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あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

すべての言葉は通り過ぎてゆく第125回

2024-03-03 08:43:30 | Weblog

すべての言葉は通り過ぎてゆく第125回

 

西暦2024年如月蝶人狂言綺語&バガテル―そんな私のここだけの話第423回

 

裏金を貰った連中が、依然として偉そうな顔をして国民の代表者を僭称しているようだが、ケイサツは死んだキリシマ選手に夢中で、なんでこおゆう犯罪者どもを即牢屋にぶち込まないんだろうね。2/1

 

秀作、傑作ばかりの詩集や短歌集ほどつまらないものはない。例えば中原中也や正岡子規の全集には習作、駄作の類がどっさり含まれているからこそ、我々は心安らかに手に取ることができるのだ。2/2

 

私の632ページもある詩歌全集を、隅から隅まで全部読んだというお便りを、2名の方から頂いた。よって以て瞑すべし。瞑すべし。2/3

 

昨日のイラン戦は明らかに「戦略ゼロの日本チーム」の順当負け。後半から守備陣を全とっかえしていれば、負けなかったかもしれなかったが、かといって点が獲れたとも思えない。2/4

 

私のように広告畑でコピーライターをやった人間が、芸術文化について何か書こうとすると、どうしても商業的な臭みのする軽薄な文章になってしまうのは哀しい性とでもいうべき哉。2/5

 

前橋でできたことがなんで京都でできない? そもそも立憲がジミンではなく共産党と組んでいたら、京都市長選でも勝てたのではないだろうか。2/6

 

厚労省は、障害福祉に携わる人々の賃金を、24年度に2.5%(月7500円)、25年度に2%(月6千円)アップすることを目指すんだと。んで、全産業平均より6万円以上低い格差は、どんだけ是正されるんかいな。2/7

 

「万葉集」の大きな魅力は、混沌の魅力だ。全体の統合力が弱いだけに部分部分が力を持ち、部分と部分が時に整合的に、時に不整合に、場合によっては真っ向から対立しつつ結びつくのが面白く感じられる。長谷川宏「日本精神史」2/8

 

日産はキムタクを使って「やっちゃえNISSAN」なるキャンペーンをまだやっているようだが、いい加減にしたらどうか。そこそもこれは阿呆莫迦コピーライターが、ジャニー喜多川の口癖だった「ユー、やっちゃいなよ」から引用した阿呆莫迦キャッチフレーズなのだから。2/9

 

哀悼、小澤征爾命終88歳。彼がブザンソンで優勝して、トロント響、サンフランシスコ響で武満などを振っていた頃の音楽がいちばん良かった。2/10

 

小澤征爾を悼む村上春樹の文章。医者に止められているのに小澤が大食して斃れたり、ウィーンの街角で辻音楽師といつまでもだべっている姿に、自由気儘に音楽を奏でたい子供のような魂を見出だす作家の眼の確かさを感じる。2/11

 

見ることは思考をもするが、感覚器官の眼としては何の空想力も持たず、ただ事物の形象を網膜に映すだけなのである。意志なくして見れば何も見えないし、意識を持って見れば何かが見える。それを夥しい映像文化の中における個々の現実性の追求の過程で思考したいと私は思っている。鴫剛(「みづゑ」1974年)2/12

 

この節は母体の出生前検査が盛大に行われ、生まれてくる子供にダウン症などの障害があると診断された場合、生まれる前に堕胎してしまうことが多いそうだ。立派な殺人である。2/13

 

ゆえに私なら子供を天与の存在とみなし、多少の障害があっても甘受して育てようと決意するだろう。ではもし胎児が、ふためとみられぬ化け物のような姿かたちで、通常の人間なら備えている心や知性や精神を持たない、いわば「非人間的な人間」だったらどうだろうか?2/14

 

それをしも「天与の恵」と嘉して受け止め、顔色一つ変えずに生ましめるか?と問われたら、「いやあさすがにそこまでは」と大いにひるんで、生まれてきた命に涙を呑んで引導を渡すに違いない。2/15

 

人間の「爬虫類の脳」が、勝手に命を選別し、この世の都合に適合できる価値ある命だけを残して、それが不可能と考えられる無価値な命を抹殺する優性思想の母体が、ここである。古今東西、誰にでもある優性思想の最新版である。2/16

 

我々はこの優性思想というやつに、表向きでは大反対をして頭の中から追い出そうとするのだが、うまくいったためしがない。よしんば頭の中で陶冶してやっと外に追い出しても、そいつは本能の奥底にがん細胞のように沁みついているので、絶対に摘出できないのである。2/17

 

できることといえば、それはそういうものだと諦めて、それと全面的には戦おうとせず、まるごと受け入れるしかない。頭ではお経のように絶対反対を唱えつつ、決して賛成する訳ではないが、またもっともらしく公言する訳でもないが、万やむを得ず、最小範囲で受け入れるしかない。2/18

 

今やウクライナでもガザでも、戦争はミサイルや無人機やドローンで戦われている。人殺しの手段が人造機械だからというて、殺人行為が帳消しになるわけがないが、殺戮現場に身を晒さないことが、幽かな免罪符になっているのだろう。2/19

 

「私には、日常的な現実を、写真的視角という限定の中で捉えたいという欲求と、物質的には写真ではない写真もどきを造りたい希望や、写真が絵になり、絵が写真になりという行為の連続で、見る行為の曖昧さを作品にしたいという思惟性がある」鴫剛(「みづゑ」1974年)2/20

 

「写実主義が、理想主義のアンチテーゼになり得たのは、観念的理想に対する強い抵抗の意志が存在した時代であったように、スーパー・リアリズムも、“拡散されない” 間は、リアリティを持つかも知れない。」鴫剛(「みづゑ」1974年)2/21

 

「現代美術のリアリズムは、自然も、第2の自然(人工物・映像)も含めた環境の中での、実存を確認することにあるのではないか。精神自体は、内的事実に存在する。個々の精神が現実に係わり、現実は、新しい存在を提示するだろう」鴫剛(「みづゑ」1974年)2/22

 

「ここ数年、写真から絵画に、絵画から写真へという反転作業を続けていますが、私にとってこの徒労ともいえる行為は、トロンプ・ルイユ(騙し絵)への興味ではなく、「なぜこのようなものを改めて描くのか?」という反問にあります」鴫剛「美術手帖」(1975年5月号) 2/23

 

「現代の都市生活にあって、それがいかに空虚なものであれ、個人においては、日常的な心情は確実に存在します。私はそんな現実を、冷静な眼で、ひとつの意志として描きたいし、ひとつの批判として痕跡を消したい」鴫剛「美術手帖」(1975年5月号) 2/24

 

「写真そのままに描く努力も、またその展開も結局は枠組みの中だけのことで虚しい行為ではないかという問いは、問いそのもの自体で必要な答えを共有しているけれど、十分とは言えない。それは概念の問題のみで、拠って出ずる量や側面、質の獲得、関係の意味や肉付け、資格の多様性を無視しているからです」鴫剛「美術手帖」(1975年5月号) 2/25

 

1994年からの選挙制度では得票数と議席数が比例していない。前回の総選挙では自民党は小選挙区で5割未満、比例区では3割台の得票率で「絶対安定多数」を確保した。大政党には得票数以上、中小政党には過小な議席を与える最悪の選挙制度になっている。上脇博之2/26

 

(承前)「現代社会は、余りにも多くの幻想、幻像を持っており、個人の存在は、空疎な空しい行為の内に無化しているのではないか、どこにその実体があるのか、という反問こそが用意されなければならないと思います」鴫剛「美術手帖」(1975年5月号) 2/27

 

昔一度だけ聴いたことのあるCDを、久し振りにプレーヤーに乗せているのだが、音飛びや演奏停止の多いこと。ほとんどがワーナー盤の箱買いであるが3枚に1枚くらいの割合で拭いても取れない傷がある。もうCDなんか(買えないし)買わない。2/28

 

女子サッカーの北朝鮮戦は好試合だったが、前半に北朝鮮が蹴ったボールが、ゴールラインを割ったように見えた。主審はビデオで確認すべきではなかったのか。2/29

 

50歳になりし息子の行く末を案じて祈る桃の節句に 蝶人