鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

死後の旅その3

2016年09月05日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 日ごろから信心には無縁の生活をしてきたし、葬儀を執り行う側になるのは幸いかな、ほとんどなかった。上司や知人の葬儀には出席することはあっても、詳細な段取りや、儀式には疎かった。義母の葬儀を行った以後、川崎に戻り、次は四十九日だなと女房と言葉を合わすぐらいであったが、葬儀の後始末は意外と煩雑である。

 

 お寺が九州にあるため、できるだけのことを九州で行ったつもりであったが、葬儀の出席者や香典のお返しには、出席いただいた方々の芳名帳だけでは判明しない住所や、個人との関係がよくわからなかった。それらを調べ上げ、エクセルで票集計を行った。帰京前には、お寺の住職と直接会い、葬儀にかかわるお布施をお礼とともに手渡しし、四十九日法要の日程調整を行った。併せて、来年の初盆と、一周忌を合わせて行いたい旨を伝え、日程についても決めることができた。

 

 四十九日は、死後、7日ごとの供養の7回目に当たり、中陰法要といっている。いよいよ亡き母も、仏の道に進むことになるとのことであるが、ご遺骨の埋葬と、白木の位牌を本位牌へ変えること、仏事では魂を移すそうであるが、そのための本位牌の準備がある。この儀式が済めば、香典等葬儀や通夜の参加者に参拝のお礼と香典返しを行うことになる。

 

 母の死に伴う生活に必要な電気、ガス、預金通帳、税金、年金、健康保険等の名義変更や、資格証の返納等がある。遺産相続が発生するが、相続人の協議に入る前には、しかるべき書類作成が必要となる。戸籍謄本や住民票、印鑑証明、固定資産の確定等の準備がいる。遺言書があったわけではないので、それは無視できるが、大きな財産がなくても、相続に関しては時間を取って取り組まなければならない。

 

 早速、自分の自宅近辺にある仏壇店に駆け込み、本位牌を決め、発注した。今後はファクスでやり取りしながら進めることになり、10日前後かかる見込みである。四十九日の法要の前には、参加者への電話連絡、自分たちの航空機の手配、レンタカーの予約、法要後の精進料理の手配や参加者への手土産等も準備することになる。

 

 土地や畑、山林等の登記簿謄本(権利証)等は、現在では添付する必要はないようであり、相続にかかわる各種申請書類作成のため、詳細については今後も、自宅を管轄する法務局へ相談に足を運ばなければならない。


死後の旅その2

2016年09月04日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 葬儀と同時に初七日を済ませ、葬儀社と同じ地域にある懐石料理屋で精進料理をふるまうことにした。葬儀は家族葬で行ったが、実際には、葬儀に参加され、お手伝い(ボランティアか?)をしていただいた居住地区の方々も参加されていた。家族葬が十分行き渡っていない地域でもあり、家族葬を経験されていない状況でもあった。その意味で前日地域の代表者の方と喪主との話し合いが行われた。

 

 無常(無情?)といっていたが、その意味は、たとえ、村八分の関係にあっても、残りの二分、すなわち、火事と葬儀については、村全体で行ってきたという因習のことで、村人総出でお手伝いをするということのようであった。このことをとやかく言うつもりはないが、町場との違いを体験した。その意味だけではなく、生前に義母がお手伝いをした方々が、返礼を兼ねて手伝いを行うという意味が強いのかもしれない。喪主がこのことを拒否することは、ほとんど考えられないことであり、過疎の村であってもいずれは家族葬に変わるとしても、それには時間もかかるし、そんなに簡単ではなさそうである。

 

 葬儀の順序が都会の場合とは異なることに当初は違和感を覚えたのであるが、実際に葬儀前に火葬場へ行っての荼毘については、火葬場の業務時間をフルに使うことを考え、また、葬儀を早めに行うこと等、その順序はあまり意味がないのであろう。特に夏場は遺体が傷むことを考えれば、お骨での葬儀はそれでよいと思う。早朝には出棺があり、遺体を少ない人数で死に水を取り、死出の旅路衣装に変え、納棺士による死化粧を施し、水杯で別れを行い、お棺に花を入れ、くぎ打ちまでの一連行為は同じである。

 

 火葬場での荼毘には住職は同行せずに、火葬場の職員だけで行った。時間にして約2時間であった。遺骨を葬祭場に持ち帰り、親族と弔問客による葬儀場へ移し、脇導師も含め、粛々と厳粛なる儀式が執り行われた。親族や家族を別席で、精進料理でもてなし、一連の葬儀は終了した。通常は、遺骨をお寺に預けるようであるが、義母の自宅へ持ち帰り、四十九日の忌明けまで仏壇に安置することにした。お骨は布製の袋に入っているため、四十九日に帰省するまで空き家となるので、人形ケースを利用して、そこに納めることにした。

 

 地方の操作以上については、開設後まだ2年という新築の施設であったため、すべてが新しく、機能的であった。職員の方も皆さん親切で、ムリ難題を聞いてくれた。これからは高齢社会、多くのニーズが期待されるビジネスに成長するであろう。


死後の旅その1

2016年09月03日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 法事があり、急遽女房の実家へ戻ることになった。99歳の誕生日を迎えた義母が前日の深夜1時に他界したのである。特養ホームに入所していたが、約十日前に戻ってきたが、その後、様態の変化が連日気がかりではあった。夜間に鳴る電話には神経をすり減らしていたところであった。死因は老衰であるが、数日前からは意識はなく、呼吸も時々止まる状態であった。施設の方で、点滴と酸素テントを張っていただいていたが、天寿を全うしたといえる。死亡の電話連絡は女房の方へ入っていたので、自分は翌朝知った。

 

 取り急ぎ、航空機の手配を行ったが、土曜日と夏休み明けでもあったため、空席は僅か3席であった。予約を取り、併せてレンタカーも何度か使っている店舗へ依頼した。法事に必要な喪服やその他着替え等をザックに詰め、飛行場へ向かった。午前11時には目的地の空港に到着し、義兄と合流し、その足で亡骸を安置してある特養ホームへ向かい、自室のベッドに横たわる義母と対面した。

 

 すでに検死は特養ホームが手配してあり、死亡診断書もできていた。同時に葬儀社の方へも連絡がいき、搬送用の車も特養ホームへ向かっているとのことであった。しばらくして遺体は葬儀社の方で車に乗せられ、斎場へ安置される手筈である。その後、斎場で葬儀社との話し合いに入り、檀家の寺の住職を呼び寄せ、枕経を挙げていただき、その後、住職を入れて、葬儀の打ち合わせを行った。

 

 通夜については翌日17時からとし、10時から納棺、翌日は28日が友引であったため、葬儀は1日後の30日13時とすることとした。地域の風習で、火葬は葬儀の前に行い、葬儀はお骨で行う。そのため、出棺は火葬場の始業に合わせ、早朝となった。

 

 親戚への連絡や出迎え等には直接かかわらなかったが、しかるべきルートでの連絡が行われた。ほとんどの弔問客は親族で、遠方から自家用車で駆けつけてくれた。数十年間お会いしなかった方ばかりであり、白髪の初老の姿には時間の経過を改めて感じた次第である。家族葬で執り行うことにしたが、これも、無き義母の希望であり、地域にはなじみがなく、その後の展開で多くの点で行き違いがあったが、通夜は無事に終わった。

 

 翌朝は早めに起床し、納棺の準備に入ったが、段取りも分からず、葬儀社が中心となり、死装束に変えられた義母には死後の世界を暗示する思いもあり、切なさで胸の詰まる思いであった。


技能とスポーツ

2016年08月21日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 以前から感じていたことであるが、スポーツはどんな種目にしても、人間の五感を働かせ、訓練によって、あらゆる能力が向上する。能力といっても、運動能力といった方が適切かもしれない。チームプレーについては、チームの構成員と息を合わせ、目的とする勝負に挑むのである。

 

 職業能力とは必ずしも同一ではないが、繰り返し行う技量はまさに職業能力の習得と同じ過程を踏んでいる。つまり、繰り返し練習することによって、体で覚える。スポーツの方はむしろ単純化されているかもしれない。今回、開催されているブラジルのリオデジャネーロでのオリンピックは個人に内在する運動能力を競うものである。ギリシャで発祥したといわれるオリンピックの当初は器具などを用いることなく(用いたとしても砲丸であり、円盤等である)、人体が持つ、走る、跳ぶ、投げる、持ち上げる、などの個人競技、レスリングやフェンシングのような戦さに必要な運動能力であった。近代になれば、その様相は変わってきてはいるが、基本は同じである。

 

 習熟は、繰り返すことによって、身体を構成する筋肉の力加減、反射能力、感覚能力を高め、瞬時に反応できる能力であろう。もちろん競技には種目ごとに必要とされる部位があり、加えて、精神力も重要な要素となっている。競技といわれるゆえんは、技を競うのであり、技とは、人体が持つテクニック、すなわち、無意識にコントロールできる昇華した技能としてのカンであり、コツなのである。

 

 これらの能力は、後天的な要素だけではなく、先天的な生まれながらに持っている能力が影響する。医学者ではないので断定できないが、これら先天的能力は誰しも同じだけ持っているわけではないであろう。そうなると、誰かが内在したそれらの能力を引き出す必要性が出てくる。よき指導者に師事することも大切となってくる。

 

 今回の競技で特徴的であったのは、個人競技だけではなく、団体競技の能力である。ダブルスといわれる競技は選手がペアとなって参加する。ペア同士の息が合わないと失敗する。これには精神性が問われていると思える。1プラス1が2ではなく、3や4となる世界を見た。精神性、連帯感が勝負を左右するのである。相性というのか、相手との連係プレーが、相手の能力を引き出しているようであった。仕事との共通性を見出し、スポーツであっても、原点に人間関係が重要な要素としてあることを改めて感じている。

 


古稀を迎えて

2016年07月27日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 虎は死して皮を残し、人は死して名を残すといわれている。しかしながら、物質面からいえば、人体を構成する物質(質量)は、質量保存の法則で、生きているときと死んだ時ではプラスマイナスゼロと大雑把にはいえるであろう。地球にある物質で作られ、生を与えられて活動を停止すれば、その間の体重変化や大きさの違いはあるが、実質的に地上の質量は変わらない。これを仏教界では無というか、空というのである。無は有の反対語であり、有ることは無いこととイコールなのであり、達観はなんとも不可思議な感じがする。

 

 輪廻の思想を信じている現代人は少なくなったと思うが、人間の生へのこだわりは、死んでしまえば二度とこの世には再現不可能であり、人間として生まれた時点で寿命が決まっていて、どのような高度な科学技術や医療技術が発展したとしても、例えば冷凍保存や低温保存を行ったとしても、寿命をコントロールして、2倍の寿命すら得ることは不可能なのである。解っているが、それでも長生きしたいという思いは誰しも持ち合わせているし、できることなら1日でも長生きできればと願うのである。

 

 では、物体は死んだとしても、精神(質量を持たない)や魂はどうかといえば、これは分離できるものではなく、肉体が死すれば精神も死するということで、一体的であると自分は思うが。脳死を人の死であるとしている医学界であるが、脳が死んだとしても、人工的に植物状態で生きることは可能である。では、IPS細胞等の移植による部分的な再生を試みる医学が発展し続けているが、果たして動作や感情をコントロールする脳までも取り換えることが可能なのであろうか、今後の技術進歩等の展開を待つ他はない。倫理的な面もあり、植物人間としての延命についても、尊厳死で問われるように、人間が生きる意味を含め、限界論もある。究極には、クーロン人間を生み育て、壊れた部品を交換するようなことについても倫理上の合意が必要となろう。

 

 特殊装置によって、脳細胞だけが永遠に生き続けられ、個人としての意識を温存できたとしても、それはもはや自我を持つ人間といえるのであろうか?人知では判断できないSF(サイエンスフィクション)の世界であろう。自分としては流れる時に身を任し、自然の中で生きることの大切さを改めて思うが、寿命というとらえ方をベースにし、肉体と精神の健康のバランスを保つような努力は続ける必要はある。

 

 人の足跡は手段や方法によって(石碑や口伝等)永続性を持つが、いずれは忘れ去られる。それでよいと思うが、良きにつけ悪しきにつけ、自分の生きざまを後世の人の生き方に影響力を与えることができれば幸せなことであろうとの思いで過ごしていきたい。


古稀を前にしてその2

2016年07月26日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 人生の経過は流れる水のごとくで、 古稀を迎えるとは、終着地に近くなり、終末の準備段階でもある。時間の経過は留めることができず、逆行するわけにはいかない。自然の流れに身を任せなければならないであろう。どのような人生であったかは、他者との比較でみることにもなるが、どのような人生を歩もうとも、この世に生を受けた偶然と、自分の身に降りかかった多くの出来事の再現は不可能であり、不思議な出来事の連続であった。

 

 そう考えると繰り返しと思われたことは、決して同じではないことが分かる。明日は今日の続きではあるが、今日とは違う世界が広がっている。同じことを行ったとしてもそれは新たな経験であり、昨日とは同じではない。何事も時間の経過とともに変化しているし、その変化に気づかないだけであり、あらゆる変化の中に置かれているのである。

 

 時間の経過とは、太陽の周りを自転しながら1周する活動を1年とし、それを365日で1日を決め、24時間に分けて昼間と夜を区別し、1時間を60分に分け、1分を60秒に分けた。正しくは若干の時間に誤差があるため、閏年で調節しているが、秒に換算すれば、60×60×24×365×70=2207520000秒になる。

 

 誰にでも与えられているこの秒数は70年を生きた証であり、身体が刻んだ時でもある。この間をいかにして生きたかは、人それぞれが異なるが、確かに22億秒とはすごい数字である。年単位で70年といっても日単位では25550日、時間では613200時間である。

 

 時間の経過とは過ぎ去った時間が人間をどう成長させ、どれだけの社会貢献と人への影響を与えたのか、身体が消費したものと生産したものの差が、または善行と悪行の差が、貢献と享受の差等がその人の生きた価値を決めるのである。これらの項目や事象の尺度は決まっているわけではなく、あくまでも概念的なものであるが、古代エジプトの死者の書によれば、生きた価値をアマトの羽根と個人の心臓(魂)とを天秤にかけて判定を行う思想はその後の宗教に影響し、例えば、キリスト教ではゴッド(神)の前で、天国と地獄とを前世の贖罪の軽量で、死者の来世を決める。エジプトの考えがインド仏教に影響したかどうかは不明であるが、仏教においても死後、閻魔大王の前で問われる。これらはやはり天秤が関係しており、大変参考になる。

 

 生きるもののすべてが死を迎える。死することで新たな生を生じさせ、意識のあるなしにかかわらず、そこには継続性を展開するとする世代交代が粛々と行われる。幸いなことに人間世界は、子孫の誕生後を共存できる特例を手に入れている。


古稀を前にして

2016年07月25日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 ご承知のように、杜甫の詩に「人生七十古来稀なり」から採った語で七十歳の異称として用いられている。古希と書くことがあるが、これは代用字である。年齢が70歳になった人は我が国ではさほど珍しいわけではないが、古く杜甫の時代では稀であったようである。昭和21年生まれ、4月以降12月までに、また昭和22年1月から3月末までに生誕した人が同学年であるので、同学年では留年等をしなければ、古稀を迎えた方とこれから迎える方がいるわけである。

 

 例えば、古稀を記念とする同期会は、同期が全員古稀となる翌年3月末まで待った方が良いことになる。そうはいっても個人的にはそこまでシビアに年齢を数える必要はないと思う。早めに済ませても問題とはならないであろう。なぜなら、学年と年齢は必ずしも一致しないからである。

 

 昭和21年といえば、第二次世界大戦の終戦日が、昭和20年8月15日であるので、戦後誕生したわけで、幼児期は記憶がないので、戦後の状況の記憶は全くない。団塊の世代は22年から数えるようで、戦後のベビーブームの草分け的存在である。戦後復興から現在に至るまで、明治、大正、昭和、平成の時代変化をいろいろな場所で経験して来た。当然、記憶に残る誕生前は、祖父や祖母から聞いた話が主であるが、曾祖父や曾祖母との接触もあった。平成生まれは、孫がいるので、年代とすれば6世代との関係を持つ。

 

 最近は出生率の低下で、世代間の人口比率の逆転が起こっている。年齢の分布を取ると、風船のような形となっていて、頭でっかちの釣り鐘型から裾が狭まった形となっている。理想的な形はなだらかな富士山型が良いのであるが。こればかりは強制できないこととして、現実を受けざるを得ない。ところが、選挙等の国政の意見傾向が、シルバー民主主義などといわれるようになってきていて、高齢者人口が若年者を上回るようになると若年者に取ってみれば政策にバランスを欠き、不利になる可能性の高い状況が起こり得る。特に年金や、介護などが社会の疲弊を起こす危惧があるとして話題となっている

 

 さらには、都市部への人口集中と、地方の過疎化である。地方自治体も合併等で、対応を取っているが、過疎化がもたらす環境の変化は格差社会の原動力となっていて、早急に解決しなければならない問題も浮上している。高齢化も著しく変化してきていて、世代間の考え方も多様化しつつあり、積極的な関与と、世代間の認識のズレをすり合わせる等、今後の我が国の抱える問題解決に努力しなければならないと思っているところである。


成功体験その3

2016年07月19日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 ではどのような態度や心構えで臨むかということになるが、体験できる環境があり、適切な指導者がいるに越したことはない。指導者は、親や家族も含まれるが、できれば、血縁や地縁がない者の方が良い。身内といわれる世界は甘えが自然であり、厳しさの世界を体験できないことが多い。マンツーマンの体制がベストである。指導者は、学校教育では、先生と呼ばれるが、指導者は親方、指導員、教導、教師、教育者、教授、講師など呼び方もさまざまで、所属する組織によって異なるが、要は、教育訓練の専門家である。マンツーマンであれば、四六時中付き添うことによって、受講者や弟子・生徒が、集団教育とは異なり、個人の能力に応じての教育訓練プランを作成してくれるし、進捗度に合わせて丁寧な指導が可能となる。(実際の現場では古風な指導もあり、何も教えないことを旨とする等、ある意味ばかげた世界もあるかもしれない)

 

 この場合、指導者も生活しなければならないので、かかる費用も膨大となり、保護者としては教育費用が必要となる。車で言えば、お抱え運転手のようなもので、受講生が数人まとまれば、負担も分散されるため、安価で済む。教わる内容にもよるが、高度な技術や専門性の付与には、できるだけ公共施設を利用することが考えられる。特殊な専門性を求めるならば、選択可能な範囲も狭まるし、対象となる受講者も選別される等誰にでも門戸が開かれているわけではない。

 

 少数精鋭を目的とする場合には、良い指導者との出会いは偶然性が高く、必ずしも一般的ではない。そこで、個人的な教育はさておいて、同学年が通う地域の施設等を利用することになろう。施設の評判等を参考にして選択されればよいが、向き不向きもあるので、子ともにとってふさわしい環境かどうか、事前に見学する等体験入学的な機会を利用された方が良い。

 

 職業訓練に長年従事した関係で申し上げれば、短期間の訓練の成果は、就職に必要な技術的要素を段階的にまた知識については体系的に指導する。訓練は、見るだけではなく、自らが、道具を使い、工程通りに実施することが大切で、指導員がやって見せて、それと同じ動作ができるように繰り返し練習させる。ただやらせるのではなく、次の工程を考え、失敗すれば、その理由を考え、成功する方法を編み出すのである。指導者は決してすべてを教えない。世間でいう、出し惜しみや、教えてしまって立場が逆転するなど言われるが、そのようなことはない。指導者であっても、すべてが分かっているわけではなく、教えてすべてを無くすなどは考えすぎというものである。

 


成功体験その2

2016年07月18日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 誰しも認めるところとして、成功体験の連続というわけにはいかない。成功体験を継続できることはできないこととの比較において、勝負では負ける、ものづくりではできない、知識では理解が不十分で、分からない等成功とはいえない事柄の方が多いのかもしれない。

そこで大切なことは、失敗やできない、分からないことが生じた場合の気持ちの持ち方であろう。

 

 解決の糸口を探すことに気持ちの切り替えができればしめたものであるが、通常、失敗すると、失敗の原因を考えもせずに、諦めてしまう。これがまた次の失敗を誘い、その結果、ダメ人間を作ってしまうことである。再挑戦をするためには、やみくもに同じことを繰り返すと、負のスパイラルに落ち込んでしまい、出口が見えなくなってしまう。

 

 誰しも何事においても、初めて挑戦することは、失敗のリスクをすでに抱えていて、成功する方が稀であろう。したがって、初めから成功するなどと思わない方が気楽になれる。スポーツ選手の例が分かりやすい。本来持っている力だけでは、競技会等で入賞できるかどうか不透明で、ドングリの背比べである。一番になるためには、練習を行い、必要な筋力や持久力を高め、限界に挑戦する。常に他者との比較は、自己能力との挑戦となる。

 

 最新機器を利用して、自己の持つ能力の限界を知り、理想的な体形や、技の向上を図る。ビデオ等で、他者の弱点を知り、または己の弱点を知り、弱点を改善することによって、一歩前進するのである。前回、孫の優勝の話をご披露したが、前回行われた競技会で、優勝し宿敵に負けたという悔しさは、大いに、発奮する原動力になったと思える。なぜ負けたのであろうか、なぜ勝ことができなかったのか等の原因を探ることから始めたようである。熱心な父親がビデオで撮った映像を一緒に分析したとも言っていた。

 

 勝負は時の運でもある。体調一つにとっても、体調不良であれば、挑戦する意欲すら減退するであろう。しかし体調管理ばかりではない。誰も教えてはもらえないカンやコツは、自らがその状態になって初めて理解できるものであり、繰り返すことによって、自然と身につくものである。技の世界は、理論が優先するのではなく、体得した技が成功の成否を決める。何事にもいえることで、自転車を乗れるようになるのも、理論的な組み立てではなく、バランス感覚を体得して初めて乗れるのである。知識で分かっていても自転車に乗れなければ、意味をなさない。技の世界は知識とは異なる習得のメカニズムであることはご理解いただけたであろう。


成功体験

2016年07月17日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 社会の中で人は学んで成長する。学ぶイコールまねるである。その顕著な例は言葉であろう。人、高等生物まで広げてもよいと思われるが、母親の体内にあったときから音を聞いていて、言葉につなげていく過程では同じ言葉を何回も耳にし、周囲の状況等と重ね合わせることによって、言葉の意味を知り、己も声を出してまねていく、学ぶのであり、繰り返すのである。

 

 訓練は体感し、同じことができるようになるまで繰り返す。習熟曲線なるものがあるが、訓練を行うことを意識して行うとすれば、子弟の関係の場で、グラフにすると、縦軸に習得度、横軸に時間・回数を取ると右肩上がりの曲線となる。途中、いくつかの段階があり、プラトーというなだらかな曲線が数回現れる。スランプといってもよい。習熟が進まないのである。最初は、急なカーブを刻むが、途中に止まるところがある。これを脱するとまた急カーブとなる。

 

 この習熟曲線は、年齢、興味の程度、提供される機会、指導者の有無等によって異なり、学ぶ対象の難易度によっても遅速が異なる。つまり、条件の与え方によってその展開が異なるため、できるだけ環境に考慮し、指導者を選び、学ぶべき機会を適切にコントロールしていかなければならないが、本来的に生まれながらにして親等から授けられた遺伝子の働きも無視できない。あまり先天性をいうと、後天的な学校等の教育を否定することに通じるため、断定しないことにするが、とにかく、成功体験の影響が強く影響するといえる。

 

 興味を存続させるということなのであるが、競争させることで、対抗意識が生まれ、新たなステージへの呼び水となるのも確かなことである。さらに付け加えれば、達成目標を与え、本人が少しの努力で、その達成目標をクリアさせることを意識して行うと、本人の習得進度にあっていれば、次のステージの目標を与えるのである。この時もあまりにも達成が困難な課題では逆効果になりやすい。一般的にいわれるステップバイステップである。このことは階段をイメージすることもある。

 

 実はなぜこのテーマにしたのかは、小学校3年生になった孫が地域の空手選手権で年齢別・クラス別の競技会で優勝したのである。また、大人を含めた参加者の中で、MVP(最優秀者に贈られる)に輝いたのである。経験年数からすれば5年ぐらいだと思うが、今の帯は有段者の黒と無段者の白のほか多くの色別があるようで、8本の帯をクリアしたらしい。将に習熟にあった学習が行われた結果である。


都知事選挙への思い

2016年07月13日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 東京都知事選の立候補者が揃いつつある。今日はニュースキャスターの鳥越俊一氏が立候補を行った。野党の与党対立候補として抜擢されたようである。人物は野党がス推薦するとしても、立派な人物として、知事に選ばれるとすれば、都政を引っ張るにふさわしい人物と思われる。芸能人が悪いわけではないが、人気で都政を引っ張ることは不可能であろう。都民の反応はさまざまであるが、願わくは、スキャンダルに染まることがない人物を選んでほしい。

 

 お笑い芸人が悪いわけではないが、果たして組織のトップとしての行政能力から推量すれば、何も冒険を犯す必要はなく、単なる芸の世界でちょかい出すなといいたい。気はバラエティ番組では良くても行政に役立つかといえば、全くの筋違いで、東国原にしても、宮崎県知事を経験したとはいえ、そのレベルが都政に通じる保証もないし、座興で済ませることではない。東京都も不幸な知事を暦年続けてきたことの愚かさを感じている。逆のいい方をすれば、誰でも知事は務まるという、誤解を生んできたことである。芸能的な人気が、そのまま都政のトップとして務まるわけではないことは、すでに承知されている事実である。

 

 石原、猪瀬、舛添とよくもこの程度の人物を都民が選んだものである。案の定、都民の立場で都政を引っ張ることはできなかった。金銭欲や、私欲にまみれた引き際のふがいなさは記憶に新しい。知事は知事選によって選ばれるし、都議会のトップとして君臨する。しかし都議は都議戦によって選ばれるため、そこに埋め尽くしがたい組織上の権限の不透明さを感じている。一層のこと、都議選で選ばれた議員の中から知事を選べばよいのではとの邪推が働く。選出システムについては知る由もないが、なぜか漠然としていて、その手法は全国に及んでいる。

 

 二重行政とまでいわれるこの選出方法に対し、都民や他の知事を選出する側の疑問はないのであろうか。責任分散と組織運営は異なることは最初から分かっているのに、なにゆえに知事と議員を別々に選ぶのかが理解しがたい。日本人の綱渡り精神がなせる技としても、国際的に理解が得られているのか疑問だらけである。

 

 そのことはさておいて、選挙制度が持つ多数決方式が相変わらず、まかり通ることになるが、施政方針の演説やその機会がなく、短期のうちに都議選が企画されている。実際には候補者が考えるそれぞれ異なる都政に対する思いを、ぜひ公開の場で語ってほしいと思う。そのことなしの人気投票であれば、将来の都政に禍根を残すこととなるのは明白である。


参議院議員選挙雑感

2016年07月12日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 争点がはっきりしない選挙であったが、開票が終わり、与党の勝利で終わった。というよりは選挙によって新たな人材による付託の始まりである。政権側では当然の結果であったというであろうし、選挙に負けた野党側では、有権者に対し、主張した内容の浸透が十分ではなかったといい、有権者の動向に対しての反省を行っている。得票数で順位が決まる選挙制度は、前回も触れたが、多数決制度の代表的な意思決定制度である。数(得票数)が多ければ地区別や、政党別の得票によって、あらかじめ決められた議員数を選出するのである。

 

 従来からいわれているように、割り振られた当選者数は、居住地域の有権者数によって、得票数に差が出てくる。1票の格差という問題である。この格差が少ないに越したことはないが、人口密集地と過疎地とでは居住面積の違いや人口密度の差があるため、必ずしも同一とはならないし、年齢構成も異なってくる。したがって、同日選挙といっても選挙区による違いは得票数ばかりではなく、居住環境によっても異なることが分かる。

 

 つまり、全国で行われている選挙は、同一のような条件と思われているが、多くの点で、違いがある。選挙結果の処理は当然同じであり、投票日、投票時間、投票方法等は同じになっている。そこには不正が起こらないように厳重なチェック体制を持ち、選挙管理が行われている。不正が行われることは皆無とはいえないまでも、選挙が無効となるような事態には至っていない。

 

 有権者がどのような選択をするかは、開票するまではわからないが、開票開始とともにほぼ動向がつかめるのは、出口調査なるものの存在である。そのほか、過去のデータによることもあり、発表する側のノウハウがあるようで、大幅な狂いはない。

 

 今回の選挙においても、党首が落選するといったことも起こるし、得票数によって比例方式による当選者を決める選挙も同時並行で行われている。その意味では投票による選挙で落ちても比例選挙で復活することがあり、違和感を覚えざるを得ないが、政党によるグループ分けも意味があるから採用されていると思われる。

 

 しかしながら、将来を予測しての選挙は、ある意味では、人物のすべてを知っての投票ではなく、十分な担保があるわけではなく、賭けに近い未知数の期待が含まれている。全権を委任しているのではないといっても、任期中の付託は、議員となってしまえば豹変しても仕方ない余地を持つ。


ハスの便りに誘われて

2016年07月11日 00時00分01秒 | 緑陰随想

  連日、曇天が続いていたのであるが、今日は晴天に恵まれた。参議院議員選挙の当日である。選挙を済ませてからの外出と聞こえは良いが、夕方8時までの投票時間があるということなので、午前中に、町田市の薬師池公園のハスを見に行くことにした。薬師池のハスは大賀ハスで、親株は、図師大橋という場所で、薬師池から距離にして3㎞ぐらい離れているが、セットで見に行くことにした。

 

  写真撮りで外出するときは朝方いつも声をかける近所の友人と一緒であった。何度か現地に一緒に行ったことがあるので、9時に待ち合わせ、ご自宅でピックアップした。乗車時間は1時間ぐらいであったが、日中の陽射しは強く、真夏を思わせる気温であった。先に図師大橋の方へ回ることにしたが、しばらくぶりであったため、脇道を一つはやめに曲がってしまい、日大高校の裏手に出た。目指す方向に車を進め、小田山神社の周りにある蓮田についた。

 

  ハスはつぼみの状態が多くあり、時期的に二三週間早い感じがした。開き加減のハスもあったため、カメラに何枚か収めた。すでに数人のカメラマンがいたが、気にすることもなく蓮田に入っていった。蓮田には看板が立っていて、大賀先生が発見して生育に成功したことや、千葉からこの地に株分けしたことが発端のようであった。このほか、ハスの繊維を利用し製糸としたものを布に織る技術も紹介されていた。

 

  写真を撮り終えたあと、薬師池公園に向かった。地元農協による朝顔とホウズキ市が開かれていて、まばらの買い物客が興味ありげに手にとって、農協の係員から話を聞いていた。入り口近くには大きな鉢に入れたハスを見たが、ここもまだ満開には至っていなかった。一回りして見学を終えた。

 

  最近池の水をさらったようであるが、水質は見た目では変わりがないようで、期待していた透明な池ではなかったのは残念というほかない。出来うるならば、浸透してくる水を浄化させるとよいのであろうが、それほど大掛かりなメンテナンスではなかったようである。水質が透明度を持つには浄化機能だけではなく、周りの落ち葉や、池に入る多くの水路もメンテナンスをしなければならない。そのほか、循環等の問題があるのかもしれない。ミドリガメが多くいたが、今回はほとんど目にしなかった。

 

  お昼近くになり薬師池を出て、帰路についた。途中、いつも讃岐うどんの店に入り、ぶっかけうどんを食し、満腹となった。知人も満足したようであった。


新宿での会食

2016年07月09日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 港区にいる弟夫婦と女房とともに4人で、弟の誕生祝を兼ねて新宿で待ち合わすことにした。久しく会っていなかったが、交通の便を考えると、待ち合わせる場所としては丁度よい距離にある。今回の会場は、高島屋の14階にあるベルギービールを供するレストランである。自分は初めて行く場所であったし、新宿駅南口のバスターミナルができてから初めて訪れた場所である。午後5時の待ち合わせには、いささか混雑していた駅前であった。

 

 通りすがりの若者の多くは、外国人と思しき集団である。話す言葉が日本語ではない。まるで外国にいるようであった。季節がら薄着でど派手な衣装を、新宿独特ではないであろうが、ファッション雑誌から抜け出たような洗練さを感じる。新宿駅周辺は国際都市にふさわしい一面を持っている。スーツケースを引きずる集団は中国人のようであった。

 

新宿は高校時代に高校が新大久保にあった関係で、3年間通い、その中継地点であったため、なじみ深い、といっても既に50年前のことで、その変貌ぶりは昔の尺度では表現しづらい。今ほど人口がいなかったのかもしれないし、地方の繁華街とさほど違いはなかった。この50年間に西口の飲み屋や、東口の中村屋へは毎年のようにいく機会があり、JICAも南口にあったころは仕事の関係で何度か行っていた。その時はそれほど多くの外国人とは遭遇することはなかったが、今回行って、ずいぶん外国人が増えていることが分かった。

 

ベルギー産ビールで乾杯をし、お互いの息災を祝うとともに、68歳となる弟の息災を祝った。話す話の多くは健康に関することであるが、無精をしている身にとっては耳が痛い話が多く、聞くふりをしていたが、いやなものである。健康に勝ることはないし、女性陣にとっては、日頃より心配をかけているし、反論できる立場ではないことも承知していて、いわれていること一つ一つはもっともなことである。

 

飲み薬に頼る生活は避けたいが、この年になって、薬も生きる糧である。症状が改善する兆しがなければ薬に頼ることもありうるとの自戒の念であった。まあ、親より早死にしなかったことに、光明を見ることにした。そういえば、同期生の訃報と背中合わせ、飲めることにどうにか自分を取り戻し、健康でいられることに感謝した次第であった。

 


危険と隣り合わせの散歩道

2016年07月07日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 注意散漫には気を付けなければならない。無謀運転の乗用車とバイクである。愛犬の散歩で使う一般道、普段から慣れ親しんだ遊歩道、今日は2回ほど危険な状態に出くわした。気温が上昇していると運転者の方も注意散漫になりやすい。もちろん、交通事故は一方的に交通ルールを無視したことで発生しやすいが、とっさの判断で回避できる場合も多い。

 

 歩行者も、慣れた道であると、気が緩みがちとなり、事故を起こす要因となる場合がある。今回は歩行者の方の過失ではなく、運転者側の無謀運転である。前者は、優先道路から方T字路へスピードを緩めずに侵入してくる乗用車である。車道にはミラーがあるが、そこで確認せずに、また、スピードを緩めずに侵入した場合の出会い頭の事故可能性である。

 

 犬を連れた散歩中であり、知人も散歩から帰ってきたが、犬同士は仲が良いので、リードを長くしていた。そこに乗用車が侵入してきた。とっさにリードを短くしたため、寸でのところで事故は起こらなかったが、危険極まりない運転に、憤慨した。乗用車は車を止めることもなく、スピードを緩めずに走り去った。女性の運転手であり、危険極まりない運転者が近くにいることは、十分注意しないといけないと思った次第である。一方、犬のリードもすぐには戻らない構造で、そのことを知った上での使用が大切であろう。

 

 後者は、遊歩道をバイクで走る運転者である。これにはいささか驚くと同時に、ルール無視は甚だしい。おそらく、その場所が遊歩道であり、バイクの乗り入れは禁止している場所であるにもかかわらずの行為であった。誰が見ても遊歩道であることは見当がつくし、運転者本人も認識しているようであったが、そうであれば、侵入した場所へ戻るのが普通で、運転を直ちに中止し、手で押して戻るべきであったと思われる。

 

 バイクは横幅がないので、遊歩道でも禁止しなければ走行は可能であるが、誰にも間違いはあるにせよ、認知した段階では直ちに危険回避のため、エンジンを切るのがルールというものである。今回の運転者は抜け道を探していたようであり、乗車したままどこかへ移動したようであった。遊歩道であることを示す標識もほとんどないことも、バイクの侵入を結果的に許しているのかもしれない。

 

 平素安全であると思っていても相手があっての事故であり、相手が必ずしも安全運転するのではないことを実感した。