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すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

正史は正しい歴史なのか?|д゚)

2022-02-15 16:17:58 | 古代史
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2020-05-11 14:48:16に掲載した記事ですが、若干追加しました。お付き合いください(*^▽^*)

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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和2年(2020)5月11日(月曜日)弐
       通巻第6495号 
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愛読している宮崎正弘先生のメルマガに以下の記事を投稿しました。早速、先生の読者の皆さんに興味を持っていただきました。心より感謝いたします。投稿記念にブログにしました。ご意見などコメントはこちらに下さい。よろしくお願い致します(*^▽^*)

(読者の声2)貴誌6493号の高柴昭様のご意見は日本人の多くが理解できるものでしょう(【付録】参照)。「魏志倭人伝」に邪馬台国への行程が詳しく書かれているので、これを信じて正しい解釈をすればたどり着けるはずだと多くの方が考えているようです。

しかし多くの研究者が二・三百年かかっても、現代に至るまで未だに確定されていません。

その理由はいろいろ指摘されています。「魏志倭人伝」は三世紀末に西晋の史官陳寿によって編纂された「三国志」の一部ですが、その原本は現存せず、誤写もあるような十二世紀頃の南宋期の版本で議論していることも、字句の解釈が分かれる一因でしょう。

そのためもあるのか、最初に意中の場所があって、結論をそこに持って行くために内容まで変更して解釈する説もあり、理由抜きで都合の悪い記述を無視するものもあり、とても万人が納得する話にはならないからという指摘もあります。

しかし高柴昭様が述べられたような日本人に共通する正史や史官に対する考えが、実は思い込みに過ぎないというのが根本に在ること、宮脇淳子先生の師匠で夫の岡田英弘先生の「日本史の誕生」(弓立舎,1994,pp.48-72)によって気付かされました。古代史研究にはまったきっかけでした。(2020.5.14 黒字修正)



それでも、多くの文献史学者も、以下でかいつまんで述べる岡田先生の内容がエレガントではないという理由で排除しているようです。これも研究が停滞する大きな理由のひとつです。

史官は歴史家だから事実を真面目に書いているはずだと主張しているのです。

しかし、どんな文書でも執筆するにはそれなりの立場の人がそれなりの理由や目的をもっているので、必ずしも事実だけを書いていないかも知れないと疑うのは当然の姿勢でしょう。まして古代ならば権力者に不都合な事実はとても書けないと考えるのが常識でしょう。当時なら本当に首を刎ねられますし、今だとビルの屋上からですか? そういう意味で『少なくとも、「信頼するのはバカ」と切り捨てることの傲慢さ』とまで断じるのは如何なものかと思います。

「魏志倭人伝」で陳寿が最も主張したかったことは、魏の実力者で後の西晋の礎を作った司馬懿(西晋の宣帝)の功績でした。遼東郡太守公孫氏を破り、韓半島を支配し、倭国まで懐柔して、ライバルの呉を挟み撃ちにしました。(2022.2.15 黒字修正)

この功績が、西域の大月氏を魏に朝貢させて蜀を抑え込んだ曹真(曹操の甥)を超えるものだということでした。それは西晋の実力者で陳寿のパトロンであった張華の顔を立てるためでした。「三国志」を正史にした人物です。

具体的には、邪馬台国が帯方郡から東南、万二千余里で、呉を圧迫する東の海上にあり、更に魏の朝廷の目を引くように女王が支配する東夷の大国ということにしたということです。



ですから邪馬台国に行く行程は実際の卑弥呼の宮室の場所を基にして、倭国のことを全く知らない魏の朝廷の人々が納得する程度のつじつま合わせで方角・里数・日数や戸数などを書き換えたということなのです。

いくら正しく解釈してもこのような行程記事では誰も邪馬台国にたどり着けません。

ただしすべて陳寿の創作ではなく倭国に訪れた二人の魏使(梯儁と張政)の報告書に基づき司馬懿の功績を強調したということでしょう(司馬懿の部下で帯方郡太守劉夏と倭国大夫難升米との談合で梯儁の報告書が作られたと推理しています)。

「魏志倭人伝」行程記事の真相だよ
【検証22】難升米という人物は?(その1)~(その3)

なぜそこまで言えるかですが、当時、魏都洛陽から大月氏の都カーピシ(アフガニスタンのバグラム)まで万六千三百七十里ということになっており(一里約450m)、洛陽から楽浪郡(平壌付近)まで五千余里ですので、邪馬台国までを万七千余里にして曹真の功績を超えているとしたかったからとわかるからです。(2022.2.15 黒字追加修正)

陳寿は大月氏の朝貢記事も、曹真が大司馬(現在でいう国防長官か)に昇任する記事もあっさりと触れてはいますが、曹真を称えるはずの西域伝を意図的に書いていません。渡邉義浩氏も陳寿が曹真の功績を隠ぺいしたことを「魏志倭人伝の謎を解く」(中公新書2164,pp.38-41)で述べています。

後に裴松之が「魏志倭人伝」の注で「魏略 西域伝」を引用し陳寿の偏向を正しています。また「三国志」で西晋の基となった曹魏だけ正式な王朝として本紀で扱い、呉・蜀は列伝扱いです。何よりも凄いのは、たかが東夷の王でしかない卑弥呼の朝貢を絶賛した異例とも思える詔勅を、ほぼ全文掲載していることです。(2020.5.14 黒字修正)

事実を淡々と記載すべき歴史家の態度ではないのです。司馬懿の功績を書きたいために「三国志」を編纂したと言っても過言ではないと思います。

これが当時の史官の正しい価値観なのです。

多くの日本人は正史は何となく正しい歴史だと勘違いしています。

現存する日本最古の正史「日本書紀」も編纂を命じた天武天皇が崩御した約30年後に完成しています。その当時の権力者藤原不比等は、皇后鵜野讃良(持統天皇、天智天皇皇女)が優秀な皇子たちを排除して即位したことの正統性を主張するために、皇祖神天照大御神を女神ということにして高天原神話を創作しました。

また建国当時活躍した氏族の物語を抹殺し、天皇家さえ貶めて神話に閉じ込め、藤原氏に都合の良い歴史に改ざんしています。

その後に神話に基づく伝承を各地の神社に残させて粉飾しましたので、古代史が訳のわからないものになっているのです(多くは関裕二氏の「古代史不都合な真実」実業之日本社2018 などの数々の著書を参考にしています)。(2020.5.14 黒修正)


例えば、「神功皇后紀」に「魏志倭人伝」の女王の朝貢記事などを引用しています。編纂者は有力氏族の伝承なども集めているので、建国の真相を知っていたはずです。平安時代までの多くの人々も知っていたので、疫病や天変地異が起こる度に朝廷は、建国時代にヤマトに恨みをもって亡くなった貴人たちの祟りだと信じ、ゆかりの神社の祭神に田などを寄進し、神階を上げて丁重に祀っています。

祟るはずのない神(神功皇后、宗像三女神=宇佐神宮比売大神)を怖れており、 祟られる側に問題があることを告白していると関裕二氏が指摘しました。(2020.5.14 黒字修正)特に国譲りをした大国主は様々な名前で日本各地で祀られていますので朝廷が正体を明 らかにしたくない実在人物だと分かります。

出雲大社にある大国主の銅像


狗古智卑狗という人物?(^_-)-☆

宇佐神宮にはじまる神仏習合も歴史の真相をあから様にできないので本地仏(弥勒菩薩)として祀ったと考えています。七福神も男性6名は全て大国主狗古智卑狗で、弁財天が宗像女神卑弥呼、8番目の吉祥天が台与だと突き止めました。

本当は怖い七福神の謎(;一_一)


四柱の神(伊弉諾尊・八幡大神・八幡比売神・吉備津彦命=物部氏の祖饒速日尊=天照大神尊)だけが最終的に最高位の品位が贈られていますから謎を解くカギになりました。

正史は権力者が権力を維持するための「かくあるべし」という理念で書かれた政治文書だというのが正しい理解です。

ですから、書かれたものをそのまま信じると罠にかかります。

しかし真相解明のヒントが隠されているので、全く無視するのも間違いです。編纂時の権力者の意図などを推理し、シナの歴史書(「新唐書」・「宋史」)に記載された「日本は古の倭の奴国」を最初の仮説として、考古学などで検証・推論を繰り返す科学的手法(アブダクション)によって古代史の真相を解明しました。

ヤマト王権の成立過程や邪馬台国の位置・卑弥呼の墓など数々の謎が解けました。詳しくは拙ブログをご覧ください。定説・通説と異なるので、疑問点などをお寄せ下さい。


「古代史の謎を推理する」

【付録】
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和2年(2020)5月10日(日曜日)
       通巻第6493号 
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(読者の声2)宮崎氏の論は、現代の中国論については誠に鋭いものがある一方で、古い時代のことでは、現在の価値観で、過去のことを推し量る過ちを犯してられる様にも思われます。
 ある人の先祖が悪人だから、その末裔である、ある人も悪人である、と決めつけることができない様に、過去のことは過去の価値観や状況などに基づいて考えるのが普通で、現在のある人が悪人だから先祖も悪人に違い無いと決めつける事は出来ないと思っております。宮崎氏の場合はそうではないか、或いは場合によって基準が違っている様に見受けられる所があり、この点は改めて頂いた方が今後の論調に説得力が増す様に思い、あえてメールを差し上げる次第です。
 具体的には、令和2年(2020)5月3日(日曜日)弐 通巻第6450号において、宮脇淳子『朝鮮半島をめぐる歴史歪曲の舞台裏』(扶桑社新書)の書評の中で、次の様に述べておられます。
「両国にとっての歴史認識とは客観的事実などどうでも良いし、そのときどきの支配者のご都合主義が投影される。各王朝の『正史』は史実が疑わしい。『魏志倭人伝』を信頼している日本の歴史家がまだいるが、バカとしか言いようがない。」
 翌日の、5月4日通巻第6485号の中の、石平『石平の裏読み「三国志」、英雄たちに学ぶ乱世のリーダーシップ』(PHP研究所)の書評の中では、『三国志』については著者の石平氏のことを「石平氏は孔子の『論語』に通暁し、儒教に造詣が深い。北京大学で哲学を学んでいる」として大変評価されており、その石平氏が説かれる『三国志』を下にした人物の解説には特段の異論は持っておられず納得されている様にお見受け致しました。
 石平氏の評価自体は私も全く異存はありませんが、一方で宮脇淳子氏の書評の中では「バカとしか言いようがない。」とまで言われる疑わしい史書(『三国志』)に基づいて、石平氏の『石平の裏読み「三国志」、英雄たちに学ぶ乱世のリーダーシップ』は著されています。また、所謂『魏志倭人伝』は紛れもなく、その『三国志』の中の一部であります。ご承知の様に『魏志倭人伝』という史書は存在せず、正式には『三国志』の中の「魏志」その中の「東夷伝」さらにその最後に位置する「倭人条」のことを略して『魏志倭人伝』と言っているのであります。
 普通の考えでは、『魏志倭人伝』が信頼できないのであれば、『魏志倭人伝』が含まれる『三国志』も信頼できないはずで、その信頼できない『三国志』に基づいた人物評であれば、それほど意味がないことになる、或いは宮崎氏の言い方を借りれば、『三国志』に基づいた論などバカのやること、になると思います。
『論語』に通暁し、儒教に造詣が深い。北京大学で哲学を学ばれた石平氏ともあるお方が、信頼できない『魏志倭人伝』が含まれる『三国志』に基づいた論を発表されたのであれば、宮崎氏は、まずその点について一言あってしかるべきで、それはなしに上記の書評をされたのは『魏志倭人伝』は信頼できないが『三国志』は信頼できるとお考えなのか、信頼できない『三国志』に基づいているが石平氏の人物評価は納得できると言われるのか、あるいは別の考えをお持ちかもしれません。
 いずれにせよ、「『魏志倭人伝』を信頼している日本の歴史家がまだいるが、バカとしか言いようがない。」とまで言われる以上、二つの書評における中国史書の扱いの違いについて、その根拠とともにお考えをお聞かせ頂きたいと存じます。
 念のために申し上げます。私は中国の言う歴史が信頼できないのは、近年になり、特に共産党が政権を獲ってからが顕著で、全くの捏造と言える様なことまでも行われる様になりましたが、それ以前は、自分の政権の正当性を高めるため前の政権を悪く言う様なことはありましたが、目的もはっきりしないままに単に出任せを言う様なことは無かったと考えています。
 むしろ『魏志倭人伝』は、その理由は長くなるので省略しますが、中国正史の中でも最も信頼できるものの一つだと考えております。
 それに留まらず、古代の史官は生命を賭けても事実を記録することを誇りとしていたのであり、その様な思いで記録されてきた史書を、現在の状況に合わないとして、「信頼するのはバカ」と切り捨てるのは傲慢であると申し上げざるを得ません。
 古代の状況をご理解頂く一助として『史記』に記載ある次の逸話をご紹介します。
 春秋時代に、現在の山東を中心として斉という国がありました。初めて覇者となった桓公が治めた国です。その後裔に荘公と言う君主が居た時のことです。荘公は家臣の崔杼という者の妻が美人であったので、屡々崔杼の所に行き密通していました。崔杼はそれを知っていて復讐の機会を狙っており、ある時に屋敷内で荘公を弑してしまいました。
 その時の太史(史官)は「崔杼、荘公を弑す」と記録したので、崔杼は太史を殺しました。すると、その弟がまたその通り記録したので、崔杼はまた弟を殺しました。
 その末弟が、また同じ様に記録すると崔杼は(諦めて)これを放任したのです。
 実際の話はもう少し複雑ですが、簡単に要点をまとめると上記の様になります。
これをもって全てとする訳ではありませんが、当時の史官がどのような心構えで歴史を記録していたのか、その一端はご理解い頂けたのではないでしょうか。
 歴史書に誤りや誇張などが無いとは申しませんが、少なくとも、「信頼するのはバカ」と切り捨てることの傲慢さをご理解頂けたのではないかと考える次第です。
   (高柴昭)

(宮崎正弘のコメント)御指摘有り難う御座います。ただし書評のなかの作品評価と、考証は別物なので、宮脇女史の著作は史論、石さんのそれはリーダーシップ論です。付け加えますと、石さんの表題は、たしかに三国志となっていますが、本のなかで論じているのは三国志演義です。ご存じのように『三国志』と『三国志演義』は別物で、前者はいわゆる『正史』、後者は創作で、史実とは無関係です。
 問題の魏志倭人伝は邪馬台国と卑弥呼のことで日本が刮目し始めたわけですが、日本の歴史学界が熱中してきた観点は、あたかもそれを史実のごとくに受け取って、邪馬台国の場所捜しという熱狂を生んだ。ですが、記紀には卑弥呼も邪馬台国も一行の記述もなく、また卑弥呼神社もありません。ゆえに邪馬台国と卑弥呼の存在は信頼に値しないと思います。
 あらゆる学説は仮説です。
 林房雄は『神武天皇実在論』のなかで、こう言います。
 「百人の学者が自分の好みと個人的判断に従って、同一資料から百種の推理小説を創作している」(中略)魏志倭人伝も「原本は三世紀頃のシナの史家によって書かれた日本史らしいものであって『記紀』よりも約五百年ほど古い。すでに『日本書紀』の「一書に曰く」にも引用されており、本居宣長は『魏志倭人伝信ずるに足らず』と一蹴している、戦後の日本古代史家は「信ずるに足る古文献」として一斉にこの謎の多い文献に飛びついた」

 さて現代日本人が、敗戦を境に武士道精神を喪失して、まるで戦前の日本人とは異なる価値観に支配されているように、中国人もあの唐詩選の時代の高らかな詩の精神を忘れてしまった。共産主義全体主義下の中国人は金太郎飴のように見えた時代もありましたが、天安門事件から三十一年も経過して、40歳以下の中国人も又、過去の中国人の価値観を共有しておらず、そのうえ過去三十年、ひたすら「右肩あがり」の経済環境に育って大学の新卒者が847万人もいる時代。この人たちの人生観、価値観が現代のアメリカ人のそれに酷似してきた変化に小生は注目しています。
 いずれにせよ、御指摘のこと承りました。


最後までお付き合い、ありがとうございます。
通説と違うので、初めての方は「古代史を推理する」をご覧ください。
いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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4 コメント

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世の中色々不明・・・ (はな)
2020-05-12 06:39:48
歴史も真実は解らないかもですが
今朝テレビで南極だったかどこだったか
大昔の可愛い恐竜のお話で
その子が 釣りをしていたというのです。

川でアメンボーをくちばしで捕まえて
すぐにポイと川に捨てるのです。
それを魚が食べようと川面に上がってきます
そこを 恐竜君が パクっと食べる^^

不明なことを解明していこうとしている人たちがいることに
感動と感謝です~♪
返信する
Re:世の中色々不明・・・ (刮目天 一(はじめ))
2020-05-12 07:53:43
いいコメントをありがとうございます。
多くのことが一見、脈絡のない感じに見えますが、歴史も同じようなことが起こっているのだと思います。何らかの痕跡を見つけてどういうことで合理的に説明できるか、あれやこれや推理するのは楽しい作業でもあります。真実というのは神しか分かりませんから、人間が理解することは真実から離れているのかも知れないと謙虚に思うことが大事です。現時点の証拠からそう考えるしかないということで新たなことが発見されたら結論も変わるという気楽さも必要でしょう。人間は考えるから楽しくもあり、苦しくもありますが、苦しまないと人間に生まれた喜びは得られないのでしょう!また、よろしくお願い致します(*^▽^*)
返信する
ありがとうございます。 (カワムラ)
2022-02-16 15:18:44
blogのフォローありがとうございます。

こちらも登録させて頂きますね。
今後ともよろしくお願いいたします。
返信する
Re:ありがとうございます。 (刮目天 一(はじめ))
2022-02-16 15:26:09
こちらこそ、有難う御座います。
いろいろといじってもらえると嬉しいです。
よろしくお願いしますね!
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