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あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

「祖父佐々木小太郎半生記」~佐々木小太郎古稀記念口述・村島渚編記「身の上ばなし」より

2023-12-27 09:26:28 | Weblog

 

遥かな昔、遠い所で 第115回

第4話 株が当たった話 その1

 

親戚 哉 賜る

大正3年、欧州戦争が勃発して糸値暴落し、郡是製紙会社は払込資本金十四億円余に対して、三十億余円の大損をした。「郡是はつぶれる」という噂が高く、二十円株が四、五円の安値に落ちた。

 

波多野翁に満幅の崇敬と信頼を払い、大の郡是ビイキだった私は情けなくてたまらなかった。波多野さんほどの人のやる仕事がつぶれるような気づかいはない。今悪くてもきっと立ち直ると私は確信し、金があればあの際限もなくさがっていく株を片っ端から買って、郡是を救いたい。波多野さんを助けたいと思ったが、まだ借金地獄にあえいでいる私に、株を買うような金なんて一文だってありはしない。

 

その頃、蚕業講習所拡張のため、そばにある私の所有地、三畝歩あまりの桑園を売ってくれと教師の西村太洲君から話があった。

 

その時私は、ようやく差し押さえをといてもらうだけの返済は果たしていたが、まだ残りの借金が山ほどあって、この桑園も二重三重の抵当に入っていたから、西村君に「売るにしてもこの借金払いをしてからでなくてはいけないし、そんなことをしたところで、私の手に入る金よりも債権者に払わねばならん金の方が多いにちがいないから、余裕のない今の私にはとてもできない」というと、西村君は、「そこはうまくやるつもりだから、まかしてくれ」という。

 

しばらくすると西村君がやってきて、「万事うまくいって、これだけ余った」といって、五十四円という少なからぬ金を、私に呉れたのである。まるで夢のような話で、何だかタダからお釣りをもらったような気がした。

 

この天から降ったような金で、私はドン底まで下がり切って捨て値になっている郡是株を買いあさった。百姓は株がきらいで、タダにならぬ間にと誰も彼も売り急いでいた。

私は綾部付近から和木、下原の方へ行って買った。買った株はすぐ抵当に入れて金を借り、その金でまた買い買いした。高木銀行がよく便宜を図ってくれた。

大正四年になると、郡是は窮余の策として六十億円に増資し、優先株を発行したが、その優先株が非常に有利な条件がついていたにもかかわらず、すっかり嫌われて、払い込みの十二円五十銭ならいくらでも買えた。

 

その頃私は、蚕具の催青器を発明し、続いてオタフク懐炉を発明して実用新案をとり、これは波多野さんに推奨されて大成館(蚕種製造会社、郡是の別働隊)から発売され、私はその宣伝のために各地を回った。

 

そのついでに私は、三丹地方ばかりではなく、その頃分工場や乾繭場が新設されて、郡是の新株式の特に多い津山、木津などへ行って、優先株を買いあさった。津山では武蔵野という一流旅館を本陣とし、いきなり女中に百円のチップを渡し、紀の国屋文左衛門の故智?に倣って、実は新聞紙が中身の札束包みを主人に預け、その主人の紹介で津山製紙会社の重役をしている田中、倉見という地元に信用のある人物を頼んで、地方の株主が売りたがっている優先株を、当時地方値は払い込み以下であったが、すべて払い込み額十二円五十銭で買うことにし、両氏は熱心に活動してくれて、買うて買うて買いまくったものだ。

 

    轢かれたのが軽だから助かった普通車ならば死んどったろう 蝶人