>「期待する人材が出てこない」
>京都先端科学大学は4月1日に名称を京都学園大学から変更した。>2018年3月に永守氏が大学を運営する学校法人京都学園(現・永守学園)の理事長に就任。>100億円を超える私財を投じ、同大の改革を推し進める。
永守氏は大した意気込みですね。
>永守氏が大学教育に一石を投じる背景には、今までの大学教育で「期待する人材がまったく出てこなかった」ことがある。
どのような人材を期待したのでしょうかね。
>永守氏は具体的な不満を次のように例示した。
>「(大学を)卒業しても英語も話せない。
英米では、子供でも英語は話せますからね。
>経済学部を出ているのに、企業の経理に回されても決算書さえ作れない」。
経理学校出身でないと決算書は作れないのではないでしょうか。
>さらに永守氏は「多くの企業家はそんな人材を生み出す今の大学教育に失望している」「今の大学は偏差値とブランド主義に凝り固まっている」などと述べ、大学教育がいかに社会の変化に対応せず名ばかりになっているかを指摘した。
大学教育に実業学校の機能を期待するのはお門違いでしょうね。わが国は序列社会ですから、人々にはその序列順位が気になる所ですね。もちろんそれは名ばかりです。
>今年度から京都先端科学大学では、学生の実践的な英語力向上のために通信教育大手ベネッセグループ傘下の外国語学校「ベルリッツ・ジャパン」から講師を受け入れる。 >2020年度には工学部の設置を計画しており、京都市内にある太秦キャンパスでは新学部向けなどの新校舎が建設ラッシュだ。
大学を職業学校に改造する計画はやらない方が良いでしょうね。大学教育の方向がゆがみますね。
>永守氏はさらに日本電産の主力製品であるモーターについても言及。>これからエンジンではなくモーターがさらに必要となる電気自動車時代を見据えて、「日本電産は世界最大のモーターメーカーだが、そのモーターの技術を学べる大学はどこにあるか」と大学の教育カリキュラムが実需に合っていないことも指摘した。
実業が実需に合わせる努力をすべきですね。大学は、人間作りに専念すべきでしょうね。
>設置を計画する工学部でもモーターを学べるカリキュラムを用意する予定だ。 >既存の大学からは永守氏の発言を大学教育のあり方を理解していないとの異論も出る。
そういうことになるでしょうね。
>京都大学のある専任教員は「人としての成長や基礎研究についてのインプットも大学教育では求められる。
そうですね。大学は、新しい考えを求めていますね。全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。ですから、大学は論文作りを学ぶところです。論文ができれば、学生は学士・修士・博士 (Doctor of Philosophy, Ph. D., 哲学博士) などとなることができます。だが、わが国には、問題もあります。
‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’( グレゴリー・クラーク)
用意周到に考察された考えは哲学となります。宗教に関する考えは宗教哲学となる。歴史や政治に関する考えは、歴史哲学・政治哲学となります。科学に関する哲学は科学哲学、人生に関する哲学は人生哲学、などなどになります。だが、わが国には、
'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)
わが国の高等教育の問題点は、無哲学・能天気の国民性の為に哲学の教育ができないことです。それで、英米流の高等教育 (大人の教育) がわが国では空回りしています。だから、子供のような大人が出来上がります。
‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)
わが国の大学が無用の長物となっているので、色々と大学の転用計画が持ち上がるのでしょうね。
>実業教育に特化するのはいかがなものか」と主張する。
そうですね。実業学校・職業学校こそ実業教育に特化すべきところですね。それにも目もくれずに大学を実業教育に転用するのは不適当なことですね。
>関東トップ私大の元学部長も「昔は企業が大学教育で余計なことをせずに『真っ白な』人材を出せと求めていたのに、(経済)成長が持続しない時代で企業が社内教育にコストをかけられなくなったからといって大学に人材育成の責任を転嫁している」と反論する。
社内教育は、会社の社内ですることですね。しかし、わが国の大学から真っ白な人材が出るのはいつごろになるのでしょうかね。今こそわが国のインテリの自覚が必要な時ですね。
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