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とてもいい動画を見つけましたので、例によってコメントしました。ご興味があればぜひ動画も見て、お付き合いください(#^.^#)
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とても参考になるいい動画をありがとうございます。日高見国は出雲神八束水臣津野命こと海神豊玉彦が開発した国だと分かりました。日高見国は北上川流域だったのです。北上川は「来た神川」のことだったのです。詳細は「国引き神話は史実だった?(その4)徹底的に隠された神だった?」、「大谷さんは日高見国の王子だったの?」をご参照ください(;^ω^)
今、上で紹介した拙ブログ記事を見直してみると、北上川流域の日高見国は、奥州市日高神社が通称日高妙見とされているので、神仏習合して妙見さんとされた八束命を祀っています。出雲国風土記の国引きの神八束水臣津野神の略称です。この神を祭神とする出雲市長浜神社の元の名称が妙見さんです。また、釜石市長浜町で浜大明神が祀られていますので、日高見国は八束命が最初に開発した地域だとは思います。八束命は「古事記」で淤美豆奴神(おみづぬのかみ)とされており、その子天之冬衣神が多いに関わっていることも分かりました。
つまり、天之冬衣神は穂高見命(ほだかみのみこと)から、古事記を創作した多人長(おおのひとなが)が連想してあてた神名なのです(詳細は「日本の古代史が謎な理由?(@_@)?」参照)。すでに上掲記事で指摘していますが穂高は「ほだ・ほた」のことで、 デジタル大辞泉 によれば
ほた【×榾/榾=柮】
読み方:ほた
《「ほだ」とも》炉やかまどでたくたきぎ。小枝や木切れなど。
《季 冬》「おとろへや—折りかねる膝頭/一茶」
です。そして「み」は古文の神・霊の意味と見ると、格助詞「か」は「助詞(じょし)の種類(しゅるい)の1つ。おもに体言について,その体言と下にくる語との関係(かんけい)を示(しめ)す。」とありますので、「ほだ」の霊、つまり木霊とされる五十猛命(第十八代奴国王スサノヲの子)の霊を纏った、霊的につながった子孫という意味と考えられます(注1)。
ということで八束命の後継者の天之冬衣神・穂高見命は穂高彦あるいは日高彦ということになります。宋史王年代紀では第二十二代奴国王炎尊とされていますが、「日(ひ)」を「火・炎」としたのでしょう。そうすると、日高彦(先代久々遅彦、魏志倭人伝の狗古智卑狗)の御子が高野御子(たかのみこ)大国主命のことですが、「日高の御子」の「日」が省略されたのだとわかります。これは藤原政権に遠慮したためかも知れません(;^ω^)
ですから卑弥呼の死後の内戦に勝利した大国主久々遅彦(高野御子)が狗奴国を裏切って、13歳の台与を女王に立てて魏を後ろ盾にして卑弥弓呼大王(ニギハヤヒ大王の子孫、記紀の崇神天皇)と対立できたのです。大国主の祖父や父の代から多くの人々から鉄のネットワークの元締めとして尊敬され、各地の首長は自らの娘を妃として差し出し血縁関係を築いたことが背景にあったと思います。大国主も、当時の先端技術を惜しげもなく各地に渡したことにより人気を得たので、現代でも全国的に各地の神社で名前を変えて祀られているのでしょう。別名や分身が限りなく存在するのは、これも藤原政権に遠慮してのことだったようです。
(注1)勿論スサノヲ大王の霊も纏っているわけです。これを米神(首長霊)信仰と呼びましたが、偉大な祖先の霊魂を纏うことで更に大業をなすことができるという信仰です。これが基になって古墳を造成して、その上で先代を葬り、遠隔地で死亡したなどのように、遺骸がない場合は遺品などを主体部に埋葬し)、首長継承の儀礼を行ったものと考えています(詳細は「国引き神話は史実だった?(その5)西谷墳墓群の被葬者は?(^_-)-☆」参照)。
王年代紀は記紀神話を正した!(^_-)-☆神話は藤原不比等が創作したのですよ( ^)o(^ )
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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つまり、天之冬衣神は穂高見命(ほだかみのみこと)から、古事記を創作した多人長(おおのひとなが)が連想してあてた神名なのです(詳細は「日本の古代史が謎な理由?(@_@)?」参照)。すでに上掲記事で指摘していますが穂高は「ほだ・ほた」のことで、 デジタル大辞泉 によれば
ほた【×榾/榾=柮】
読み方:ほた
《「ほだ」とも》炉やかまどでたくたきぎ。小枝や木切れなど。
《季 冬》「おとろへや—折りかねる膝頭/一茶」
です。そして「み」は古文の神・霊の意味と見ると、格助詞「か」は「助詞(じょし)の種類(しゅるい)の1つ。おもに体言について,その体言と下にくる語との関係(かんけい)を示(しめ)す。」とありますので、「ほだ」の霊、つまり木霊とされる五十猛命(第十八代奴国王スサノヲの子)の霊を纏った、霊的につながった子孫という意味と考えられます(注1)。
ということで八束命の後継者の天之冬衣神・穂高見命は穂高彦あるいは日高彦ということになります。宋史王年代紀では第二十二代奴国王炎尊とされていますが、「日(ひ)」を「火・炎」としたのでしょう。そうすると、日高彦(先代久々遅彦、魏志倭人伝の狗古智卑狗)の御子が高野御子(たかのみこ)大国主命のことですが、「日高の御子」の「日」が省略されたのだとわかります。これは藤原政権に遠慮したためかも知れません(;^ω^)
ですから卑弥呼の死後の内戦に勝利した大国主久々遅彦(高野御子)が狗奴国を裏切って、13歳の台与を女王に立てて魏を後ろ盾にして卑弥弓呼大王(ニギハヤヒ大王の子孫、記紀の崇神天皇)と対立できたのです。大国主の祖父や父の代から多くの人々から鉄のネットワークの元締めとして尊敬され、各地の首長は自らの娘を妃として差し出し血縁関係を築いたことが背景にあったと思います。大国主も、当時の先端技術を惜しげもなく各地に渡したことにより人気を得たので、現代でも全国的に各地の神社で名前を変えて祀られているのでしょう。別名や分身が限りなく存在するのは、これも藤原政権に遠慮してのことだったようです。
(注1)勿論スサノヲ大王の霊も纏っているわけです。これを米神(首長霊)信仰と呼びましたが、偉大な祖先の霊魂を纏うことで更に大業をなすことができるという信仰です。これが基になって古墳を造成して、その上で先代を葬り、遠隔地で死亡したなどのように、遺骸がない場合は遺品などを主体部に埋葬し)、首長継承の儀礼を行ったものと考えています(詳細は「国引き神話は史実だった?(その5)西谷墳墓群の被葬者は?(^_-)-☆」参照)。
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