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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

比較の問題

2020-04-04 22:59:36 | 社会

>349428 批判を疑え~神戸女学院のコピーより  >田野健 HP ( 58 設計業 )  19/09/17 PM09 【印刷用へ】
>阪急電車の吊り広告に神戸女学院大学の出す言葉がおもしろい。 > 今出しているのは「批判を疑え」 > ~リンクよりお借りしました。
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>批判を疑え。 >だれかを批判しているとき、無意識に、じぶんが偉くなった気分になっているのは、なぜだろう。

何事も比較の問題ですね。 ‘現実’ 対 ‘現実’ の批判ですね。すると、’上と見るか・下と見るか’ の判断になりますね。欠点を述べる側が上で、それを受ける側が下ということになりますね。欠点を述べていれば自分が偉くなったような気がするでしょう。そのために相手の欠点を述べているのではありませんか。

>いつのまにか批判が、非難になっているのは、なぜだろう。

批判よりも非難の方が序列関係を明確するのに役立ちますね。 

> 反対のための反対ではなく。>この現実を、すこしでも良くするための批判になっているだろうか。

建設的な提案には価値がありますね。 

> 「まだ知らないことがある」って謙虚さから、「ほかの視点もあるかもしれない」って、しなやかさが育まれるように。 

考えの内容は、人人によりみな違いますからね。正解は一つではない。多数ある。対話・議論を盛んにして優れた考えを選び出そう。

>この世界が完璧じゃないかぎり、足りないところなんて、いくらでもあるのだから。

そうですね。私たちの頭の中の内容だけが完璧ですからね。その完璧な内容も時々変化することがありますね。

>それを見つけただけで得意げになるか。 >どうすれば良くできるだろう、と前向きになるか。

我々には建設的な態度が必要ですね。

> 野次馬ではなく、当事者でいるために。 >私たちは、学びつづける。 > 私はまだ、私を知らない。 > 神戸女学院大学 

そうですね。私たちは当事者にならなくてはなりませんね。

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> なぜ人は学ぶか? 

我々は、 ‘考える人’ にならなくてはなりませんね。

>それは常に世界が完璧ではないからであり不十分だからであり、自らも足りないところだらけだからである。

そうですね。完璧な世界 (非現実) は私たちの頭の中だけにしかありませんからね。

>だから批判をしている時は危険だと戒めている。

世界観 (world view) というものがあって、その中に自分の ‘あるべき姿’  (非現実) が存在する。あるべき姿と現実の内容を比較して論ずれば批判精神 (critical thinking) の持ち主になれます。
だが、日本人には世界観がない。非現実の世界は、時制のある文章内容として表現されなくてはならない。しかるに、日本語の文法には、時制 (tense) というものがない。だから日本人の脳裏には非現実の内容がない。あるべき姿がないから現実があっても批判精神がない。それで、メディアであっても現実の内容をただ垂れ流すだけにおわっている。だから、わが国には有力紙というものが存在しない。
批判精神のない人が現実を批判するのは奇妙なことである。きっと個人的な苦情を述べているに違いないのでしょう。

> 最後に私はまだ私をしらないというメッセージ。

‘我々は何者であるか’ は、良く知られた哲学的命題ですね。考える価値のある命題ですね。

>これは無能の自覚という事ではないか?

‘自分は何にも知らない’ ということを自覚するだけでも大したことでしょうね。

>自ら無能だから学び、「どうする」を考える当事者で居られる。

自己の意思を表明すれば、当事者・関係者となる。表明しなければ傍観者にとどまる。日本人には意思がない。だから当事者になることは難しい。孤高の人になりやすい。

>批判している時は傍観者で、無能の自覚はない。

意思は未来時制の文章内容である。しかし、日本語文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本人には意思 (will) がない。それで、日本人は優柔不断・意志薄弱に見える。積極性がない。苦情を述べている人は、孤高の人である。
 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)
意思の無い日本人はなぜ動くのか。それはアニマルと同じである。恣意 (私意・我儘・身勝手) 的に動くのである。だから、リーズン (理性・理由・適当) がない。そして、説明責任が取れない。この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。



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機嫌取り 2/2

2020-04-04 17:31:38 | 社会

>  会談翌日の新聞各紙は朝刊・社説で「“5月決着”できるのか」(毎日)、「5月決着は実現できるのか」(読売)、「たった10分の日米首脳外交でいいのか」(日経)、「鳩山首相にもう後はない」(朝日)と書き立てた。>報道記事でも「首相責任論焦点に」(日経)「普天間五月決着絶望的」(朝日)と報道。 

各紙の日米首脳外交に対する建設的な提案には意欲が無いのですね。

>『産経』も「このままでは同盟関係が空洞化し、日本の平和と繁栄が損なわれかねない」とし「首相は昨年11月の日米首脳会談で、“私を信頼してほしい”と大統領に約束しながら、決定を先送りした」と報道した。

鳩山首相にはアメリカの信頼がないのですね。’民信無くば立たず’ ということでしょうね。

>  岡田外相はルース駐日米大使に電話をかけ実務者協議入りを依頼したが、ルースは拒否。>鹿児島県徳之島にヘリ部隊の一部を移転するなどとした日本側の移設案は、受け入れ先自治体の同意を得る見通しが立っていないとした。>  米紙ワシントン・ポスト(14日付)は核安保サミットに関連して「このショーの最大の敗北者は断然、哀れでますますいかれた日本の鳩山由紀夫首相だった」と酷評。

鳩山首相は、アメリカが対話するほどの価値のある人物とは評価されなかったのですね。

>「首相は夕食会の席での非公式な会談が慰めとして与えられただけだった」。>そして「ますますいかれた」との表現は、「オバマ政府高官たちの評価」だとした。

鳩山首相の発言は支離滅裂だったのでしょうかね。

>  民主党の渡部衆院副議長は、普天間基地問題で「(日米で合意した移設先を)全然別なところに持っていけると考えていた人たちが間違いだ」と発言。

わが国の首脳は、勝手な解釈をしていたのでしょうね。論理的な解釈ではなかったのですね。

>民主党内からは民主党総裁を菅直人副総理や仙石由人国家戦略相にすげ替える声も浮上し始めた。

総裁の首を何回挿げ替えても、我が国民のメンタリィティはそれほど変わった内容にはならないでしょうね。

>社民党の重野幹事長も、米軍普天間基地の五月末決着について、「いえばいうほど、そうならなかったときにどうするかという度合いが強くなる」と鳩山の責任論に言及した。

口先だけではどうにもなりませんね。実行を伴わない発言は時間の空費ですね。

>  また自民党の谷垣総裁は「鳩山首相自身が五月末までに政府案を決め、現地(移設先)と米国側の了解も取ると明言してきた。 >解決しなければ当然退陣するべきだ」と強調。 

国民に向かって空手形を振り出すのは良くないですね。かつての大本営発表のようなものか。

>そして核安保サミットの非公式会談をめぐって「米国から相手にされず、首相としての当事者能力を失っている」と批判。 >  メディアも各政党も一致して「アメリカから認められない首相は終わり」という対応である。

わが国の首相は、アメリカのお墨付きばかりが身の上ですね。日本人からも信頼されていないのでしょうね。

>日本の首相はアメリカが任命する役人であり、日本国民の首相であってはいけないというのだ。

日本人は、自分自身の考えがないからですね。相手方の言うとおりにする。あい変わらずの日本人の卑屈な態度ですね。’上と見るか・下と見るか’ の序列作法に専念している様子がうかがわれますね。機嫌取りも作法の一種なのかもしれませんね。

>自民党も民主党も社民党も、どの政党もアメリカの機嫌ばかりを伺って、基地などなくして独立せよという国民の意志を代表するものはいないという現実である。

序列人間には、自主・独立の精神は敬遠されていますね。あくまでも序列を求める根性ですね。伝統的な他力本願・神頼みか。

>これが戦後の日本社会をデタラメに破壊している構造なのだ。

各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy. 政治家に政治哲学は必要である。そうでなければ夢遊病者のような国になる。 

(略)



機嫌取り 1/2

2020-04-04 16:58:23 | 社会

>230614 マスコミ、各政党のアメリカの機嫌取りが戦後の日本社会をデタラメに破壊している構造1>彗星 ( 中年 )  10/04/24 PM07 【印刷用へ】
>【長周新聞】より『米国に認められぬ首相はクビ 普天間基地問題 政党もメディアも大合唱 2010年4月16日付(リンク)』 の記事を転載します。

‘一億一心’ に大合唱するのですか。いかにも日本人らしいですね。

>「自民党も民主党も社民党も、どの政党もアメリカの機嫌ばかりを伺って、基地などなくして独立せよという国民の意志を代表するものはいないという現実である。

‘おもてなしの心’ というやつですね。
日本人には意思がない。だから、’意思を代表する’ など思いもかけぬことである。
日本人は、ただ自分の思い思いに歌を詠む。ただそれだけである。無哲学・能天気である。後には何も残らない。ああ、むなしい。

>これが戦後の日本社会をデタラメに破壊している構造なのだ」という政治家、マスコミの報道、主張が国をだめにした原因と主張。

無哲学・能天気が国を駄目にしている原因ですね。このことは、何処まで行っても変わらない。

>確かに、その通りだ。 >---------------------------------------------転載
>普天間基地問題をめぐって民主党政府が右往左往している。 >鳩山政府は巨大新基地をつくってやるという大サービスをしたが、アメリカはそれも拒絶している。

巨大新基地は用意周到に計画された内容ですかね。

>そこでメディアは一斉に「アメリカに認められない鳩山政府は終わりだ」と騒ぎ立てている。

メディアは、忖度 (推察) の機能を働かせているわけですね。メディアは騒ぎが好きですね。

>自民党はもとより、国民新、社民、民主党内部などからも「首相は退陣せよ」といい始めた。

無哲学・能天気の空騒ぎですね。

>沖縄をはじめ日本全国の国民の世論は、「全土の基地化どころか、いい加減に米軍基地はなくしてしまえ」であり、「日本は独立しなければ大変なことになる」「巨大新基地をつくってやってあと何十年居座らせるつもりか」である。

そうですね。人間には、自主独立の心構えが必要ですね。 

>これらの騒動は、日本の首相、各政党、メディアなどはアメリカの道具であり、日本国民を少しも代表していないことを暴露している。

彼らは、主義・主張により結党する人たちのようにも見えませんね。そうであれば、道具にしかなれませんね。

>鳩山内閣がどうなるかの中心問題は、日米同盟問題である。 >ここで、政党、メディアなどは少しも当てにはならない。

政党・メディアは、国民の意見を反映させていないのですね。

>大衆自身が行動しなければならないとの世論が強まらざるをえない情勢である。

大衆の主義・主張のない行動ですね。世論の指導者は見あたらないですね。

>  核安全保障サミットに先だって13日(現地時間12日)、非公式の日米首脳会談がおこなわれた。 >といっても鳩山首相が夕食会でオバマ米大統領の隣に座り10分間雑談しただけ。 

簡単な雑談でしたね。

>そこで「日米同盟が大事だ。その考え方の中で普天間移設問題を努力している」「五月末までに決着する」と必死のモーションをかけた。

鳩山首相のあまり当てにはならない発言ですね。

>  だがオバマはイランの核問題で制裁決議に協力するよう要求し、普天間問題は「きちんと責任を取れるのか」と現行計画の履行を迫っただけで一蹴。
>これを前後して新聞各紙が「鳩山政権は終わりだ」と大騒ぎを始めた。

各紙は大騒ぎが得意なようですね。理路整然とした政策の解説には熱意がないのでしょうね。



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