あまでうす日記

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千駄ヶ谷国立能楽堂で「第23回青翔会」をみききして

2020-10-15 16:55:59 | Weblog

蝶人物見遊山記 第329回


昨日13日にじつに9か月振りに上京し、千駄ヶ谷の国立能楽堂で第23回「青翔会」を鑑賞してきました。午後1時からの長丁場ですが、若手とベテランが入り混じった能2本、舞囃子2本、狂言1本の、コロナに憂さ晴らしをするような、まっこと力の籠った4時間を超える公演じゃったずら。

冒頭の観世流れの「胡蝶」が、第10期研修生、平野史夏選手の笛ではじまると、あんまり久しぶりの能舞台なので、なんだか涙がちょちょ切れるようで……。

終わり近くの中の舞で3種のパーカション・トリオに合わせて胡蝶の精の安藤貴康選手が紅梅と戯れながらダンスする箇所では、俄かにフィリップ・グラス風のトリップ状態に襲われ、軽い眩暈を覚えたほどでした。

次は金春流の「龍田」で、龍田姫に扮したシテの柏崎真由子選手が、関ヶ原の大石吉継のように下に長い灰色マスクをつけた5人の地謡の前で、圧巻の踊りを見せつけました。
美貌かつ長身の彼女が舞台に立つと、もうそれだけで満堂の目を引きますが、その凛とした佇まいから新体操さながらに繰り出される四肢の差し引きの切れ味が明快かつ俊敏で、こと踊りに関しては本日のナンバーワンでした。
ただしここでの龍田姫は、降りしきる紅葉と戯れながら御神楽を踊るという温和な状況なので、彼女が醸し出す抜身の長剣が鞘走っているようなシャープさは、必ずしも演目の本質に琴瑟相和したものとは言えないような気がしました。

ところで当日は能がなんと2本。トリに置かれたのは世阿弥の代表作「清経」で、これを宝生流の面々が演じました。
源平の大海戦に先駆けて豊前国柳ヶ浦で船から飛び込んで死んでしまった平清経の出現に、当然のことながら留守宅の妻は驚き、かつ激しく動揺します。
これに対して夫の清経は、懸命に縷々言い訳をするのですが、この際の劇伴がともかくうるさすぎる。

こういう現象はよく歌舞伎、稀に文楽でもあって、登場人物の微妙な会話を、無神経な下座音楽が覆いかぶさって聞こえなくしてしまうという事変が時々ありますが、それがなんとここで出た。
トリオの中の鼓、特に大鼓が悪乗りして、いい気になって叩きまくり、よせばいいのに大きな掛け声をかけるものだから、ツレの面の下からのくぐもったか細い声なんか全然聞こえません。

こういう「総合的かつ俯瞰的な」アンサンブルを実現する責務は、強いて言うなら宰相ではなく後見役なのでしょうが、指揮者やディレクターがいない能公演では、出演者の全員が、お互いの声や音をよく聴きながら賢く演じなければ、優れたパフォーマンスなど生まれるはずがないじゃろう。
最後の最後に「清経」より鼓の素演奏独演会!に堕してしまったのが、ベテラン勢で固めた地謡など他のパートが良かっただけに、ちと残念でありました。

 「なんでまた芝居がかってしゃべってる」「だってお芝居終わってないもの」 蝶人

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