>286303 つづき
>文部科学省側は正直、きょとんとした表情であり、答弁としても「これまで産業界にもヒアリングを繰り返している」「産業界の中でも議論は収斂していないと承知している」といった内容のものに終始していた。>私のみならず、この「レビュー」の審判である評価員たちからも不満の声が漏れたのは言う までもない。
それでも、事業の責任者は安泰なのでしょうか。
> 特に「グローバル人材育成事業」については私自身、この事業の実施母体として採択された複数の大学が現場でレヴェルでどのような作業をしてきたのかをつぶさに見てきた経緯がある。>その時の様子を今回の「行政レビュー」の場でも文部科学省側にぶつけてみた。 > 「ある大学は『申請したら、思わず通ってしまった』とてんやわんやの大騒ぎ。
関係者は事業に対して冷静沈着ではいられないのですね。
>担当教官が決まるまで実に3か月もかかっていた」
申請の前に予定担当教官の承諾をあらかじめ取っておくとよいですね。行き当たりばったりは良くないですね。
> 「また他の大学では最初は外部有識者の意見も聞いていたが、採択され、資金が国から入って来るとなった途端に内向きな議論に終始し始め、結果的に外国からの留学生の受け入れ担当に仕事を押し付けつつ、特任准教授を雇って一任することでお茶を濁していた」
お茶を濁すという表現が気になりますね。真面目な感じがしない。
> 「結局、大学の先生方は『研究者として英語でコミュニケーションできる学生が育てば良い』と考えている。とある大学でははっきりとそう言っていた」
今更の感じのする発言ですね。それが事業の目的ですか。いままでやってきたこととどこが違うのですか。
> 文部科学省の担当者たちもある意味、可哀想ではある。>我が国における現在の大学教育システムを見る限り、「大学の自治」をかざされると文部科学省の出る幕はない。
大学のことは大学に任せたらよいですね。大学の自治の確立が必要ですね。
>彼らは予定調和で書かれた申請用紙を見比べ、補助金申請の判子を押しているだけなのだ。>そのため、現場レヴェルで一体何が起きているのか分からないのである。
彼らは盲判を押したのですね。
>それに産業人財は「経済産業省」の所管であり、彼らの仕事ではないのである。
それは産業界の問題ですね。経済産業省の責任者の仕事ですね。
>だが、産業人財としてのグローバル人財こそ、財政窮乏にあえぐ我が国では求められているのであって、ここにこの仕事を文部科学省が大学を現場にして行うことの最大の矛盾がある。
そうですね。産業人材のことは経済産業大臣の専任事項でしょう。
わが国の産業界は、海外から多数のグローバル人材を招き入れるべきですね。そうしたら、わが国の若者とも切磋琢磨することができます。彼らは海外に行く必要はない。国内で研修が可能になります。わが国には、産業がある。だから、まず産業界が外国人に心を開くべきですね。有能な外国人を大量に国内に雇い入れる努力をしなくてはならない。外国人と知り合いになれば、わが国の若者はどのような大学に行くことが自分の為になるかを知ることになる。自信がついたら、日本人も自主的に海外に出かけてゆくと良い。それが正しい産業人の発展の道になるはずです。
> 「現状のデータを見る限り、学生たちが1年間留学するのに1000万円も国費が使われていることになる。 >一体何をもって成果といっているのか。>指標を示せないのならば、正に無駄というべきなのではないか」
全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。留学の成果は論文でなくてはならないでしょうね。他のものが出てきたら理に合いませんね。高等教育の成果は論文の内容しかありませんからね。
> 「留学させなければグローバル人財は出来ないということは、要するに我が国の大学そのものが当事者能力を失っているということなのではないか。
そうですね。わが国の大学は、欧米の高等教育の成果を上げる力がありませんね。
‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)
だから、留学がわが国の国策になるのでしょう。わが国の学生は、わが国で働く外国大学の卒業生から直接やり方を教えてもらうのが早道です。社交術が必要ですね。
>本当にそれで良いのか」 > 私だけではなく、評価員たちからも矢のような質問が飛んだ。(後略)
現状が良くないから海外に助けを求めているのでしょう。’他力本願・神頼み’ は良くない。産業界の人は、もっとグローバルな態度に変身すべきです。
>引用おわり
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