刮目天(かつもくてん)のブログだ!

すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

「猫宮」は狗古智卑狗と関係あるのか?(*^-^*)

2022-10-17 16:35:33 | 古代史
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2022-01-03 19:36:07に記事にしましたが、前回の記事「【大発見!】大国主命の生誕地か?」でご紹介しました豊岡市竹野町の可愛いキューピーの寝姿に見える猫崎半島の地名も日本書紀の丹波道主の祖父である開化天皇に因んで藤原氏によって作られたものと分かりました。開化天皇は日本書紀で稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおひひのすめらみこと)とされています。後で分かったことも含めて注記を青字で追加しましたので、少し込み入った話で恐縮ですが、おつきあいください(#^.^#)

前回の記事「狗古智卑狗の霊ライン」に自転車くまさんから以下のようないいコメントを頂き、早速調査しました。ちょっと込み入った話になって申し訳ないですが、最後までお付き合いください(*^▽^*)

猫宮
2019-03-18 03:01:59 熊本から気ままに山と自転車のブログ



先代狗古智卑狗一族の其の後? (自転車くま)
2022-01-03 11:25:01
荒尾市に「猫宮」という小さな社が在ります。その社の御祭神は「稚日本根子彦大日日(わかやまとねこひこおおひひ・第九代開化天皇)」とあります。その御神体が、菊池川流域から持ち込まれた五~六世紀の「石棺の縄掛け突起」と云うことです。
私には、時系列が分かりませんのでご教示願いたいのですが、日本権力者の系列ということで関連付けてみた(正月の夢想・笑)のですが、この「猫宮」と「先代狗古智卑狗」が関連するという仮説が成り立つ余地はありますか?ヒントだけでも結構です。正月から不躾な質問ですみません。自転車くま


いいコメントを有難う御座います。こういうご質問が有り難いです。

早速ネットで検索し、結論から言うと、おっしゃる通り開化天皇を祀る猫宮と狗古智卑狗は関係大有りだと思います。

開化天皇は欠史八代の最後の第九代天皇ですが、ご存知のとおり、天皇の号は七世紀末の天武天皇からですし、初代天皇は、大物主大神(大国主)の神託に応じてヤマトの祭祀王として崇神天皇に呼ばれて即位した大神の子の大田田根子です。ですから大神を祀るヤマトの祭祀王を天皇と見ると応神天皇(=大田田根子)が初代になります(注1)。

しかし、藤原不比等は日本建国の史実が、藤原氏が権力を握り続けるにあたって都合が悪いので、日本書紀で神武東征神話を創作しました。応神天皇の父を大国主ではなく仲哀天皇と誤魔化していますが、仲哀天皇は卑弥呼の死後に倭国王に立って大国主狗古智卑狗に殺された尾張王と推理しています。しかし、仲哀天皇は、崇神天皇と同じ血統で、奴国大王スサノヲの後に吉備で奴国を再興し、ヤマト王権の基礎を築いた天照大神尊ニギハヤヒの子孫ですので、日本書紀でヤマトの大王(スメラミコト)の称号が与えられたのだと思います。

そして仲哀天皇の仇討で大国主を討って日本の建国を行ったのが日本書紀では、その祖父とされた景行天皇と、その子で、仲哀天皇の父とした日本武尊ですから、いずれもニギハヤヒ大王の子孫の尾張王の話です(仲哀天皇は父の日本武尊が死んで38年後に生まれた計算になりますからデタラメだと直ぐに分かります)。(2023.10.21 赤字訂正)

これらのことを踏まえて神武天皇の後の欠史八代の天皇を考えると、これらの天皇は崇神天皇までを埋めるために創作された天皇ということでしょう。そして第七代孝霊天皇「大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとにのすめらみこと)」の皇子イサセリヒコを吉備で鬼退治した吉備津彦としていますが、スサノヲの弟ニギハヤヒ大王のことだと突き止めました(「【検証7】桃太郎はニギハヤヒだった?」参照)。ですから、第八代孝元天皇「大日本根子彦国牽天皇(おおやまとねこひこくにくるのすめらみこと)」とその子の開化天皇「稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおひひのすめらみこと) 」に根子を付けてヤマト王権の基礎を築いた天皇としましたから、込み入った誤魔化しですが、イサセリヒコと兄弟とされた孝元天皇もニギハヤヒ大王のことではないかと思います。

ですからおっしゃる通り、根子(ネコ)は大田田根子と同じ意味でしょう。どちらもヤマトの国の根っ子という意味ですね。大田田は豊葦原を瑞穂の国に変えた大国主の子、大日日は天照大神尊ニギハヤヒの子という意味ではないでしょうか。

後世に稚日本根子(ネコ)に動物の猫を当てたのでしょう。そうすると犬との争いの話も同じこじつけで、犬は狗古智卑狗を意味しているのではないでしょうか?

そこで養父市養父神社の摂社「迦遅屋神社」が「猫の宮」と呼ばれるそうです。養父市は二世紀末から三世紀の日本建国時代は久々遅彦の支配地だった丹波(タニワ)でした。祭神は奥津彦命・奥津姫命と表米親王という開化天皇の皇子彦坐主王(ヒコイマスオウ)を祖とする日下部表米(くさかべ の うわよね/ひょうまい)で、孝徳天皇の後裔で養父郡大領[3][4]あるいは朝来郡大領[2]の官職を持つ飛鳥時代の人物です。奥津彦命・奥津姫命は大国主と台与のことです(「なんで出雲に大元神社がないの?」参照)。大国主所縁の丹波(タニワ)を治めた日下部氏が先祖の表米と共に祀ったのだと思います。なお、養父神社の祭神は、倉稲魂命、大己貴命、少彦名命、谿羽道主命(彦坐主王の子、タニワノミチヌシ)、船帆足尼命 ( 谿羽道主命の子孫で但馬国造の祖)の五柱です。

実は養父神社の境内社に山野口神社があり、珍しい狛狼から「狼(犬)の宮」と呼ばれているそうですが、養父神社の由緒によれば1690年に創建されたものですから、崇神天皇三十年に創建されたと伝わる養父神社や飛鳥時代に創建されたと思われる「猫の宮」と比べれば新しいものです。

ちなみに宇土市の猫ノ城古墳を調べたところ古墳時代前期の円墳だそうです(「轟貝塚Ⅱ」宇土市埋蔵文化財調査報告書第36集、p.2)。狗古智卑狗の系統は方墳ですから、三世紀末の景行天皇九州遠征で戦死した大国主配下のムナカタ族の武将のものかもしれません。また残念ながら今回は、益城郡の「猫伏石」や「猫宮」御神体については関係が良く分かりませんでした。

ということで、荒尾市の「猫宮」は大国主の倭国を滅ぼした尾張王オオタラシヒコオシロワケ(日本書紀の景行天皇)に従軍したニギハヤヒ大王の子の開化天皇に繋がる氏族が創建したのではないかと思います(注2)。長者の猫と犬のケンカの話は、大和朝廷に配慮して後で作られたものではないでしょうか?何か別の見解が見つかりましたらお教えください。どうもありがとうございました。また、よろしくお願い致します。(2022.10.17 赤字追加)

(注1)オオタタネコは、三輪山の大国主大神に祟られた崇神天皇が呼び寄せた初代祭祀王ですから応神天皇のことです。
神武東征神話や神功皇后による応神天皇即位の話は、日本書紀で創作された話ですので、大国主と台与の子のオオタタネコの話が史実に近いと推理しています。神功皇后は女王台与をモデルにしています。皇后の側で常に助けた武内宿禰や住吉大神は大国主狗古智卑狗がモデルです。

また、日本書紀で大国主久々遅彦の分身として猿田彦大神を登場させましたが、大神の子孫が大田命とあります。大物主大神(大国主久々遅彦)の子が大田田根子であり、猿田彦大神の正体が大国主命であることを示唆していると分かります。猿田彦大神が天孫ニニギの降臨を先導した話と大物主(大国主)が子の太田田根子を呼び寄せてヤマトの祭祀王にした話は、大国主の神託で崇神天皇が、大国主(武内宿禰)と神功皇后台与の間の子の応神天皇をヤマトの祭祀王にした史実から作られた話なのです。(2022.10.17 青追加)

(注2)崇神紀四道将軍のひとりである丹波道主は開化天皇の孫で、父は日子坐王(彦坐王)ということですが、ヤマトの丹波攻略の史実はその約300年後の古墳時代初頭(三世紀後半)の話だということが考古学の成果から分かりました(「【検証19】日本建国のための戦いだ!」参照)。ですから、丹波道主の事績は尾張王建稲種命のものを作り直したものだと分かりました。開化天皇は纏向を造成し、旧奴国の勢力を集めたニギハヤヒ直系の大王です。尾張王は同じ天火明命ニギハヤヒ大王の長男アメノカグヤマの子孫です。ですから、ヤマトの大王になる資格がある血統なので記紀では仲哀天皇、景行天皇とされた乎止与命(ヲトヨノミコト)とその子建稲種命のことです。さるカニ合戦は日本建国の時代の話に基づき作られた民話でした(「抹殺された尾張氏の謎(その3)」参照)。






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