あまでうす日記

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白井聡著「国体論 菊と星条旗」を読んで 

2018-06-23 09:43:34 | Weblog


照る日曇る日 第1087回


死語となりはてたはずの「国体」はどっこい戦後も今もしたたかに生きていた、という「思い付き」を、様々な知見と力動的な思考で実証しようとしているが、限られたスペースの中であまりにも多くのことを猛烈な勢いで詰め込もうとするために、当方の頭の悪いせいもあるのだろうが、あまり快く説得されなかったのが残念である。

冒頭、著者は16年8月の天皇発言による「闘争」に衝撃を受けたというのだが、私などは、それを単なる退位希望の言葉としか受け取らなかったから、そのすれちがいが、このような読後感を生んだのかもしれない。

しかし敗戦直後の「民主憲法」発布と昭和天皇の戦争責任の免責がバーターで強行され、そこに成立した「天皇制民主主義」が、戦後の「国体護持」そのものであること。
「反米愛国」のスローガンを共産党によって取られた新左翼が、共産党への反発故に「戦後の日本の帝国主義はすでに完全に自立した存在である」と誤認したこと。

天皇制は、偏在するがゆえに不可視のシステムとして、国民の大半にとって「第2の自然」と化しているように、この国の対米従属も表層的な個別の案件からは可視化されないこと。
80年代のレーガン政権の財政悪化を、一文の徳にもならない大量の米国債購入でいそいそと支え、不可解な「マネー敗戦」の痛手を負うたのは他ならぬ日本経済であったこと。

日米安保条約によって、日本は広大な軍事基地を米国のために提供し、その駐留経費約75%を負担(ドイツの倍以上!)している。この最大限の優遇条件が、今や米軍の全地域・全地球的な軍事展開を支えていること。

などは、著者が指摘する通りだと思う。

著者が主張するように、たとえ憲法が改定されようが護持されようが、日米安保条約と日米地位協定は、いわば憲法の上位に君臨して猛威を奮っている。

万歳、万歳、万歳!
敗戦以来73年、われら日本国民は、米国の属州の臣民として隷属する道をいまや「主体的に」選択しており、自らが米国の奴隷であることすら否認して現状に満足を覚えるという、文字通りの完璧な「家畜人ヤプー」になり下がったのである。



   専門に非ざる歴史の問題を脳科学者がぺちゃくちゃ喋る 蝶人
 

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