日本人は無哲学・能天気であるから、インテリは仕方なく西洋の哲学者の受け売りをして知識人らしく振る舞うことが仕事になる。日本人にはそれしかない。
イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。
評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)
自己に ‘あるべき姿’ (things as they should be) の内容がないということは大変不便なことで、現実 (things as they are) から絶対とすべき内容を借りてこなければならなくなります。
山本七平は、<ある異常体験者の偏見>の中で、絶対化について述べています。「日本軍が勝ったとなればこれを絶対化し、ナチスがフランスを制圧したとなればこれを絶対化し、スターリンがベルリンを落としたとなればこれを絶対化し、マッカーサーが日本軍を破ったとなればこれを絶対化し、毛沢東が大陸を制圧したとなればこれを絶対化し、林彪が権力闘争に勝ったとなれば『毛語録』を絶対化し、、、、、、等々々。常に『勝った者、または勝ったと見なされたもの』を絶対化し続けてきた―――と言う点で、まことに一貫しているといえる。」と述べています。
日本人は現実しか認めることができない。そして、その現実は千変万化する。だから捉えどころのない主張になっています。これでは、日本人は相手から信用を得ることはできませんね。現実内容を絶対 (非現実) の内容にしていますので、日本人にとってはこれが唯一の真実の道です。
‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)
日本人が政治音痴であるのは、政治哲学を持たないからである。無哲学・能天気であっては、政治指導者は我々の未来における行き着く先を明白に語ることはできない。だから、常に目先・手先の雑事に囚われて気をもんでいる。指導性に欠けている。
世界観がないので、政治家は哲学による結束をしない。政治家には現実的な都合により離合集散を事とするものが多くいる。これは、手段の目的化であって本質には近づかない。
意思の無い人には責任もない。ちょうど、死刑執行人のようなものである。彼らは、人が死んでも殺人罪に問われることはない。彼らには殺意というものがないからである。
わが国には、意思を主体とした責任というものが存在しない。だから、社会は ‘とかくこの世は無責任’となっている。
個人の意思の力に社会的な権力を持たせることによりその個人は社会に大きな力を発揮することができる。だが、意思の無い社会においては ‘責任はただの義務’ となり、指導者による解決の手段となることもなく責任者に指名された個人は牛馬の苦しみを味わうことになる。
肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。
徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)
自己の意思を示す人は、当事者・関係者になる。自己の意思を示さない人は、傍観者にとどまる。高みの見物人というか、孤高の人である。意思を持たない日本人は、元来当事者能力に欠けている。
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