>ENCOUNT >“敗軍の将” 石破首相は 「むしろ功績」自民惨敗 “本当の戦犯” 2人を専門家が名指し「日本中がカチンときた」 >ENCOUNTによるストーリー・ >10時間・
>自民惨敗…石破首相は責任論の一方で“功績”も
>衆院選は27日、投開票が行われ、与党が過半数を割る波乱の展開となった。
>自民党が惨敗した敗因は何だったのか、少数与党による政権運営はどうなるのか、そして、今後日本の政治はどうなっていくのか。
>政治ジャーナリストの角谷浩一氏に、衆院選の総括と今後の政局の展望を聞いた。
>今回、自民党は議席数を公示前の247から191に減らし惨敗。
>公明党も24議席に留まり、両党合わせて過半数となる233議席に届かなかった。
>裏金問題という逆風のなか、大敗という結果に終わった自民党。
>各方面では早速、石破茂首相の責任を求める声も上がっている。
>「今回の結果を受けて石破おろしとの見方もありますが、おろしたところでどうにもならない。
>裏金議員を非公認としたのは苦渋の決断でしたが、結論、それでも有権者からは認められなかったというだけのこと。
>非公認にして負けたから石破がやめろというのは筋が通らないでしょう。
>石破さんの責任もないとは言わないが、まだ何もやってない中で、今回の選挙は岸田政権の通信簿という意味合いが強い。
>選挙では負けましたが、問題のある議員を排除し、政治とカネの問題を浄化しようとしたことはむしろ功績。
>感情的にトップの責任論に持っていくことは得策とは言えませんし、仮におろしたら自民党がさらに総スカンを食らうことも考えられます」
>石破首相にも責任はありつつ、国民にとっては裏金議員の排除という功績も残したと角谷氏。
>では、自民大敗の本当の“戦犯”は誰だったのか。
>角谷氏は2人の名前を挙げる。
>「今回の惨敗は、森山(裕)幹事長の失敗というところが大きい。
>短期決戦の選挙日程を決めたのも森山さんですし、選挙中盤の討論番組では『連立の拡大も視野に』という公明党のモチベーションを下げる不用意な発言もあった。
>極めつけが2000万円の活動費。
>あれも最終的な会計責任は森山さんです。
>政治とカネが争点のこの選挙戦で、あのタイミングに出すというのは、やはり感覚がズレていると言わざるを得ません。
>ただ、本当の意味で決定打となったのは、2000万円そのものよりも、その後の萩生田(光一)氏の『ありがた迷惑』発言では。
>平均年収400万円という時代に、2000万円という大金をもらっておいてありがた迷惑とは、いったい何様なんだというのが正直なところ。
>おそらく日本中の国民がカチンときたでしょう。
>あの発言で自民党の金銭感覚、やっぱり金にだらしないんだという体質が透けて見えてしまった。
>『こんなお金は受け取れません』という姿勢であればここまでのことにはならなかったのではないでしょうか」
>そんな自民党と「同じ穴のむじな」と思われてしまったのが公明党だ。
>地区によって裏金候補を推薦。
>9月の党大会で山口那津男氏の後継として就任したばかり石井啓一代表がまさかの落選となるなど、足を引っ張られてしまった格好だ。
>議席増の野党は「自民のオウンゴールで伸びただけ」、今後は政権運営の責任も
>一方の野党では、立憲民主党が公示前の98から148に、国民民主党が7から28に議席を伸ばし躍進。
>れいわ新撰組や参政党も議席を増やした。
>首班指名選挙も控えるなか、現時点での連立政権による政権交代はあり得るのだろうか。
>「野党がバラバラな現状でそれはないでしょう。
人間もバラバラ、考えもバラバラ、日本人には世界観がない。政治哲学がない。
>(立憲民主党の)野田(佳彦)さんは自分が代表になって大勝したと思っているかもしれませんが、今回は共産党と距離を置いたこと以外は、ほとんど自民のオウンゴールで伸びただけ。
そうですね。
>自民党にお灸をすえるという消極的な動機で目的で投じた人は、野党が新しい政治を提案できないならやっぱり自民でいいと戻ってしまう。
>今回議席を伸ばした党も、手放しで勝ったというわけではありません。
そうですね。
>野田さんは野党を取りまとめて、政権交代までこぎつけないと勝ったとは言えない。
>仮に立憲民主党と国民民主党が合併して元に戻っても、過半数にはまだ足りない。
>この先は野党も批判だけではなく、政権運営に関わる意思表示をしていく必要があります。
そうですね。
敵失を我が功績と思い込むのは良くない。それは勝負の世界の出来事である。低次元の政治家の考えることである。
政治家は未来の内容を先取りをしなくてはならない。人の歩むべき道を照らしだす人 (trailblazer) でなくてはならない。
‘(略) 大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)
「うん、頭はいい。しかし本当に信頼できるかね」 (フランク・ギブニー)
‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)
民、信無くば立たず。(政治というものは 民 (民衆) の信頼無くして成り立つものではない。) [論語・顔淵]
日本人には意思がない。意思の無い人間には責任がない。
‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)
兎角この世は無責任。
>政策面で与党に協力する気があるのか、野党側の器も問題になってくる」
>群雄割拠で勝ち馬の分かりづらい結果となった衆院選。
>人によって支持政党はさまざまだが、有権者としては今回の結果をどう受け止めればいいのだろうか。
>「今回の選挙の一番の勝者は誰か? 強いて言うならば、有権者たる国民です。
そうですね。国民ですね。
>与党も野党もそれぞれが総すくみの状態で、緊張感のある微妙なバランス。
>これは裏を返せば、どこも頑張り次第で政権を目指せる、非常に健全な状態と言えます。
哲学の勉強を頑張っていただきたい。
>次の中間試験となる参議院選挙が来年7月に控えていることも重要。
>それまではこの状態が続き、各党協力的にならざるを得ません。
>与党は謙虚に、野党は覚悟を持って、日本の政治全体のレベルがあがるチャンスになります。
ありがたいことですね。
>もっと言えば、その先に政界再編があると思う。
政治家の離合集散が政治活動そのものであるような感じを受けますね。
>今回は全体を通して、自民、公明、共産という古い党が負け、比較的歴史の浅い政党が勝った。
>そこから国民全体の意識は変化を求めているのだと気づかなければいけません。
そうですね。求めよさらば与えられんですね。国民は、政治家の忖度 (推測) に期待してはいけませんね。
>古い体質の政治はノー、新しい政治には期待がある一方、何が正しいかは国民もまだ分かっていない。
新しい政治には新しい人が必要である。だが世代交代の必要性を説く政治家がいない。
>今はそんな状態です。
ノンポリ・政治音痴ではどうにもならないですね。
>価値観も多様化し、多数派が過半数に満たない時代。
人人により意見は違いますからね。だがバラバラな単語だけでは、議論にもなりませんね。
>政党もくっついたり離れたりを繰り返し、多様な考えをまとめて成長していくことが求められるのではないでしょうか」
そうですね。政治哲学を持つ者同士が考えをまとめる必要がありますね。
>国民の選択は政治を推し進める契機となるか。
我が国民の無哲学・能天気を無くす必要がありますね。
>ENCOUNT編集部/クロスメディアチーム
マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。
‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)
英米の高等教育は子供が大人になる為の教育である。子供は現実 (事実) に関する知識のみを持っているが、大人には非現実 (考え・哲学) に関する知識もある。それを若者に持たせるのが彼らの高等教育である。
日本語には非現実を内容とする構文がない。それは日本語文法には時制 (tense) というものが無いからである。日本人には非現実に関する知識がないのでわが国では英米の高等教育がなりたたない。だから、現実ばかりの日本人は子供らしくみえる。
非現実の内容を現実の内容に転換する方法を見つけることができたら、それは人間固有の創造力を発揮したことになる。日本人はその創造力に欠けている。
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。世界の指導者になれるかもしれませんね。
我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。
国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。
「「権威主義」が悪の源でもなく、「民主主義」が混乱を生むものでもなく、それよりも、もっと根底にある日本人の習性である、「人」には従ったり(人を従えたり)、影響され(影響を与え)ても、「ルール」を設定したり、それに従う、という伝統がない社会であるということが、最も大きなガンになっているようである」 (中根千絵)
日本人は氏名を正しく (?) 読むことができない。だから役所の書類にはフリガナ欄が設けてある。これをローマ字欄に換えるだけでも国語の改革になる。これは国の指導ですぐにでもできる国語改革である。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。
'為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり' 上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)