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あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

ベンジャミン

2013-11-15 09:12:36 | Weblog


「これでも詩かよ」第45番&ある晴れた日に第178回



朝起きて、家の前を流れている小川を見たら、君がいた。

黒く濡れた君の瞳には、午前10時の太陽がにぶく輝いている。

おおベンジャミン、君はいったいどうしたんだ?

きのう下流の滑川をたった一人でよたよたと歩いていたのに、どうしてこんな上流までやってきたんだ?

君のお母さんのザミュエルを探していたのかい?

何日も何日も、たったひとり必死で小魚を追っていたのかい?

それとも悪童の邪悪な投石に追われて、ここまで逃げて来たのかい?

おおベンジャミン、私がベンジャミンと名づけた美しく小さな青鷺よ!

いま君は、白い斑点が混じった薄茶色の翼をゆるやかに閉じ、黄色い2本の脚をまっすぐに突き出している。

そして、透き通っていかにも冷たそうな秋の水は、君のやわらかな体を回りこみながら、小さな波とよどみをつくり、由比ヶ浜をめざしてひたすら流れてゆく。

おおベンジャミン、私の愛した小さな青鷺よ!

水の中の君のつぶらな瞳は、なおも青空に浮かんだ雲をじっと見詰めている。



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心臓の痛みに耐えながら妻が運転する車の助手席に座っている 蝶人

ラルフ・ネルソン監督の「野のユリ」をみて

2013-11-14 14:23:24 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.593


とかく熱烈宗教人というのは剣呑で、イスラムにしてもキリスト教にしてもすぐに分派闘争を始めて流血の惨事を招くのであるが、東独、チエコ、ハンガリーからやって来たカトリックの修道女たちのおばはんが、パプテスト派の黒人の霊歌「エーメン」をともに歌うところが素晴らしい。

彼女たちのためにアルバイトをしてもお金を払ってもらえず、そのままずるずると勤労奉仕する黒人役のシドニー・ポワチエとの遣り取りもユーモラスだし、「野のユリを見よ」という言葉がその中で飛び出てくるシナリオも絶品である。

無一文ながらどうしても教会を建てたいという修道女の熱望を叶えた黒人が、そのハレルヤを歌いながら宗派の異なるミサには出ないで姿を消すラストも感銘深い。最近こういう映画が跡を絶ったなあ。


ケアホーム障碍者への家賃援助を市に求むわれらの陳情採択されたり 蝶人


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保坂和志著「未明の闘争」を読んで

2013-11-13 09:49:32 | Weblog


照る日曇る日第634回


保坂和志選手が書いたこの素敵な題名の本を、まずはネコ大好き、イヌ大好きのあなたにお薦めします。

彼の小説は主体も時制も文法も無視して、彼が心に思い浮かぶ由無事と彼がどうしても書き遺しておきたいと願っている事象の両方をなんの計算も脈絡もなく、あっちにふらふら、こっちにふらふら、まるで牛のションベン長野県のようにいっけんあてもなくひたすら前へ前へと書きすすめたエンドレス・ランニングな書き文字の連続なんです。

されどエンドレスとはいってもそこはそれいちおう小説なので、突然死んでしまった友人篠島選手の亡霊の出現から始まって、そのラストのこれまた突然の再登場で唐突に終らせているけれど、話はほんとうは全然終わっていない。

無理矢理終わらせようとすればこの本のように537頁で終わらせることもできるけれど、彼はこんな小島信夫選手の道草大脱線小説の模倣のような、ジョイス風の意識の流れっぱなし小説のような、酔っ払いの小林秀雄選手のお笑い落語大講演会の語り口のような手法でもって、地球の裏の裏まで歩き続けることができたはずなんだ。

ここで小説家が目指していることは、彼の固有時の特権的な体験を正確に表現しながら再体験しようとする平成のプルースト的な試みで、実際彼が「チャーチャン」と呼べば愛する子猫は必ず「ニャアー」と答えるし、小学5年生くらいの3人の女の子が、彼が散歩させているジョンを「撫でさせて」といって材木座の海にジャブジャブ入って来たりすると波の音がする。

小説家がその小説の中の恋人の村中鳴海に、「この地図いいね、海ばっかりで」とか「楽しいから悲しいんじゃん」などと喋らせているのを読んでいると、彼女の声音まで聴こえてくるような気がするし、それだけでも彼の狙いは十分に成功しているのではないかと思われる。

しかし彼の願いはそこにとどまらず、彼のこれまでのすべての体験を、息を止めて一瞬一瞬くまなく手元に呼び戻し、それを一字一句細大漏らさず書き現し、そうしながらもういちどそれらの瞬間を生き直そうとするので、小説はどこまでも途切れずに続いていくんだね。

だから彼が書けば書くほど過去の記憶はあざやかに黄泉がえり、家族や家族も同様の動物や友人や恋人や人世への愛情は深まり、生きることの喜びと悲しみが主人公にも私たちにも押し寄せてくるのである。


意外にも大江千里が飛び出してピアノ弾きまくる「東京JAZZ」フェスティバル 蝶人


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鎌倉文学館で「掘辰雄展」をみて

2013-11-12 09:19:59 | Weblog


茫洋物見遊山記第139回&鎌倉ちょっと不思議な物語第295回


堀辰男が鎌倉に住んでいたとは知らなかった。

彼はこの地を昭和13年に結核療養で訪れ、翌年から駅前の「おんめさま」や日蓮受難の地のあたりで短い間新婚生活を送りながら「菜穂子」を書いたそうだが、中原が現在の清川病院で死んだのが昭和12年の10月なので、その直後に鎌倉にやって来たことになる。おそらく同じ病院ではないだろうか。

「おんめさま」は安産で知られるが、私はここにお参りをしたにもかかわらず同じ小町の針谷産婦人科で障がいのある子が生まれてしまったので、あまり霊験があらたかとまでは言えないと個人的には思っています。

堀辰男といえば富士見にあった結核療養のためのサナトリュームが思い出されるが、私の妻君は同じ富士見の生まれなので、この作家とは多少の縁があるといえばあるのであるのであるん。

会場には例によって作家の原稿や書簡などで埋め尽くされているが、ちょっと珍しかったのは生前彼が使用したという蓄音機で、これで彼が聴いたというコルトーのショパンの「24の練習曲」作品28が流れていた。ショパンは私があまり高く評価していない作曲家だが、コルトーとフランソワだけは聴くに堪える演奏だと思っているので、さすが掘辰雄だと思ったことであったんであったんや。

なお本展は、来る12月1日まで冬薔薇も咲いている同館にてうらさびしく開催中です。



          コンビニのレジ前の西瓜姿消し桃と葡萄と梨並ぶ朝 蝶人



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ロバート・アルドリッチ監督の「ガン・ファイター」をみて

2013-11-11 08:55:39 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.592

原題は「THE LAST SUNSET」で、カーク・ダグラスとロック・ハドソンの宿命の対決を描く。

舞台はメキシコ。ダグラスがハドソンの姉の夫を殺したというので追跡するのだが、ひょんなことから2人とも気の良い牧場主ジョセフ・コットンに雇われ、牛を国境まで運ぶ間2人は対決を封印する。

しかし牧場主はならずものに殺され、ライバルの2人は遺された妻の愛を求めてさらに激しく争うようになるんであるんであるん。

そもそもダグラスと細君とは昔の愛人同士だったのだが、細君の愛はいつかハドソンに移り、ダグラスの愛は細君の娘に移るようになる。

ところがなんとなんとダグラスに夢中の娘は、じつは牧場主コットンではなくダグラスとの間に生まれたじつの娘であると細君が告白したもんだから、2人の決闘は悲愴なものになるんであるんであるん。

大半の西部劇、ジョンフォードのそれでさえも登場人物の造型と描写がおざなりであるのに、アルドリッチのこの作品では2人の男の心情が痛いほど観客に伝わってくる。

これほど素晴らしい感動的な西部劇をみるのは久しぶりのことでした。


「エッ、僕がノーベル賞貰ったの?」ビッグスさんは携帯を持たない 蝶人




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夢は夜ひらく

2013-11-10 09:11:25 | Weblog


「これでも詩かよ」第44番&ある晴れた日に第177回


夢で精神を分析するんだと豪語したのは、墺太利代表のジークムント・フロイト選手でしたが、いくら彼の本を読んでもその夢判断の成功例は(大負けに負けて辛うじて1件くらい)で、ほとんど出てきません。

どうしてなんだろうな。
やはり彼のほころびだらけの理屈では私たち人間の存在の芯に迫れなかった。
ということなんでしょうね。

それから「夢は第2の人生である」と喝破したのは、仏蘭西代表の詩人ジェラール・ド・ネルバル選手ですが、彼の言葉は肺腑を衝いている。

じっさい昼の私たちと夜の私たちは、全然違う思念と幻影を懐いている。
つまり、ほとんど別の人格なのです。

わたしの中に別の異星人が居ると考えてもいいし、2つの異なる惑星の人間をなんとかかんとかひとつに纏め上げたものがこのわたしである。
というてもよろしい。

それなのに私たちは、私たちの内部の人間がいったいどういう料簡を抱懐している存在なのかあまり研究しようとはしない。

昼間の労働でクタクタになった頭を枕に乗せるや、クワクワと眠ってしまう。
そして眠りほうけている間に見たあれやこれやの夢なんか、
朝になればすっかり忘れ果ててしまっている。

しかし私たちが誰でも毎晩じつにさまざまな夢を見ていることは、多くの学者、研究者がウムウムと深く頷いているところなのです。

「夢は夜ひらく」と歌ったのは、他ならぬ本邦代表の藤圭子選手でした。
そして「ボク毎晩夢を見るのが楽しくて楽しくてワクワクするんや」
と告白したのは、他ならぬ私の弟の善チャンでした。

さて今宵も夜の帳が街を包み、次々に窓の明かりも消えるころ、
私もひとつ夢を見ることにしましょうか。
私の知らない私と出会うために。


          その昔台湾リスを放せし莫迦がいて鎌倉の動植物はみなその餌食である 蝶人



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中上健次集第9巻「重力の都他9篇」を読んで

2013-11-09 10:24:14 | Weblog


照る日曇る日第633回


「宇津保物語」は、鞍馬の北山の大樹の「うつほ」に母親と主に棲み、獣に琴を聴かせて育った藤原仲忠という琴の名手が、いつしか摂関政治の頂上に迫ってゆくという下剋上、逆貴種流離譚で、すこぶる読み応えがある。

本巻にはその「宇津保物語」のほか、未完に終わった「重力の都」などいくつかの不揃いの短編群が並んでいるが、これらは特にどうこうあげつらうようなていの作品ではない。

「重力の都」を構成しているのは、表題作のほかに「よしや無頼」「残りの花」「刺青の蓮花」「ふたかみ」「愛獣」の5作品であるが、それらの有機的な連関はほとんどなく、彼がこの時期までに書いた短編の主題の余韻を伝える変奏曲集といった趣である。

 ただ注目すべきは、彼には「吉野」というタイトルの短編がなんと3本もあることで、作家とこの神話的な土地との根深い因縁というものが、その事実からだけでも伺えるというものである。



    軍事政権が名付けし国名を忌み嫌いまだビルマと呼んでいるのは私だけかな 蝶人




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ヒラリー・スワンク主演監督の「フリーダム・ライダーズ」をみて

2013-11-08 09:26:33 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.590

異民族の根強い対立が続くアメリカで教育の現場で、それを解消しようと苦闘する女教師の物語で、はじめは作り話かと思っていたら、最後に実在の人物と分かって驚いた。

フリーダム・ライダーズといえば60年代の勇猛果敢に疾走した白人黒人相乗りバスだが、公民権闘争が終わって双方の対立が融和したかと思っていた1990年代においても、人種差別と相互の暴力的な対立関係がまだ根強く残っていたと知らされて、またまた驚く。

この映画に描かれているように、白人と黒人だけでなくアフリカ系、非ヒスパニック系、アジア系などがそれぞれの派閥を作ってお互いに対峙対決しているのだが、そこにヒューマニズムの理想に燃える若きヒロインが飛び込んで、少しずつ血路を切り開いていくさまは、みているだけでもハラハラ、ドキドキしてくる。

全然勉強なんかする気も、その余裕もない学生たちを最後のハッピーエンドにまで導いたとは物凄い熱血教師だ。授業に関心を持たせるために自費で「アンネの日記」を買ったり、ナチスの「ホロコースト」の実態を教えたり、アンネを匿った実在の人物を学校まで招聘して話を聞いたり、その熱意と行動力にはまたまた驚かされた。

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耕君を調教しようとせし職員よまず障がい者のありのままを受容せよ 蝶人

ロブ・ライナー監督の「最高の人生の見つけ方」を観て

2013-11-07 14:18:11 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.589


ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンという2人の芸達者が、死期の迫った経営者と自動車修理工を演じて、その見事な死にざまを堪能させる。

死の宣告を受ければ戦々恐々、あるいは唯々諾々として病院や自宅で最期を迎えるのが常人のつねであるが、この2人はどうせくたばるなら出来ることをみなやりおおせてから死のうと考え、ピラミッドを訪ねるとかスカイダイビングをこころみるとか、普通なら実現不可能な「夢」をリストアップし、これらを次々に実行実現していく。

そして最後に残された「夢」が映画のラストでどうなるのか、それは見てのお楽しみ。才人ロブ・ライナーが腕の冴えを存分に発揮している。


新聞は死亡記事から読みはじむ次は誰かとおののきながら 蝶人


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根岸吉太郎監督の「ヴィヨンの妻」をみて

2013-11-06 07:35:43 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.588


太宰の原作を読んだのはもう大昔なので、この映画がそのいぶきをどれくらい正確に伝えているかが分からず、さきほど再読してみましたが、これは作家が酒でも飲みながら一気に口述筆記したもので、べつにどうという内容の作物ではありませぬ。

まあフランソワ・ヴィヨンなぞという「こぞの雪いづくにありや?」などとノタマウ中世仏蘭西の与太者詩人の名前を引っ張りだしてきて、そいつをば恥ずかしげもなくおのれのいきざまになぞらえ、麗々しくもタイトルに据えたことぐらいがお手柄の詰まらない小品で、これだととうてい映画にならないので、他の作品のエッセンス?を拝借してきたのでしょう。

そのパクリの技巧はご立派。しかし太宰役の役者浅野忠信の台詞ははじめから終わりまで一言も聴き取れなかった。どうせくだらないことか喋っていないと分かっていたからではありまするが。

女優は松たか子はちとエグく、広末の意外なセクスイーにちと惹かれる。この監督はどういう風の吹きまわしかげんざい東北芸術大学の学長!をしているというので驚いたが、ポルノ映画の時代からセックスシーンは無茶苦茶上手な人なんですよ。



故郷の名前をテレビが連呼する台風十八号の爪跡いたまし 蝶人


斎藤武市監督の「ギターを持った渡り鳥」をみて

2013-11-05 08:57:14 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.586


石原慎太郎と同様、石原裕次郎も嫌いだが、小林旭は好きだ。巨人よりも阪神のほうが好きというようなもんかなあ。

長すぎる映画は嫌いだが、短い映画は好きだ。大人より子供が好きというようなもんかなあ。

ということで久しぶりに見物した日活の活劇映画でしたが、まあ中身を語るだけこころが寒く寂しくなるってなところで、その代わりに私がまだ行ったことのない函館の海や町が素敵に美しく捉えられている。おそらく現在の実物よりももっと奇麗に美しくね。

それがこの映画の最大の魅力ですかね。もちろん旭選手が理由もなくギター弾きながらラアラア歌ったり、それを観ていた浅岡ルリ子が理由もなく惚れたりするのですがね。



ジャンニ・アメリオ監督の「家の鍵」をみて

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.587


生みっぱなしにしたまま友人の元に長く放置していた父親が、その良心の呵責に耐えかねて障がいのある息子と再会し、和解し、共に新しい人生の一歩を踏み出すまでの物語です。

同病相哀れむではありませんが、同じ病院に入院している娘を持つ女性シャーロット・ランプリングが、苦悩する父親に向かって、「二〇年以上娘の面倒を見てきて、彼女の手足を洗いながらその絶望し切った眼を見ると、「なぜ死なないの?」と言いたくなる時があるの」と告白します。

 こういう思いは、障がいを持つ子供を持った親なら一再ならず懐くに違いないのですが、それをこういうふうに言える他者になかなか巡り合えないのですね。

この時この言葉をある種の衝動に駆られて発語した彼女は、それによってある意味で大きく救われたわけですし、その衝撃的な告白を耳にした若き父親も、それによって絶望するどころか、それでも彼女のように生き抜こうという力を得るわけで、これがこの映画のハイライトだと思います。

 困難な道を選び取る決意を固めた父親のキム・ロッシ・スチュアートと、シャーロット・ランプリング、そして障がいのある息子役アンドレア・ロッシが素晴らしい。


CDを買う人は本も買うがCDを買わない人は本も買わないって知ってました? 蝶人


空よ

2013-11-04 10:09:42 | Weblog



「これでも詩かよ」第43番&ある晴れた日に第176回



空よ、君は、いつも流れている。
君は、いつも黙っている。

おそらく君は、なにか考えているのだ。
考えながら、みずいろの夢を見ているのだ。

私は君がなにを考えているのか、知りたい。
君がなにを夢見ているのか、知りたい。

空よ、君は退屈すると小さな声で啄木の「雲は天才である」を朗読したり、
♪三千世界の烏を殺しお主と朝寝がしてみたい、とウナって赤面したりする。

たまには人間たちが蟻のように蠢く地球を見下ろして、
胸に手を当てて目を瞑ったり、微かなためいきをついたりする。

空よ、君は素晴らしく機嫌の良い日には、
太陽に向かって微笑んだり、「青い山脈」をバリトンの裏声で歌ったりもする。

けれども、君が怒ると恐ろしい。
風神や雷神なんかがとつぜん登場して、とんでもなく物凄いことになる。

空よ、君は、いつも流れている。
君は、いつも黙っている。

おそらく君は、なにか考えているのだ。
考えながら、みずいろの夢を見ているのだ。



       世界中でいちばん売れた本はバイブルなんて知ってました? 蝶人


中上健次著「宇津保物語」を読んで

2013-11-03 09:27:21 | Weblog


照る日曇る日第632回


鞍馬の北山の大樹の「うつほ」に母親とともに棲み、獣に琴を聴かせて育った藤原仲忠という琴の名手が、いつしか摂関政治の頂上に迫ってゆくというこの下剋上、逆貴種流離譚に魅せられたのは、「宇津保」すなわち「空洞」であると作者はいう。

「うつほ」は窪であり、空洞であり、後退地、避難所、隠れ家であり、繭であり、コクーンであり、そこで誕生と新生が準備される子宮でもある。

おしなべて人世で必要なのは、人が生き、営み、戦い、消耗する場としての「露地」と、痛み傷ついた身をいたわり、新たに賦活・再生させるための場としての「うつほ」なのであろう。

長いようで短い露地生活でそうとう痛めつけられた私は、いま湘南の陋屋の狭くて小さな「うつほ」に起き伏しして老残の身を養い、惰眠を貪りながら異界の果てから最後の裡たたかいに身を投じようとかんがえているのである。



なにゆえにペールギュント組曲をペール/ギュント組曲と発音するのかアナウンサーよ 蝶人

佐藤賢一著「革命の終焉」を読んで

2013-11-02 10:13:09 | Weblog



照る日曇る日第631回


1794年草月、最高権力者の地位に昇りつめ、「最高存在の祭典」を全パリ、全フランス、全世界の人々の前で華やかにことほいだ「独裁者」ロベスピエールが、その翌月の熱月7月28日には盟友サン・ジュスト、クートンはじめ21名の同志とともに断頭台の露と消えるとは、彼らを死地に追いやった政敵のデルボワ、ヴァレンヌ、バレールたちすら思いもかけないカタストロフだったに違いない。

革命の理想をロベスピエールほど純粋に追究した政治家は他にはサン・ジュストしかいなかったが、その理想が純化されればされるほど、その政策は独善的かつドラスティックなものになり、政敵に対する過酷さと専制が度を越していった。

ロベスピエール自身はげんみつには独裁者ではなかったが、その政治が独裁的であり、叡智と徳を求めるはずの政治が、不寛容と死の恐怖政治へと反転していったパラドクスは歴然としている。

自由・平等・友愛の精神的修養なんぞより目の前にある肉体的満足を求める大衆の声はパリに満ちあふれ、もはやロベスピエール一派の前途は閉ざされていた。

独裁者に殺される前に独裁者を殺せ! 政治的闘争の本質は敵の抹殺であり、食うか喰われるか、殺すか殺されるかの修羅場の連続に疲れ切ったこの一代の革命児は、もはや革命の理念も、おのれの理想すら信じきれない悲劇的な最期を迎えることになったのである。

ロベスピエールの死後、仏蘭西は異端児ナポレオンを生みだしたが、ロベスピエールが夢見たほんらいのフランス革命も死んだ。しかし彼らが成し遂げた自由・平等・友愛を求める戦いは、仏蘭西の王政・貴族制の暗躍と伸長に一時的にせよ鉄槌を下し、市民階級の台頭に大きく寄与したことは疑いえない。

佐藤賢一による「小説フランス革命」は本巻をもって大団円を迎えたが、最新の革命史研究の成果を惜しみなく盛り込んだこの全12巻シリーズは、抜群に面白くて為になる歴史読み物として、末長く読み継がれていくことだろう。



六十代で夫婦生活復活と触れ回るあれらの誇大広告を取り締まれすぐに 蝶人

今日の仕合わせ

2013-11-01 09:22:33 | Weblog


「これでも詩かよ」第41番&ある晴れた日に第175回




その1。
お昼に大きな音を立てて柱時計が落ちたけれど、誰も怪我しなかったこと。

その2。
妻が「あなたの歯の痛いのが治りますように」と祈りながら、温かな手を私の顎に当てたら、驚いたことに痛みが引いてご飯が食べられるようになったこと。

その3。
勢いに乗った妻が、次郎(被災地からやって来た犬)と散歩にやって来た太郎(亡くなった先代の犬)の飼い主だったおばさんの手当てをしてあげたら、なんと関節の痛みが急に和らいでたやすく歩けるようになったこと。

その4。
障がい施設で働いていて、喚きながら1日40本も妻に電話をしてくることもある耕君からの電話が、たった3本!しかなかったこと。

その5。
夕方、太郎のおばさんから、カボチャとニンジンを頂いたこと。

その6。
家族の誰もが怪我や病気をせず、無事に一日を終えたこと。

その7。
名月の下で、月下美人が3輪も咲いたこと。

その8
この国に大きな地震や津波や原発事故が無かったこと。

その9
凶悪なレギュラン星人が、地球を来襲しなかったこと。

その10
今日が「最後の審判の日」ではなかったこと。



    午後五時に酒場の仕事でバスを待つ美貌の寡婦の足の細さよ 蝶人