学者の解説を読むと、語義で葦原中国だけが現実世界となっていた。後は、高天原も、黄泉の国も想像世界と言うことだ。この解釈では、想像世界で、イザナギを助けたから、現実世界の人々を助けると言うことになる。
宇摩説では、全てが史実、つまり、現実世界として解釈している。だから、もちろん、黄泉の国も現実世界である。
今日は、この時代の社会構造を国々の名から、地形的三層構造を説明しておこう。
高天原は、山に居を構えていた。だから、各地に天降りの時は、船で行くから、各地では海から訪問した神となる。そして、稲作指導などで滞在すると、山に住むことになるから、山から来た神とも伝承される。
黄泉の国は、昼でも日が差さず暗い原生林の中で生活する人々の国を言った。狩猟・漁労などの狩猟民族であろう。
史学の解説で、雷神がイザナミを取り囲んで地下の穴倉に居たと言うのは、空に居る雷の神とすると、異常な発想と言えるだろう。宇摩説では、雷神は鍛造の神、鉄器の神と解いている。
雷神が居ると言うことは、鉄器の製作が初めっていた時代であり、弥生時代中期から、後期の物語と様子が、これらの神話から判る。
初期の水稲は、山頂に近い山の平地を利用して、湧き水によって作られたものだろう。猿田彦と言う神が居る。宇摩郡には、南の四国山脈に猿田の地名も残る。山頂には、猿田峠がある。
サルが作ったような小規模の田が作られたのであろう。同時にこれは、全国で稲作を広げる実験農場でもある。著書1で、山から平野部に移った頃の、田んぼの発展を地名から解いているが、其の前段階が山に作られた猿田であろう。
猿田彦は、神話では、この後に、突然、猿田彦大神として登場するが、大神に到まで、各地で稲作の指導をしたものであろう。全国の祭りで、祭り行列を先頭で仕切るのは、猿田彦が稲作の実施指導をした結果だ。
なお、伊勢神宮の土地を提供したのは、猿田彦と言う伝承があり、今の史学では、伊勢の主だったと言うことになっているが、私は疑問を持っている。これでは、全国の祭りに関係することは無いからだ。
とにかく、ウマシアシカビヒコヂ神から、稲作指導が始まったが、イザナギ。イザナミの時代でも、平野部の田んぼは出来てなかったのであろう。
古事記は、稲作の表面上では記録を残さない。しかし、瑞穂の国というように、統一や、国の維持に重要な役割を果たしたから、消し去ることも出来ずに、ウマシアシカビヒコヂというように、神の名にして、迷彩しながらも残している。
葦原中国とは、道具や技術が発展して、山の麓のなだらかな部分を利用して、やや広い田んぼが作れるようになり、この稲作に賛同している国々を言ったのである。つまり、山の指導者の地域と、平野の黄泉の国の中間に、稲作の国々が出来ていた。
そして、木製だった農具に鉄器が加わり始めて、稲作は平野部にと広がって行く時代である。これが、イザナギ・イザナミの時代である。史学が無意味な解釈を続けるから考古学の発掘品は全て謎のままだが、宇摩説では解明できる。
これまでは、山の斜面を利用した田だったが、能率の上がる鉄器によって、なだらかな山の麓から、平野部にも田を作るようになった。これに貢献したのが、雷神と言われた鉄器の製作者たちである。
したがって、高天原の全国指導に欠かせない集団が雷神である。イザナギが特別の応戦も無く逃げるばかりであった理由の一つだろう。
この時代の三層構造を示す国名が残されていた。
ウマシアシカビヒコヂ、猿田、葦原中国、などによって、時代の田の進展が判る。
猿田彦の業績と、全国の祭りの関係も判る。
雷神と鉄器の生産など、これらの話と、弥生時代の中期から、後期にかけての状況が、古事記から判明する。
書き上げた原稿が昇天した。全て書き直しである。
急いで書いたので、何だか、説明不足や、抜けがあると思うが、この辺で終わることにする。抜けがあれば、後で追加することにしよう。
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