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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

精神的な成長

2020-06-30 22:41:19 | 文化

 

>358061 正解思考を脱して、仲間との追求へ

>女の職場話     20/06/30 PM09 

>こんばんは☆ >自分の頭でモノを考えるには?

> 中高年の自分自身の思考を振り返っても、それを阻んでいるもののひとつに、「正解思考」があると感じています。(学校教育に従順で、優等生な人ほど、陥りやすいのかも・・・)

 

現実の内容は頭の外にある。それは見ることができる。見ればわかる。正解は常に一つである。考えることも無い。楽ちんである。正解思考の根源となっている。

 

> 前回取り上げた「完璧思考」に近いのですが、この「正解思考」は正解ではないこと=マイナス評価を極度に恐れる、というところで余計に厄介かなと思います。

 

正解思考は、日本人が序列順位を争う時の手段となっていますね。

 

>どこかに「正解」があると思い込んでいるので、それが分かるまでは(マイナス評価になるかもしれないから、怖くて)何も発信できないという感じです。

 

非現実 (考え) の内容は頭の中にある。それは見ることができない。単なる話である。その内容を知るには文章を文法に従って理解するしかない。これは骨の折れる仕事である。全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。

矛盾を含んでいない文章は、全てが正しい考えを表している。考えの内容は、人により様々である。だから、その正解も様々で一つではない。幾らでもある。

 

> 例えば、仲間から何か指摘を受けたときも、「何を言ったら皆は許してくれるのかしら?」といったズレた意識に陥ったり、下手をすれば指摘されたときの自分の感情すら「分からない」と答えるほど、自分を守ろうと潜在思念を封鎖してしまうのです。

 

日本人にはリーズン (理性・理由・適当) がない。だから、自分を守ることが難しい。弁明 (vindication) ができない。

 

> 正解思考、何が問題でしょうか?

 

現実の内容しか出て来ませんね。自己の考え (非現実) の内容が発想できていませんね。これは子供と同じです。十分な精神的な成長が見られない。これが問題です。 

 

>どうしたら突破できるでしょうか?

 

我々は、日本語と英語の両言語をよく勉強する必要があります。そして、文法における時制の大切さを深く理解する必要があるではないでしょうか。

 

(略)

 

 

 

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退化

2020-06-30 17:27:18 | 文化

 

>358054 小学生から退化してしまっているかも…  >匿名希望     20/06/30 PM03 

>最近ある地方の行政の方々と、話し合いの機会がありました。 > 今やどの地方でも抱えている、人口減少や若い人の流出についての課題です。

 

それはあるでしょうね。

 

>それに関して、新しいプロジェクトをいろいろアドバイスさせてもらう立場での参加なのですが、実は肝心の行政側の皆様に本気になってもらうのが、課題だったりします。 

 

そうですね。意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way.  

日本人には意思がない。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思 (will) がない。

仕方がないから、日本人は無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力に欠けている。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

 

>もちろん、行政側も自らの地方をなんとかしていきたい気持ちは十分あるのですが、いざプロジェクトが具体化してくると、「これはこういう規定があるからできない…」というような感じになってしまうのです…  

 

どうしたら具体化できなくなるかを真剣に考えているようですね。これでは考えに成功しても具体化は実現しませんね。

 

>そういうときは、物事を進める上で重要な、課題分担と役割分担もなおざりに…  

 

意思がないのであるから、仲間同士の意思疎通 (相互理解) も成り立ちませんね。 

 

>こちらの主催者の奥様が、「小学生じゃないんだから、そんなことまで言わないといけないのかしら」とおっしゃっていました。 

> 気持ちがあるはずなのに、チャレンジできない。 

 

ほんの気持ちだけですね。考えは非現実の内容であり、頭の中側に存在するので見ることができない。見ることのできない内容は ‘嘘’ である。誰も、嘘つきにはなりたくない。だから・皆が自己の非現実 (考え) を黙して語らない。これが、日本人の思考停止の根源です。

 

>それは、まさしく小学校に始まる長年の学校教育と、それに続く、上から言われたことだけやる順応的な生き方そのものです。

 

そうですね。日本人には意思がない。受動ばかりで能動の生活がない。上意下達の励行で思考停止であり楽ちんである。

 

> 今まではそれでも生きられたのですが、時代が大きく動く今からはそうはいきません。  

 

そうですね。生きる力が不足しますね。

 

> 枠を越えて、改めて今自分の身の回りの世界をどうしていきたのか、心の底からの気持ちを感じて、実際に行動するときなのだと思います!  

 

そうですね。日本人には世界観 (world view) というものがない。だから、自分がどのような世界に住みたいかを考えたことがない。我々の次の世界は想定外になっている。何事もお変わりないことが良いことです。

 

> 小学校入学前の気持ちになって…   

 

そうですね。わが国には何でもある。だが、夢と希望だけがない。小学校入学前にはあったのに・・・

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、時制の大切さを深く理解する必要があります。さすれば自己の世界観を持つことも可能になり、自己の意思の表明もできます。自己の意思を表明すれば、当事者・関係者となることができます。表明することがなければ傍観者にとどまります。現今の日本人は意思がないので傍観者にとどまり、孤高の人になるしかありません。わが国は、世界の中にあって世界に属していない状態になっています。

意思のある人間には方法があり、責任を負うことができます。世界の人達と世界観を共有する協力者を得て、未来社会の建設に力を発揮することもできます。これによりさらなる人類の進歩への貢献が可能になります。

 

 

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管理されたい病 2/2

2020-06-28 11:20:38 | 文化

 

個人に考えがない。だから、運動があっても指導者がでない。民意の暴走という ‘どさくさ’ が発生する。日本社会の中の人間序列がはっきりしていても、責任の順位とは関係がない。個性が無く、責任者が育たない。  

 

>  そして、今回のコロナによって、我々はこの「いつか来た道」をまた進んでいる恐れがある。

 

そうですね。没個性の序列社会には個人が育たない。‘歴史は繰り返す’ ですね。History repeats itself.

 

>  ご存じのように、日本のコロナ感染者数や死者数は、他の東アジア諸国とともに、欧米などと比べものにならないほど少なく抑えられている。>しかも、そんな日本のコロナ収束は、緊急事態宣言による外出自粛や休業要請による効果ではないことがわかってきている。

 

そうですね。

 

>  大阪府の専門家会議で、大阪大学核物理研究センターの中野貴志センター長が指摘しているように、政府の専門家会議で「今のまま対策を取らなかったら42万人が死にます」と警鐘を鳴らしていたとき、実はすでに感染はピークアウトを迎えていた。 >  つまり、科学的データや客観的事実を踏まえれば、現時点で外出禁止や強制休業といった法整備の必要性は、これっぽっちもないのである。

 

日本人には現実直視ができませんからね。全てを忖度 (推察) で済ませています。  山本七平は「『空気』の研究」のなかで、そのことを指摘しています。

「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いています。

 

>  しかし、「民意」は外出禁止や強制休業の法整備を求めている。

 

大衆を指導できる政治家がいない。個人が育たない社会になっているからですね。  

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’( グレゴリー・クラーク)  

 

>論理的に考えてそのような結論になったわけではなく、ルールに従わない輩にペナルティを与えないと「社会全体にとって害になる」「真面目に自粛していた人間がバカを見る」という、極めて雑で排他的な「空気」に流されているのだ。

 

そうでしょうね。‘人の振り見て我がふり直せ’ ですね。

 

>  こうなったときが、日本人は一番恐ろしい。>  過去の「エイズ・パニック」によって引き起こされたエイズ患者への差別や偏見、ハンセン病患者の隔離政策や家族への陰湿で執拗な誹謗中傷などは、科学的データや客観的事実に基づいたものではない。

 

何処の国でも大衆は知識不足です。わが国の大衆運動の欠点は指導者に率いられていないことです。指導者個人の主張も無く、対話の形式も無い。だから、大衆は、無知の中にいつまでも置き去りにされている。

 

すべて「よくわからないけれど、日本社会全体にとって害になるのは間違いないから、とりあえず排除しておいた方が安心だろう」という、極めて雑で排他的な「空気」に流されて発生してきた。

 

鬼は外・福は内’ ですね。わが国の上層部は高みの見物ですね。意思の無い人間には責任も無い。

個人の意思を表せば、当事者・関係者となる。表さなければ傍観者にとどまる。

 

>そして、筆者が何よりも「いつかきた道」だと感じるのが、やはり外出禁止や強制休業の法制化を望む人たちが、これほど多くいるという事実である。

 

人々は、上意下達の効果に望みをかけているのですね。

 

> 「投書階級」が日本のために、「もっと厳しく管理しろ」「個人の自由を制約せよ」と強く求めたように、日本のために「もっと厳しく外出禁止をしろ」「強制的に休業させろ」と求めているということは、すでに「民意の暴走」が始まっているということではないのか。

 

これは日本人の習性のようなものですね。

 

>  実際、「民意」が暴走できる環境も整いつつある。

 

没個性の指導者を戴く日本人の社会は、ブレーキの利かない機関車のようなものですね。

 

>タイミングが悪いアベノマスクや給付金、ピークアウト後の緊急事態宣言発動などで、安倍政権の支持率はガタ落ちだ。

>ということは、今後政権が支持率の浮上を目指すなら、人気取りのために「民意」が求める政策から優先的に手を付けるということが起きかねない。

 

それは考えられますね。

 

> 「今回はうまく乗り切ったが、第二波がきたら何十万人もの人が死ぬ恐れがある」などと恐怖を煽れば、今の社会ムードの中では、外出禁止や強制休業に関する法整備だって、それほど激しい世論の反発にあうことなく、しれっと進められてしまいそうだ。

 

不自由を常と思えば不足なし’ か。

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管理されたい病 1/2

2020-06-28 11:03:44 | 文化

 

>357992 コロナ禍でわかった、日本人が患う「管理されたい病」の重症度  >吉 四六 ( 会社員 )  20/06/27 PM11 

>リンク >前略)

>  自分たちのイデオロギーに合わないものを「社会全体にとって害になる」と叩いて排除するというのは、全体主義に毒された人たちに見られる典型的な症状だからだ。

 

人の振り見て我がふり直せ’ の掛け声ですね。

 

>  わかりやすい例が、戦前・戦時中の「娯楽統制」だ。 >  みなさんの多くは、戦争中の映画やラジオ、演劇や落語などの大衆娯楽は、軍部による厳しい検閲によって弾圧された、というイメージを持っているはずだ。 >実際、テレビドラマや小説などでも、よくそういう話が描かれている。 

 

そうですね。

 

>  しかし近年の研究では、そういう単純な構図ではないことがわかってきている。

>金子龍司氏の「『民意』による検閲―『あゝそれなのに』から見る流行歌統制の実態」(日本歴史 2014年7月号)によれば、さまざまな検閲の後押しをした可能性のある「投書階級」という人々がいたことがわかっている。 >といっても、この人々は何かの専門家ではなく、その正体は会社員、官吏、教員といった普通の市民だ。

 

大衆運動 (public movement) ですかね。

 

> 彼らはラジオから流れる曲が西洋クラシックだったりすると、「日本精神に反する」と怒りの投書をした。>流れる軍歌の歌詞が流行歌っぽいタッチのものだと、これまた「下品だ」とブチギレて投書をした。

 

感情的な反応ですね。

 

>  要するに、令和の日本で木村花さんをSNSでネチネチとイジめた人々や、CMに不倫タレントが出ていると企業にクレームを入れるような人々とそれほど変わらないことを、80年以上前の日本人もやっていたというわけである。

 

日本人は変わっていませんね。

 

> 戦時中に国家権力を動かしていた「投書階級」という人々の存在

>  事実、SNSの攻撃でCMが放映中止に追い込まれたりするのと同じで、「投書階級」の影響も凄まじいものがあった。 >1938年にラジオ局に寄せられた投書は約2万4000件で、番組編成に影響を与えたという。 >それはつまり、このような「投書階級」たちの「社会全体にとって害になる」という主張を受けて、検閲当局も動いていた可能性があるということだ。

 

それは民意の尊重ということになるのですかね。

 

>  現代人の歴史認識では、軍部が勝手に1人で暴走を始めて、国民の反対を押し切って娯楽や言論を統制していったというイメージが強いが、当時の新聞報道などを見れば、現実はそうではないことがわかる。 >  まず、言論統制される以前から、新聞やラジオというマスコミは自ら進んで戦争を煽っていた。

 

マスコミは戦争で金儲けができますからね。

 

>軍の発表を盛りに盛って、「爆弾三勇士」などの戦争美談をふれ回った。>「そうしろ」と命令されてわけではなく、愛国心を刺激するコンテンツが読者やリスナーに圧倒的にウケたからだ。

 

 ‘勿論、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、常に簡単な事だ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ’。 (ヘルマン・ゲーリング)

 

>  そして、 この「愛国コンテンツ」を連日のように見せられた国民が、暴走を始める。

 

ブレーキの利かない機関車のようなものでしたね。

 

>「投書階級」のように、自分たちの価値観に合わないものを「社会にとって害だ」と排除し始める。

 

封建時代の排外主義 (exclusionism) のようなものですね。

 

>たとえば、当時戦争に反対する「非国民」を一般市民が棍棒を持って追いかけ回して袋叩きにする、という事件が珍しくなかったが、それは軍部に命令されたわけではなく、市民たちが自発的に行ったことなのだ。 

 

判断力のない人たちの ‘自主・独立’ は困ったものですね。人間にはリーズン (理性・理由・適当) も無く、対話もない社会でしたからね。

 

>  こういうムードが極限まで盛り上がると、やがて国民は公権力に対して求め始める。>「日本のために秩序を乱す者たちを、もっと管理しろ」「もっと厳しく統制しろ」と――。

 

烏合の衆による大衆圧力ですね。指導者の存在しない大衆運動ですね。 

 

>  これが、日本が全体主義へのめり込んでいったプロセスである。

 

自由とは、意思の自由の事である。日本人には意思がない。意思がなければ自由にも意味がない。だから、’不自由を常と思えば不足なし’ となる。全体主義 (totalitarianisn) は個人の自由のない世界ですね。  

 

> 「陸軍のエリートが暴走した」「軍を抑えられなかった政治家が悪い」「マスコミが戦争を煽った」などといろいろ言われるが、やはり「全体」というだけあって、日本社会がおかしな方向に流れても誰も止められなかった最大の原因は「民意の暴走」にあるのだ。

 

 

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管理されたい

2020-06-28 04:48:38 | 文化

 

>357993 コロナ禍と日本人の管理されたい病

>ビッグチキン ( 23 会社員 )  20/06/27 PM11 

>以下リンク

> やはり我々には、「お上に従う」ということが骨の髄まで染み込んでいるのか。

 

そうでしょうね。我々日本人は序列人間ですからね。上意下達が染み込んでいますね。

 

>  先日NHKの世論調査で、新型コロナなどの感染症の拡大を防ぐため、「政府や自治体が外出を禁止したり、休業を強制したりできるようにする法律の改正が必要だ」と考えている人が、62%もいることがわかった。>ちなみに、「必要ではない」と答えた人は27%ということなので、ダブルスコア以上で、「お上にたてつく不届きものはお仕置きすべき」と考える人が多いということだ。

 

そうですね。’不自由を常と思えば不足なし’ と思い込んでいる人が多いですね。

 

>  ちょっと前まで、メディアや専門家は「欧米のような強制的なロックダウンがないのに、日本人は自主的にルールを守って素晴らしい」などということを、盛んにふれ回っていた。>それは日本政府も同様で、麻生太郎副総理も「コロナ死者の多い国から『何か特別な治療薬でもあるのか』という問い合わせがあると、『おたくとうちの国とは、国民の民度のレベルが違うんだ』と答えて、相手を絶句させた」とドヤ顔で語っている。

 

そうですね。

 

>  しかし、当の国民はそういう認識ではなかったということだ。> 「自粛ムードの最中に飲み歩く、タレントの手越裕也さんのような人間をもっと取り締まれ」「休業要請に従わないパチンコ屋は罰せられるべきだ」といったことを考える人が、大多数を占めている。>  要するに、「民度が高い」「世界一規律正しい」などとおだてられたい日本人よりも、「厳しい法律でもっとカチカチに我々の自由を制約してちょうだい」という、かなりマゾヒスティックな願望を抱く日本人の方が、一般的ということなのだ。

 

そうですね。日本人には意思がない。他から指示がなければ動けない。

 

> 「そんなバカな」と驚く人も多いだろうが、実はこのような日本人の「管理されたい病」は今に始まったことではない。>2013年、キーマンズネットがビジネスパーソン585人を対象に、プロジェクトを実行する際に「管理する側」と「管理される側」のどちらがいいかと質問をしたところ、「管理される側」が53%と上回った。管理される方が楽だから、というのが主な理由だ。

 

日本人には意思がない。意思の無い人には責任 (responsibility) がない。責任者 (responsible person) に指名されたら困りますね。

 

>  また、2019年にパーソル総合研究所が、日本を含むアジア太平洋地域の14の国・地域における就業実態の調査をしたところ、日本で管理職になりたい人の割合は21.4%と、14の国・地域の中でダントツに低かった。>つまり、「『上』からの命令に従っていた方がラクチンだよね」というのは極めて平均的な日本人の考え方であって、それが今回の外出禁止や休業要請というイシューでも露骨に現れている可能性が高いのだ。

 

そうですね。 

 

> 社会全体に迷惑がかかると考えた時点で「管理されたい病」というと、「法整備を望んでいるのは、別に管理されたいからではない!マジメに自粛をしている人たちがいるのに、従わない連中がいると社会全体に迷惑がかかるから、抑止力を目的としているのだ!」と怒り出す方もいらっしゃるだろうが、それはそれで、かなり重度の「管理されたい病」をこじらせてしまっている可能性が高い。

 

そうですね。日本人には意思がない。だから、能動がなくて、受動・受動の連続生活になる。

意思は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本人には意思 (will) がない。

 

>  自分たちのイデオロギーに合わないものを「社会全体にとって害になる」と叩いて排除するというのは、全体主義に毒された人たちに見られる典型的な症状だからだ。 

 

人の振り見て我がふり直せ’ ですね。わが国は、没個性の社会ですね。

 

>  以下中略

>このように、「なんで?」「本当に?」と上が言ったからあたり前などと自分の頭で考えなくなっては、本当に終わりだ。

 

上意下達ですね。日本人にはリーズン (理性・理由・適当) というものがない。だから、上意を鵜呑みにするしか方法がない。

 

> 思考停止とならないように、何が今できるのか。考え直していく機会としたい。 

 

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. だが、日本人には意思がない。仕方がないから無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力が足りない。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)  

 

 

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