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宇佐八幡の比売大神は卑弥呼だよ(^_-)-☆

2022-06-13 18:36:01 | 古代史
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日本書紀に慣れていない方のために、崇神天皇即位から応神天皇即位までの年表を作成して末尾の【付録】に掲載しました。その直ぐ上の三世紀後半(弥生終末期から古墳初頭)の鉄鏃・銅鏃の出土状況と応神紀四道将軍の話やその約160年から200年後の景行天皇・日本武尊の遠征の話が一致することが、いかにケッタイなことかがわかりますよ。お付き合いください(^_-)-☆

宇佐神宮の祭神比売大神が宗像三女神のイチキシマヒメで卑弥呼だと突き止めていますが、とても分かりやすい解説動画がアップされていたので、コメントしました。お付き合いください。


1,818 回視聴 2022/03/14 宇佐神宮に来た人はみな首をひねる【ヒメオオカミ最優遇の謎】。単なる”女神”という意味でしかない「ヒメオオカミ」の正体は一体何なのか…「都市伝説」をまとめました。
”信じるか信じないかはあなた次第―――。”

▽前回の動画を先に見るのをオススメします▽
ハチマンって何者?
6分でわかる宇佐神宮
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△
目次↓
0:00 はじめに
1:07 謎が多い!ヒメオオカミ
4:53 ヒメオオカミ=○○説
6:56 ヒメオオカミ=○○=▲▲説
8:16 まとめ___________
宇佐神宮
宇佐市(御許山、大元神社)


刮目天
とてもいい動画をありがとうございます。
邪馬台国宇佐説はマイナーなのですが、正解だと科学的に突き止めましたよ(^_-)-☆
比売大神=宗像三女神という説は正しいのですが、これから分かるように三人の女神ではなく卑弥呼だったのです。それを隠すために日本書紀が三女神としたのですが、葦原中つ国の宇佐嶋(安心院町三女神社)に降臨した説を紹介しています。なぜ隠す必要があるのか疑問に思われるかもしれませんね(^_-)-☆

実は日本書紀は天武天皇が編纂を命じた現存する最古の正史ですから、天皇の歴史書だとほとんどの方は騙されています。でも、崩御から30年以上もたった720年に完成しています。あとを継いだとされる皇后鵜野讃良(持統天皇、女神アマテラスのモデルとされました)を後ろ盾にして権力を握ったのが藤原不比等だったのです。藤原氏が権力を維持するために、日本建国時代に活躍した先祖を持つ有力豪族を中央から排除するために、史実を神話に閉じ込めて、都合の良い話に書き換えたことが、考古学や民俗学の成果から分かりました。不比等は天皇の外戚の地位と701年に制定した大宝律令を利用して、藤原氏だけが繁栄する体制を作りました。他の豪族が祀っていた祖神の名前や神社名も強権で変えさせていますから驚きます。

卑弥呼は玄界灘を支配して半島南部の鉄資源を列島に供給していた縄文海人ムナカタ族の姫巫女、通称ヒメゴでした。4世紀から7世紀まで沖ノ島祭祀をヤマト政権がやっていましたが、日食のために殺された卑弥呼の鎮魂のためです。日本中の八幡神社や厳島神社、弁天宮などで祀られています。

宇佐神宮の祭神とされる八幡大神と神功皇后は、卑弥呼の死後に列島の大半を支配した大国主狗古智卑狗とその妃台与のことです。記紀では武内宿禰と神功皇后とされています。最終的に狗奴国が大国主と台与を討って日本を統一しましたが、二人の祟りが恐ろしいので、二人の間の子供ホムダワケ(オオタタネコ)をヤマトに呼び寄せて祭祀王にしました。のちの八幡大菩薩応神天皇のことです。仲哀天皇が父というのは誤魔化しでした。

大国主と台与も日本中で祀られています。伊勢神宮の内宮・外宮の本当の祭神はこの二人です。アマテラス女神は日本書紀の創作です。岩戸隠れの神話は卑弥呼が日食のために殺された史実を使っただけです。ほとんどの方は騙されていますが、女性天皇もフェイクであることは、京都にある天皇家の菩提寺泉涌寺で明治になるまで誰も祀られていないことから分かります。詳しくは拙ブログ「古代史の謎を推理する」をご参照ください。突然、お邪魔してとんでもない話で申し訳ありませんでした( ^)o(^ )


ちょっと、補足します。

仲哀天皇の父はヤマトタケルですが、日本書紀の記事から計算すると仲哀天皇はヤマトタケルが死んで38年後に生まれていますから、直ぐにバレるウソでした。仲哀天皇とされた人物は、狗奴国王から倭国征討軍の大将に任じられた尾張王と推理しました。
狗奴国軍が押し寄せる情報が入った時に、北部九州で日食があり(247年3月24日日没直前)、倭国王難升米が卑弥呼を暗殺しました。その情報を卑弥呼の弟赤坂比古(和邇氏の祖、日触使主)が知り、狗奴国軍に投降したので、難升米は親魏倭王の金印を持って帯方郡へ逃亡したと推理しました。(2023.5.30 改訂)



尾張王は無傷で倭国を手に入れたので、魏使張政の申し出を受けて、狗奴国王を裏切って倭王に立ったのですが、征討軍の副将だった狗古智卑狗(久々遅彦)が承服せず、千人くらいが死ぬ内戦が発生しました。

久々遅彦率いるムナカタ海人族に、赤坂比古の勢力が加勢して、尾張王を鳥栖市で討ち取ったと推理しました。九州最古級の前方後方墳赤坂古墳に葬ったと考えています。

結局、張政の進言を受けて、久々遅彦も狗奴国を裏切り、その配下のムナカタ海人族息長宿禰の姫巫女として従軍していた、13歳の台与を卑弥呼の宗女として女王に立てました。久々遅彦は、すでに支配下だった山陰から近江・北陸に加えて、卑弥呼に従うとした30国を版図に加えたので、記紀神話で大国主と呼ばれました。

父が殺された尾張王建稲種が大国主と台与と赤坂比古を討ち、狗奴国が日本を統一しました。赤坂比古は鳥栖市愛宕神社古墳(直径約140mの巨大円墳)に葬られていますが、後に神仏習合して愛宕権現とされた人物です。



景行天皇の九州遠征のルート上に発見した鉄鏃・銅鏃から、日本書紀が仲哀天皇の祖父の景行天皇の話にして誤魔化したことが判明しました。そして、ヤマトタケルの東国遠征のルート上にも矢戦の痕跡を発見しましたので、神社伝承で副将として参加した建稲種がヤマトタケルのことだったと分かりました。



同様にして二百年くらい前の崇神紀の四道将軍の遠征ルートでも戦跡を発見しましたので、日本書紀は日本建国の真相を誤魔化したことが分かりました。そして、大国主を倒して日本を統一した史実を神代で国譲り神話とし、大国主から力尽くで国を奪った英雄のタケミカズチとフツヌシを藤原氏の氏神として春日大社・鹿島・香取神宮などで祀っていますから呆れた話です。神祇祭祀を独占し、本当に建国時代に活躍した豪族を抑え、没落させるために神話を創作したのです。でも粗雑には扱っていないので、贖罪と鎮魂のためだと分かります(^_-)-☆

記紀では応神天皇は仲哀天皇と神功皇后の子となっていますが、住吉大社の伝承ではもがりに大神と皇后が夫婦の密事をしたとあり、住吉大神が皇后に常に寄り添っていた三百歳の老人武内宿禰と分かりますから、応神天皇が大国主久々遅彦と台与の子だったのです。

建国の英雄ヤマトタケルの話などは、史実を誤魔化すためのフィクションだと分かりましたが、一旦盗まれた草薙の剣が返還・奉納されたことに因み熱田神宮に伝わる、酔笑人(えようど)神事という奇妙で愉快な祭りが、暴露しているようですよ( ^)o(^ )。



【付録】日本書紀による第10代崇神天皇即位から第15代応神天皇即位までの年表

(2023.5.30 改訂)

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