9月になって、いろいろな話し合いが持たれるんだろうけど、ただ1つ言えることは、石破さん、石破総理が嫌いだとか駄目だとか、自民党が駄目だとかいいとか、うんぬんの前に、自民党はどんな日本をつくりたいんですか、それが我々に伝わってこないのよ」と切り出した。   

 

そうですね。日本人は昔も今もその日暮らしですね。日本人には世界観がない。政治には、未来の先取りが必要ですね。そうでなければ国が迷走する。       

 

>そして「他の政党と違って、保守、政権を取っている政党だからこそ、将来はこういう日本にするんだ、なぁ、そのためにみんなにはこうしてもらう。   

>それを言ってもらいたいのよ。   

 

そうですね。   

 

>これを他の野党に別に、我々は求めてないんだよ」と主張。   

 

野党にも自己主張が必要ですね。そうでなければ日本人には選択肢がない。       

 

>「今の日本をどうしてくれるんだ、こうしますってことをしっかり言ってもらいたいのが本音」と語った。   

 

そうですね。総理には自己主張が必要ですね。   

わが国には何でもあるが、ただ夢と希望だけがない。国民が夢と希望を抱いて政治に参加することが大切ですね。      

 

>生放送は北海道札幌市のSTVラジオで行われた。   

 

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        

英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を論文で明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。   

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)     

 

 

 

 

 

 

 

 


恨 (ハン)   

2025-09-02 03:54:27 | 文化

>ハンギョレ新聞   >102年の「恨 (ハン) 」、関東大震災虐殺で犠牲の朝鮮人遺族「せめて遺骨を」   >23時間・   

 

日本人と朝鮮人の社会には恨みがたまっていますね。   

印欧語族の社会には罪がある。罪を指摘し、それを断罪することにより心が晴れる。  

日本人と朝鮮人の社会には罪がない。だから罪の指摘は不可能である。その状態が恨めしい。   

 

日本語と朝鮮語の文法には時制(tense)というものがない。だから、両言語には未来時制の構文もなく、人々は意思の内容を文にして示すことができない。  

意思の無い人間には加害者意識がなく、罪の意識もない。罪ある行為を見届けても、それを罪として指摘し断罪することはできない悔しさがある。その社会の状態が恨めしい。朝鮮にはハンがあり、日本には恨めしやがある。  

 

善人ばかりの国で善人が悪いことをする。それは出来心 (私意・我儘・身勝手) からである。性善説の国日本。意思がないので大人の顔は天真爛漫としている。   

空があんなに青いのも、電信柱が高いのも、郵便ポストの赤いのも、みんなあたしが悪いのよ。

皆が罪びとのキリスト教国。人々には意思があるので罪の意識から逃れられない。謝罪・贖罪はいつまでも続く。大人の顔は後ろめたい顔つきになっている。      

 

> 「頭を刀で切られて、何とか生きて帰ってきた方から、大伯父の死を聞かされたのが全てでした」   

> 31日に東京の明治大学で開催された「関東大震災朝鮮人・中国人虐殺102年犠牲者追悼大会」で、遺族のチョ・グァンファンさんは悲しみをこらえながら、このように語った。   

>チョさんは「大伯父は日本に行ってから3年で朝鮮人虐殺の犠牲者になった」として、「日本政府が100年以上も歴史的事実を認めも反省もしない間に、被害者が(歴史歪曲などで)加害者にされるということまで起きている」と、もどかしい胸の内を吐露した。   

>慶尚南道居昌(コチャン)出身のチョ・グォンスンさんは、関東大震災発生の翌日の192392日に日本人に殺害された。   

>その後、遺族は故郷に墓を建て、今も祭祀を行う際には日本に向かって黙とうするという。   

>遺族のチョさんは「遺体のない墓には生前の服や靴などが埋めてあるだけ」だとして、「遺骨だけでも見つけたい」と訴えた。   

> 関東大震災朝鮮人虐殺事件は、192391日に日本の首都圏で起きた大地震の混乱の中で6千人あまりの朝鮮人、800人あまりの中国人らが犠牲になったもの。   

>「朝鮮人が井戸に毒を入れた」、「朝鮮人が日本人の家に火をつけている」などのデマを口実に、軍、警察、自警団によって罪のない朝鮮人らが虐殺された。   

823日に韓日首脳会談を行うために訪日した李在明(イ・ジェミョン)大統領は、虐殺現場の一つとなった東京の荒川の河原について触れつつ、「100年前の恐ろしい歴史…日本各地に散らばった魂を忘れない」と語った。   

> しかし日本政府は「過去の事実を網羅した確たる記録が見つからない」という態度を崩していない。   

 

心ここに在らざれば視れども見えず。日本人は、朝鮮人・中国人を蔑視していたのでしょうね。だから視えない。      

 

>小池百合子東京都知事も、毎年91日に行われる朝鮮人犠牲者追悼式に今年も追悼文を送らないことを決めている。   

 

そうですね。彼女は大切な歴史上の事実に蓋をしていますね。彼女には見えないのですね。彼女の洞察力不足なのか。      

 

>「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式実行委員会」は825日、小池知事を「看過できない深刻な問題」と批判している。   

 

そうですね。日本人には罪がない。罪を知らない人間に謝罪を迫るのは、自虐の強要である。まだ我が国は子供の時代ですね。      

 

> 100年を超える歴史を正す努力は続いている。   

>韓日の市民団体は、虐殺現場となった東京の横網町公園での91日の追悼式をはじめ、1カ月以上にわたって全国各地で追悼行事を行う。   

>日本側でも、野党の国会議員からなる「関東大震災朝鮮人虐殺を検証する有志議員の会」が29日、石破首相と政府に「関東虐殺の真相究明、朝鮮人が殺害された事件が起きたことを正式に認めること」などを求める要請書を提出。   

>立憲民主党の杉尾秀哉議員はこの日の追悼式で「歴史の真実を闇の中に放置せず、市民とともに真相究明に努めていく」と述べた。   

> 歴史を否定する日本政府の態度が排外主義へとつながり、日本社会にも悪影響を及ぼすだろうとの指摘もある。   

>著書『地震と虐殺 1923-2024』で関東虐殺を扱った安田浩一さんはこの日の基調講演で、「差別こそが、関東大震災において人間が人間を殺害するという事件を引き起こした」として、「歴史を否定する態度が再び差別をあおるという悪循環を生み出している」と批判した。   

>東京/ホン・ソクジェ特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )   

 

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        

英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。   

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)     

 

子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。

英米流の高等教育は子供に哲学を獲得するための教育である。

英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。

子供が思春期になって、言語能力が飛躍的に増大するのを待って高等教育が行われる。

 

英語の文法には時制 (tense) というものがあって独立した非現実の三世界を表現することができる。

未来時制の文を使えば自己の意思を表すこともできるようになる。    

意思を表すと加害者意識も経験することになる。

それが高じて罪の意識も理解できるようになる。罪の告白も可能になる。   

深い反省にも陥ることもあるので原因の究明が行われる。     

事故の原因究明がうやむやにはならない。

 

魂の救済を必要とする人も出て来る。   

贖罪のための宗教 (キリスト教) も重要になる。   

こうしたことで浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。   

だからどこの国でも高等教育に力を入れることになる。   

 

哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。

日本語は現実の内容だけを話す言語である。   

日本式の判断だと見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。   

だから現実の言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習をすると常に失敗する。   

嘘ばかりついていては学習に力が入らない。だからわが国は英米流の高等教育の導入に失敗した。何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する者はいない。  

 

今の地球はアングロ・サクソンの支配体制にある。哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっていた。これらは高等教育の賜物である。インド人は印欧語族であるからアングロ・サクソンと相性が良い。   

 

当の日本人の若者はいまなお序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。   

難関出身者が序列社会で優位に立つ話ばかりを気にしている。それで国のかじ取りが危うくなっている。   

 

 

 

 

 


神谷宗幣氏  

2025-09-01 18:55:19 | 文化

>産経新聞   >「日本は移民国家」参政党・神谷宗幣氏、将来的な外国人受け入れ比に言及「上限は10%」   >7時間・   

>参政党の神谷宗幣代表は、828日に配信されたメディアアーティスト、落合陽一氏のユーチューブ番組で、日本の成り立ちについて「移民国家」との認識を示し、将来的な外国人の受け入れ比率について「上限は10%以下ではないか」と指摘した。   

 

そうですね。   

 

>出入国在留管理庁によると、現在総人口に占める外国人比率は約28%で、2070年に10%を超える試算がある。   

>「移民が作った国」   

>神谷氏は、7月の参院選で掲げた「日本人ファースト」について、「排外主義とレッテルを貼られた」と振り返り、「演説でもよく言っているが『縄文時代から見れば日本は移民国家でしょ』。   

 

そうですね。   

 

>もともと縄文人がいて、渡来人が来て、長い年月かけて今の大和民族ができている。   

>だから、われわれが移民を受け入れられないのはちょっと変な話だ」と語った。   

>日本の成り立ちについて「移民が作った国、混血でできた国だ。   

>外国の方を排斥しようではなく、急激に入れすぎると米国や欧州みたいな摩擦が生じる」と述べ、「ドイツは(外国人比率が)20%を超えて大変混乱している。   

>緩やかに外国人を受け入れていくのは10%以下ではないか、との概算をわれわれはしている」と語った。   

>「自民のいい人材に来てほしい」    

>将来的に自民党の人材を参政党に移籍させたいとの考えも示した。   

>自民について「経験値と人材は一番多い。   

>ただ、組織が古くなっており、人材が十分に力を発揮できない。   

>古い組織はしがらみも多い。   

>参政党は人材もいないし、ルールも定まっていない。   

>理念と応援する人だけがいる」と述べ、「すぐに引っこ抜こうとは思わないが、自民党のいい人材に来てもらって、新しいルールの中で彼らの才能を生かせば、(政界も)ぐっと変わるのではないか」と語った。    

>近現代史の光に焦点を   

>落合氏は、「日本の歴史の中で、戦後をちゃんと振り返ることが顧みられていない。      

 

そうですね。我々は戦前・戦後を深く振り返っていませんね。   

日本の平和運動は体験者の証言だけにずっと依拠し続けてきた。

体験者は現実を語る者であるが、平和の礎には政治の仕組みを調べ、「改革」「運動」「参加」の考え (非現実) の内容を語る人が必要である。   

 

>日本人はどうやって誇りや尊厳を取り戻すか」と尋ねた。   

>神谷氏は、連合国総司令部(GHQ)による68カ月の占領期について「日本の考え方や教育、メディアの仕組み、憲法を含めてどう変えられたのか。   

>変えた側の意図は何だったのか。   

 

高橋史朗氏 (1950- )は米国の戦後の日本占領政策について、米国が「日本が二度と立ち上がれないような政策」を行ったとしており、それがその後の日本人の「自虐意識」を育てることになったと主張している。  

意思がなければどうなるか。受動があって能動がない。だから、被害者意識があって加害者意識がない。罪の意識もない。これはアニマルも同じである。罪の意識のある人たちにとって、罪を知らない人たちの立ち上がりは恐ろしい。

‘罪悪感を国民に植え付けるプログラム’ (WGIP: War Guilt Information Program とは、大東亜戦争後の昭和20(1945)年からサンフランシスコ講和条約発効によって日本が主権回復を果たした昭和27年までの7年間の占領期間に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が占領政策として行った、戦争への罪悪感を日本人の心に植えつける宣伝計画ですが見事に失敗しました。カエルの面に水でした。わが国からは戦争犯罪人は一人も出していません。意思の無い人間に罪の存在を理解させるのは難しいからです。従ってわが国の全ての宗教は罪と距離をおいたところに存在します。罪の意識に苛まれる病める魂の持ち主を救済する必要がないからです。日本人には贖罪の必要がないのです。    

 

>どういう言論統制があったのか。   

>タブーを無くして見直す必要がある」と指摘した。   

 

自由とは意思の自由のことである。だが、日本人には意思がない。意思がなければ自由そのものにも意味がない。だから、不自由を常と思えば不足なしとなる。そして、昔の儘の生活を続けている。   

 

>そのうえで、「日本の近現代史を全部美化しようとは思っていないが、あまりにも評価が自虐的過ぎる。   

 

日本人には罪がない。罪の話は自虐につながる。だから深刻な反省は得られない。   

善人ばかりの国で善人が悪いことをする。それは出来心 (私意・我儘・身勝手) からである。性善説の国日本。意思がないので大人の顔は天真爛漫としている。   

空があんなに青いのも、電信柱が高いのも、郵便ポストの赤いのも、みんなあたしが悪いのよ。

皆が罪びとのキリスト教国。人々には意思があるので罪の意識から逃れられない。謝罪・贖罪はいつまでも続く。大人の顔は後ろめたい顔つきになっている。       

 

>いい部分と悪い部分両方あったはず。   

 

いい部分と悪い部分を一生懸命に考える。それが序列メンタリィティの持ち主の情けないところですね。   

 

>光の部分をしっかり若者に教えていけば、十分に日本人は誇れるものを持っていると思う」と語った。   

 

そうですね。     

「日本ヨイ國、キヨイ國。世界ニ一ツノ神ノ國。日本ヨイ國、強イ國。世界ニ 輝クエライ國。」 國民學校修身敎科書『ヨイコドモ 下』より 1941  

 

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        

英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。   

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)     

 

 

 

 

 


織田昌大氏  

2025-08-31 17:25:28 | 文化

Kangnamtimes   「米国の逆鱗など歯牙にもかけず」インド石油業界、ロシア産原油輸入を継続 代替原油あれど駆け引きで負けぬ姿勢鮮明   >織田昌大によるストーリー・  >6時間・   

>米国が予告した通り、ロシア産原油輸入を理由にインドに制裁的追加関税を課し、合計50%の関税を適用し始めたことを受け、インド石油精製業界は政府の対米強硬姿勢に足並みを揃え、ロシア産原油の輸入を継続する意向を示した。   

>インドの日刊紙『ザ・タイムズ・オブ・インディア(TOI)』と経済紙『エコノミック・タイムズ(ET)』は28日、インド石油精製業界が、米国の高関税が適用開始される前日にこの見解を表明したと報道した。   

>石油精製業界の幹部らは、政府からロシア産原油の輸入停止を指示する公式命令を受けたことはないとし、政府がロシア産原油輸入を中断する可能性は極めて低いと発表。   

TOIによると、幹部らは、ロシア産原油の9月の輸入注文が例年平均を下回っているものの、これはロシア産原油の割引幅が、昨年のバレル当たり2.53ドル(約367441円)から1.51.7ドル(約220249円)に縮小したためだと説明しているという。    

>ある幹部は「政府のメッセージは『国益優先、商売は二の次(country first, commerce later)』だ」と述べ、個別企業の一時的な経済的困難よりも対米関税交渉が優先されるべきだとの立場を表明した。   

 

そうですね。   

 

>業界幹部らは、インド政府が米国のロシア産原油輸入中止圧力に屈すれば、さらなる圧力に直面することになるため、対米強硬姿勢を維持していると分析。   

 

インドもアメリカもため口社会ですからね。やられたらやり返すですね。お互いに議論のできる同士ですね。 [ため口: 相手と対等の立場でものをいうこと]  

 

>また、インドのナレンドラ・モディ首相やスブラマニヤム・ジャイシャンカル外務大臣、ピユシュ・ゴヤル商工相などの政府要人が、米国の要求に屈するのではなく、対抗姿勢を通じて輸出企業を支援することを選好していると付け加えた。   

 

彼らには自主独立の気風がありますね。   

 

>さらに、ロシア以外の地域には豊富な原油があり、価格面でも有利な場合が多いため、ロシア産原油の輸入を中断することも可能だが、米国の圧力に屈するのは望ましくないと強調。   

 

そうですね。議論で負けるのはインド人らしくありませんね。彼らは常に雄弁ですから。      

 

>非ロシア産原油への輸入に急速に切り替えたとしても、世界の原油価格への影響は軽微で短期的なものにとどまるだろうと説明した。   

>別の幹部は「(インド側がロシア産原油の輸入を中断したとしても)原油の供給網は速やかに適応するだろう」と述べ、「ロシア産原油は世界市場に留まり、需要と供給のバランスは崩れない」と語った。   

>一方で、TOIが掲載した記事のコメント欄では、現地ネットユーザーの大多数が「米国の圧力に屈すべきではない」との反応を示している。   

 

国民ももちろん自主独立ですね。彼らは確かな印欧語族ですね。      

 

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        

英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。   

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)