天照大神とスサノオの天之安の河の”ウケヒ(誓約)”は誰もが知る事だろうが、宇摩説では、ここに、日本文化・社会の元があると、解いている。
「大人の古事記講座」(24)、天の安の川のウケヒ(誓約)
はじめに、天照大神とスサノオ
安の河の天照大神とスサノオのウケヒ(誓約)は、具体的な大神の行動が記された記述であり、スサノオが上る来る時に、天照大神は男装して武装し、四股を踏み、スサノオを迎える。この部分は余り知られてないが、相撲の起源にも関与した重要部分である。
ウケヒは神話のハイライトの一つであり、二人は姉弟とされるが、少し異常である。宇摩説では、イザナギと天津神や国津神の親との誓約によって生じた義理の姉弟だと、解説している。これなら、不自然ではないだろう。
また、イザナギとイザナミも、史学では姉弟とするが、宇摩説では血縁のある姉弟では無いだろうと、解いている。これも、優秀な子をウケヒでイザナギが引き受けた他人の子と解する。
つまり、誓約は人材発掘の手段であり、国民の中から優秀な者を集めて、優秀な後取りを決めるのである。このような、血縁の無い親子関係は、終戦前までは継続されていた。
今も「宿親制度」などで、各地に残っている。この縁を結ぶと親はわが子同様に育てるのであり、現在の職人の世界、相撲の世界や、落語の世界などに色濃く残っている。
落語世界の師弟と兄弟
ビックコミックのマンガにに落語世界を描いた「どうらく(道楽)息子」がある。落語の世界に飛び込んだ若者の話だが、これを読んで、大国主の因幡の白兎を思い出した。
私は大国主が多くの兄弟の一番最後に荷物を背負って従った話と非常に重なると思う。これは現在の職人の世界にも兄弟子などで継承されている。
古代解明は現在の謎解明に繋がらないと、意味を成さないと言うのが、私の古代論である。
職人ばかりでなく、日本社会・文化の習い事、芸事は茶道や華道、踊りなど、師匠=親であり、ここに師匠・先輩などの明確な線があり、しかも、兄弟同様の人情世界があるのだ。
つまり、これらの起源も、弥生時代の天照大神とスサノオの「安の河のウケヒ」に代表される日本人の思考であり、礼節社会を生んだ元でもある。ここに、陛下が国民を我が子と思う元がある。
私には諸般の理由から、芸事世界の見習いに残り、特に落語界に、神話・弥生社会の文化・思考が一番多く残っていると思う。とにかく、古事記解釈で生まれた各地の国固め、技術指導などの説得は演芸団であり、大国主は新弟子だった。
なお、大国主の話に出てくる多くの兄弟は、「やさしい古事記講座」で、原文から、実の兄弟ではなく、血縁の無い義理の兄弟弟子子、と説明、新参者・新入団の大国主と解いている。
日本社会、人類の理想郷育成策の一端
古事記では、天照大神とスサノオの天の安の川の、ウケヒは古事記神話・弥生時代の天照大神、スサノオのウケヒはハイライトの場面である。
古事記神話を歴史的・科学的・現実的に解く”宇摩説”では、天照大神と、スサノオの「ウケヒ(誓約)」についても、「和の社会・平和社会を構築した一つの方法」と、解いている。
この他人でも契約によって、親子の絆を作るのが、日本社会、文化の特徴であり、「和の社会」を作るのに非常に有効な手段である。
つまり、日本が人類の普遍的理想郷なのは、自然発生したものではなく、神話・弥生時代に、人為的・意図的に構築されたのであり、日本は古代から凄いのである。
<2011,12,24「大人の古事記講座」24>