ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

編集局からの手紙「相似形」:川瀬俊治

2008年12月02日 00時04分52秒 | Weblog
2つのニュースに何の関連もない。1つ目のニュースは竹内まりやさんの歌のテーマがどこにでもあることを題材にしているという解説だった。2つ目のニュースでは、作家佐木隆三さんが「容疑者は別の世界の人とは思わず、われわれのまわりにいる普通の人だと思わねばならない」という趣旨の発言をしていた。

共通するのは「相似形」である。何気ない生活の中から音楽を創っていく。われわれと「相似形」のテーマなのだ。竹内さんの音楽だ。一方の「相似形」は悲劇を生んだ。でも、どうしてこうもあらわれる形が違うのか。竹内さんの音楽は聴く者を励ます、感動させる。一方は恐怖に陥れる。どうして対極の結果を生むのか。

しかし厚生省官僚の殺傷事件の容疑者は「相似形」でないのかもしれない。NHKニュースは「相似形」と解説したが、週刊誌は日本社会で排除しているグループ、団体と関連した情報を報じ始めている。「相似形」であるはずないと主張しているように思える。しかしそれでことが済むのだろうか。なぜ対極の「相似形」を生んだのか。このことこそ考えねばならない。

昨年評判になったジョック・ヤング『排除型社会』(洛北出版)では、「国民」の大多数に市民権を与える社会―包括型社会―から、排除が、労働、コミュニティー、犯罪予防に至るまで貫徹していく社会を論じた。それは犯罪被害に遭う境目がなくなる社会が登場することで、排除することで格差を求める社会が支配的になるからだという。今回の事件はジョック・ヤングが分析した排除が貫徹していく社会の扉を開いたような気がしてならない。
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12月1日はいろいろあったが無事すごす

2008年12月02日 00時04分25秒 | Weblog
 車を運転してサイドブレーキが甘く前の車に急接近してしまった。昼前のことだ。しかし車間距離を開けていたのがよかった。

 思わぬ人物から連絡を受けた。ところが携帯電話がこわれており通話が第一声だけ。仕方なく公衆電話に。それがなかなかない。

 修理に赴く暇がないというか、時間がない。壊れたままの携帯電話でいるわけにはゆかないのだが。当面使用しないといけない。こちらがかけていても途中で通話できなくなるのが困る。相手方に失礼をしてばかりになる。電池がないのではなく携帯電話本体が故障しているらしい。

 映画評を頼まれたが、これが弱ったことに。これから見るわけにもゆかない。時間もない。さてどうするか。〆切りまでわずか4日しかない。
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