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あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

新潮日本古典集成新装版・島津忠夫校注「連歌集」を読んで

2020-06-11 14:12:47 | Weblog


照る日曇る日第1410回


「佐保川の 水を堰上げて 植ゑし田を  尼
 刈れる初飯はひとりなるべし  大友家持

という「万葉集」巻8にある最初期作を嚆矢として、平安末期から室町、南北朝の中世に全盛時代を迎えた330年の歴史を誇る連歌史の代表作を要領よく取り上げ、分かりやすい解説、注釈を施した好著です。

読みながら私は、前の575と後ろの77を多種多様な紐でつないで、仄暗い詩歌の森をヘンゼルとグレーテルのように連れだって、所々に目印を置きながら手探りで前進していく連歌という「座の文芸」を、私は旧友の手引きで夢中で楽しんだ昔の日々を懐かしく思い出していました。

本書には連歌の始祖ともいうべき二条良基の2首の百韻をはじめ、連歌中興前期の宗砌、後期の心敬中心のもの、さらに宗祇、肖柏、宗長の名トリオに拠る「水無瀬三吟」、「湯山三吟」、宗祇、兼載による「新撰菟玖波集」などのホットなジャムセッションが再録されていますが、個人的に一番惹かれたのは「天正十年愛宕百韻」における5月24日の明智日向守惟任の権力への意思をうちに孕んだ覇気ある詠みぶりで、それは初表の「ときは今天が下しる五月哉」のみならず他の付合15句の多くにも及んでいるのでした。

百韻は光秀の息子明智十兵衛の百句目の挙句「国々は猶のどかなるころ」で無事終了しますが、その異様な緊張を孕んだ数時間に宗匠の名連歌師紹巴tその連秀も疲労困憊したのんではないでしょうか。

ところでかのドナルド・キーン選手は、この連歌の発句から脇句、第3句へと鎖のようにつながっていく「渡り」に着目して、興味深い指摘をしています。(「日本人の面影」10日本人の日記から)

句の前後は密接につながりながら、発句と4番目の句はなんの関連も無く、ミクロで見れば関連があっても、全体を見れば構造が無い。それが連歌の最大の特徴だというておるのですが、それはかの太平洋戦争も、大震災も、現在進行中のコロナ騒動も、4句目ではことごとく「無かったことになる」という日本人の奇妙奇天烈な国民性に見事なまでに照応しているのかもしれませんて。

昨日今日明日明後日明明後日そこらでぜんぶプッツンしちまう 蝶人