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え?渡来系弥生人のルーツが南遼河人?(@_@)

2024-08-27 21:29:06 | 古代史
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#弥生人のルーツについて、例の古墳人の金沢大学グループの研究成果でも標記のようなことを結論にしていたようです(弥生人は縄文祖先60%、北東アジア祖先40%)。下の動画ではその結果を詳しく説明されていますが、最後まで動画を見ると、その可能性はあるものの、長江河口の北岸当たりのグループが可能性は高いとはおっしゃっていましたよ。安心しました(#^.^#)

弥生人の起源は南遼河?【日本人のルーツシリーズ】
みどりTV@YouTube


いい話題をありがとうございます。
遼河人との交流は縄文時代中期からですよ(#^.^#)
三内丸山遺跡は西遼河人の可能性がありますし、日本のヘビ信仰も遼河人の影響です。
多分縄文人が運んできたのだと思います。
隠岐の黒曜石が沿海州や半島北部などで見つかっていますから、縄文海人が丸木舟で交易した証拠です。
ついでに嫁さんも日本に連れて来たので、mtDNAは多様になっていますよ。
詳しくは「刮目天の古代史 【分かった!】日本人の形成過程!(^_-)-☆」をご参照ください(#^.^#)

ちなみにO-47zが江南の倭人ですよ。
それを除くO1b2が半島の現代男性の1/3ですが、箕子朝鮮の人々で、殷(商)人系です。
詳細は「日本民族とその周辺民族の父系のルーツ!(^_-)-☆」をご参照ください。
たびたび、お邪魔してスイマセン(;^ω^)

@MIDORI-TV603
三内丸山と遼河文明の円筒土器文化圏は知っています。
青森にYハプロN系統が帰化したようで、青森はN系統が多いですね。
でも、弥生時代は人数が渡来人の多いのと、別経路で遼河文明と交流していたと思うので、別にしています。


@MIDORI-TV603 さん お返事ありがとう(#^.^#)
確かに弥生時代になって縄文人以外のいわゆる渡来人が、縄文時代よりもはるかに多い人数なのは事実でしょうが、ほとんどが倭人と呼ばれる現代日本人のルーツの人々ですよ。
現代男性の中の縄文人系は40%程度で、倭人系(O-47z)は25%程度ですが、核遺伝子は逆転していて縄文人の遺伝子はかなり少なくなっているようです。
それからBC219年に奴国王が招へいした徐福の一行から、その後かなりの数のシナ人系が繁殖して18%くらいになります。

ですから、渡来人というのは余り適切な用語ではないと思っています。
というのも古墳時代初頭頃までに彼らの文化を継承した日本人が形成されたようですから、彼らは全て日本人の祖先なのです。
弥生時代にやって来た遼河人はわずかだと思いますがどうでしょうか?
Y-DNA解析の結果から斎藤成也教授提唱の日本人形成過程の三段階モデルを説明できますよ。
詳しくは拙ブログをご覧ください(;^ω^)

【関連記事】
日本列島に集まった人々とは?(^_-)-☆
斎藤成也教授の三段階モデルにY-DNAによる解析結果を当てはめてみたところ日本人がどのようにして成立したかが判明しています。ご意見やコメントがありましたらよろしくお願いいたします(;^ω^)

日本民族とその周辺民族の父系のルーツ!(^_-)-☆


日本民族の父系のルーツと地域性について!


【刮目天の古代史】倭人とは?(^_-)-☆

古代日本は海人国家だった(^_-)-☆
江南をルーツとする海人アズミ族のクニ
( 黒字:宮地直一、青字:大場磐雄 による)
①筑前国 糟屋郡志珂郷、阿曇郷、志賀海(シカノアマ)神社
②壱岐・対馬 和多都美神社
③豊後国 戸为山部牛の妻阿曇部馬身賣(ウマミメ)他、海部郡
長門国 下関市安園町富任 長門国豊浦團五十長凡海我孫  
 大津郡向津具村 八木家所有の畑地から有柄銅剣

⑤隠岐国 海部(アマ)郡 少領外従八位下阿曇三雄、海部郷
⑥伯耆国 會見(アツミ)郡安曇郷
 西伯郡宇田川村 和名抄に安曇郷記載、石剣出土
出雲国 簸川郡大社町杵築 海部が居住していた、銅戈が出土
丹後国 熊野郡湊村函石濱 和名抄に安曇郷記載、石剣出土
與謝郡日置村 海部氏が奉斉する籠神社、石剣出土
⑨播磨国 揖保郡浦上里、石海 安曇連百足
⑩讃岐国 大内郡入野(ニフノ)郷 安曇茂丸戸他、讃岐是秀 安曇直眉他
⑪阿波国 男帝の御宇に供奉する神祇官選定阿曇部、名方郡の人安曇部栗麻呂宿禰、
和多都美豊玉比賣神社、海部郡
⑫淡路国 三原郡南方の野島は海人の本拠地、西南の方に阿萬(アマ)郷
⑬摂津国 安曇犬養連等の地、難波津の安曇江、安曇寺
⑭河内国 阿曇連等の地
⑮山城国 阿曇宿禰等の地
⑯近江国 伊香(イカコ)郡安曇郷(東北方湖辺の地であるが所在は明らかでない)
⑰美濃国 厚見郡、厚見郷
⑱三河国 渥美郡、渥美郷
⑲信濃国 更科郡氷鉋、斗賣郷 氷鉋斗賣神社 、埴科郡玉依比賣命神社
⑳信濃国 安曇郡 穂高神社 安曇部百鳥
以上の他に、「信濃の安曇」(笹川尚紀『信濃第 55 巻第 7 号』平成 15 年)によると、肥前国、
周防国、備中国、伊予国にも安曇連、安曇部の存在があるという
「安曇氏の経歴と分布」より引用)


古墳人って何なのさ?(;´Д`)
最新の遺伝子解析も、歴史学の知見がないとダメですよ(;´Д`)
(2021年9月21日 金沢大学 > 研究トピック > パレオゲノミクスで解明された日本人の三重構造 より)


最後まで読んでいただき、感謝します。
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)

初めての方は【刮目天の古代史】古代史を推理する(^_-)-☆に基本的な考え方を説明していますので、是非ご参照ください!

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