株式投資と邪馬台国女王、卑弥呼

"卑弥呼"と"株"。株は49年,古事記は30余年で、邪馬台国=北四国の独自見解です。

卑弥呼の姿=1= 神輿太鼓の飾幕にある卑弥呼

2006-11-11 09:41:31 | 古代史、卑弥呼、神輿太鼓、倭人伝
 謎の女王、卑弥呼は、どのような姿をしていたのか?知る人は居ない。だが、卑弥呼の研究に30数年をかけると、これは、卑弥呼だ。と言う像に行き当たる。

 今回は、神輿太鼓に残る、卑弥呼を紹介しよう。卑弥呼に至った全てを書けないが、幾つかは紹介することにしよう。

 神輿太鼓は太鼓神輿とか、大鼓台と呼ばれる。西日本の一帯に広く分布する。上部が、屋根でなく、布団を載せる所に特徴がある。この布団は、香川県豊浜町の伝承では「神の座る座布団」と言う。

 八枚も敷いて、座る神とは、一体誰なのか。少なくとも、相当に上の方の神には違いなかろう。この神は女神で、この地方や、愛媛県の東予に伝わる「船神輿歌」(無形文化財)によると、初夢で、船を造って、異国に出発する。後の「異国の皇帝」では、異国の皇帝の行けの表を見てきた人が「テイシュン」と言う。

 テイシュンは、倭人伝によると、皇帝の使者として、卑弥呼の元に来た使者である。この後、宇摩郡を中心とした地域に、布団を載せる山車ができる。すると、この女神は「卑弥呼」である。

 倭人伝に「卑弥呼の好物」や、貢献に対する答礼などの、記録があって、多くの物が皇帝から贈られる。鏡が有名だが、実は織物が一番多い。絳(赤)地に交龍の錦などが代表的だ。赤い地に交わる龍を刺繍した錦であろう。

 瀬戸内海の中央部に、燧灘がある。この中心部は四国が凹んでいる。この中心に宇摩郡がある。この宇摩郡を中心に大きな布団を末広型に積み上げた山車である。

 この山車に使われる飾は全て金糸で刺繍する独自の物。そして、図案は全て中国に関係する。こうなると、卑弥呼に贈られた織物が使われたことが判る。

 地元の伝承では、布団の横に使われる「布団締め」は、中国の皇帝から贈られた。などと言う。私も最初は本気にしなかったが、調べるうちに、本当だと判った。先の歌や、怒張の歌などに、その痕跡が残る。

 また、これは、地名、神社の祭神、などにも、極めて、多くのことが残っている。これらは、このブログで書いたので、重複しないが、ものすごく多い証拠があると言える。

 さて、皇帝が卑弥呼に贈った錦は、どんな図柄だったのか?これが、現在のある地域の大鼓台にある飾から判明した。一つは「自分の宮殿を半分近く描いて、龍を送る図、贈る相手、卑弥呼の像が描いてあった。

 これを、現在、エントリー中だが、ここでは、少し早く、紹介しよう。この図で描いた卑弥呼は、中国人が創造する、卑弥呼である。どのように描いたか、それが、今回の「卑弥呼の図」である。

 ここに載せる飾幕がその実物である。光が不足して少しくらいが、本物は金色に輝いている。ここでは、修正できないので、このままだが、技術のある人は、もう少し明るくされると、実際の飾に似てくる。



 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。