鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

こむら返り

2016年07月06日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 このところ、就寝時に、足のフクロハギが攣(つる)ことが多くなってきた。運動不足か、または栄養不良か、心臓病などのサインなのかもしれない。可能性が高いのは運動不足であろう。あまり長時間歩くことはなくなった。もともと健脚力は弱かったのであるが、いまさら山登りもないし、万歩計をつけての歩数を管理してまでの思いはないため、自然に任せている。喘息の持病があるため、薬は定期的に飲んでいるし、呼吸困難時は、簡易吸入薬のお世話になっている。喘息のせいか、階段の昇りや、速足での移動は、呼吸困難になることがままある。

 

喘息は、幼少より咳が続き、呼吸に音がするようになってきてからは、久しいが、慢性気管支炎が悪化しているのであろう。寝込むことはないが、急激に体を動かすと呼吸がついていけない。最悪と思われるのは喫煙の習慣が断ち切れないことである。医者からも喫煙はやめるようにいわれているが、意志薄弱のせいか、ニコチン中毒なのか、どっちにせよ、長年やめられないでいる。

 

こむら返りは、前兆もなく、突然足のフクロハギが収縮し、痛みとともにしばらくは動けない。足首の親指を手前に引くことで、痛いが、しばらくすると収まる。心筋梗塞や、狭心症でも同様な痛みが心臓近辺に来て、呼吸もままならない。それと同じような痛みである。原因が特定できないところに不安を感じるが、毎日ではないため、医者にもいかずに起こったときは我慢一筋で、あきらめてきている。

 

とにかく、こむら返りが起こると、対応のしようがなく、我慢をしているが、頻繁に起こるとこれも心配である。自宅にいて、日中は起こることはないが、車運転中に軽い痛みを感じ、徐々に慣らすことはしているが、簡単に治るものではない。老化現象もあるのかもしれない。不随意筋で起こるため、自分の意思ではコントロールが効かないため、収まるまで我慢するしかないのが実態である。スポーツ選手も時々起きるようで、その状況を見ていると我慢する他はないように思える。

 

痛みが終われば、マッサージなども有効に思えるが、何とか原因を見つけて対処してみたいものである。高齢化すると体の多くの部分に故障が出てくる。ものの本によると、心臓病などの前兆現象との判断もあるようで、しばらく様子を見てから、専門医に相談しようと思っている。


ネット通販

2016年07月01日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 最近は書籍にせよ日用品にせよ通販を使ってのインターネットでの買い物が増えている。この傾向は都会ばかりではなく、地方においてのその傾向は著しく増えている。便利だからに他ならない。インターネットの利用拡散がもたらした生活革命といえるであろう。地方だからこそ、差別的にとらえるかもしれないが、実はそうではなく、地方の流通を支え、都会と同じように、居ながらにして仮想市場・空間を利用できるからで、過疎化の対抗策ともいえよう。

 

 地方の家庭における段ボールの山積みは、インターネット通販のアマゾンドットコムからの商品配送の証でもあり、利用されていることが裏付けられる。パソコンになじみがない世帯も多いと思うが、使って便利なことは都会よりむしろ過疎地の方が便利さを実感できるであろう。過疎地ほどインターネットを使うべきと思うが、パソコンの取り扱いに抵抗があれば、仲介地点として役場や農協がツール提供機関としてふさわしいと思う。そこらあたりは特に強調する必要はないが、インターネットにアクセスできる環境では、ご家族や、お孫さんに頼めば、利用も全くない関係からは脱却できるであろう。

 

 過疎化で店はシャッターを下ろし、高齢化と店舗の老朽化では、商売はすでに限界が来ているわけで、いずれは店をたたむことになる。その兆候はすでに全国どこでも見ることができる。初期には大手スーパーの郊外に展開したことでの負の影響があった。当然足(車)がなければ目的地まで遠ければ、利用するわけにはいかない。その影響もあったと思われるが、過疎地では品物が売れない等の状況がみ見られた。しかし、一部の高齢者には、運転免許返上の動きを気にしながら、移動手段は限られていて、さらには、バスですら便数を減らし、ほとんど通わない場所や地域が増えている。

 

 こうなれば免許返上どころではない、病院へ行く手段もなくなり、買い物すらできなくなれば、生活の基盤を失う由々しき問題となっている。このことを指して、買い物難民、交通難民、生活難民という言葉も生まれているようで、一極集中化の負の部分が明らかにされつつある。誰が考えてもそうであるが、高齢になるほど、病院のお世話になることが考えられる。便利な都会の病院の利用は、元気な若者世代ではなくむしろ高齢化した地方の方の利用が積極的に図られるべきであろう。

 

 参議院選挙間近であり、いびつな人口構成がもたらす負の部分の解消について思いをはせることができる方に国政を担ってもらいたい。


やはり同じ穴のムジナ

2016年06月22日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 朝方の民放TVのニュース報道で知ったのであるが、都議会のメンバーがブラジル、リオ(リオデジャネーロ)で開催する五輪の視察に40名を4派に分けて出張する予定であることが報じられた。それに都庁職員等が随行する。その予算は驚くなかれ、1億円を超えるとのことであった。

 

 舛添前知事の海外視察出張についても任期半ばで、9回ほどあり、2億円を有に越したということであった。当然、都庁職員の随行があったわけで、知事一人の旅行ではない。この問題についても、議会の集中審議や一般質問ではほとんど議題に上がっていないことは、何のことはない、自らも同様なことを行ってきたか、そうしようとしているのか、都議及び都の幹部職員にも及ぶ話である。歯切れが悪かった原因が分かったようで、なんとも複雑な心境である。

 

 役所の旅費については、節約をいわれ続けているが、退職者に対するお礼奉公的な物見雄山に近い形での国内出張は長年慣習として行われてきた。もちろん現在では姿を消したが、博覧会、起工式、オリンピック等のイベントについては、直接関係ない職員がかばん持ち、随行などと称して、巧妙に出張が利用されている。どことは言わないが、場合によっては、カラ出張という、目的地に行ったことにして、添付用の資料を集め、報告書を書き、当人は、出勤できずに自宅待機などをして旅費を浮かし、それこそ使途不明金を捻出することが行われたことがあった。

 

 歳出の支出項目では、会議費などの庁費、執筆や、会議に民間などの人材を出席させるときに支払われる謝金、それと旅費である。その中で、職員が内密に使うことができるのが出張旅費である。

 

 最近は、旅費の取り扱いは厳密になっていて、鉄道運賃や、航空機の搭乗券などを証拠書類として提出するようになり、大幅にこの手の裏金作りは不可能となっている。出張自体の業務を禁止することはできないため、その管理は厳しく扱うことも当然であろう。

 

 しかしながら、どう考えても都議が行おうとしているリオ五輪の集団海外出張の是非については、精査する必要があろう。集団で40名も果たして行く必要があるのかについても問われなければならないであろう。都知事自らの出張はご破算になったが、雁首そろえての物見雄山であることは推測がつく。都議会が認めたとしても、舛添知事のせこさを追求した都議員も同じ穴の狢(ムジナ)で、都民の税金を使って海外視察とは、みんなで渡れば怖くないとのそしりは免れないであろう。


ガンの知識

2016年06月21日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 ガンで死亡するという現実を知らないわけではないが、どうもスッキリしない状況をどのように捉えるか、暗中模索を強いられている。NHKの番組では、それらしき原因の説明を受けたが、どう予防し、実際にガンであると宣告された場合にどう生き抜くか、どのような最後を送るか、不安である。既に他界した多くの方がガンであると医師から宣告されるかされないかにかかわらず、死因がガンであるのではなく、呼吸器不全や、心疾患とされるのはどうしてなのか、老衰であってもガンによる死亡かも知れない。

 

 ガンが、遺伝子による場合と、細胞分裂によるコピーの間違いとの話は納得しても、患部を切除して治ったという話もあるし、そうではなく、数年後には再発するといったケースもある。また、切除した場合も、癒着や、リンパ液の中にガン細胞がが残り、患部が全身に広がるケースもあるようである。

 

 この場合には、検査で前もって状況が分かるが、常にいつ再発するか分からない不安さは残る。遺伝的な因子を考えれば、親族にその傾向があれば、もはや止めることは不可能に近い。今の医学では前兆やガンの症状が進み、肉眼でも分かる状態でないと処置できないのであれば、予防なる対策は無意味なことに写るが、医学ではどう捉えているのかがいまいち分からない。

 

 まるで賭のような、罹患率などの数字を示されても、果たしてその率の中に自分が含まれているかどうかも分からず、かえって不安を助長し、好ましい情報とはいえない。受け身であることは専門分野を知らないことが原因なのかもしれないが、情報の開示が進んでいないことも気がかりである。誰しも自分はガンになって死ぬことはないと思っている様子が不思議である。このことは、交通事故や自然災害などと異なり、生物としての生存のリスクが、自らの身体にあり、身体を形作る細胞組織の異常が関係しているからである。

 

 前回の講義では、環境因子や、食生活、特殊な環境、例えば、放射線や紫外線を多量に浴びる、アスベストなどの化学物質の外的因子が影響するという話であった。実はそうではない生存環境で起こる様々なストレスという説もある。これは身体の防御機能が低下し、体力だけではなく精神力も影響するとのことで、病は気からといわれるように、確かにその要因も納得がいく。さらには嗜好品が、害を及ぼすことは、喫煙や飲酒が、相当影響するのも分かるような気はするが、実感できないでいる。細胞の突然変異が、メリットとして何らかの影響を持つとの仮説は、ガン撲滅の手がかりになるかも知れない。


話題の本質

2016年06月19日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 我が国の国家予算は100兆円規模である。といわれても、庶民感覚を遙かに超える金額である。その価値が分からない。人生の最大の買い物である住宅購入は、土地付きの1戸建て、建坪50坪2階建てを郊外で探すとしたら5000万円ぐらいが相場であろう。丁度、猪瀬前知事が資金供与で鞄に入るか入らないかの問答があった金額である。0が13桁続く金額であり、住居が200万戸建つ金額である。

 

 東京都の年間予算が5~6兆円規模であり、全国都道府県で最高予算額である。この額に比較すると辞職に追い込まれた知事の公私混同とされた金額総額でも500万円程度で、疑惑の対象を含めても、5000万円には届かない。疑惑金額の大小での理由が問題ではないが、都民の90%を超える辞職要求はせこいとされた意味を考えてみた。

 

 せこいとは、世故いの意である。けち、規模が小さい、狭量、度量がないなど会話で使われている。あまり好ましい表現ではなく、相対量として使用され、その立場の人が行うにはふさわしい所作ではないとの意味が含まれている。知事の辞任に追い込んだのは、公的資金を私的に流用したことであり、不誠実な使途明細である。その使途の制限は意外とルーズのようである。政治資金規制法がザル法であるとのそしりは免れないが、知事に限らず、全議員の使途を公開すれば、同様な使途を行っていることは明白であろう。

 

 道義的な責任を求められているが、この定義も曖昧で、具体的な例示がないまま追求の根幹を成した。追求する議員も、火の粉が自らに罹らぬような及び腰は、決定打がないまま、都民の反発を機会として捉え、あってはならない人民裁判化を利用したに過ぎない。

 

 せこさが論点になることは、政治の根本を見失い、直面する政治課題からの攻防がなかったことは惜しまれる。東京都には待機児童の問題、東京五輪誘致に係わる疑惑、一極集中化に伴う様々の問題がある。それらの問題解決の牽引役であったと知事の政治能力についてはほとんど議論の対象とはならなかったのである。政治的手腕を託した都民としては、その能力が発揮されないことへの批判であり評価ではなかったのか。どこかの段階で、マスコミも含め、議論のすり替えがあったといわざるを得ない。

 

 せこさは、逆説として言えば、都民の話題の中心として馴染むからであり、誰にでも容易に話題の中に入れるからで、言うなれば、生活基盤に近いから議論推移を理解しやすい。それは野次馬的でもあり、民度としてみれば好ましいことではなく、高尚な議論とは逆行する世界では無かろうか。


トップの責任の取り方

2016年06月17日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 都知事が辞職に追い込まれた。発覚した問題としては前都知事ほどの賄賂性はないが、都民の多くが知事としてふさわしくないという判断に至ったことである。人心が離れていった末路は辞職という選択で幕が閉じようとしているが、市民団体の方でも告訴が成されていて、今後、疑惑の解明は何らかの形で継続していくことになろう。当然の結末であるが、当初予想した段階ではもっと早い時期に都議会が解散するか、リコール運動に発展するかと思っていたところである。

 

 トップの辞職は自らの判断というが、バックボーンであった政権与党から不信任決議案が提出されようとしたことで、提出されれば、既に提出している野党会派と同調が予想され、不信任との結果が目に見えていたことによるため、辞職を選んだのであろう。

 

 企業や官庁組織のトップの責任の取り方とは明白な違いがあるが、傍目では、都庁という官庁組織が、ピラミッド構造を持っていたとしても、一つの組織としての対応ではなく、選挙でもって選ばれた都民の代表という側面を持ち、施政方針や、都議会のトップであるにも拘わらず、チック機関を所掌していない独立性の強い立場のようである。今回もサポートする立場にあった政権与党から見放されると、四面楚歌となり、身内も離れてしまう。

 

 組織の有り様は、平素からのコミュニケーションがなければ、独裁となりやすいし、結果、裸の王様である。こうしてみると、決して組織人ではないことが分かる。つまり雇われマダム的であり、下積みがない世界を歩んできた人に見られる一人親方なのである。

 

 その点は、歴代の多くの知事が組織人としての下積みの道を経験してこなかった作家や、政治畑を歩んできた人が多い。つまり、誰であっても立候補が出来、選挙で選ばれれば、誰でも知事になれるというオープン性は理想であり、良いことに違いないが、続けて3代の都知事が疑惑(石原都知事ははっきりしていない)をもたれての辞職では何とも情けない。

 

 その理由の一つに、過去の組織人トップとしての経験が乏しいからに他ならない。また、公示後の選挙活動は、演説がうまければよいのであって、今の選挙制度では仕事に対する正しい評価が出来ないのである。政治家への道標は決まっていないが、予備段階としての松下政経塾のような、理論と実践を経験できて、それなりの見識を評価することが出来る資格というか、縛りをかける必要があろう。意志決定の仕方から見る知事職については別稿に譲ることとしたい。


河川敷のバーベキュー

2016年06月13日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 日曜日の然るTV番組で千葉県の運動公園でのバーベキューについて問題が浮上しているとのことで、禁止の措置が出されるようである。原因は一言でいえばマナー違反である。騒ぐ、後始末でのごみの放置、焼き肉のにおいが近隣住民の生活環境を害している。路上は駐車禁止にもかかわらず、駐車違反が常態化している等、深刻化しているという。

 

 多摩川での同様な問題が発生して2~3年経過しているが、対岸の狛江市は、河川敷でのバーベキュー等を禁止した。川崎市側では、禁止していないため、引き続き問題も散見しているが、禁止までには至っていない。狛江市と異なる点の一つに、駐車スペースがないことが幸いしているのか、それとも後始末が徹底できているのか分からないが、大問題にはなっていない。一時は近隣住民用のゴミ集積地があふれるほどになり、問題が浮上したが、終息したようである。

 

 公共の場所を常駐することの問題はどこでもあるし、近隣住民とのいざこざはあるが、そこには常識があり、迷惑をかけないとの自制が必要である。入場制限や、一定の料金を徴収するなどの措置は考えられているが、実現していないのは、制限することによるマイナスのイメージがあるのかもしれない。

 

 マナーというのの判断も難しい。取り締まりを行うことによる規制はないに越したことはないが、ルールを無視するグループが複数あれば、それを見過ごすことによるエスカレートは抑えようがなくなる。最近は業者がインターネット上で、設備のレンタルやごみの処理を一括して販売し、商売の一つとして行っているようであるが、公共施設の利用については制限を設けることなく、だれもが楽しく利用すべきであり、場所を確保することや、商売に利用するのであれば、他の人とのいさかいを起こさない範囲での使用が妥当であろう。

 

 人が集中することによって発生するさまざまのことの一つに、トイレの問題がある。ゴミは持ち帰ればよいのであるが、量販店で価格の安い使い捨てコンロやテーブルが放置され、または近隣のゴミ集積地に乱雑に捨てられれば、地域住民も黙ってはいられない。トイレの設備はさほど充実しているわけではない。多くの人が集まる場所ではそもそもないからである。手軽に利用できるメリットと、そのことで発生する多くも問題は、行政も手をこまねいていることは許されない。何を優先するか、やはり一定のルール付けは必要であろう。問題発生を最小限にするためにも、使用料金を取る、入場制限なども考慮すべきかもしれない。


熊の被害

2016年06月12日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 秋田、山形、青森、岩手等の東北各県では、ツキノワグマに襲われる被害が続出している。その理由は、熊の大好物であるネマガリタケのタケノコを巡っての攻防のようである。人間もこの時期の山菜取りで山奥に入る人も多いと聞く。わざわざ危険を冒してまで、このタケノコを採る背景には、紙上で品薄であり、価格が高騰しているようである。昨年の相場は1kgあたり500円だった物が、1000円に値上がりしている。

 

 熊の方も山奥から人里付近まで降りてきているのと、ドングリなどのが豊富だったせいで繁殖が進み、頭数が増えているそうである。普段は滅多に目撃されることはなくても、生息域に人間が入ることによっておそわれるという惨事が起こる。どちらが悪いと言うことではなく、無防備の人間を襲うことを止めさせることが出来なければ、人間の方が熊の生息域に入らないようにすべきであろう。

 

 危険だからといって直ぐに猟友会が出動し、撃ち殺すようなことが起きないことを願っている。人里に降りて家畜等を襲うようであれば、人間の居住域をはっきりさせ、電気柵や防護柵等の設置が望ましい。巡回を徹底し、人間との接触や、食料等を室外に放置すること等に注意が必要であろう。全国的に過疎化が進み、イノシシ、サル、カモシカ、イタチやテン等の動物が増える傾向にある。人口が減少すれば、山野の手入れに人出を出すことすら難しくなる。動物が勢力を増やす状況を放置することは問題ではあるが、過疎化がもたらす側面も無視できない。

 

 ネマガリタケの皮を付けたまま焼いて、食したことがあるが、旬の山菜は酒のつまみになり、おいしい物であったと記憶している。ニーズがあれば、商売になるのは世の常であるが、どう考えても、危険を顧みず、命をかけて山菜取りを行うことはないであろう。そういう考えは地元では通用しないのかも知れない。既に熊に襲われた方は毎年何件か報告されており、危険な場所も分かってのことで、無理に行くこともないと思うが如何なものであろうか。

 

 特に山菜や、キノコ類は、他人に在処(ありか)が分かると先に取られてしまうと言った、独特の思いがあるので、そのことが単独行動に繋がり、危険を助長しているといえる。所詮、他者所有の山であっても、勝手に山に入り、滑落等の事故が起こることもあり、よく知った山であっても、危険がある場所も多い。どうか、事故に遭わないような対応をしてほしい。


病院の待合システム

2016年06月10日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 病院の仕事を見るには、待合室の人の動きを見ることによってその病院の良しあしを大方判断できると思っている。人の流れである。日によって混雑の程度は受診する病気によって異なるが、一般的には受診が受け付け順であることが多い。しかし、緊急入院などの受け入れ施設では、専門の医師を配し、一般外来とは別に対応が取れている病院では、混雑は少ないが、同じ医師が対応する病院や医師が少ない場合には急患が入ると外来は後回しにされやすい。

 

 これは仕方がないといえるが、一般外来でも、緊急を要する人がいないとは限らない。救急事故現場等で行われているトリアージ(識別救急)といわれている受診の順番を的確にコントロールすれば、生存率も上がると考えられる。一方では、受診の準備を早い段階から受付を済ませるた外来者にとっては、不満が出る。そこには何をもって優先するのか、例外はないのかなど疾患の種類によっても異なるであろう。受診者の理解も必要となる。

 

 初心者などでは、病院の受診システムが分からないこともあり、ケースバイケースでの対応が可能な病院も多い。重病であれば、受付でその旨を伝えることが望ましいと思われる。状況によっては救急車を利用することも考えられる。しかし、同様な考えが一般化すると、救急車のコールが集中し、助かる命も助からないという最悪な状況を引き起こす。その理由は、緊急外来が可能な病院には限りがあり、病院から拒否され、多くの病院を探すことに時間を取られて生命を失うということが生じている。

 

 緊急でもない方のタクシー代わりに救急車を使う常習者も多いと聞く。救急車を手配する消防署には、ある程度の医療知識を持った救急隊員を配置する傾向が強まっている。救急車自体が、搬送だけではなく、救急救命を果たせる設備が揃っていることも必須であろう。それと瞬時に病状を判断でき、的確な受け入れ病院を抑えておくことも重要な要素である。

 

 一方では、整形外科などの高齢者が比較的多い診療科では緊急性がない場合も多くあり、受付窓口を別にしている病院もある。病院は公共性が強く、大病院ほど受診者の病状の幅は広くなるため、中小の病院との色分けが必要となってきている。つまり、小規模の日頃利用している病院からの紹介状である。この制度は、紹介状なしでは大病院の初診料費が高額となることでの波及効果は高いと思われるが、例外的な突発性の多臓器不全などでは意味をなさない場合もある。要は地域内の病院システム自体の運用と採算性等複雑な要因もあり、改善の余地はあるも、一方的な判断はすべきではないであろう。


都議会の行方その2

2016年06月09日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 都議会が佳境に入っている。都知事の責任の採りかたが焦点になりつつあるが、決定打はなく、都議の論点も一貫せずに、詰めの甘さがあるようで、各党派の代表質問が終わり、都議個人の一般質問となる。ここまでは事前の調整が行われ、質問とその回答は文章の読み合いであり、まるで学芸会である。そもそも質問と回答のやり取りは、論点の範囲を決め、事前通告を行っている。

 

 このことは、知事といえども、議会の議題とされる案件の詳細や、落としどころの詳細まで詰めた話は不可能であり、一種のセレモニーの様相であり、論点を明化するには役立つが、前もって作成した筋書き通りに事が進む配慮が行われている。したがって、筋書きから外れたことには回答しないか、曖昧な返事となり、質問者もそれ以上の追及は差し控えるようである。

 

 茶番劇という言葉がマッチする場面が殆どで、議会運営の程度が知れるが、それはともかくとして、知事を含め、都議会に参加する議員は、地区の住民の代表者というか、選挙に勝った人物であり、その地区の代弁者である。手ぬるい追及や、中途半端な妥協は許される立場ではないし、論理的な議論が行われなければならない。しかし、既に都民の心は白けてしまっている。

 

 つまり双方の立場は都民の意向に沿う立場であることは変わりない。今回の問題は、都知事の政治資金疑惑が発端にあり、知事に就任以前の問題も含まれている。勿論、公私混同とされる公用車の私的利用や、議員歳費の使途についての曖昧な使途についても問題となっているが、時間経過もあり、なにゆえに早期に対応が取れなかったかという議会構成員の問題意識の遅れや指摘がなされてこなかったことについては追及する側の落ち度が全くないとはいいがたい。

 

 指摘されたことを誤れば済む世界であり、現段階では罰則が適用されるわけではない。最終的には解散しない以上、選挙での民意を探ることには懐疑的となっていて、おそらくこの状態は逃げ切る知事の勝利で終わる可能性が高い。せこい話が論点となれば、せこさ故に厳罰を処すまでにはいかないからである。都議それぞれにも事情があり、本当のところは解散を希望せず、任期までは都議でいたいという本音がちらほら見えるようになってきた。

 

 守る側、攻める側、どちらも不幸の一語に尽きるが、茶番劇はいい加減に幕引きしてほしい。


機器の点検と保管

2016年05月31日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 二階の屋根空間を利用した3畳ほどの収納庫が設置されている。寄せ棟作りの屋根部であり、高さは高い場所で中腰で立つことが出来るが、ほとんどは膝で這うしかない。新築当初からあった場所で、真夏になると室内は50℃を超える高温となるため、何でも収納できるという場所ではなかった。換気口はあっても循環や排気機能はなかったために5年ほど前に行ったリフォームで、立派な換気扇を2セット付けてもらった。サーモスタットが付いているので、温度が上がれば自動で換気扇が回り、ダクトで室外へ排気する仕組みである。吸気は北側に空いた換気口と、取り付け階段開口部からである。

 

 2セットはサーモスタットの温度測定を場所によって変えているためで、スイッチ類は一箇所にまとめてある。設定温度は35℃と40℃である。温度設定は自由に変えることが出来るため、真夏時は高めに変更する。最近それが稼働するようになった。つまり、屋根裏は既に35℃を超えていることになる。

 

 収納品は、温度変化に対して影響しない登山用具や、ほとんど見ることがない子供の写真アルバム、専門書籍がほとんどである。今般、衣替えに合わせて、扇風機と冬場に使った暖房機具を入れ替える作業を行った。二階とこの収納庫とは折りたたみ式の階段が付いているのでそれを利用する。

 

 衣替えは設備用品や機器類も合わせて行う。次回に直ぐに使えるように、この時期に点検と、掃除を行う。半年以上の期間使用すると、どこか薄汚れるし、不良箇所を点検し、必要ならば、部品の交換をしておくのも良いと思い、分解掃除を行う。中性洗剤で汚れを落とし、水拭きした後、空拭きする。乾燥後、塗装で使うマスキングテープ(養生テープ:テープにポリエチレンフィルムが付いた物))で埃が入らないように梱包しておく。最後にナイロンひもを縦横締結しておく。収納時の持ち運びに供するためである。これをしておくと急な階段でも持ち運びが楽になり、安全に、バランスを保つためにも必要である。

 

 次に取り出すまでは数ヶ月先であるため、特に乾電池は器具から取り外しておく。必要ならば、リモコンと一緒にし、誰にでもわかりやすくするために、本体にメモを残すようにしている。取説については別途一冊に綴じるようにしている。

 

 何気ない作業であるが、次回に利用するまで本体管理と保管はついて回る作業として、衣替えと時期同じく、自分のルーチンワークである。


半年の出来事

2016年05月30日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 今週で平成28年は半年が経過する。過ぎてしまえば半年もあっという間である。この間大病をせず元気で過ごせたことを感謝したい。現在も余震が続く熊本県・大分県在住の方が巨大地震に遭われ、その損害たるもの計り知れない。精神的な面でのケアが必要とされている多くの方にとっては、震災復興もままならないであろう。幸いにして女房の実家が大分の国東市にあるが、直接の被害がなかったことは安心している。地震の終息がはっきり示されないもどかしさは人間の限界を示した。特に、火山や地質学の専門家がなんと頼りにならないのかが分かった。

 

 多くの研究機関は何を示したのか、根拠が乏しい、地震の予知などは誰にでもいえるので、根拠が示されないまま、気象庁にげたを預け、NHKは、前もって準備した津波警報を言い、危険性をことさらオウム返しで言うだけで、言いましたよ、あとは地震や災害に遭われても個人の責任で、NHKは関係ないと言いたげで、また、そのように感じる。

 

 これでは災害に対する万全な備えをする気にならない。原発についても停止することなく、異状はないなどとの報道はそれでよいのであろうか、災害が起こってしまえば、福島の原発の二の前を踏むことになりはしないか、どうも心配である。四国や九州の原発を稼働してどれだけの電力量となるのかも定かではない。今の時期は原発を止めるべきと思われるのであるが。

 

 自然災害は誰にも罪はないことにしているが、現代の科学技術をフルに活用しても予知は無理としても、避難場所の確保が十分でないのはもはや人災といえるであろう。東日本の震災後の復旧についても目途がついたとは聞いていないし、震災による地域の衰退のニュースも伝わっている。多くの税金をつぎ込んでも元に戻すことは不可能との判断もあり、過疎化に拍車がかかっている。

 

 東京オリンピック招致にかかる疑惑が報じられ、エンブレムの問題や、競技場についても暗いニュースが多かった半年であった。5月26日から伊勢志摩で行われたG7サミットの成功はこれからの実行がカギを握るが、中でも、オバマ米港大統領の被爆地広島への訪問である。このことが核軍縮に向かう糸口になることを期待せざるを得ない。

 

 マンションの耐震設計の不正や、乗用車の衝突時に機能する安全装置の不具合等事件を挙げればきりがないが、事故等が起こった後では取り返しがつかない。我が国が安全であるとの自信であり自負がそうでもないと思う今日この頃である。


100円ショップ

2016年05月29日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 100円ショップ(ヒャクキン)が生活の隅々まで浸透している。いつごろからこのような安売り店が増えてきたのであろうか、一方ではブランドショップの人気は高く、消費者のニーズに合っているのであろう。それとも賢い生活者の選択志向なのであろうか、消耗品や、一度限りで使わないものも多い。生活の便利さは品物が豊かであったほうが便利であると思いがちで、そのせいもあってが、不用品が室内を占領する。

 

 断捨離などという言葉もあり、不用品が片付けられずにゴミ屋敷となった例も多い。TVの放映を見たが、立派なマンションが空き缶や段ボールで埋め尽くされ、路上にはみ出ている始末、通行人の迷惑がっている取材であった。家の持ち主はしばらく家の中に入っていないといい、野宿同様の生活である。何度も地域の区役所が説得を続け、撤去するように勧告しても、ゴミではなく資源であり、所有権を言い張り、埒が明かない。その後のことは分からないが、強制撤去したかもしれない。

 

 話をヒャッキンに戻そう。主要な駅の周辺には主としてダイソーが経営するショップが点在している。売り場面積もさまざまであるが、多くの客でにぎわっている。日用品や園芸用品、台所用品から、文房具類、種類も多く、さまざまである。こんなものが百円以下で作られ、販売されているのかと驚くばかりである。中には日本製もあるがほとんどは中国産が多く、アジア各国の製品もある。品質をいえば我が国のJIS(日本工業規格)などとは比較にならないが、用途によっては重宝するものもある。

 

 一部食料品も売っているが、購入したことはない。必ずしも粗悪品ばかりではなく、十分実用に利用できるため、人気を博しているのであろう。流通業界は中古市場も利用されている。リサイクル店とヒャッキンとは異なり、ヒャッキンは新品である。何らかの事情があり、店舗をたたむことも話には聞くが、引っ越しなどを含め、商売となるリサイクル店も、商品の寿命を延ばすことに貢献しているようである。最近は、賞味期限が過ぎた備蓄品などを社会福祉に利用することも行われているようで、これももったいない精神が消費行動を多様化させている現れであろう。

 

 ヒャッキンでは手芸用品もあり、ニードルタッティングを始めてから、レース糸やビーズ類はヒャッキンで購入している。賢い消費者であり、無駄を省き、利用することは、決して恥ずかしいことではないことを付け加えたい。安いからといって買いすぎないよう注意が必要である。


インテリジェンスの意味

2016年05月27日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 インテェリーというと、日本語では、知識を持つ高度な人間を指し、一目置かれる存在である。インテリゲンチャー、ドイツ語からの派生した日本語であり、知識階級に属するとされる知識人を指していた。最近はさほど語源の意味を忠実に表す言葉として用いられていないが、単なるインテリといえば、しちめんどくさく、理屈っぽく、頭でっかちを指し、卑下して言う場合もある。インテリジェンスといえば、知性、理知的など英語の直訳で用いられる。古くはルンペンインテリゲンチャーと呼ばれる集団があり、貧乏学生を指していたようである。

 

 そのことをもっと時代を遡れば、、ギリシャの哲学者を形容していった、太った豚になるより、痩せたソクラテスになれ、鶏口となるも牛後となるべからず、武士は食わねど高楊枝等、貧乏学生を指していったようであった。これは、インテリジェンスの一義的な意味を受けた言葉であるが、最も一般的な意味は重要な情報を指し、軍事的、政治的な秘密情報を集めることをいうのに使われる。つまり、情報(諜報)機関、情報部をいうのである。諜報機関といえば、ジェームスボンドが所属する機関、スパイ活動そのものである。インテリジェンスビューロといえば、KGBやICA等の諜報機関を指し、我が国では既に消滅しているが、陸軍中野学校がそうである。

 

 ボーイスカウトで使われているスカウトとは、斥候(せっこう)の意味であり、軍事作戦上の諜報の意味も含めている。自分が子供時代に父親が健在の頃、ボーイスカウトに入りたいといったところ、やめておけといわれたことがあった。その理由は、子供を集めての戦争ごっこだとのことであった。最近でも地域にはボーイスカウトやガールスカウトが活動を行っていて、細々と多摩川で野営等をしているのに出くわす。今のボーイスカウトはだいぶ様相が違っていて、一種の野外スポーツ教室に変貌している。

 

 スカウトの意味を承知しているのかどうかは知り得ないが、戦争を経験した者にとっての諜報、スパイ、情報は現代の我々とは異なる意味合いがあったのであろうと推察しているところである。しかし、安全で生活できている裏には、防衛活動であるジェット機によるスクランブル発進は連日おこなわれていて、中国やロシアが我が国に対する脅威となっており、諜報活動が消滅しているわけではない。最近のコンピュータによるウイルスの拡散や、口座を盗み見するスキミング、バスワードを見破り、本人になりすまして犯罪を行う一種のサイバーテロも意識していないといけない事態にある事を考えれば、インテリジェンスの意味ぐらいは分かっていてほしいと思った次第である。


仏眼

2016年05月25日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 仏様の額にあり、眉間に突起物がある。白毫(びゃくごう)というものであるが、白髪が集まって丸くなっている。仏様では、第3の目ともいわれ、そこから白い光を出し、迷える民を導くとされている。古くから、目の機能を拡大解釈し、一定の判断に基づき、予見を含め、見方をいう意味もあり、専門家の目で見ることを指す。眼とも書くが、眼が肥えるのように、多くのものや行動を見て、価値の見分けがつくことで、判断力の意味もある。

 

 物事の判断力は、眼から入る情報が多く、人の振り見て我が振り直せと言われように、経験が大切なことと、比較対象する状況や行動はただ見過ごすのではなく、その状況や行動の原因をどう判断するのか、一歩進めて考えることが重要と思われる。

 

 不動明王なども第3の目を持つものもある。三つ目である。お釈迦さまや如来と呼ばれる仏像も手のひらに目を持っている。広く衆生のことを見るということであろうか、インドの女性も眉間に赤い目のような印をつけている。化粧だけではないと思われるがそれなりの意味があるのであろう。動物、特に昆虫は複眼という機能を持ち、角度を変えてものを見ることができるし、蜘蛛は11もの目を持っているといわれている。

 

 また、古代エジプト文明では、ハヤブサの目をホルスといって、幸福、繁栄の象徴として護符などに使用された。目にまつわる話で記憶にあるのは、人間はなぜ目が左右についているかということである。機能的には視野を広げることであり、360度は見えないが、片側の目で最大は200度以上は見えるようになっている。首を左右に回すことによって、ほぼ360度を見渡せる。首の動きを固定すると上下の範囲よりも左右の視野の方が広いことが分かる。

 

 そのことで目が左右についている意味は、目線を上下にばかりみるのではなく、左右をよく見て、同僚や同職位にある人の行動を見なさいというわけである。お察しのように、組織にいると上向志向が強く、競争社会であるためでもあるが、上にはへつらい下には厳しい見方を戒めることを意識した言い方であろう。

 

 一見しただけで決めてしまう思い込みもよくないことにつながる場合もあり、人物評価についても多面考課が取り入れられた企業が多くなっている。評価には悪いところが目につき易いが、良いところもあるし、できるだけ良い面を見て、そこを伸ばすように働きかける必要もあると思っている。