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出雲・丹後王国三代が建国の立役者だった!(#^.^#)

2024-07-30 23:21:32 | 古代史
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#いつも勉強させていただいている古荘英雄さんの動画に、最近分かった出雲・丹後王国の話がありましたので、嬉しくてついお邪魔してしまいました。いつものとおり不躾な長いコメントに暖かいお返事などを頂き、有難うございました。是非、動画を見ていただき、よろしければ、またお付き合いください(#^.^#)



@katumoku10
いい話題をありがとうございます。   

古代大丹波王国と出雲王国は連続的につながっている古代史を解明する上で最も重要な地域のひとつだと思います。

ズバリ言うと、宋史 王年代紀十八代奴国王スサノヲゆかりの地です。スサノヲは三国史記の新羅第四代脱解王のモデルです。107年に後漢安帝に朝貢した倭国王帥升(奴国宮廷楽師師升)に殺されました。その王子イタケルが出雲に逃れ、祖母イザナミの一族によって出雲を与えられて、その子八束水臣津野命(以下、八束命)がスサノヲゆかりの諸部族を出雲に集めて、鉄のネットワークを作った史実が、国引き神話になっています。西谷三号墳はイタケルの墓だと推理しています。古墳時代の先駆けの首長継承儀礼がこの大型四隅墳丘墓で始まりました(詳細は「国引き神話は史実だった?(その5)西谷墳墓群の被葬者は?」参照)。

出雲・丹後王国三代の初代王八束命が二代目日高彦によって9号墳に祀られています。日高彦がスサノヲの故地豊岡市から丹後半島に拠点を移しました。父八束命は恨みのある倭国王に復讐するための戦略として半島の鉄素材を大分県大野川流域から熊本県阿蘇山麓に運び入れて、鉄製武器の製造コンピナートを作りました。



日高彦は半島が混乱した二世紀末に菊池川沿岸方保田東原遺跡などに最前線基地を作りました。山陰・畿内の兵士を集めて倭国の筑紫平野・佐賀平野などをしきりに攻撃して、倭国を滅亡寸前まで追い詰めました。

ところが公孫氏が半島を平定し、204年に帯方郡を設置しましたので、倭国は息を吹き返しました。菊池川の集落を襲い、油断していた日高彦を討ったのです。日高彦が魏志倭人伝の狗奴国の官狗古智卑狗です。豊岡市久久比神社祭神です。木の神ですからイタケルの子孫です。

日高彦の右腕の玄界灘を活動域とするムナカタ海人族赤坂比古(和邇氏の祖)が自分の居館近くの赤坂今井墳丘墓まで、多分遺骸を運び1号墳で葬儀を行ったと推理しています。そして、王を喪って途方に暮れていた赤坂比古が帥升の孫の難升米に懐柔されて、娘卑弥呼(市杵島姫命)による太陽神のお告げに従って政治を行う条件で、狗奴国を裏切り倭国側についてしまいます。赤坂比古に従う勢力が倭国側について、半島の鉄を抑えて大勢力になります。卑弥呼の宮室は宇佐市安心院町宮ノ原遺跡三女神社です(詳細は「邪馬台国は安心院(あじむ)にあった!」参照)。



その後、日高彦の子高野御子(日高彦の御子の隠語)が成人し、日高彦の跡を継いで久々遅彦を襲名します(記紀の武内宿禰)。卑弥呼の死後に倭国を支配し、列島の大部分を傘下にしますので記紀神話で大国主と呼ばれます。

【卑弥呼の死の直前の状況】


赤坂今井墳丘墓4号墳は日高彦の妃刺国若比売(大国主の実母)の墓です。大国主自身が葬ったと思います。母の実家の刺国大神が大伴氏の祖で、和歌山市刺田比古神社で祀られている道臣命でしょう(詳細は「消された出雲・丹後王国の謎!(その2)日高彦の話」参照)。



出雲・丹後王国三代の史実が日本書紀で日向三代の神話で誤魔化されていますよ(詳細は「国引き神話は史実だった?(その4)徹底的に隠された神だった?」参照)。長々とお邪魔しました(;^ω^)

@user-qt3dh6he2f
楽しい話をありがとうございます。総合的に検証されているのがよくわかります。

@katumoku10
ちょっと補足させてください。
270年頃、九州で大国主が討たれた後に尾張勢が丹後半島や豊岡市に侵入してこの地を占領します。豊岡市竹野町竹野の誕生之浦の石碑が大国主の生誕地を示しています。地元では神代の国譲り神話のタケミカズチが上陸した場所として誤魔化していますが直ぐにその名称からウソだと分かります。記紀の崇神天皇紀の四道将軍丹波道主の話とされて、尾張勢のことを隠しています。地元や丹後半島は尾張弁に似た方言が話されていますね(^_-)-☆



タケミカズチがニギハヤヒ大王の子孫の尾張王建稲種命をモデルにして、尾張王に従った崇神天皇の配下の物部氏の祖をフツヌシとしています。藤原氏は春日大社などで祖神として祀っています。史実を隠してゴメンナサイということでしょう。ちなみに比売大神として春日大社で祀っているのは天児屋根の妻としていますが、本当は卑弥呼を祀っていますよ。

ですから、籠神社の宮司家海部氏は尾張王の配下で愛知県海部郡が根拠地ですよ。そして、豊受大神台与の羽衣伝承などを作って誤魔化していますよ。竹野神社は大海人皇子が娘を最初の斎王として派遣した斎宮ですよ。伊勢神宮の創建は文武天皇二年ですから、その時期には内宮はないですから。

地元では竹野を「たかの」と呼びます。大国主高野御子のことなのです(「高野御子の歌(その1)(その2)」参照)。失礼しました(;^ω^)

@user-qt3dh6he2f
なるほど 壮大に展開しますね!

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弘法大師空海が何故、真言密教の修行場として高野山を開いたのか?分かりましたよ(^_-)-☆

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出雲・丹後王国三代の史実が記紀で日向三代神話として隠されていたことを突き止めましたよ(^_-)-☆

【大発見!】大国主命の生誕地か?
日高彦の終焉後に造られた山鹿市茶臼塚古墳と大国主が最初に国造りした宇佐市安心院町佐田の日本一の霊山米神山を結ぶ直線上に米神山から400kmも離れた豊岡市竹野町竹野に日高彦の居城だった五社大明神社があります。そこで石碑を発見しましたこの不思議なレイラインを狗古智卑狗の霊ラインを読んでいます。米神山では大国主にお会いして、立派な木の杖を賜りましたので、我が家の家宝にしています。詳しくは「米神山で大国主に会ってきた!(@_@)!」もご参照ください(^_-)-☆





最後まで読んでいただき、感謝します。
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)

初めての方は「【刮目天の古代史】古代史を推理する(^_-)-☆」に基本的な考え方を説明していますので、是非ご参照ください!

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