goo blog サービス終了のお知らせ 

gooブログはじめました!

日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

高森明勅氏  

2025-08-21 05:07:07 | 文化

>プレジデントオンライン   >80年前の終戦は異常づくしだった天皇の「聖断」と「玉音放送」が必要だった理由と伏せられた言葉   >高森明勅によるストーリー・   >15時間・   

() 

>「80年」という歳月の長さ   

>その終戦からすでに80年もの歳月が流れた。   

>この歳月の長さは、終戦の年から時間を同じ80年分だけ昔にさかのぼらせると、ある程度は実感できるかもしれない。   

>昭和20年(1945年)から80年さかのぼると、いつか。   

>慶応元年(1865年)になる。   

>幕末激動の時代にあたる。   

>当時の天皇は、明治天皇の父宮にあたる孝明天皇で、江戸幕府の将軍は徳川家茂(いえもち)だった。   

>“不平等条約”とされる欧米各国との修好通商条約の勅許(天皇の許可)が、ようやく得られたのがこの年だった。   

>それから大政奉還・王政復古、廃藩置県、明治憲法の制定、日清・日露戦争、第1次世界大戦への参戦、関東大震災……と、昭和20年(1945年)までに数多くの出来事があった。   

>それに匹敵する月日が終戦以来、流れたことになる。   

>「聖断」と「玉音放送」の異例さ   

>これだけ長い歳月を隔てると、あの時の「終戦」が当たり前の出来事だったかのように見えるかもしれない。    

>朽ち果てた大木が自然に倒れるように、わが国は終戦を迎えた、と。   

>だが当時の実情は、決してそのような生やさしいものではなかった。   

>あの時点で、首尾よく戦争を終わらせることができるか、どうか。   

>まったく予断を許さない険しい場面だった。   

>そのことのハッキリした証拠は、戦争終結を意味する「ポツダム宣言」の受諾を決定するために、明治憲法が予想していなかった天皇ご自身の決断(いわゆる「聖断」)が必要だった事実だ。   

>それに加えて、「終戦の詔書」を昭和天皇ご自身が読み上げ、それを録音したお声がラジオで放送された事実自体が、あの終戦の“異常さ”を何よりも雄弁に物語っている。   

>憲法に制約される天皇    

>しばしば誤解されがちだが、明治憲法のもとでも、天皇が独断で恣意的な専制政治を行うことは、困難な体制が築かれていた(鳥海靖氏『日本近代史講義』、鈴木正幸氏『国民国家と天皇制』など)。   

 

そうですね。恣意は危険ですからね。   

 

>行政権については、国務大臣(内閣)の「輔弼(ほひつ)」という名の同意を必要とし(第55条)、立法権についても、帝国議会の「協賛」という名の同意が欠かせなかった(第5条)。   

>司法権にいたっては、「天皇の名」において裁判所が独自に行使した(第57条)。   

>具体的には、たとえば先の大戦の開戦にあたっても、当時の東條英機内閣の閣僚が全員一致して開戦の方針を固めたので、昭和天皇はそれを追認したという順序だった。   

>明治憲法には、戦争の開始および終結を天皇の権限と規定している(第13条)。   

>しかし、それも国務事項として内閣の「輔弼」が必要だった。   

>そのことは、“宣戦”や“講和”の詔書にはどれも、内閣総理大臣や閣僚の副署がある事実からも明らかだ。   

 

天皇の暴走は困りますからね。   

 

>ところが80年前の終戦に際しては、連合国が日本に降伏を呼びかけたポツダム宣言の受諾をめぐって、たやすく関係者の意見の一致を見ることができなかった。   

>とくに、それを受諾してもこれまでの皇室による立憲君主制(当時の用語では「国体」)を維持できるかどうかの見通しについて、深刻な意見の対立があった。   

>「国体」を確実に守れるのでなければ、ポツダム宣言を受諾すべきではない、つまり戦争継続という声も強かった。   

>天皇ご自身による聖断は“禁じ手”    

>すでに多くの犠牲者を出した戦争なので、対処の仕方を誤ると、不満を抱く軍人によるクーデターすら起こりかねない。   

>危うい局面だった。   

>広島・長崎への原爆投下や、ソ連がいまだ有効だった中立条約を一方的に破って参戦しても、陸軍内部の抗戦への意志はなお根強い。   

>単純多数決などでは決められない状況だった。   

>そこでやむなく浮かび上がったのが、“禁じ手”とも言うべき、昭和天皇ご自身の「聖断」によって合意を図る、というやり方だ。   

>これは本来、法的・政治的な責任の圏外にあるべき天皇(憲法第3条)に、政治上の責任を負わせかねない危険をはらむ。   

>だから、本来ならこのようなやり方はできるだけ避けなければならない。    

>しかしこの場面では、それ以外に意見の一致を確保する方法がほかになかった。   

>このやり方ですら、810日と14日の2度にわたる御前会議で、昭和天皇に2度の聖断をお願いするという、慎重な手続きを踏まなければならなかった。   

>しかし、さすがに聖断の偉力は大きかった。   

 

日本人の序列メンタリィティの強靭さですね。   

 

>御前会議で最後まで反対の姿勢を見せていた阿南惟幾(あなみこれちか)・陸軍大臣は、陸軍省にもどって聖断を伝え「不満に思う者はまずこの阿南を斬れ」と言って、部下たちの反発をおさえた(秦郁彦氏『昭和史の謎を追う(下)』など)。   

>敗戦は君主制を滅ぼす   

>当時、総力戦の敗北が君主制の滅亡に直結することは、昭和天皇も十分にご存じだったはずだ。   

>第1次世界大戦の敗戦国だったドイツ、オーストリア、トルコ(オスマン帝国)の君主制は滅びた。   

>戦争処理を誤ったロシアも同様だ。   

>第2次世界大戦でも敗れた枢軸国側、あるいは枢軸国の制圧下にあった国々は、イタリア、ユーゴスラビア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアなどの君主制が消滅している。   

 

彼らの社会はため口社会ですからね。失敗には厳しいですね。 [ため口: 相手と対等の立場でものをいうこと]      

 

>その上、連合国側のアメリカをはじめソ連、オーストラリア、ニュージーランド、中華民国では、おそらく昭和天皇を好戦的な独裁者とでも見ていたのだろう、その処刑を求める声が高まっていた。    

>このような状況の中で、昭和天皇が「敗戦」の決断を下すことは、皇室の存亡やご自身の安否に直接かかわるので、“ためらい”があっても不思議ではない。   

 

序列の民には序列国家の崩壊が心配事ですね。   

 

>しかし、昭和天皇は迷うことなくポツダム宣言の受諾を決断され、ご態度にいささかの揺らぎもなかった。   

>これは後世から見ると、極めて妥当な唯一の正解ということになる。   

>しかし実際に歴史の分岐点に立って、誤りなくそのような選択ができるためには、自分に降りかかるあらゆる危難を引き受ける勇気と覚悟がなければ、不可能だったはずだ。   

>本当の「聖断の動機」    

>昭和天皇の聖断の動機について、こんな見方がある。   

>「天皇がこだわった『国体』の護持というのは、『万世一系』の皇室を自分の代で終わりにしてはならないということであり、国民の生命を救うのは二の次であった」(原武史氏『昭和天皇』)   

 

日本人は序列の存在を知れば、それが限りなく尊いものであるという思い込みがありますからね。これは日本語文法の階称 (hierarchy) の効果によるものでしょうね。   

 

>しかし上記の状況を客観的に見ると、首をかしげる。   

>現に、昭和天皇ご自身が次のように述べておられた。   

>「当時の私(昭和天皇)の決心は第一に、このままでは日本民族が滅びて終(しま)う、私は赤子(せきし)(国民)を保護することが出来ない。   

>第二には国体護持の事で……故にこの際、私の一身は犠牲にしても講和せねばならぬと思った」(『昭和天皇独白録』)と。   

>ご自分の「一身は犠牲にしても」国民を救うことこそが「第一」の動機にほかならなかった。   

 

国民一人一人も「一身は犠牲にしても」と考えていますからね。これは序列国家の運命ですかね。    

 

>このお気持ちは、814日に2度目の聖断を下された時のおことばに、よく示されていた。   

>この時の昭和天皇のご発言について最も詳しい内容を伝えているのは、当時の国務大臣兼情報局総裁だった下村宏(海南)の『終戦記』『終戦秘史』に収められた記録だ。   

>「自分はいかになろうとも」   

>下村の記録は、814日の御前会議が終わってからあまり時間を空けないで、自身のメモをもとに、同席した左近司政三(さこんじせいぞう)・国務大臣や太田耕造・文部大臣、米内光政(よないみつまさ)・海軍大臣らの手記とも照らし合わせ、さらに鈴木貫太郎首相の校閲も経たという。   

>よって信頼性は高く、「最も真に近い」と評価されてきた(升味準之輔氏『昭和天皇とその時代』)。   

>その一部を引用する。   

>「国体問題についていろいろ疑義があるとのことであるが……要は我が国民全体の信念と覚悟の問題であると思うから、この際先方の申入れ(ポツダム宣言)を受諾してよろしいと考える。   

>どうか皆もそう考えて貰いたい。   

>さらに陸海軍の将兵にとって武装の解除なり保障占領というようなことはまことに堪()え難いことで、その心持(こころもち)は私にはよくわかる。   

>しかし自分はいかになろうとも、万民(ばんみん)(全国民)の生命を助けたい。   

>この上戦争を続けては結局我が邦(くに)がまったく焦土となり、万民にこれ以上苦悩を嘗()めさせることは私としてじつに忍び難い。   

>祖宗(そそう)(祖先)の霊にお応えできない。   

>……先方(連合国)の遣()り方に全幅の信頼を措()き難いのは当然であるが、日本がまったく無くなるという結果にくらべて、少しでも種子が残りさえすればさらにまた復興という光明も考えられる」   

>これによって、昭和天皇の最優先の動機が「国体問題」よりも、「万民=国民の生命を助けたい」という一点にあったことは、確かだ。   

>「終戦の詔書」に書いてはいけない言葉   

>興味深いのは、「終戦の詔書」の起案にあたり、昭和天皇のご発言のうち「自分はいかになろうとも」という部分は、決して盛り込んではならない、とされていたことだ。   

>これは実際に起案にあたった迫水久常(さこみずひさつね)・内閣書記官長(内閣官房長官の前身)本人の証言による(半藤一利編『日本のいちばん長い夏』)。   

>だが、それは何故か。   

>もしそのような内容が詔書に含まれていれば、「国体護持」を“最後の一線”として抗戦を唱えていた陸軍が、憤激するに決まっているからだ。   

>国体の護持どころか昭和天皇ご本人のお身柄さえ危ないポツダム宣言の受諾であれば拒絶せよ、と態度を硬化させることは明らかだ。   

>だから、聖断をめぐる陸軍内部向けの陸軍大臣や参謀総長の訓示などでも、刺激を避けてこのご発言はあえて伏せられていた。   

>秩序ある「終戦」のために   

>戦後の「復興という光明」を見すえると、前提として欠かせないのは整然と秩序ある終戦だった。   

>しかし陸軍内になお戦争継続を望む声が残る中で、それを実現するのは至難だった。   

>その困難を突き破るには、「戦争終結」がまぎれもなく昭和天皇ご自身のご意思であることを、すべての国民に一点の疑いの余地もなく、瞬時に納得させる必要があった。   

>そこで採用された異例の手段が、天皇ご自身のお声(玉音)によるラジオ放送だった。   

>この奇策は内大臣だった木戸幸一らの発案によるが、昭和天皇はただちにそれをお許しになった。   

>陸軍の一部が抗戦を求めて皇居の占拠を企てた「宮城(きゅうじょう)事件」のような動きを挫折させるために、この放送が決定的に重要な意味を持った。   

>この間の事情を、外務省編纂の『終戦史録』は次のように述べている。   

>「超非常事態に直面した軍および国民の複雑微妙な興奮的心理を……統一するがためには、最早、直接天皇の御声による他なかった。   

>政府や軍首脳部の権威は、天皇の御意思の自らの御発表を仰ぐ以外、この超非常時を乗り越える力を持たなかった」   

>あの終戦は、薄氷を踏むようにしてギリギリ実現したものであり、昭和天皇のわが身をかえりみない無私の精神と、高い権威による、ほとんど奇跡のような終戦だった。   

>終戦時の昭和天皇の和歌から一首を掲げる。   

>身はいかに なるともいくさ とどめけり ただたふれゆく 民をおもひて   

()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


藤原帰一氏  

2025-08-21 04:13:47 | 文化

>「平和求めるなら戦争の準備」戦後80年…岐路に立つ日米関係 トランプ氏の不満と“不戦の誓い”の行方【風をよむ・サンデーモーニング】   

>戦後80年の節目となる終戦の日を迎えましたが、日本の安全保障の要ともいえるアメリカとの同盟関係が、今転機を迎えています。   

>戦後80年 かつての“敵国”との関係   

>アメリカ・ロサンゼルスの日本人街「リトルトーキョー」で、多くの人が集まる人気スポットがあります。   

>大谷翔平選手の巨大壁画。スマホをかざすと、大谷選手が動き出すことでも話題に。   

>ここからほど近い「Jフラット」と呼ばれる町には、今から80年以上前、多くの日系人が暮らしていました。ところが、突然…   

>バーバラ・マーシャル・ウィリアムスさん   

>「隣人(の日系人)は、まずサンタアニタ競馬場に送られ、馬小屋に住まわされました。   

>とても衝撃的でした」   

194112月、アメリカ政府は国内にいる日系人を「敵」とみなす「敵性外国人法」を適用。   

>約12万人の日系人が、強制収容所に送られたのです。   

>背景にあったのが太平洋戦争。   

>日本とアメリカは38か月にわたって、戦火を交えました。   

 

鬼畜米英ですね。   

 

>そして1945年、日本の敗戦によって、戦争は終結。   

 

好きで 好きで大好きで 死ぬほど好きな戦 (いくさ) でも 原爆投下にゃ勝てはせぬ 泣いて崩れた敗戦日 

残念ながらわが国は原爆開発においてアメリカに後れをとった。しかし本土決戦と一億総玉砕はまぬがれた。めでたし、めでたし。    

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も早々と投降して、75000人以上の将兵の命を救った。

太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。

日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。

人の命はどのように考えられていたのか。‘ぬちだ宝’(いのちは宝)ではなかったか。 

 

>戦後、日本ではアメリカなど連合国軍による占領統治が開始されます。   

>吉田茂 総理(1951年・当時)   

>「この平和条約は復讐の条約ではなく、和解と信頼の文書であります」   

1951年、サンフランシスコ講和条約によって、日本は独立を回復。   

>このとき、同時に結ばれたのが日米安全保障条約。   

>その後の改定を経て、日本はアメリカに基地を提供する一方で、アメリカが日本の防衛義務を負うことなどが定められます。   

 

そうですね。米日は親子の関係ですね。   

 

>この結果、日本は防衛に多大な予算を使うことなく、経済復興に努め、世界第2位の経済大国に上り詰めます。   

>戦後、安全保障をもっぱらアメリカにゆだねる形となった日本ですが、その関係は少しずつ変化を迎えます。   

>同盟の変化…進む日米の“一体化”   

1991年の湾岸戦争では、アメリカは自衛隊の派遣を要請。   

>日本は、代わりに総額130億ドルの支援を行いますが、アメリカメディアに掲載された感謝広告に日本の国旗はありません。   

 

日本人には金と心の違いが判らない。   

 

>結局、停戦後、ペルシャ湾に掃海艇を派遣します。   

>また、2003年のイラク戦争では、アメリカから陸上部隊の派遣を要請されますが、この時も憲法上の制約などから、戦後の人道復興支援という名目で、自衛隊をイラクに派遣しました。   

>アメリカが日本に求める役割が大きくなる中、さらに大きな転機となったのが...   

>安倍晋三 総理(2015年・当時)「(日米)同盟はより一層、堅固になります」   

2015年、訪米中の安倍総理はアメリカ議会で、安全保障法制の整備を夏までに成立させると宣言します。   

>同年9月には、憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使を可能にする安保関連法が成立。   

>アメリカ軍による軍事行動を、自衛隊がより密接に支援することができるようになるなど、日米の“一体化”が進んだのです。   

>>TBS NEWS   >「平和求めるなら戦争の準備」戦後80年岐路に立つ日米関係 トランプ氏の不満と不戦の誓いの行方 【風を読む・サンデーモーニング】   >TBS NEWS DIG_Microsoft によるストーリー・   >3時間・   

>「誰がこんな条約を」岐路を迎える日米関係   

>今、沖縄では中国の海洋進出などを背景に、自衛隊の「南西シフト」と呼ばれる動きが進行。   

>自衛隊配備の空白地域になっているとして、石垣島や宮古島などの南西諸島に自衛隊の駐屯地を開設していったのです。   

2024年、駐日アメリカ大使は、台湾に最も近い与那国島などを訪問。   

>台湾有事を念頭に、日米の連携をアピールする狙いがあるとみられました。   

>ところが今年3月、トランプ大統領は、日米安全保障条約では「日本にアメリカを防衛する義務がない」として、不満を口にします。   

>トランプ大統領   

>「アメリカは日本を守らなくてはならないが、日本は我々を守らなくていい。   

>そうした中で、経済的に日本は我々から大儲けしている。   

>いったい誰がこんな取り引きをしたんだ」   

>この直後、来日したヘグセス国防長官は、中国の軍事的脅威に対する懸念を強調。   

>台湾有事に際し、日本が「最前線」に立つともとれる発言をしたのです。   

>ヘグセス国防長官   

>「西太平洋でのいかなる有事においても、日本は“最前線”に立つことになる。   

>平和を求めるなら、戦争の準備が必要です」   

 

そうですね。家内安全を望むなら、戸締りは厳重にしないといけませんね。   

 

>アメリカ主導で進む日米の軍事協力に、国際政治学者の藤原帰一さんは...    

>順天堂大学 藤原帰一 特任教授   

「アメリカとの関係を強化すれば、日本の安全が達成されるという考え方は、アメリカの政策によっていくらでも変わりうるもの。   

 

そうですね。他力本願・神頼みは日本人の自己満足でしかない。   

 

>トランプ大統領の場合には、同盟国との関係を重視しない。   

 

親分子分の関係ではない。フラットな関係ですね。商人の世界ですね。   

 

>何をするか分からない」

>そして、貿易などの経済的なつながりを活かした、日本ならではの外交の重要性を訴えます。   

>順天堂大学 藤原 特任教授    

「(日米)同盟という政策を一方で支えながら、日本が外交の手段として使ってきたのは、何よりも経済外交でした。   

>経済外交というオプションを持っていることで、紛争のエスカレーションを防ぐための、外交政策の余地を残しておく。   

>それができる」   

>迎えた、戦後80年の終戦の日。   

>不戦の誓いを新たにする中、日米関係も岐路を迎えています。   

 

そうですね。四民平等ですね。   

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本必敗  

2025-08-20 03:26:30 | 文化

SmartFLASH   >【戦後80年】NHKスペシャルで話題に本誌が報じた昭和16年「総力戦研究所」が予言していた「日本必敗」の道筋   >SmartFLASHの意見・   >5時間・   

>戦後80年企画としてNHK81516日の2夜にわたって放送した、NHKスペシャル『シミュレーション~昭和16年夏の敗戦~』が大きな反響を呼んでいる。    

>真珠湾攻撃の8カ月前である19414月、首相直属の「総力戦研究所」に日本中から集められた若きエリートたちが、模擬内閣を作り、出身官庁や企業から機密情報を集め、日本が米国と戦った場合のあらゆる可能性をシミュレーションしていく。   

>そして「圧倒的な敗北」の結論を手にした若者たちが、開戦へ突き進む軍や内閣と対峙するという、実話を元にしたストーリーだ。   

>主人公である総力戦研究所の研究員・宇治田洋一役を俳優の池松壮亮が演じ、日本映画界の旗手・石井裕也監督が初の戦争ドラマに挑んだ。   

>ドラマの原案は猪瀬直樹のロングセラー『昭和16年夏の敗戦』。   

>本誌『FLASH』は 20111220日号で、猪瀬氏をはじめ関係者を取材していた。   

>「半年や1年の間はずいぶん暴れてご覧に入れる。   

>しかしながら、23年となれば、まったく確信は持てぬ」   

>開戦前、連合艦隊司令長官の山本五十六は、首相の近衛文麿(このえふみまろ)にこう伝えたという。   

>つまり、山本は1年以上、米国と戦うのは不可能だと知っていた。   

>それはいったいどうしてなのか。   

>五十六の長男である山本義正氏が当時こう語っていた。   

>「父は若いころ、ハーバード大学に留学していましたが、帰国後もあわせれば67年はアメリカにいました。   

>知人も多く、アメリカから持ち帰った資料も膨大でした。   

>いまでも覚えていますが、父の本棚の半分以上がアメリカの歴史書でした。   

>父は誰よりもアメリカという国の国力を知っていたんです。   

>それも、石油資源や工業力だけでなく、教育、政治思想までじつに詳しく調べていました。   

>だから、開戦直前まで反対しつづけたんです」   

>山本は米国をよく知っていたからこそ、戦争は無茶だと理解していたのだ。   

>だが、じつは敗北を予言していたのは山本だけではなかった。   

>《12月中旬、奇襲作戦を敢行し、成功しても緒戦の勝利は見込まれるが、しかし、物量において劣勢な日本に勝機はない。   

>戦争は長期戦になり、終局、ソ連参戦を迎え、日本は敗れる。   

>だから日米開戦はなんとしてでも避けねばならない》   

>これは真珠湾攻撃の3カ月前、政府の総力戦研究所が出した「日本必敗」の結論である。   

>驚くべきことに、この予測は、現実の戦局推移とほぼ同じ流れをたどっていた。   

>総力戦研究所は昭和15年秋に開所した、内閣総理大臣直轄の研究所である。   

>第一期研究生は、官僚27名と民間人8名の総勢35名で構成されていた。   

>そして、日米戦争を想定した「総力戦机上演習」(シミュレーション)が実施され、「日本必敗」の結論が82728日両日に、近衛や陸軍大臣の東條英機以下、関係者に報告された。   

>この事実を明らかにしたのが、作家で東京都副知事(当時)の猪瀬氏だ。   

>猪瀬氏の著書『昭和16年夏の敗戦』には、報告を聞いた東條の言葉が書き記されている。    

>「戦というものは、計画通りにいかない。   

>意外裡(り)なことが勝利につながっていく。   

>したがって、君たちの考えていることは、机上の空論とはいわないとしても、あくまでも、その意外裡の要素としたものをば考慮したものではないのであります」   

>こうして報告は黙殺された。   

>すでに米国は、実質的に日本への石油輸出を禁止していた。   

>ではどうすればいいのか。    

>「ならばインドネシアを占領して石油を確保しよう」という、安易な結論だった。  

 

日本人は子供の様なものですね。総合的な判断ができない。議論もできない。      

 

>猪瀬氏は、こう語っていた。    

>「このままだと石油のストックは2年間で底をつくと、数字で示されていた。   

>しかし、南方の油田を占領すれば、石油は残るという報告ができあがってきた。   

>目的ありきのたんなるつじつま合わせの数字ですが、結果的に日米開戦反対派の根拠は消滅していくんです」   

 

やはり日本人には議論ができないのですね。個人の考えに着目できない。   

 

>こうして、“なんとなく”日米開戦が始まった、と猪瀬氏は言うのだ。   

 

そうですね。日本人には意思がない。事の次第、自然の流れで全てが落ち着きますね。意思の無い人間には責任もない。兎角この世は無責任。   

意思の無い人間には責任が無い。日本人は責任者捜しに苦労する。    

たとえば【英対する開戦の詔勅】では

洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ

まことにやむをえざるものあり。あにちんがこころざしならんや。

開戦はまことにやむをえないことで、私の本意ではない。   

となる。  

天皇の意思でなければ一体誰の本意で我が国の意思決定が為されたのでしょうか。  

兎角この世は無責任。   

 

>今回、振り返られた総力戦研究所。   

>その反省は、いまの時代にも生きるものかもしれない。   

 

意思の無い人間には反省もない。加害者意識がないので原因究明に対するこだわりがない。   

過ちは繰り返しませぬからという歌詠みの方に流れて行く。これは自然に流れか。      

 

 

 

 

 

 

 

 

 


戦後80年談話  

2025-08-19 18:55:23 | 文化

>産経新聞   >「アジア諸国へ加害責任に触れていない」 朝日と毎日、13年ぶり「反省」の首相式辞に不満   >5時間・   

>石破茂首相は終戦の日の15日に合わせた戦後80年談話を見送った一方、全国戦没者追悼式の式辞で、「進む道を二度と間違えない。   

>あの戦争の反省と教訓を、今改めて深く胸に刻まねばならない」と述べ、先の大戦に対する「反省」の語句を13年ぶりに復活させた。   

 

そうですね。日本人は供養すれども反省なしですからね。   

 

>これに対して、朝日新聞は16日付社説で「アジア諸国への加害責任には触れておらず、何を反省し、教訓とするのかは明確でない」と苦言を呈し、「首相談話を出すべきだった」とした。   

>毎日新聞も同様の見解を示した。

>朝日は靖国参拝「戦争への反省を忘れ、過去の正当化」   

>朝日は16日付社説で、終戦の日に80年談話を発しなかったことについて「歴史の教訓を世代を超えて継承する責務にもとる」などと首相の対応を糾弾した。   

>「今ほど過去を直視し、平和国家の未来像を明らかにすべき時はない」と訴え、「今からでも、それを内外に示すべきだ」と首相に促した。   

>東京・九段北の靖国神社に加藤勝信財務相や小泉進次郎農林水産相、高市早苗前経済安全保障担当相、小林鷹之元経済安保担当相、参政党の神谷宗幣代表らが相次いで参拝したことについても、「戦前の軍国主義を支えた国家神道の中心的な施設に、政治指導者が参拝することは、戦争への反省を忘れ、過去を正当化しようとしていると見られても仕方あるまい」など持論を展開した。   

 

そうですね。日本人は供養すれども反省なしですからね。とにかく勉強嫌いですね。過去の内容について自分の頭を使うことが嫌いである。日本人の勉強は他人の受け売りばかりをやってきた。      

 

>毎日新聞の16日付社説も、首相が式辞で13年ぶりに「反省」に言及したことについて、「何を反省し、教訓とするのかについては、曖昧に述べただけだ。   

>日本が侵略し植民地支配したアジア諸国への加害責任には触れていない」と批判した。    

 

日本人には意思がない。だから加害者意識がない。意思のないものには加害責任もない。兎角この世は無責任。   

 

>終戦の日に80年談話を発しなかったことについては、「発信する機会とすべきだった」とした。    

 

良い機会でしたね。   

 

>産経「平和を叫んでも平和は守られない」   

 

空念仏か、犬の遠吠えですね。戦争をやめさせるのには首相による戦争当事国との直談判が必要ですね。  

 

>読売新聞は16日付社説で「不戦と平和の誓いを次世代に継承せねばならない」と強調した。   

 

戦わずして勝つことが何よりも大切ですね。我々は善の善にこだわるべきです。      

 

>首相が式辞で先の大戦に対する「反省」に触れたことは論評を加えず紹介。   

80年談話の見送りについての言及はなかった。   

 

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        

英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。   

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)             

 

>産経新聞は16日付紙面で「日本の『8月の平和論』に欠陥」と題したワシントン駐在客員特派員のコラムを掲載した。   

>日本で8月に叫ばれる「平和」のあり方について「とにかく戦争さえなければよい、という意味になる」と指摘し、「世界のどの国も自国防衛の軍事的な能力や意思は明確に保っている。   

>その姿勢が他国からの軍事攻勢を抑止し、平和を保持できる、という思考なのだ」と紹介した。    

>その上で「『平和』と叫び続けても、日本国の平和が守られる保証にはならない。   

 

犬の遠吠え・空念仏は空しいばかりですね。   

 

>平和とは日本と外部世界との関係の状態であり、日本国内の状態ではないからだ」とし、戦争をどう防ぐか語るべき必要性を訴えた。    

 

そうですね。隗より始めよ。(まず言い出した人自身で当たれ)  

 

>(奥原慎平)   

 

とにかく戸締りを堅固にして、各国が他国に付け入るスキを与えないことですね。   

 

 

 

 

 

 

 

 


藤岡弘氏  

2025-08-19 00:40:28 | 文化

>日刊スポーツ   >藤岡弘、政治家の靖国神社参拝について持論「なんらやましいことはない」   >日刊スポーツ新聞社によるストーリー・   >12時間   

>藤岡弘、(79)が18日、X(旧ツイッター)を更新。   

>毎年、終戦の日の15日に議論になる、政治家の靖国神社参拝について持論を展開した。    

>藤岡は「靖国問題。   

>首相の参拝に賛成の人、反対の人。   

>それぞれの意見があることは大いに結構である。   

>しかし、私はこの国のために命を捧げ、死んでいった人の魂に手を合わせることに対し、なんらやましいことはないと思っている。    

 

そうですね。何らやましいことがない人ばかりがいることがこの国の問題ですね。   

戦争中、沢山の虐殺があった。だのにわが国には何らやましいことのない人ばかりがいた。それがこの国の問題ですね。    

 

>合掌、藤岡弘、」とつづった。   

 

日本人は天真爛漫とした子供の顔つきをしている。悪びれた大人の顔つきがない。     

 

高橋史朗氏 (1950- )は米国の戦後の日本占領政策について、米国が「日本が二度と立ち上がれないような政策」を行ったとしており、それがその後の日本人の「自虐意識」を育てることになったと主張している。  

意思がなければどうなるか。受動があって能動がない。だから、被害者意識があって加害者意識がない。罪の意識もない。これはアニマルも同じである。罪の意識のある人たちにとって、罪を知らない人たちの立ち上がりは恐ろしい。

‘罪悪感を国民に植え付けるプログラム’ (WGIP: War Guilt Information Program とは、大東亜戦争後の昭和20(1945)年からサンフランシスコ講和条約発効によって日本が主権回復を果たした昭和27年までの7年間の占領期間に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が占領政策として行った、戦争への罪悪感を日本人の心に植えつける宣伝計画ですが見事に失敗しました。カエルの面に水でした。わが国からは戦争犯罪人は一人も出していません。意思の無い人間に罪の存在を理解させるのは難しいからです。従ってわが国の全ての宗教は罪と距離をおいたところに存在します。罪の意識に苛まれる病める魂の持ち主を救済する必要がないからです。日本人には贖罪の必要がないのです。     

 

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        

英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。   

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)