株式投資と邪馬台国女王、卑弥呼

"卑弥呼"と"株"。株は49年,古事記は30余年で、邪馬台国=北四国の独自見解です。

卑弥呼の作った神輿太鼓(2)

2006-09-21 18:06:05 | 古代史・古事記講座(宇摩説)

 今日はシノノメ、アサヒ、スイハを説明する。

 シノノメを辞書で引くと東雲がでてきて、「日の出前の空が白々と明るくなる時」とでて来る。この意味になった元を紹介しよう。

 シは支配の意味と、云った。ここも、同様でシノノメは、「支配の芽」となる。この地名は全国にある。これは、その地方で最初に稲作(シノ、稲の最初の呼称)の指導をしたことを記念して、付けられた地名だ。私の知る限りでは山に近い所にある。

 これは、水路の関係だ。最初の水田は水路の確保が大変な難工事で、作っても、その内、どこかで、水が無くなる。モグラに穴を開けられたり、虫やミミズの小さな穴から水が流れて、大きくなったり、到底、山から遠い所は不可能だった。水が無いと、水田は稲が育たず、不作となる。

 明治時代でも、「水よこせ」の一揆があった。農民は水が命だ。
このような、苦労をして、田を作り、人々に稲作を指導して、建国した。

 今に天皇陛下が「お田植え祭」などで、田植えから、刈り取りまで、自らの手で行われるのは、建国に重要な役割をしたかに、ほかならない。逆に、この行事から、シノノメ地名の、重要性が判る。

 この名は、稲作の起源に天津国が大きく関係したことを、もう一度、再認識してもらうための、名であろう。

 次のアサヒは古代の意味が今と少し違う。本当は、浅い日で、まだ、日の国が出来て、「日が浅い」との意味だった。つまり、多くの不満も徐々に改善しているが、まだ日が浅くいので、全ては改善できない。しばらく、我慢して待って欲しいとのメッセージなのだ。浅間神社がある。アサマは、間が浅いの意味だ。

 スイハはミズ・は(葉、端、派、羽、波)である。ミズを端まで運ぶとの約束を表明している。

 実は太鼓台には、ヒチジョウニ、小房が28個、大房は4個、トンボに8個と、房が40個も付いて大変多い。そして、房は雨を表す。新居浜市の太鼓台は、「雨の房は美しく揺らさないといけない」と言う、申し伝えがある。

 このように、太鼓台は、庶民が一番気にする「ミズ〔雨)」に、気を使った飾りをしている。先の「スイハ」の名を付けたことと一致している。これも、国固めの必須条件だった。

 このように、神輿太鼓の名称が付いていると、当時の混乱が水不足を中心にしたものだったことが判って来る。これに対応した山車を作って、国民に見せて、混乱の収拾を図ったのだ。

 この卑弥呼の訴えを、金色の龍と共に見せられた国民は、「卑弥呼はやっぱり凄い」となって、一気に信頼を取り戻したのである。この時から、卑弥呼と龍が結び付いたのだ。今は龍を天皇陛下とするが、この認識を植えつけたのは、皇帝から金の龍の錦を贈られた卑弥呼以外には無い。つまり、天照大神の業績として、伝わり、その内に、凄い女神と簡略されて伝わったのである。

 このように、神輿太鼓の名は、「女神が国固めのために作って、浜から、全国に出発した」と言う、伝承と一致する名が付いている。これは、相互に補完して、共に正しいことが解る。

 今日はこの辺にしよう.。       三島  明


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