・>【ワシントン時事】「希望の同盟へ」と題した安倍晋三首相の米議会演説は、「未来志向」を前面に出し、先の大戦への「痛切な反省」は表明したものの「おわび」はしなかった。演説は、首相が夏に発表する戦後70年談話につながるとして注目されていた。戦後50年の村山富市首相談話を引き継ぐかどうかは明快でないため、首相の歴史認識をめぐり警戒を緩めない中韓両国はもちろん、米側の懸念も払拭(ふっしょく)したとは言い難い。
中韓米は、我が国のもっとも身近な外国である。中韓の警戒を解き、米の懸念を払しょくすることこそが、我が国にできる最重要の平和貢献である。安倍首相は、今回の米議会演説において、この目的を達成することができなかった。確たる歴史認識の基礎の上に立つ未来志向でなければ、構想自体への信頼も揺らぐ。歴史認識の抜けた未来志向は空想になる。信なくば立たずに例外は無い。
・> 真珠湾、バターン・コレヒドール、サンゴ海―。首相は、太平洋戦争で多くの米兵が血を流した激戦地に触れながら、「悔悟」の気持ちを表明。一方で「自らの行いがアジア諸国民に苦しみを与えた事実から目を背けてはならない」と強調したが、村山談話が示した「植民地支配と侵略」への謝罪は口にしなかった。
事実に意義を見出す者は、決して目を背けることはない。
謝罪を求める者には、謝罪を与えなくてはならない。だが、凡人には、これはできないこと。
意思が無ければ、罪 (加害者) の意識も無い。罪の意識が無ければ、謝罪も満足にはできない。そのような相手から未来志向の内容を聞かせられても、信じられない。
意思は未来時制の文章内容である。日本語には時制が無い、日本人には意思の内容が無い。
意思のない人の謝罪は、どんなものか。漫画 (caricature) になるか、自虐になるか。
・> 演説に先立ち米側は、中韓との緊張を緩和するため村山談話の継承を明確にするよう促していた。これに対し、日本政府高官は「反省は絶対に入るが、おわびは入らない」と明言し、「謝罪は繰り返さない」との首相の信念を代弁していた。
米国は、我が国の最大の友好国である。今回、米国からのわざわざ先だってなされた ‘中韓との緊張緩和’ に関する助言に応じなかったことは、日本側の最大の不幸である。友人を大切にしなければならない。平和国家の看板が泣く。信なくば、立たず。パール・ハーバーのようなものか。アメリカは、初めから知っていた。日本人は、わかっちゃいるけど、やめられない。だから、今後もポチは鎖で繋ぎ止めておかなくてはならない。
・> 首相は、祖父の故岸信介元首相が1957年に米議会で行った演説を手本にした。岸氏も先の大戦への謝罪には触れず、東西冷戦のまっただ中で「米国との提携こそ最も重要」と説いた。首相も岸氏の演説を引用し、「日米同盟を強くしなくてはならない」と訴えた。
首相は、釈迦如来の手のひらの中で得意になっている孫悟空のようなものか。世界観がないので、世界規模の貢献がない。だからポチになる。
・> 27日に日米両政府が合意した防衛協力の指針(ガイドライン)再改定は、米国の利益にも合致する。このため首相は、歴史認識で踏み込まなくても米側に不満はないと計算したとみられる。ただ、中韓両国は引き続き戦後70年談話の行方を注視しており、歴史問題が尾を引くのは確実だ。
時事通信 4月30日(木)1時18分配信
過去の内容から学ばぬ者は、未来のかじ取りを誤る。だから、人々は、個人の歴史認識に強い関心を持っている。過去を固めれば、未来もおのずから固まる。国際的に団結できる。協力できる。
歴史認識は哲学である。国際協力の基礎をなす重要な内容である。無哲学・能天気の国民には無縁と見える。この現状は、我が国のアキレス腱となっている。この国がひっくり返った時にも責任者は出なかった。とかく、この世は無責任。安らかに眠ってください。過ちは、繰り返しますから。
友好国・米国の助言を無視する者は、中韓両国との平和主義にも専念することも難しい。孤立無援の世界の中で戦う我が国の姿は、先の戦いの二の舞になる。我が国は、哀しからずや。
安倍首相は、中韓米の要求を受け入れよ。謝罪を明確にせよ。
これができるのは、日本の首相だけである。国民ではない。
万世の為に太平を開け。
国際社会に、彼の存在感を示せ。
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中韓米は、我が国のもっとも身近な外国である。中韓の警戒を解き、米の懸念を払しょくすることこそが、我が国にできる最重要の平和貢献である。安倍首相は、今回の米議会演説において、この目的を達成することができなかった。確たる歴史認識の基礎の上に立つ未来志向でなければ、構想自体への信頼も揺らぐ。歴史認識の抜けた未来志向は空想になる。信なくば立たずに例外は無い。
・> 真珠湾、バターン・コレヒドール、サンゴ海―。首相は、太平洋戦争で多くの米兵が血を流した激戦地に触れながら、「悔悟」の気持ちを表明。一方で「自らの行いがアジア諸国民に苦しみを与えた事実から目を背けてはならない」と強調したが、村山談話が示した「植民地支配と侵略」への謝罪は口にしなかった。
事実に意義を見出す者は、決して目を背けることはない。
謝罪を求める者には、謝罪を与えなくてはならない。だが、凡人には、これはできないこと。
意思が無ければ、罪 (加害者) の意識も無い。罪の意識が無ければ、謝罪も満足にはできない。そのような相手から未来志向の内容を聞かせられても、信じられない。
意思は未来時制の文章内容である。日本語には時制が無い、日本人には意思の内容が無い。
意思のない人の謝罪は、どんなものか。漫画 (caricature) になるか、自虐になるか。
・> 演説に先立ち米側は、中韓との緊張を緩和するため村山談話の継承を明確にするよう促していた。これに対し、日本政府高官は「反省は絶対に入るが、おわびは入らない」と明言し、「謝罪は繰り返さない」との首相の信念を代弁していた。
米国は、我が国の最大の友好国である。今回、米国からのわざわざ先だってなされた ‘中韓との緊張緩和’ に関する助言に応じなかったことは、日本側の最大の不幸である。友人を大切にしなければならない。平和国家の看板が泣く。信なくば、立たず。パール・ハーバーのようなものか。アメリカは、初めから知っていた。日本人は、わかっちゃいるけど、やめられない。だから、今後もポチは鎖で繋ぎ止めておかなくてはならない。
・> 首相は、祖父の故岸信介元首相が1957年に米議会で行った演説を手本にした。岸氏も先の大戦への謝罪には触れず、東西冷戦のまっただ中で「米国との提携こそ最も重要」と説いた。首相も岸氏の演説を引用し、「日米同盟を強くしなくてはならない」と訴えた。
首相は、釈迦如来の手のひらの中で得意になっている孫悟空のようなものか。世界観がないので、世界規模の貢献がない。だからポチになる。
・> 27日に日米両政府が合意した防衛協力の指針(ガイドライン)再改定は、米国の利益にも合致する。このため首相は、歴史認識で踏み込まなくても米側に不満はないと計算したとみられる。ただ、中韓両国は引き続き戦後70年談話の行方を注視しており、歴史問題が尾を引くのは確実だ。
時事通信 4月30日(木)1時18分配信
過去の内容から学ばぬ者は、未来のかじ取りを誤る。だから、人々は、個人の歴史認識に強い関心を持っている。過去を固めれば、未来もおのずから固まる。国際的に団結できる。協力できる。
歴史認識は哲学である。国際協力の基礎をなす重要な内容である。無哲学・能天気の国民には無縁と見える。この現状は、我が国のアキレス腱となっている。この国がひっくり返った時にも責任者は出なかった。とかく、この世は無責任。安らかに眠ってください。過ちは、繰り返しますから。
友好国・米国の助言を無視する者は、中韓両国との平和主義にも専念することも難しい。孤立無援の世界の中で戦う我が国の姿は、先の戦いの二の舞になる。我が国は、哀しからずや。
安倍首相は、中韓米の要求を受け入れよ。謝罪を明確にせよ。
これができるのは、日本の首相だけである。国民ではない。
万世の為に太平を開け。
国際社会に、彼の存在感を示せ。
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