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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

古森義久氏  

2022-06-29 17:23:32 | 文化

 

>JBpress  >日本は役立たず? 国連安保理常任理事国入りを阻む本当の障害とは  > 古森 義久 2022/06/29 06:00   

(略)

>(古森 義久:産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授) > 日本がまた国連安全保障理事会の常任理事国になることを目指すようだ。  

 

いよいよ我が国の本気度が試されるときですね。    

 

>5月下旬の日米首脳会談で、日本のそんな希望を米国のバイデン大統領が支持すると言明したという。 > だが日本のそんな動きが現実となると、必ず障害にぶつかる。   

 

用意周到でないと、またまた原発事故のような事故になりますね。   

 

>日本は現在の憲法下では、国連安保理が実行する平和維持活動などに必須の“集団的自衛権の行使”ができないからだ。   

 

国連の平和維持活動にも支障をきたすようでは、日本は常任理事国入りの希望を出す資格はありませんね。まずは自分の身を清めてから再スタ-トですね。   

 

> だから万が一日本が常任理事国となれば、自国ができないことを、安保理のリーダーとして他国に指示する立場となる。 >そんな状態は偽善だとする批判が米国には年来存在するのだ。   

 

偽善であってはアメリカ人も日本人も容認することはできませんね。   

 

>集団的自衛権を行使できない日本  > 5月23日の日米首脳会談後の共同記者会見で、岸田文雄首相は「バイデン大統領が日本の国連安保理の常任理事国入りを支持すると表明した」と誇らしげに発表した。 >「国連安保理が改革される際」という前提条件がついたとはいえ、岸田政権にとっては大歓迎の「バイデン大統領の支持」だった。 >今後、外務省が主体となってそのための動きが現実となるのだろう。   

 

日本人が自国の常任理事国入りを心から希望しているとよいですね。   

 

> 日本政府は1990年代から、国連安保理の常任理事国入りへの希望を折に触れ表明してきた。 > 周知のように国連の安全保障理事会は、国際的な平和と安全の保持のために平和維持活動(PKO)や平和執行活動(PEO)を実行する。 >国連を代表する部隊を紛争地域に送り、それら複数の国家からの部隊は必要に応じて集団で軍事行動をもとる。  > だが憲法9条の規定で集団的自衛権は行使できないとされる日本は、この国連の平和維持部隊にも、集団的自衛権の行使や戦闘地域での活動が予測される場合には参加できないことを内外に宣言してきた。   

 

そのような宣言では自国の有能性の説明どころか無能の宣伝にしかなりませんね。安全保障理事会を再度役立たずの会にする企てのようなものですね。      

 

> こうした軍事力行使をも伴う国連の平和維持活動を決定し実行する主体が安全保障理事会である。 >同理事会は米英仏露中という常任理事国5カ国と、一定期限で交替する非常任理事国10カ国とで構成される。 >その組織内では、拒否権も与えられた5つの常任理事国が当然、主導権を保持している。 > 国連では年来、この常任理事国の枠を拡大する案があり、そのなかに日本が入ろうとする試みも日本自身が手がけてきた歴史がある。 >その試みの推進では、同盟国であり国連全体でも発言力の強い米国の支持が欠かせなくなる。   

> しかし日本の国連安全保障理事会の常任理事国入りを目指す動きに対して、実は米国側からの批判が年来存在してきた。  

 

我々には米国側の批判を許さない万全の構えが必要ですね。我々は憲法改正を考えているのですから、今回の参議院選はその宣伝の絶好の機会ですね。     

 

> つまり、日本が現在の憲法で集団的自衛権の行使を禁じられている状態のままでは、国連安保理の任務は果たせない。   

 

そうですね。我々は不精をきめこんでいては国際社会に出られないということになりますね。国政の指導者はこの事情を国民に懇切丁寧に説明すべきですね。      

 

>安保理常任理事国としての日本は、自国にできない行動を他国に実行させることになる。 >自分ができないこと、したくないことを他人にやらせる。 

 

我われ日本人が自分でしたくないことを外国人にやらせることはできません。   

  

>人間同士の関係ではこんな態度は偽善であり、不公正である――という指摘である。   

 

我々日本人は不公正が大嫌いですからね。   

 

> 国連の平和維持活動、平和執行活動は、軍事力の集団行使や軍事的危険を除外することはできないという自明の現実への言及だった。>日本が本気で常任理事国になりたいのなら、避けては通れない関門なのだ。   

 

そうですね。我々の本気度を世界に示す絶好の機会ですね。   

 

>「常任理事国になりたいならばまず憲法改正を」  

 

この文言は憲法改正とための良い宣伝文句になりますね。    

 

> 日本の集団的自衛権は、安倍晋三政権下で成立した平和安全法制により、「自国の存亡」に関わる事態での限定的行使は認められる道が開いた。 >だが、国連の平和・安全活動での集団的自衛権行使は、なお今も日本にとってはタブーのままである。 

 

日本人のタブーは、常任理事国に相応しくないですね。 時代遅れですね。      

  

> 米国からの批判的な見解で最も明確なのは、1994年1月に連邦議会上院が全会一致で採択した決議だった。 >ウィリアム・ロス議員(共和党)とケント・コンラッド議員(民主党)が共同で提出した決議案は以下のような骨子だった。   

>(1)日本は憲法の規定により軍事行動をともなう平和維持や平和執行の活動に参加できないと宣言している。   

>(2)日本が参加できないという国際安保活動なしには国連安保理の通常の機能は果たせない。   

>(3)日本が現状のまま常任理事国になった場合、普通の理事国の責任や義務も果たせない。   

>(4)日本は自国ができない国連安保理の軍事行動を決定し、他国に指示して他国の軍人を危険にさらすことは不公正であり、偽善である。   

>(5)だから米国は日本が憲法上のこの制限をなくすまでは日本の国連安保理常任理事国入りを支持すべきではない。

 

まったくその通りですね。彼らの主張は理路整然としていますね。日本は憲法上の制限をなくして常任理事国入りを果たさなければなりませんね。まさに我が国の本気度が試されるときですね。          

 

> 以上の決議の背景には、当時のクリントン政権の日本の常任理事国入りへの支持の構えがあった。 >当時の日本の宮澤喜一政権が初めて常任理事国への名乗りの希望を表明したことへの対応だった。  >米国としては、たとえ大統領がその動きを支持しても議会は反対する、という意思表示だった。  > 米国議会は明確な反対を示し、日本側に憲法の改正、あるいは規定の修正を求めたわけである。常任理事国になりたいならばまず憲法の改正を、という要請だった。  

 

まさに当を得たアメリカ人の助言ですね。日本人でこのことを思いつく人は少ないでしょうね。日本人は常に受け身の態勢ですからね。

 

>親日派の有力政治家が指摘していた日本国憲法の欠陥   > その後も、1994年後半にロス上院議員自身が村山富市政権の高官に同じ趣旨の要請を伝えていた。 >2004年には2代目ブッシュ政権のリチャード・ア―ミテ―ジ国務副長官が、小泉純一郎政権を支える自民党幹部に伝達した記録が存在する。    

 

してみると彼らの日本支持に対する態度は本気ですね。 日本人は自国のことでも気に掛けないですからね。     

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官) 

 

> ちなみにロス議員はすでに2003年に死亡したが、長年の知日派として知られていた。   >終戦直後に若き米軍将校として日本占領のGHQ(総司令部)に勤務してNHKの放送改革などを進めた経験もあった。  >その後、連邦議会の下院や上院の議員になってからも日米関係の強化に努めた。 > ロス議員は日米同盟堅持という立場からの日本への友好的姿勢で知られてきた。  >岸田内閣の現外務大臣の林芳正氏が、議員になる前にロス議員の事務所にインターンとし受け入れられた時期もある。 > 米国で日本への友好や善意を長年示してきた有力政治家からも、日本国憲法の欠陥は30年以上も前から指摘されていたということになる。   

 

米国人の頭は冴えていますね。我々は30年間も遅れてしまったのですかね。国際時代を迎えて日本国憲法の欠陥は是正されなくてはなりませんね。無哲学・能天気でいるとノンポリ・政治音痴になりますね。世界の進歩に後れをとりますね。                   

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語のかな漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。          

 

 

 

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成長しない国  

2022-06-29 10:17:23 | 文化

 

>プレジデントオンライン  >だから給料がちっとも上がらない…経済大国日本が「成長しない国」に転落した根本原因   >柴田 昌治 - 8 時間前   

(略) >なぜ日本人の給料は上がらないのか。  >多くの日本企業の変革を支援してきた柴田昌治さんは「日本人は、会社に忠義を尽くすことで高度経済成長を支えてきた。 >しかし今は、その『まじめで勤勉』な性質が日本経済の停滞を生んでいる」という――。  

 

そうですね。日本人は意思がないので自ら動きださない。そして、思考停止をしているのでおとなしい。

 

>※本稿は、柴田昌治『日本的「勤勉」のワナ』(朝日新書)の一部を再編集したものです。  >努力が生産性の伸びにほとんど結びついていない   >他の競合国がこの数十年の間に急速に生産性を伸ばしている中で、日本も懸命の努力は続けているのですが、その努力がバブル崩壊後の生産性の伸びにはほとんど結びついてはいない、という厳しい現実があります。  >生産性とは、投入した資源(労働など)に対する創出した「付加価値」の割合です。 >より少ない資源からより多くの付加価値が得られるほど、より生産性が高いという関係になります。  >生産性を高めるのは、豊かな社会を創り上げるためであり、そのためには無駄な「動き」を減らし、価値を生み出す「働き」の部分を増やすことが必要なのです。  >しかし、約30年前のバブル崩壊以降、日本の給料はまったく上がらず、世界の水準から取り残されてきている、という事実があります。  

 

働けど働けど我が暮らし楽にならざり、、、、、 。 (石川啄木) 

 

>今、そのことがようやく問題だと認識され始めています。  >努力は必死に続けているにもかかわらず、給料の水準は伸びていない。  >この厳しい現実は、努力の方向性が間違っていることを示しています。   

 

そうですね。我々は無駄な努力をしていますね。      

 

>その前提にあるのは、高度経済成長期以来、日本の得意だった経済モデルが通用しなくなってしまったことです。 >すなわち、日本の代わりを圧倒的に安い人件費でやってしまう国々が、一瞬のうちに世界市場を席巻してしまったのです。 >従来通りの日本的モデルでは、成り立たない時代になったことが明白になっています。   

 

我が国には人手不足はあっても、頭脳不足の話しは聞いたことが無いですね。   

 

>一方、世界では、米国を中心にデジタル化が急速に進んでいきました。 >日本も相応の努力はしているのですが、結果として一歩も二歩も後れを取っています。 >確かに、個別に見れば素晴らしい結果も残してはいるのですが、残念なことに全体として見れば、新しい価値を生み出せていないのが日本の実態なのです。  >今、私たちにいちばん必要とされているのが「創造性」です。   

 

そうですね。創造力は非現実 (考え) の内容を現実 (事実) の内容として実現する能力ですね。   

 

>しかし、それが当たり前になっていないところにこそ、問題があるのです。 >なぜ創造性というものが当たり前になっていないのか。 >それは、みんなの力を合わせてものづくりに励む、という経済の高度成長を支えてきた旧来の考え方ややり方、いうなれば、ある種の文化が今もそのまま残っているところに問題が潜んでいます。   

 

そうですね。創造性は個性的ですね。わが国にも個人主義の理解が必要ですね。   

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語のかな漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。            

 

>「まじめで勤勉」が日本経済を停滞させている  >日本人はまじめで勤勉です。 >この性格は経済の高度成長には間違いなく大きく寄与してきました。 >しかし、そこに問題が隠されている、ということです。  >つまり、「日本経済の高度成長を支えてきた、日本人が持つ職務に忠実な勤勉さこそが、今の停滞の主因になっている」というのが、約30年にわたって日本企業の変革の現場に身を置いてきた私がたどり着いた結論なのです。 >では、この「職務に忠実な勤勉さ」とは、どのような中身なのでしょうか。  >詳しく見ていきましょう。   

 

日本人には意思 (will) がない。つまり、無心である。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。   

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。おとなしい。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

どうやら '指示待ち人間' ができあがったようです。この筋道で成功すると、受け売り・後追いの後追いの専門家になりますね。受け売り・後追いの人は指導者としては適当でない。彼らは思考停止をしていますからね。    

 

>まだ記憶されている方も多いと思いますが、2017年2月から2018年3月にかけて、学校法人森友学園問題が日本中を騒がせました。 >中でも衆議院予算委員会等で、財務省の佐川宣寿(のぶひさ)理財局長(当時)が重ねた答弁は、私たちの記憶に何かおさまりの悪い感覚で残っています。 >その答弁は、「交渉や面会の記録は速やかに破棄した」「電子データは短期間で自動的に消去されて、復元できないようなシステムになっている」などと、当時の政権を擁護する姿勢で終始一貫していました。  >しかし、佐川氏のそうした言動に対して、たいていの人は彼が実際にあったことをそのまま正直に言っているとは思っていないのではないでしょうか。  

 

そうですね。彼は拒否反応の一点張りで貫くといった感じですね。      

 

>「このようにふるまうべき」という信念が見えた   >ただ、ここで私が問題にしたいのは、佐川氏の言っていることが事実に即しているかどうか、ではなく、彼が取った行動が彼なりの「規範を守り抜く」という信念に基づいていたように見えた、という点です。  

 

くだらない規範があるのですね。   

 

>佐川氏の答弁する姿勢に関して言えば、多少苦しげではありましたが、余計な迷いは見えませんでした。  >もし本当に悪いと思っているのなら、首は垂れるものです。 >しかし、首を垂れることなく堂々としていた。  >つまり、佐川氏には、「国家公務員たるものこのようにふるまうべきだ」という彼なりの信念があったということです。   

 

そうですね。日本人の信念というか ‘意地・根性・大和魂’ の成れの果てですね。   

 

>彼の心のうちは想像するしかありませんが、「ことを荒立てて属している組織に混乱を起こすことよりも、穏便に済ますことのほうが最終的には日本のため、日本人のためだ」と考えていたのかもしれません。

 

日本人社会の膿を出し切る考え方はないのですね。    

 

>このときの佐川氏は、私が日本に停滞をもたらしていると考える「職務に忠実で勤勉な日本人」の象徴のような存在です。 >彼のことを、お上に仕える「現代の武士」と呼んでもよいのではないか、とも考えています。   

 

そうですね。彼は義理 (序列関係から生じる義務) を果たした日本人ということでしょうね。   

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。      

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

 

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在を確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、この種の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが正一位の獲得は難しい。    

 

我が民族の序列メンタリティは国がひっくり返った後にも変わりませんでしたね。新憲法の前文には、 ‘・・・・・国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。’ と高らかに宣言しています。地位とは国際社会の序列順位の事で、国際問題に関する問答には関心を持たずにひたすら順位の向上を待ち続ける奇異な民族の代表として存在します。序列メンタリティが邪魔になって問答ができないのか、問答ができないために序列メンタリティから離れられないのか。英語の習得力が不十分なためか。 

 

>組織が危うい状況になったとき、日本人はどうするか   >詳しくは『日本的「勤勉」のワナ』(朝日新書)で解説していますが、私たちの組織人としての勤勉なふるまいは、武士の信条である「主君に対する忠義を尽くす」ことからすべてが始まっています。  >主君との関係性において忠義を尽くすことで、自らの「拠り所」(居場所)をつくっていたのが武士でした。 >そして、そのような在り方は、私たち日本人の多くが会社に対して持っている姿勢にも通じるところがあるように思います。    

 

そうですね。彼の姿勢は序列メンタリティに導かれての勤勉さですね。      

 

>会社という存在がまさに自らの「拠り所」だということです。  

 

日本人の会社は序列社会で出来ていますからね。   

 

>そのような傾向は、伝統のある規模の大きな会社や、日本の中心に位置する会社ほど強く残っています。 >たとえば、もし会社に重大なコンプライアンス(法令遵守)上の問題が生じて、自分がどう動くかでその問題が世間の目にさらされるかどうかが決まる、という立場に置かれたならどうでしょう。 >出世街道を順調に歩んでいる人ほど、「組織を守る」という規範を踏み外さないことが会社員としての大前提になっていることが多く、佐川氏と同じような行動を取る人がいたとしても不思議ではありません。 >実際、似たようなことは企業の中でも起こっています。  

 

そうですね。大日本帝国という巨大序列組織を守るために多くの人達が命を落としましたね。人々は ‘天皇陛下の御為に、、、、、’ と言った。   

 

>善悪よりも「組織を守る」ことが優先される   >忘れてはならないのは、置かれている前提を問い直さず、どうやるかしか考えない姿勢は歴史由来であり、ある種の社会規範としてあまりにも深く根付いているために、誰もがそのことがもたらす意味の大きさに無自覚である、という点です。   

 

そうですね。日本人には現実 (事実) があって非現実 (考え) がない。自分自身の考えの無い人には信用も得られない。   

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)        

 

>まさか自分が思考停止に陥っているなどとは考えたこともない、ということが往々にして起こりがちなのです。 >少し前のデータですが、日本生産性本部が2018年度まで行なっていた「新入社員春の意識調査」の中に、「上司から会社のためにはなるが、自分の良心に反する手段で仕事を進めるように指示されました。  >このときあなたは……」という問いがありました。 >これに対し、おおよそ4割程度が「指示の通り行動する」と回答しています。 >過去最大だった2016年度にいたっては45.2%です。>そして、「わからない」という回答が約半数、「指示に従わない」が1割程度というのがおおむねの傾向です。  >こうしたことを見ても、善悪はともかく、自分が属する組織を守るという姿勢を優先するのは決して例外的な話ではないということです。   

 

そうですね。序列人間はあくまでも序列を護りますね。だから、信用がない。         

 

>出世頭のエリートほど思考停止に陥りやすい   >今の日本の主要な舞台で活躍している人たち、特に順調に出世街道を歩いている、もしくは歩いてきたような組織人たちは総じて、まじめで勤勉であればあるほど、上司が言っていること、先輩が言っていることがそのまま規範になり、どうさばくかしか考えない思考停止に陥っているのです。 >日本人は、勤勉で粘り強く、結束力は世界一でありながらも、こうした「思考停止」に陥りやすいという“特異性”を持っています。  

 

そうですね。言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

 

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。これは政治に必要である。日本人の場合は、無哲学・能天気にためにノンポリ・政治音痴になっている。これでは冴えた政治は行われない。

 

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。

 

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には非現実を内容とする世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

 

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' 対 '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。そこで、不完全な現実に囲まれて無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。 

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

 

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)       

 

>それは、「運命として与えられた規範を耐え忍ぶ姿勢」にどこか親近感を持ち、それを率先垂範することを美徳とする、という一種の「勤勉美学」が組織の中に息づいている、ということでもあります。  

 

そうですね。それは浪花節調ですね。    

 

>だからこそ、組織人としての規範から外れる行動を選ぶことは、日本人にとってハードルの高い課題になってしまうのです。  

 

恥ずかしながら帰って参りました’ と横井庄一さんは言った。   

 

>傍観者としてなら、評論めいた批判を口にしやすいのですが、いざ自分が同じ立場になったとき、まわりを取り巻く環境のことなどを踏まえつつ、何ができるのか。 >自分のすることにどういう意味が生じるのか。  >大切なのは、そういう状況に置かれたとき、自分も何も考えずに規範にただ沿ってしまうという思考停止に陥りがちである、という自覚をまずは持つことです。   

 

そうですね。 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)

 

>「思考停止」とはどういうことなのか。  >自分、および自分のまわりでどのような影響、意味を持っているものなのか。 >それを本書で一緒に考えていきたいと思います。  

 

思考停止はノンポリ・政治音痴の国民を作り出しますね。わが国において選挙の効力を台無しにしていますね。   

 

>---------- 柴田 昌治(しばた・まさはる) スコラ・コンサルト創業者 30年にわたる日本企業の風土・体質改革の現場経験の中から、タテマエ優先の調整文化がもたらす社員の思考と行動の縛りを緩和し、変化・成長する人の創造性によって組織を進化させる方法論〈プロセスデザイン〉を結実させてきた。   

>近著に『日本的「勤勉」のワナ まじめに働いてもなぜ報われないのか』(朝日新書)がある。    

>----------    

 

 

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国境の海  

2022-06-28 01:58:29 | 文化

 

>産経新聞   >混沌の先に 参院選2022 日本を守れるのか 緊迫続く「国境の海」   >31 分前  

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>紺碧の海に横たわる大きな島影。 >北海道・知床半島の東側に位置する羅臼(らうす)町からは、ロシアが不法占拠する北方領土の国後島の稜線がはっきりと見えた。 >根室海峡を挟んで26キロ。 >目と鼻の先にある島との間にはロシア側が主張する「国境」が引かれている。  

 

残念至極な国境線ですね。    

 

>今年2月のロシアによるウクライナ侵攻後、日露間の領土問題の存在を痛感させられる出来事が相次いで起きた。 >「人命がかかっているのに、北方領土の海域で日本が自由に捜索できず、もどかしかった」。   

 

自由は我々にとって高価なものですね。人命尊重の行為は残念ながら阻止されていますね。      

 

>知床半島沖で4月23日、乗客乗員26人を乗せた観光船が沈没した事故で、親族を亡くした50代男性が振り返る。  >北方領土周辺ではロシア国境警備局が捜索に協力。   ()  >不明者の捜索に協力した斜里第一漁業協同組合の馬場浩一代表理事組合長(66)は「ウクライナ侵攻の終結後、日本はロシアとどう向き合っていくつもりなのか」と不安な表情を浮かべる。 >漁師の熊谷(くまがい)憲雄さん(45)も「国後の人は捜索に協力的だったと思う。 >あとはもう国と国との話だろう」と話す。  

 

そうですね。国際的な付き合い方の問題になりますね。   

 

>「せめて海は自由に」    ()  >今年の条件は昨年12月に合意していたが、突然の中断に羅臼漁協の関係者は「北方領土は難しくても、せめて海は自由に使わせてほしい」と戸惑いを隠さない。  

 

我々には覚悟が必要な時がありますね。非現実 (理想) を現実の上に置く判断が時と場合により必要になりますね。これにより我々の自由は制限されることになりますね。欲しがりません、勝つまでは。このような判断には教養が必要ですね。         

「ロシアのウクライナに対する残虐な戦争は国内にも影響を及ぼしている。私たちが買う多くの物がより高価になった。だからこそ、私たちは覚悟を決めなければならない」。 (ショルツ独首相)   

「ロシアに経済制裁を科すことで物価高を招くなどの犠牲は伴っても、自由や民主主義といった普遍的価値を守り実現するためには仕方がないと、政治家は国民を説得し主張すべきだ」。  (大澤真幸氏)   

 

>北方四島との中間ライン周辺では、海保の巡視船とロシア国境警備艇の無言の対峙が続く。 >「国境の海」を空から守る前線基地、第1管区海上保安本部釧路航空基地でも、乗組員らが24時間態勢で有事に備える。 >海保関係者は「ウクライナ情勢を踏まえ、引き続き監視・警戒に注力する」と力を込めた。  

 

抑止力と対処力の必要な時代になりましたね。   

 

>「安全守れぬ憲法」  >日本を取り巻く海域ではロシアにとどまらず、中国、韓国、北朝鮮との緊張関係が続く。 >国民の生命を守るための備えは万全といえるのか。

 

治に居て乱を忘れずの心構えが大切ですね。   

 

>「情報が遅れれば遅れるほど被害は大きくなる」。 >津軽海峡に突き出た竜飛崎のある青森県外ケ浜町。  >町総務課の外崎文雄課長(59)は今年3月、北朝鮮から新型大陸間弾道ミサイル(ICBM)が発射された際の国からの情報提供に課題があったと訴える。 >発射から約20分後、県から第1報がもたらされたが、その後、続報は途絶えた。 >ミサイル落下後に海保が「竜飛崎の西約170キロに落下したとみられる」と発表。 >後に防衛省は、北海道渡島(おしま)半島から西約150キロの排他的経済水域(EEZ)内に落下したと推定されるとしたが、町が竜飛崎周辺の住民に防災無線で注意を呼び掛けたのは、落下から45分も後だった。  

 

日本人は平和ボケしているのでしょうね。非現実 (考え) の内容により日本人は目を覚ますことは難しいでしょうね。      

 

>東海大の山田吉彦教授(海上安全保障)は「尖閣諸や竹島、北方領土の問題は、侵略されているという意味だと理解することが必要だ。>ウクライナ侵攻により、主権をないがしろにすると、国家どころか、国民一人一人の命すら脅かされることが明確になった」と語り、こう続けた。  

 

‘ロシアが力による現状変更を行っている国はG7(主要7カ国)では日本だけだ。 北方領土だ。 だから、ウクライナ問題で、ロシアを一番強く批判しなければいけないのは日本だ。 (小野寺元防衛相   

 

>「国民の安全保障に対する意識は高くなっている。 >今の憲法で安全は守れないということに多くの人が気付き始めている」   

 

岸田首相、わが国の憲法改正はいつ完了するのでしょうか。わが国民の安全保障に対する考えを今回の参院選ではっきりと示す必要がありますね。       

 

>(大竹直樹)   

 

 

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藤原直哉氏  

2022-06-28 01:12:59 | 文化

 

>藤原直哉   

@naoyafujiwara  

>みんなよく考えたらいい。   

 

各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.     

 

>政府に頼って未来が開けたか?  

 

これは、他力本願・神頼みですね。  

 

>相場に頼って未来が開けたか?   

 

これも、他力本願・神頼みですね。  

 

>ワクチンに頼って未来が開かれたか?   

 

他力本願・神頼みですね。  

 

>反対に、価値観を共有できる仲間と共に未来が開けた、大自然のエネルギーを自分で利用できるようになって未来が開けた、という人はいまたくさんいる。  

 

‘求めよ さらば与えられん’ ですね。Ask, it will be given to you. 

自己の意思表示により得られたものからは満足感が得られますね。   

 

>7:57 AM · Jun 15, 2022·Twitter Web App  

 

 

 

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御厨貴氏  

2022-06-26 17:06:32 | 文化

 

>AERA dot.   >プロファイルの表示   >「野党ボロボロ国会」が閉会 御厨貴「国民・玉木代表は妖怪のよう」   >昨日 6:00

 ()

> 615日、通常国会が閉会した。 >政府が提出した61本の法案は26年ぶりに100%の成立率となるなど「無風」状態。  >闊達な議論が消えた国権の最高機関は、どこに向かうのか。  

 

そうですね。我々は何処に行くのかは、我々国民にとっても、特にわが国の政治家にとって重大な命題ですね。政治には時代の先取りが命ですからね。現在のような受け売りと後追いの政治ばかりではどうにもならない。         

 

>御厨貴・東大名誉教授と松原隆一郎・放送大学教授が振り返る。 >*  *  *  >松原:岸田文雄首相はうまく日本維新の会などを使いながら、野党を分割するように持っていっている。 >その結果、野党が野党にかみつくという、今までありえなかった状況が生まれています。  >憲法審査会をめぐっても、しゃべればしゃべるほど、野党は分裂していく。  >ロシアによるウクライナ侵攻があって、戦後80年近く左翼が持っていた「世界は善意でできている」「話せばわかる」という理想主義が壊れてしまった。  

 

そうですね。日本人の想定するお花畑と馴れ合いの世界は一瞬にして消滅しましたね。   

 

>連合だって、どこにつくのかわかりません。 ()  >御厨:自民党は何もしていないけど、野党は分裂して傷つけ合って。 >「野党ボロボロ国会」と言ってもいい。   

 

そうですね。野党の分裂は自民党の安泰に大きく寄与していますね。    

 

>国民民主党の玉木雄一郎代表は「政策実現のリアル」を追求するという。 >どうせ政権が取れないなら与党にすり寄ったほうが、何かやったときにメディアにとりあげられて、自分たちを大きく見せられるじゃないか、ということでしょう。   

 

そうですね。見栄と外聞の世の中ですね。   

 

>松原:実際、国民民主党はメンバーの多くが立憲民主党に吸収されて埋没していくと思われたのに、今国会では一定の注目を集めた。 >効果が出てしまったわけですね。 >参院選での選挙協力などをめぐって維新の会とケンカをしても、それもまた大きく報じられる。   

 

無哲学・能天気の賜物ですね。    

 

>御厨:あれだけメディアに出たら立憲民主党より目立ちますし、PR効果があったのは確かです。 >玉木氏は妖怪のようですね。  >元大蔵官僚で緻密な面もあるはずの人物が国会対策であれだけメチャクチャやるのは、参院選に勝つためのかく乱戦術でしょう。 >しかし、かつての新自由クラブのように、結局は自民党に入党して終わり、ということにもなりかねない。  >そのギリギリのところをやっている。  

 

建設的なところがないですね。    

 

>■野党かき回した維新の人材不足  >松原:維新の会もそうですが、公明党が自民党と組んだ20年間を見て、自分たちもああなりたい、と思ってしまったのでは。 >御厨:旧民主党も一度は政権を取ったんですけどね。   

>しかし、敗れた後も何をためらったのか、その総括をきちんとしなかった。   

 

失敗は良い勉強材料になるはずですがね。旧民主党は大きな好機を逃がした。もったいないことをしていますね。   

 

>結局、挫折から立ち直れず、ついには野党ですらなくなってしまった。   

 

無哲学・能天気の人間の成れの果てですね。これが本当の日本人の危機ですね。      

 

>立憲民主党も、一向に存在感がなかった。  >松原:共産党はどうでしょうか。 >御厨:前回の衆院選で立憲などと野党共闘をやったけれど失敗に終わり、維新の会のほうが議席を伸ばしてしまった。 >それでも、志位和夫委員長が責任をとるでもない。   

 

日本人は責任感が薄いですからね。   

 

>松原:私たちはずっと「党名を変えたほうがいい」と言ってきました。 >党名は変えなかったけれど、行動はかなり変わりましたね。 >御厨:志位委員長はウクライナ侵攻を受けて、「急迫不正の主権侵害に対しては自衛隊を活用する」とまで明言しましたからね。 >松原:反則でしょう。 >志位委員長からしたら、この50年間ソ連やロシアを批判してきたのは我々だ、ということですかね。 >「憲法違反と言われる自衛隊がかわいそうだ」と、9条を変えようとしていた安倍晋三元首相のハシゴを外したかたちです。   

 

自衛隊がかわいそうは、まるで人ごとですね。それは主権者の態度ではないでしょう。       

 

>御厨:天皇制も認めるということになってきているし、こうなると最後の砦は本当に党名変更しかない。 >「絶対変えない」と言っていますけど。  

 

日本人の文化には形があって内容がない。だから、形にはむやみ拘る必要がある。それで本質的な改革が遅れる。保守的になるしかない。          

 

>松原:今後はもう、共産党・立憲民主党・れいわ新選組でくっついて選挙するしかないでしょう。 >社民党は、参院選で一定の票数を確保できないと公職選挙法の「政党要件」を満たさなくなる。 >党がなくなるかどうかの瀬戸際に立たされている。  >御厨:社民党はもはや、福島瑞穂党首を当選させる会になってしまった。 >れいわの山本太郎代表は、衆院の議席をなげうって、参院選でもう一度やり直すという。 >やり直したところで、それこそその先の展望がないと思うんですけどね。   

 

政治哲学のない政治家は致命的ですね。    

 

>松原:山本氏が当選すれば、ある程度、野党の中を引っかき回すことになると思います。  >引っかき回すといえば、やっぱり不思議な立場なのが維新の会。 >今回は、大阪の地域政党から「全国政党」になると言って、政策はどうするのかと思ったら、国民から公募するという。 >ある意味、究極のポピュリズムと言える。   

 

そうですね。自党の政策を国民に丸投げか。維新の会には自己主張というものがない。これでも政治家・政党か。日本人そのものでしょうね。これでは投票率が上がるはずもない。 

我が国には何でもあるが、ただ夢と希望だけがない。夢と希望は非現実の内容で、日本語の文章にはならない。だから掴みどころのないモノになっていて、日本人の想定外になっている。            

 

>御厨:言うだけ言った松井一郎代表も、来年で引退していなくなる。 >松原:野党を内側からたたいて、ここまでボロボロにした一つの要因は維新の会ですからね。 >御厨:維新の会の候補者を見ると、新人といってもなかなか良い人がいないから、立てるのはどこかの元国会議員とか、元県議会議員とかが目立つ。  >そういう人たちもやっぱり議員がやりたいから。  

 

見栄と外聞の問題ですかね。    

 

>松原:自前で人材を育てようという気概が感じられない。 >維新は確かに大阪の財政を改革したのかもしれないけれど、大阪府はコロナ禍で、人口あたりでは全国で最も多い死者を出した。  >背景には、保健所を統廃合したことなどの影響が指摘されている。 >それが問われないというのもどうなのか。   

 

そうですね。あいかわらずの勉強不足でしょうね。    

 

>──ところで、参院選が終わると、国政選挙のない「黄金の3年間」が訪れると言われています。 >国政は、どんな方向に向かっていくのでしょうか。 >松原:選挙までによほどの大きなスキャンダルがなければ、自民党が勝つでしょう。 >その後、何を大きな課題として出していくのか。 >新しい資本主義か、改憲か。 >3年間もつだけの大きな課題を出さないと、皆ついてこない。   

 

改憲は大きな課題であると思いますね。急ぐべきですね。戦後アメリカの若者は日本人の為の金科玉条をたったの一週間でつくりあげました。       

 

>■「黄金の3年間」何に取り組むか  >御厨:黄金の3年間を浪費するか、うまくいくか。 >私は浪費する気がしていますけれどね。   

 

そうですね。我々は無哲学・能天気で、時間の浪費が大好きですからね。   

 

>松原:岸田首相は、本当は切れる人なのだ、という潜在的なイメージはまだ残している気がします。 >今度の選挙にどういう形で勝つかも重要で、大勝した場合、「新しい資本主義」なのかはわかりませんが、富裕層への税制改革をやらざるを得ないのではないか。 >民間企業が配当に回す割合が増えていたら、賃金が下がるのは当たり前です。 >ところがよくわからないのは、ここにきてまた資産所得倍増計画を出して、富裕層のリクエストに応えるようなことを言っている。  

>御厨:財政のことを考えたら、富裕層に切り込まないと駄目でしょうね。 >痛みを伴う改革になりますが、それを誰がやるのか、ということになってくる。  

 

それは新しい資本主義を言い出した人がやるのでしょうね。    

 

>やっぱり、外交案件が先に来るのではないか。 >憲法改正の議論も、それに絡んでくるかもしれない。   

 

その前に国内の体制をがっちりと整えておく必要があるのではないでしょうか。   

 

>松原:ロシアのウクライナ侵攻に伴う混乱は、あと3年間は続くでしょう。 >その間、中国が台湾を攻める動きを見せるかもしれない。 >そのとき、岸田政権がどのように対応していくのか。  

 

岸田政権の対応は彼の机上に幾筋かのシナリオとして整えられているでしょうね。   

 

>沖縄も、台湾有事に備えてどういう配備をするかという話になってきた。 >台湾で何か起きたら、沖縄は第一線になります。 >普天間基地をめぐる米軍との関係も、自衛隊の配備のことも、仮に戦火が起きたときに日本がどう対応するのか、想像しながらやっていくしかない。   

 

岸田首相の対応に関しては、そのあらゆる選択肢が彼の机上に並べられていることでしょうね。     

 

>御厨:菅義偉前首相のように沖縄に対してすげなく当たるのではなく、抱きかかえるようにしてやるしかありません。  >しかし、岸田首相にはこういう交渉の経験がない。

 

首相が未経験なら経験を積むしか手がありませんね。   

 

>松原:最新の情勢を理解している国際政治学者などを集めて、かなり勉強していくしかないでしょう。 >官僚だけでは駄目で、防衛研究所などの人材も生かして、何らかの結論を出していくしかない。  >野党も、リベラル派ながら現実的な軍事研究をやっている人をどれだけ取り込んでいけるかが鍵になると思います。  

 

使えるモノは何でも使えということでしょう。    

 

>御厨 今は国会全体の危機。

 

そうですね。日本人は議論に下手ですからね。政治哲学がなくては議論にならないでしょう。   

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)   

 

>野党にはエールを送りたいです。   

 

野党も与党も勉強が不足していますね。 我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 我が国の ‘かな漢字’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語のかな漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。だから表記法の改革も進まない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。          

為せば成る。為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり。 (上杉鷹山)   

 

>(構成/本誌・村上新太郎)

>※週刊朝日  202271日号より抜粋    

 

 

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