ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

コラム「風」「韓国併合」100年

2010年06月26日 07時59分07秒 | Weblog
 2010年は「韓国併合」100年にあたる。いま、日本社会の朝鮮に対する排斥は草の根のネット右翼、極右勢力の対等などで不気味に脈動しているのだが、克服の大きなカギは歴史認識に関わることだろう。

▼以下、友人が話した例を出そう。ある若者に「アメリカと戦争していた」と尋ねると、「本当?」と言い、「戦争に負けて全面降伏した」と言うと、驚いて「ええ、本当のこと?」と返答が返ってきたという。これは実に極端な例で、ごくごく一部の若者の反応なのだが、しかし、普遍化できることでもある。

▼つまり「知らないということは過去のあったことでもなかったこと」になるのだ。「なかった」という意識では、根も葉もない情報に大きく左右されて、「南京虐殺などなかった」「日本は朝鮮でいいことをした」といった言説に流されてそれが世論化しがちだ。するとここからが問題だ。政治の世界は「世論政治」だから、手をつけようどしなくなる。政権奪取前の民主党は日本軍「慰安婦」問題に法案提出は7回、2008年までしていたが、与党となってからは、具体的な動きが聞こえてこない。

▼さらにこれに変数が加わる。沖縄問題のように米軍普天間基地移設でアメリカの意向が強いと、それに従うという悪循循環だ。体制政治でコンクリートされる危険性にあるのだ。日本軍「慰安婦」問題はアメリカ、ヨーロッパ、韓国、フィリピンでの真相究明や法的措置への議会決議が逆に追い風になってはいるが。

▼そこで「韓国併合」100年にかかわる朝鮮への植民地支配に焦点化すると、植民地支配にかかわる被害者朝鮮人への補償問題は戦後の冷戦激化で根本的に解決のメスを入れることなく推移したが、この遠因はアメリカの極東政策と密接に結びついた結果なのだ。

▼スパンが長く考える植民地問題の清算は、最近の研究の学問的成果では世界的に責任を取らない体制が欧米でのコンセンサスだった(6月13日の高麗学会参加で教授を受けた)。日本の対応も例外なくこの世界的趨勢上にあり、朝鮮支配問題はアジア・太平洋戦争に限定され、さらには1939年以降の強制連行時に限定されたりした。それも「強制ではない」との攻撃が顕著だ。こうした歴史の無形化は当然若者の「そんなことあったの?」という意識を生み、現在の体制に都合のいい意識が大手をふり闊歩することになる。

▼地道にも歴史の発掘をして情報を発信することの重要性を知る。それは歴史研究だけに限らず、メディア、文学でも引き受けねばならない課題だろう。歴史的反省は現在のいびつさを撃ち変えていくものになる。現状回復の課題はフラットな関係にする原点だ。15年戦争時に極限されずに植民地支配の端を開いた1875年の江華島事件以降の歴史を検証することが求められる。


コメント (1)
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