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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

フロリアンさん  

2025-04-30 22:09:32 | 文化

Hint-Pot   >「イギリス人と比べると、その差は明らか」イギリス在住のドイツ人 日本で親近感を覚えた光景とは   >Hint-Potの意見・   >4時間・   

>ルールやマナーを重んじ、周囲に迷惑をかけないことを大切にする日本人の姿勢は、多くの外国人から好意的に受け止められています。   

 

そうですね。だが堅苦しさが在りますね。   

 

>日本を初めて訪れたイギリス在住のドイツ人は、以前から抱いていた“日本のイメージ”が現実そのものだったことに感心すると同時に、日本人のある行動にハッとしたそうです。   

>日本らしさを実感したのは、いったいどんな光景だったのでしょうか。   

>◇ ◇   

>訪日前から「日本に抱いていたイメージ」   

>ドイツ出身で、現在はイギリス在住のフロリアンさん。   

>日本出張に合わせて休暇を取り、旅を楽しんでいます。   

>仕事のスケジュールが始まるまで、5日間と限られた自由時間のため、東京を中心に観光することに。   

>築地市場や浅草、江戸城跡などに足を運びました。   

>実際に日本へ来るのは初めてですが、街の様子は想像通りで、日本の素晴らしさを感じていると、フロリアンさんは笑顔で話します。   

>「日本に抱いていたイメージは、クリーンであること。   

>ゴミが落ちていないとか、清潔だとか、そういったイメージは来る前からありました。   

>実際に来てみて、それが本当だと実感しています」   

 

そうですね。見ればわかる’ (Seeing is believing.) ですね。   

 

>「ドイツ人と近い感覚を持っている」   

>そんなフロリアンさんは、日本で目にしたある光景をきっかけに、日本人に親近感を抱いたといいます。   

>「日本人は車がまったく通っていなくても、横断歩道で信号が赤だったら、みんな待ちますよね。   

>その光景を見て、『おっ?』と思いました。   

>ドイツでも信号をきちんと待つ人が多く、ドイツ人と近い感覚を持っているのを感じました。   

 

日本人は自己判断が苦手ですからね。権威者に指示を求める傾向が在りますね。      

 

>今、住んでいるイギリスと比べると、その差は明らかです」   

>規律を重んじる人が多く、勤勉な国民性だといわれるドイツ。   

 

そうですね。日本人もドイツ人も実学 (技術) が得意ですね。勤勉の必要な仕事ですね。      

 

>そんなドイツ出身のフロリアンさんであっても、日本のほうがより秩序だっていると感じたようです。   

>「でも日本のほうがドイツよりも、より厳密に信号を守っています。   

>だから、『日本人はルールやマナーをしっかり守るんだな』と新鮮に感じましたね」   

 

そうですね。日本人は自己判断が不得意ですから、作法 (決められた動作) というものを発達させて人の動作を機敏にしていますね。   

 

>街中のちょっとした様子に、親近感や日本の素晴らしさを実感しているフロリアンさん。   

 

そうでしょうね。ドイツにも小笠原流が在りますかね。ドイツには風流が在りませんね。      

 

>残りの滞在や日本での仕事を通じて、たくさんの良い発見があると良いですね。   

 

そうですね。   

 

 

 

 

 

 

 


玉砕の島  

2025-04-30 02:23:45 | 文化

>毎日新聞   >「玉砕の島」から始まった戦後80 宮内庁幹部が明かす陛下の思い   >毎日新聞によるストーリー・   >20時間・   

> いたるところから火山性のガスが噴き出し、硫黄のにおいが立ちこめていた。   

> 羽田空港を飛び立った政府専用機は約2時間後、南に約1200キロ離れた硫黄島(東京都小笠原村)に着陸した。   

> 小雨が降る中、タラップを下りた天皇、皇后両陛下は傘を差さずに歩き、出迎えのあいさつに穏やかな表情で応えられた。   

> 戦争を体験していない両陛下の戦後80年に合わせた取り組みは、7日の硫黄島訪問から始まった。   

>2万人以上が犠牲になった島で   

> 太平洋戦争末期の激戦で元日本兵約21900人が犠牲になった硫黄島は「玉砕の島」と呼ばれる。   

> いまだに収容できていない1万人以上の遺骨が残る。   

> 両陛下は「硫黄島戦没者の碑」(天山慰霊碑)など3カ所の慰霊施設で花を供え、深々と拝礼した。   

> 島を離れる前、遺族や元島民、遺骨収容団体の代表者8人と懇談した。   

> 祖父母が島出身の西村怜馬さん(43)からは、戦争の記憶を聞き取って次世代に残す活動をしていると説明を受けた。   

> 皇居に戻った陛下は「戦争を知らない世代に、悲惨な戦争の体験や歴史が伝えられることは大切なことだと改めて思いました」と語ったという。   

 

'敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである'  (昭和天皇)   

 

>平成は「慰霊の旅」、令和は?   

> 天皇と皇后が硫黄島に足を運ぶのは、戦後50年を翌年に控えた19942月の上皇ご夫妻以来。   

> ご夫妻はその後の戦後60年、70年の節目に合わせて国内外で戦没者の追悼を続け、「慰霊の旅」と呼ばれた。   

> 一部のメディアは今回の硫黄島訪問も「慰霊の旅」と表現した。   

> だが、宮内庁幹部は「上皇ご夫妻は可能な限り各地を回られ、『慰霊の旅』のページを閉じられた」と話す。   

> 昭和から平成、そして令和へ。   

> 時代が移ろう中で、初めて迎えた節目の年。   

> 幹部は言う。    

> 「ご夫妻の思いは引き継ぐ。   

>でも、天皇陛下は上書きするのではなく、10年後を見据え、記憶を継承する若い世代の活動を励ましたいとお考えだ」   

> 両陛下は今年、原爆で大きな被害を受けた広島、長崎、激しい地上戦があった沖縄を巡ることも予定されている。    

 

好きで 好きで大好きで 死ぬほど好きな戦 (いくさ) でも 原爆投下にゃ勝てはせぬ 泣いて崩れた敗戦日 

残念ながらわが国は原爆開発においてアメリカに後れをとった。しかし本土決戦と一億総玉砕はまぬがれた。 めでたしめでたし。    

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も早々と投降して、75000人以上の将兵の命を救った。

太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。

日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。

人の命はどのように考えられていたのか。 ‘ぬちだ宝’(いのちは宝)ではなかったか。 

 

> その歩みは後にどう呼ばれるようになるのだろうか。   

 

日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答えを出せる人が必要である。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。自己の見解を示せば学位 (博士号など) が得られる。自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走し続けて、いつまでたっても何処にも到達しない。だから、若者にも夢と希望が無い。

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)    

 

>【高島博之】   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


江藤拓農水相  

2025-04-29 17:36:03 | 文化

>アサ芸biz   >「報道特集」視聴者がア然、江藤拓農水相の「無為無策」と「責任転嫁」   >アサ芸bizによるストーリー・   >22時間・   

>備蓄米を放出しても効果なし!?    

>これまで約21万トンの備蓄米を放出しているが、421日に発表されたコメ5キロ当たりの平均価格は4217円で15週連続の値上がりとなった。   

>農水省はこれまで価格高騰の要因について「流通ルートの目詰まり」「投機的な売り惜しみ」と説明してきた。   

>そして26日放送の「報道特集」(TBS系)で取り上げたのは、24日に行われた備蓄米の試食会で江藤拓農水相が発したこんな発言だった。   

>「今回、卸の方々も前年に比べてコメはたくさん持っている。   

>でも出さない。   

>在庫が尽きてしまうんじゃないか、という漠然とした不安感というものがあるんですよ。   

>卸の方々はですね、しっかりこれから先は自分の手元のストックを含めて出していただきたい」    

>これを否定したのが、卸の業界団体である「全米販」の山﨑元裕理事長。   

>番組のインタビューに応じ、こう説明した。   

>「国からはコメはあると説明をいただいています。   

>ただ、実際に我々が買えていない。   

>我々の仕入れ先はJA全農さんになるんですけど、全農さんが用意できないという話なので、年間扱い量の7割くらいしか仕入れられなかったところから始まっています」   

>さらに「在庫を抱えている」という農水省と江藤農水相の見解に対しては、「我々は実需に基づいて買っています」「手元にある在庫というのはすべてひも付きの在庫なんです」と真っ向から否定した。    

>「番組では25日に行われた江藤拓農水相の会見の模様をオンエア。   

TBSのキャスターが『コメ農家の生殺与奪は政府が持っていたと思う』と述べて生産調整について質問すると、江藤農水相はニヤニヤと薄ら笑いを浮かべて『あまりにひどい』と反論。   

>農家と意見交換をしながら政策を組んできたと主張していましたが、現状については『国政に関わって20年。   

>このようなことが起こるとは驚いています』と発言。   

>これに視聴者からは『政治家20年やって無為無策?』『卸売業者を悪者にして責任転嫁ばかり』などとア然とした声が寄せられていました」(メディア誌ライター)    

>備蓄米の放出を続けても、政府の思惑通り、コメの価格が劇的に下がる可能性は低いようだ。    

 

そうですね。   

日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答えを出せる人が必要である。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。自己の見解を示せば学位 (博士号など) が得られる。自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走し続けて、いつまでたっても何処にも到達しない。だから、若者にも夢と希望が無い。

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)     

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日テレ  

2025-04-29 01:22:48 | 文化

>日テレNEWS NNN   >コメの平均販売価格 16週連続の値上がり 前週より3円アップの4220円、過去最高を更新   >日テレNEWS NNNによるストーリー・   >7時間   

>コメの価格がまた最高値を更新しました。   

>農林水産省は先ほど、今月14日から1週間の全国のスーパーでのコメの平均販売価格を発表しました。   

>今月に入って備蓄米の販売が本格化していることから価格が下落に転じるのか注目されていましたが、5キロあたり前の週より3円アップの4220円と16週連続の値上がりで過去最高を更新しました。   

 

日本人の記事は実況放送・現状報告の内容ばかりで、読者のためになる所が少ない。‘それでどうした、それがどうした’の問いに答えを出せる人が必要である。我々は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。自己の見解を示せば学位 (博士号など) が得られる。自己の見解を含まない発言には価値が少ない。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく世の人を教え導く人) が必要である。そうでなければわが国は迷走し続けて、いつまでたっても何処にも到達しない。だから、若者にも夢と希望が無い。

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)      

 

 

 

 

 

 

 


百地章氏  

2025-04-28 04:12:01 | 文化

>産経新聞   >「もう後戻りできない」百地章氏が憲法改正へ「2点突破」強調、緊急事態条項と自衛隊明記   5時間・   

>憲法記念日を控えた27日、前橋市で「群馬憲法フォーラム」(主催・美しい日本の憲法をつくる群馬県民の会)が開催され、日本大学名誉教授の百地章氏が「憲法改正の実現に向けて」と題し講演した。   

>緊急時の根拠規定なし   

>百地氏は緊急事態条項と自衛隊の明記の2点に絞って論じた。   

>前者について百地氏は道路交通法を例に挙げて緊急時、緊急車両が信号を無視してよいと平時とは異なる規定があるにもかかわらず、憲法は平時のみで国家の緊急時に対応できていない点を指摘した。   

>緊急時には政令などをつくって対応してきたが、憲法に根拠規定がないために官庁が対処できない事態が現実に生じたとして、東日本大震災の巨大津波による大量のガレキ処分の際、財産権の不可侵を規定した憲法29条が立ちふさがり、家具などのガレキを自治体などが緊急処理できなかった事例を挙げた。   

 

現実の世界は千変万化する。だから、緊急処理を妨げる現憲法には欠陥がありますね。   

 

>「国家レベルでは緊急時の規定が抜け落ちた、まことに不思議な国になっている」と指摘した。   

>自衛隊明記だけでも大きな効果   

>百地氏は、自衛隊について実態は軍隊でありながら「戦力不保持」を定めた憲法92項の下では法制度上、軍隊ではなく警察組織になると指摘。   

>その結果、「軍隊の権限」とされる「ネガティブ・リスト」方式(捕虜虐待禁止など国際法などで禁じたこと以外の権限行使は原則自由)ではなく、「警察の権限」である「ポジティブ・リスト」方式(法で規定したことしかできない)を強いられていると指摘した。   

>ただ、92項の改正は極めてハードルが高く、次善の策として、故安倍晋三元首相が「自衛隊保持の明記」を提起したとした。   

>明記の意義として、①自衛隊違憲論を解消できる②自衛隊の法的安定性を高める-の2点を挙げたうえで、自衛隊員の社会的地位や待遇の改善、「自分の国は自分で守る」との国民の決意表明は「対外的な抑止力になる」とした。   

 

そうですね。   

 

>さらに、国民投票まで進めば、「2カ月以上に及ぶ運動期間を通じ、国民の国防意識や国家意識が必ず高まり、これ自体が活力を生む」と効果を強調した。   

>国民共同体としての国家観を   

>百地氏は改憲への国会発議を改めて求め令和511月以降、与野党幹部に陳情を続けた経緯を説明。   

>岸田文雄前首相にも再三要請し昨年9月、ようやく「改憲の論点整理」として、自衛隊明記と緊急事態条項について盛り込むことをまとめた。   

>「これはもう後戻りはできない。   

>石破茂首相も引き継ぎ、やらざるを得ない状況だ」と指摘した。   

>これに先立つ冒頭挨拶で美しい日本の憲法をつくる群馬県民の会代表で、憲法審査会参院会長の中曽根弘文参院議員は、国会での審議が進まない現状を陳謝。   

>衆参両院の3分の2以上の賛成で初めて国民投票に至るが、改正案自体を国会がまとめられない状況を「まことに申し訳なく思っている」とした。   

>百地氏は現憲法の問題点として、個人を絶対視して「国家観、家族観が見えてこない」点を指摘。   

 

日本人の生活は同調圧力と滅私奉公ばかりですね。   

 

>特に国家=権力体としての政府」とのみとらえ、国民共同体としての国家の視点が「抜け落ちている」。   

 

日本人には意思がないから権力と上意下達でやるしかない。   

 

>憲法には不可欠な日本の国柄も入れ込んだ憲法へと改めるよう強く求めた。   

 

無哲学・能天気の方向へと進むわけですね。   

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々の考えの内容は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるでしょう。       

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。

「「権威主義」が悪の源でもなく、「民主主義」が混乱を生むものでもなく、それよりも、もっと根底にある日本人の習性である、「人」には従ったり(人を従えたり)、影響され(影響を与え)ても、「ルール」を設定したり、それに従う、という伝統がない社会であるということが、最も大きなガンになっているようである」 (中根千絵)    

 

日本人は氏名を正しく (?) 読むことができない。だから役所の書類にはフリガナ欄が設けてある。これをローマ字欄に換えるだけでも国語の改革になる。これは国の指導ですぐにでもできる国語改革である。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。各々の政治家は日本の国際化に鑑みて日本語の表記法に深い関心を持つべきである。            

 

海外の大学院で、「みんな紙のノートに書かない、タブレットに書いています」という話を聞くと、アナログ派は絶滅危惧種でしょうね。我が民族全体が絶滅種になる前に早く手を打たなくてはならない。     

学生が紙のノートを使わずタブレットだけを学校で使用するとなると仮名漢字変換を使わない‘英数字の入力法’ が断然強みを発揮しますね。漢字の練習には役立たないが、英語 (の綴り) には強くなります。従って英語に親しみが湧くようになります。我々の日本語の記述方式の選び方は日本人の未来の能力に決定的な影響を与えるでしょうね。      

 

日本人の生活は、生まれた時には宮参りをして、結婚式はキリスト教会で行う。葬儀は葬式仏式で済ませばよい。これで万事万々歳である。  

日本の文化には形式 (儀式) があって、内容 (教義) が無い。日本人には現実 (事実) があって、非現実 (考え・哲学) がない。   

内容を考えなければ、矛盾ということも何もない。 だから、思考を停止している人には折角のリーズン (理性・理由・適当) にも価値がない。     

日本人は内容が無いだけ、それだけ余計に形式 (現実) に拘る。それで改革運動の妨げになることが多い。日本人は守旧派の人達である。我々はこのことを忘れてはならない。    

'為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)