ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

やはり民主化のリトマス紙は言論の自由

2006年04月19日 09時21分04秒 | Weblog
お隣の韓国では徴兵制が施かれているが、20代の若者がこれまでの人生を振り返った文章を読む機会があった。以前紹介したが日本の言論状況を映し出す鏡として再度ふれる。そこには必ず兵役体験のことが書かれていた。

共通していたことがある。北、つまり「共和国」との対決をめぐる論述が皆無であったことだ。兵役は南北対決の中で生まれた。しかし、北と対峙する表現が皆無とは、驚いた。日本ではさかんに「共和国」の脅威が指摘されるが、この差は一体何なのか。しかも兵役なら「北」対峙は至上命題ではないのか。

韓国では治安維持法である国家保安法がいまも生きている。そうした法制度のもと、兵役体験が語られることにも驚く。軍事機密とは無縁なのだが、軍隊体験が堂々と文章になる。日本では自衛隊経験者が入隊経験を語ることはあまりない。反戦の思想をもち除隊した人なら別だが、韓国では普通の若者なのである。

われわれが考えている以上に韓国の南北の融和と言論の自由が進んでいる。言論の自由は日本の比ではないのかもしれない。言論弾圧との闘いが民主化の闘いだったからだ。ただ、「韓流ブーム」でもまともにスポットが当たらないから、不思議だ。そこには日本のマスコミが中・朝・東の提携紙であることお関係が深い。ハンギョレや京畿新聞などの論調は日本でそう紹介されない。

軍隊は暴力発動組織である。暴力は暴力を呼ぶ。勧告での軍隊内の上等兵によるシゴキは、直接体験者から聞いた。しかし根本は構造的暴力を見ないといけない。暴力発動の最終指揮権をもつアメリカ軍の問題を抜きにして考えられない。韓国軍の指揮権はアメリカ軍なのだ。暴力発動の頂に位置している。

人工的な国境(軍事境界線)による分断も暴力だ。東西冷戦によるアジアでいまも分断のままのこる。これらの克服を目指す朝鮮半島の現代政治は暴力克服の壮大な闘いではないだろうか。暴力発動に摺り寄せる思想はアジアの唯一な分断国家の周辺では朝鮮半島の歴史的使命に水をさす行為であることはいうまでもない。

沖縄での普天間移設合意ではなぜ米軍再編だけを焦点にして、米軍と自衛隊の指揮系統統一化などの恐るべき軍事化推進などに反対するメディアはみあたらないのか。一定の方向に進み歯止がきかない社会になってきた。保守政権と保守政党の2大政党時代もわれrわれの選択(選挙)の結果だろうが。日本では報じられないが23日は沖縄市長選で保革が激しくぐっかっている。知事選前の一番大きな選挙。さてどうした結果がでるか。

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