ライプニッツ著・佐々木能章訳「形而上学叙説」を読んで
照る日曇る日 第2183回
「予定調和」なる学説を発明したことでも知られるライプニッツ(1646-1716)の翻訳が岩波文庫から出たので手に取ってみた。「モナド」などの主著が出る前の時期に書かれた「形而上学叙説」や「アルノー宛書簡」、そして論敵を論破せんとする「デカルト『哲学原理』評釈」などの論文であるが、スコラ学者のそれを思わせるその論旨の厳格さと執拗さに圧倒された。
「われ思う、ゆえにわれ在り」などと唱えて悦に入っていたデカルトなどは、その格好の餌食で、いきなり「われ様々なことを思う」と逆襲し、ここから私が存在するということに甘んじることなく、「私が様々な仕方で働きかけられている」と話柄を踊り場で転じ、話をアリストテレスがいう「目的因」の方向に話を引っ張っていたりする。
「デカルト『哲学原理』評釈」の「等しい2つの物体が衝突する場合の運動法則」では、得意の数式や難解な図表読み解きの泥沼に引き摺り込んだりするので、美しき一言居士のデカルトなんかは、「ライプニッツさんよ、議論はおらっちの専門の哲学だけにしといてくれよ」と泣き言をいうほかなかったんだろう。
さはさりながら、ライプニッツは「真なる命題において、述語の概念は常に主語に内属する」と何度も断定するのだが、私は、「述語はともすると主語をはみ出し、命題の概念自体を混乱させたり、顛倒することもあるのではないか」と、言いたくもなるのでした。
5万人を殺してもなお厭き足らず朝から晩までなお殺す奴 蝶人


